2013年2月28日木曜日

プロフェッサーのお友達 ⑧





    クリングさんはプロフェッサー同様、自分にもそしてきっと他人にも
   厳しく生きて来た人だった。プロフェッサーと同じ病気だと聞いていたが
   彼よりもはるかに重症だった。そしてそれ以外にもたくさんの既往症をお持ち
   だった。



    例えば乳がんの手術を受けて片方の乳房しかないこと。



    私は片方しか乳房をもたない患者さんをこれまで何人も見ているから
   さして驚かないけれど、そりゃあ、ラルフ君にはショックだったよね。



    例えば全身の皮膚に老人性疣贅(ようじんせいゆうぜい=良性のいぼ)が
   かさぶた状に広がっている。



    私は基本的にゴム手袋をしない人なのだけれどこの時は迷った。少しでも
   迷ったらドクターに相談するのが常だが、この時は自己判断で自分は素手で
   ラルフ君にだけ(彼の気持ちのために)させた。でも彼はもう、引きまくりで
   患者さんに触れるのもこわごわだった。そんなんで上手くいくはずもない。



    もうひとつ、重大な危惧がある。例の「瞑眩(好転反応)」だ。
   お年寄りに出やすい。
   集中治療の際には特に危ない。


    そんなこんなを忘れていた訳では決してなかった。



(つづく)


ご存知タイガーバーム。これもうちの病院で大活躍。ドイツでも売ってますけど高い!

2013年2月27日水曜日

プロフェッサーのお友達 ⑦




    ラルフ君はお誕生日を最後に働きに来なくなった。




 お誕生会のあと、実は明日から3週間家族と休暇でイタリアに行きます、ってさ。
でも3週間後に戻って来るかどうかはわからない、労働局の相談窓口にまず行くから、
ってやんわり「辞めます」とほのめかした。


    3ヶ月の労働予定がたった10日間で終わってしまった。




『やっぱり無理だって、病院で働くのは。最初からそう思っていたのよ。』
                              奥様が言った。




 実は彼はうちで実習を行う前、老人ホームへ研修に行った。でもやっぱり
一週間しかもたなかったらしい。心優しい彼は何か、人の役に立てるような
福祉関係の仕事をしたいと考えているのだが彼にとってはとてつもなく
大変な事だったそうだ。



 ドクターはうちの病院ならみんな、ラルフ君の弱点を知っているから彼も
居心地いいんじゃないかと思ったみたいだったけど、なかなか上手くいかない
ものだなあ。



 私も、彼が長く続くとは思っていなかったんだけれど、どこへ行くにしても
「指圧」を知っておけばものすごく役に立つんじゃないかと思ったんだ。
だけど、クリングさんの「ダメだし」は効いたからなあ。



 そう、クリングさん。
彼女はそんなラルフ君の顛末を全て静かに見守っていたのだった。



どうでもいいんですけど、こういう「胸毛」のある人って西洋人に多いんですよね。
で、おなかにお灸を当てると毛を燃やしちゃう事があるんです。(誰にも言えない失敗)
              (写真は映画HOLIDAYのジュード ロウさん)




(つづく)
  

2013年2月26日火曜日

プロフェッサーのお友達 ⑥




           ラルフ君が来始めてから今日で10日目。
          そして今日は彼の20回目の誕生日でもある。



 ドイツでは誕生日を迎える本人がケーキを持って来るしきたり。彼は冷凍食品の
ケーキを下げてやってきた。ふふふ。私も彼にプレゼントをこっそり持って来たのさ。
ドクターの顔を潰さないよう、参加させてあげる。これにお花をつけて、私たち
二人からの贈り物ってことにしませんか?(よ!さすが名アシスタント!)


 ということで先生にお花代を持ってもらい準備万端。お昼休みに患者さんを
巻き込んでみんなで一緒にお昼ごはんをとりながらハッピーバースデイを唄う。
(先生、実は歌がお上手。)ラルフ君、こんな大げさな事になるとは
思っていなかったらしく恥ずかしがりながらもものすごく喜んでくれた。
彼にとって、ここで働く事ってとっても大変な事なんだ。みんなで励ますよ。ラルフ君!



 私はラルフ君に一冊の本をプレゼントした。



        リルケの『若き詩人への手紙』




 この本は若者の必読の書。詩人志望の(世間から認められずに苦しんでいる)若者に
リルケが手紙で語りかけるという(架空の)作品。20歳の誕生日を迎えた
職業研修中の彼にぴったりだと思ったんだ。



(つづく)





2013年2月25日月曜日

プロフェッサーのお友達 ⑤



今日も飲みました。胃薬。最近ストレス多いかな。






       あちゃ〜!って感じだった。クリングさん(仮名)のダメだし。



 ドイツ人ってきびしいなあ、というよりまあ、はっきりものをいうなあ。
教育的配慮なんだかよくわからんが、クリングさんは指圧のあと、わざわざラルフ君に
向き直って


  『あなたの指圧は全然気持ちよくもないし不愉快なだけでした。』


                   なんて言うんだもん。こっちが引いちゃうよ。


 ただ、私の事は異様に気に入ってくれて(プロフェッサーから噂でも聞いてたかも?)
たくさんお話した。音楽の話、プロフェッサーとの友情。文学の話。アメリカの話。
ご主人の話。私も彼女といると時間があっという間に経つように感じられる。




 ラルフ君はというとデビューでいきなり挫折して指圧引退してしまった。
ということでお灸要員となり、最初はこわごわだったが、厳しいクリングさんとも
少しずつ打ち解けていった。



(つづく)








2013年2月23日土曜日

プロフェッサーのお友達 ④ 



 ラルフ君にどたばたしながら仕事を教えているうち、彼女がやって来る日が来た。




             プロフェッサーのお友達だ。




 彼女はドイツ人だった(よかったあ!英語しゃべらなくて済んだよ!)。
アメリカ人の歯医者さんと結婚なさっているチェンバリストでプロフェッサーとは
幼なじみ。ピアノの学友でもあるらしい。つまり、やっぱり七十歳以上の方。
ミュンヒェンの実家を整理するために里帰りだそうだ。



      ラルフ君は彼女の治療から「指圧デビュー」だ。 



 実は当初、我々は彼にそこまでさせる気はなかった。が、彼の研修期間は
3ヶ月にもなるという。だったらゆっくり教えてみようか、ということになり
(治療に対してお金を払っている)患者さんに対して決して迷惑をかけない形で
少しずつ始めてみる事にした。
時間に余裕のある患者さんを選んで前もって説明する。ラルフ君と私とで
指圧を行うがラルフ君がやった分は必ず私がもう一度「復習」として同じ動作を
繰り返す。つまり、患者さんにとっては指圧を二度受けられる「オイシい」話に
したのだ。
もちろん前もって二人でみっちり練習したあとのことだ。



       ところがいきなり最初から挫折した。



       忘れてた。プロフェッサーのお友達は、いや、
       プロフェッサーのお友達も、というべきだ。
       彼女も音楽家だった。プロのね。



       決してハンパは許さない人だった。



(つづく)
  

これがチェンバロ。古楽器です。こりゃまた綺麗だねえ。




2013年2月22日金曜日

プロフェッサーのお友達 ③



やっぱり私にお鉢が回って来た。



ラルフ君(仮名)の教育係だ。



20歳の彼は背が高くって金髪、鳶色の瞳。でもとってもシャイな青年だ。
ただお母様の話だと、学習障害の彼はかなりひとつひとつの飲み込みが遅いらしい。     



実際、かなり大変だ。私の仕事はとにかくドクターの補佐をする事なのだが   
ファミリー的な(つまり「なあなあ」と言うやつだ)環境なので実に守備範囲が広い。
さて、教育ってどっから始める?

 
私が毎日のルーティーンワークで一番大切だ、と認識している仕事は診察室の  
メイキングだ。(意外?)                           

 


 病院業務の全ての流れを潤滑に行えるかどうかは4部屋ある診察室をいかに     
さりげなく、でも迅速に患者さん受け入れO.K.状態にするかにかかっている(と思う)。これ一つが私の仕事ならもちろん問題ないけれど四方八方に目を凝らしながら    
他に山ほどの仕事を抱えつつ頭の中のプライオリティに従って行動しなきゃならない  
しね。もちろん、この優先順位がドクターのそれと合致していなくてはならない。   
そしてどこまで「先回り」できるかでアシスタントの優秀さが計れる、ってなもんだわ。(自慢??)        



よおし、最初の「教育」は診察台のメイキングだ。これだけでもラルフ君にマスター 
させればずいぶん「役に立つ子」ってことになる。                 



いやあ、大変だったわ。彼に仕事を教えるのは。
でも私も人の親。母としてのプライドみたいなものがあるもんね。
ハンディキャップのある子と接するのには自然、力がはいっちゃう。



(つづく)                                   




うちの診察台ってこんな感じ。
普通だよね。



2013年2月21日木曜日

プロフェッサーのお友達 ②





      プロフェッサーはアメリカ在住の友人をこちらに寄越したいと
     言って来た。




 ひええ〜!アメリカ人の女性?どうしよう?英語で話す事になるのかしら?
英語なんて学校時代にやったきりでもう全然だめ。 と、いうよりうちのドクターが
英語だめの人なのでこっちに色々とお鉢が回って来るかも • • • 。と勝手に
あれこれ皮算用を始めた私。何でも1週間だけミュンヒェンに滞在するんだって。
プロフェッサーと同じ病気で苦しんでいらっしゃるらしい。
やっぱり毎日うちに通って来るって。



 ああ、来週も予約でいっぱいだあ、とこっちがめまいでくらくらしていたら、
先生が、

 『来週からもう一人助っ人が来るからね。楽になるよ。』

                         と、おっしゃった。



 え、本当?嬉しい!やった〜!と思いきや、誰が来るのか名前を聞いて
かなり心配になった。「新顔」と言うのは私も知ってる患者さん(!)だった。
20歳の男の子。職業研修で来るんだって。
私は彼の顔を知ってるくらいで全然話をした事もないんだけど、病歴は
知ってるからなあ。


 
 彼、ラルフ君(仮名)は学習障害(発達障害のひとつ。知的•発育障害はなく学習に
問題がある)の子で長くうちに通っている。高校卒業資格が取れなくて2回チャレンジした。今年やっとで合格して(エライ!!)お母さんと大喜びしてらした。
これから職業選択が始まるのだ。ここらへんの過程は日本とはずいぶん違う。
うちの子たちはまだその段階ではないので詳しい事は残念ながらよくわからない。
私の知る限りラルフ君はおとなしくて優しそうな子だ。


    でもこれは「お仕事」だ。
   (あ〜あ、きっとこれもドクターにかかっちゃ、「治療」の
    一環ってことなんだろうなあ。)



                大丈夫なの??



(つづく)




 今回、共同購入で初めて買った日本食用のお米です。でも • • •。



           MISAKOさんって
             

            明らかに中国人!?



             MISAKOさんって • • • 誰?



 

2013年2月19日火曜日

プロフェッサーのお友達 ①






久々にプロフェッサーから電話をもらった。



私たちは患者さんが病気の時にしか会えない。因果な商売だ。遊びに       
来てくれる方もいらっしゃるけどなかなかゆっくりってわけにもいかないものね。                   



プロフェッサーから電話があった時も、またご病気が再発なさったのかとつい 
はらはら。でも今回は大丈夫だった。彼はいつもの落ち着いた調子で       
『こんにちは。吉岡さん。お久しぶりです。お元気ですか?』            



 相手が好意を持ってくれてる時ってなんとなくわかるよね。すごくニュートラルな  
話し振りなのにその中になぜだか「声を聞けて嬉しいよ!」って響きを聞き分けられる。
私はすぐに感情をわっとだしちゃって、                      
『うわあ、プロフェッサー、ご無沙汰しております!おかげんいかがですか?』と   
喜びを隠せない。                               


『ドクターに用件があってメールを打ちました。読んでいただくように       
言づて願えますか?』だって。相変わらずだなあ。電話で直接話せばいいのに    
誤解の無いように必ず書面でやりとりしようとするんだよね。           




だけど、うちのドクターに限って言えば、実際問題、それは全然良策とは言えない。



まず、うちの先生はメールをチェックしていない。2週間に一回すれば上等だ。



ドイツ語を読むのをおっくうがっている様子なので絶対直接話した方がいい。



さらに、先生はドイツ語を書くのがあまりにも苦手なので返事を書かない。
どうしても書かねばならない時はわたしに代筆させる。              
しゃべるだけなら口から先に生まれて来たように小難しい言葉を次々と出せるのにね。
(ドイツ語でさえこの調子だから母国語ならきっとべらぼうに口達者であるに     
違いない。)                               




• • • ということで一事が万事性格が真逆なうちの先生とプロフェッサー、  
二人の「対決」はいつも見事なくらいすれ違い続けるのでありました。      



このあと、3回くらいプロフェッサーから『メールを読んでいただけたでしょうか?
お返事をお待ちしています。』っていう催促の電話(またしても私あて。どうして  
誰も直接ドクターと話そうとしないんだ!!!)がくるはめになるのでした。    




(つづく)                                  
 
                             




中国三大名薬の一つ 雲南白薬 止血•活血にものすごい効き目
ハルさんの治療に使っていたのを思い出します。

2013年2月18日月曜日

お灸は効きます。





右側の黒いチョークのような棒がうちでいつも使っているお灸。
韓国製です。




 実はお灸の威力を最近まで軽視していました。ドイツのプライベート保険会社は
お灸を「治療」とは認めず還付してくれないところが多いんです。それであとから
治療費の事でもめる事があるので、面倒になってお灸はサービスってことにしてるん
ですよね。そんなこともあってなんだか「付け足し」の治療みたいな気がしてました。



 漢方の本とかを見てもお灸がどうして効くのか、と言う事については経絡(つぼ)を
暖めることで、とか(軽度の)火傷の刺激が免疫力を高める云々とかって書いてある
だけなので(うちの先生の説明も、お灸の熱が地肌の穴から吸収されて経絡に効く
とかって感じ)イマイチ説得力が無いなあって思っていました。
電気とかが無い昔はそれしか方法が無かったかもしれないけど今は
赤外線ランプとかあるし、実際うちもランプ使ってるし、それがお灸である必要って
ないんじゃないの?香りがリラックス効果を持ってる事は確かですけど。
 中国でのお灸は「棒灸」といわれる形状でタバコの火を当てるみたいに患部(経絡)を
暖めます。お灸は中国の東北部で発達したんですよね。寒い地方のものなんです。






 とか思っていたら、こないだお灸で衝撃的に改善しました。


             私のぎっくり腰。


 先月、子供の音楽のおさらい会があって、出かける前に子供たちの黒靴を磨こうと
かがんだとたん、やってしまいました。翌日死にそうな想いで出勤(!)して
鍼を打ってもらいずいぶんよくなったのですが、その翌々日大雪が降って電車の
トラブルでまたもや悪化。再び鍼を打ってもらったもののなんだか深いところで
炎症を起こしているようでじくじくずっと痛みが残ってしまいました。ヤバい。
慢性化は避けたい。


 それで家でも出来るお灸を試してみる事にしたんですね。そしたら、明らかに
良くなっていくのが分かる。毎回、ちょっとずつなんだけどすっきりした快感が
増えていく。鍼のような劇的な感じとはまた違い、ふあ〜、ふあ〜っとした満足感
です。明らかに「もぐさ」の成分が身体に沁み込んで癒してくれてるう!



 お灸のにおいがすごいので子供たち+夫には大不評ですけど。
私はいいにおいに感じられるんですけどね。



 どなたか、お灸の効果のメカニズムの研究してくださ〜い。





 








 

2013年2月17日日曜日

蔑視




外国人蔑視の話題で思い出した。
ちょっと前にこんなことがあったっけ。



うちの古い患者さんでゴールドさん(仮名)という方がいらっしゃる。
キャリアウーマンのナイスミドルで私は愛情を込めて「金さん」と心のあだ名で呼んで 
いる。彼女がこの間、ひどい不眠症でやって来た。もう、かれこれ一週間くらい続いてるんだって。彼女はもちろん、うちの治療をとっても信頼してくれてるんだけど、でも、 
今日だけはそれとは別にどうしても睡眠導入剤を処方して欲しい、っておっしゃった。 「眠れないかもしれない」って思うのが怖いんだって。お守り代わりだからって。   


ドクターはね、こんな時にはほいほい西洋薬でも処方しちゃう。
ちょっと待っててねって5分くらいで処方箋をタイプで打ってハイよって手渡した。



ゴールドさんは、薬局が閉まる前にって(夕方でした)治療前にまず病院を飛び出して
行って下(同じ建物の下の階前方が薬局)に行った。               


       ところが15分ほどして彼女は戻って来てこう言った。             
『ドクター、申し訳ないんですけど下の薬局に電話をかけて私に睡眠薬を渡すように
お願いしてもらえませんか?ちょっと口論になっちゃって。受付の若い女の子があんまりわあわあ言うから頭が痛くなって飛び出して来ちゃったんです。』          



なんと、「金さん」の話によると、うちの先生の処方箋は受け付けてもらえなかった。
こんな医者がいるのか、本当に医者なのか、医師免許を見せてもらえ、とか言われたん 
だって。アヤシいからねえ、中国人の名前が • • • 。             



『あのね、普通、薬局ではオンラインで開業医の検索が出来るようになってるから、
「怪しい」と思ったら彼らが調べればいいんであって病気の患者さんと言い争いを   
するなんてちょっとありえないよ。辛い想いをさせちゃったね。』とドクターは   
おっしゃった。                                
         


だけど、うちらって、同じビルで商売やってんだよお!?
どういうこと?


そうこうしている間に時間切れ。夜間受付の薬局に行くには疲れすぎていたので
金さんはもういいやってお薬をあきらめてうちにストックしてある漢方薬を持ち帰った。
鍼も打ったし。(鍼はたいてい不眠症にはすごくよく効くから大丈夫だと思うけどね。)



医者でさえ外人だと、中国人だと、こんなことがあるんだあってかなり真剣に驚いた。


先入観と蔑視。





これが海外で生活するってこと。






漢方薬製剤。私は胃弱なのでこれらのお薬によくお世話になっている。症状がひどくなると先生にお願いして煎じ薬を作ってもらう。

2013年2月16日土曜日

思いやりの気持ち



 大きなスーパーマーケットまでバスで二つ先の停留所。歩いていくのはちょっと大変。
バスに乗った。


これは市内バス。うちの街にも同じ型のバスが走ってる。



 ドイツのバスは前から乗って(運転手さんに切符を見せる)後ろから降りる
ことになってるけどすごくいい加減。車いす用の乗車口は後ろだし朝の通学時は
大量に乗降があるからどっちも開けてる。日本みたいに一回一回機械を通したり
しないからね。



 今日、うちの前のバス停から私ともう一人の女性が乗った。私は前から乗ったけど
そのもう一人の方はわざわざ後方のドアの前で立ってたのに運転手さんは
知らんぷり。

女性 『どうして開けてくれないの?私は足が悪いから広い乗車口でないと困るのに。』
運転手『規則で乗車は前からと決まっているだろう。』


 運転手さんはバスを発車させたけどこのことでずっとお客さんと喧嘩になっちゃって
他の乗客の人たちまで巻き込んで大騒ぎに発展しちゃった。


 運転手さん次の停留所でエンジン止めちゃって
  『皆さん!私はここでどちらの言い分が正しいのか検証したいので警察を呼びます。
  バスを降りてください!』

興奮してそう言ったから、もうほかの乗客の人までみんな怒ってえらい騒ぎ。
何人かの人はげええって顔して本当に降りちゃった。


 私は全然降りても良かったんだけど、もともとどうでもいい距離をバスに乗っているのだという妙な意地があり(!)外は寒いし(−5℃)とりあえず成り行きを見ていた。
バスに残っているお客さんは十人ちょっと。


 さすがに口論に参戦していなかった他のお客さんたちも運転手に文句を言って
『オマエ、運転手なんだろ!とにかく仕事しろよ!バスを出せ!」と騒ぎ始めた。


        もっともだ。


 結局バスは再び走り始めたので事なきを得たって感じだったんだけど、ふと、
思ったんです。今、わあわあ騒いでた人たち、みんなドイツ語ぺらぺらだったけど
発音を聞く限り外人だったなあって。使ってる言葉の言い回しも(ちょっと説明しづらいんだけど)社会階層の低い労働者の言葉だったなあって。



 ドイツにはこんな風に長期(世代をわたって)滞在の労働者がいっぱいいます。
ドイツの国籍を取得してドイツの権利を振りかざして喧嘩してる。ちゃんとした
ドイツ人ならこんなところでこん風に分けの分からない喧嘩は普通しない。
足の悪い彼女は(私の目から見ても傍目にはそうとは分からなかったから)
「すみません。足が悪いので後ろのドアを開けていただけますか?」って尋ねれば良かったし運転手さんも「お困りの理由がおありですか?」って聞けたし、理由が分かったあとで「今度からそうおっしゃってくださいね。開けますから。」って言えたはずだ。



 この間ブログに書いたBMW工場勤務の彼(鬱のほう)なんかも朝から晩まで
こんな環境で仕事してるのかもって想像しちゃった。


          そりゃあ、すぐ病気になっちゃうよね。



 思いやりとかいたわりの気持ちとか、優しさや愛がバックグラウンドにある環境
から遠ざかるって事なんだろうか。外国に出稼ぎに出ざるを得ないって言うのは。





 日本の人はお遊びがてらで海外にやって来て長期滞在をファッショナブルに捉えてる人も多くって、ちょっと辛い。私だってそんな風に未開の国の原始人に見られる事もしょっちゅうなのに。



 慣れぬところで生き残っていくために無意味に「きつく」なる必要はないと思うよ。
        


              大切なのは思いやり。









2013年2月15日金曜日

小咄(こばなし)  その二





 この間も写真をアップしたこの湿布薬。うちでよく使っています。よく効くので。



 でもこれ日本のサロンパスとかと違ってものすごくセロハンをはがしづらいんです。
爪を立ててえいやって力を入れなきゃならなくって。
でね、ドクターが患者さんにこれを貼付けるとき(最初に写真の青い袋を破る時と
中の湿布をはがす時の二回、二回とも)、先生ものすごい顔して歯でギャーって
噛みちぎるんです。



            ここは病院。


            私たちは治療中。



 大抵の患者さんたちはものも言わずその光景に凍りついてしまうんですね。
文明国で衛生観念に大変厳しいドイツ人たちはそのワイルドな場面を目撃して
「やったー!オリジナル中国!この湿布薬効きそ〜!」と思うらしいんです。




                 実話です。




2013年2月14日木曜日

小咄(こばなし)  その一







アレルギーの患者さんがいて湿疹で困ってらっしゃいました。
こっちの人は大抵アトピーなどには油(ベビーオイルとか)を 
塗ります。自然派の人は質の良いオリーブオイルが良いって  
言うんですよね。多分それを受けてその患者さんが質問    
したんです。「肌に塗るには何がいいですか?やっぱりオリーブ
オイルとかですか?」って。                


そしたらドクターがおもむろに            
『だめだだめだごま油にしなさい!』っておっしゃって   
キッチンから使いかけのごま油を持って来て患者さんに  
手渡しました。患者さんは素直にそれを持って帰り    
ました。                       


実話です。







いつも先生ご一家と共同購入しています。
日本のものより香り高く美味





うちの病院で使っている鍼
左は止血薬

2013年2月13日水曜日

もう片方のスッポン 黎明(れいめい)






と、思っていたら転機が訪れた。


6度目の来院だったろうか。


『ちょっと、ドクター!もう、どうなってるんだ。全然治らないじゃないか!
マズい薬も飲んだし真面目に治療にも通ってるのにめまいは酷くなる一方だ。
どうにかしてくれよ。』                        



そうだよね。彼の治療費は日本円にして1回約1万円。そろそろ治療費だけでも
目が回っちゃうよね。これが私の場合ならだけど • • • 。          


私たちはいつものように彼にお茶を勧め談話用のテーブルに座った。



先生が口を開く。      




先生『いいですか。あなたの場合は病気の原因がとてもはっきりしている。 
薬と毎回の治療とそれからもう一つ必要なんです。すなわち「心」。
つまり、あなたの症状は全て「怒り」から来ているんです。    
あなたの生い立ち。それからあなたがドイツに来てからの生活と  
苦労。職場での人間関係。結婚の失敗。子育ての苦労       
(幼いお嬢さんを引き取っている)。あなた、他人や周りの環境を  
恨んでいるでしょう。ひとつ、そこのところをじっくり考えてみては
どうでしょうね。』                      




なんだ、先生。ちゃんとわかってるんじゃないの。ああ、もっと早くに先生に   
相談しとけばよかった。いつものことだけど、治療の申し送り以外はまず患者さんの  
話題には触れないもんね。わたしら。• • と思ってふと患者さんの方を見るとなんと 
彼は目が点になってる。えっ?そうだったの?って顔。               



そして私は見た!彼の「目」に風が吹き抜けたような瞬間が訪れて、そのあと突然 
彼の顔つきが変わった!                              


うっそ〜!?



 そして今日で8度目の来院。彼の表情はにこやかになった。誰の悪口も言わない。
今日は一緒にお昼ごはんを食べたけど中華は大好物だったらしく大感激しながら 
今日の幸福を噛み締めていた。もう一人の女性の患者さんとメッセの話題で   
盛り上がっている。                            


経験の浅い私でも何度も見て知っている。これは回復の兆候だ。自然療法では
心が先に回復の兆候を見せる(ことが多々ある)。やったあ。ゴールは近いぞ。 
まだ油断は禁物だけどね。                         



実はこのブログに彼のことを書き始めた時は(つい数日前だ)彼が治るかもしれない
なんて全然思っていなかった。ただ単に、面倒くさい患者の話をしようと思っただけ 
だったのに。                                 

いやあ、病み付きになっちゃうね。この快感。    
やったね、先生。



(おしまい)                                 



中国版タイガーバームサロンシップ??
生薬がいっぱい入ってて無茶苦茶効くけどアレルギーが出ることもあり




2013年2月12日火曜日

もう片方のスッポン 鬱病か?



      彼の口調は明るい。よくしゃべる。ずっとしゃべっている。
      しかも金髪の男前だ。でも内容は歪んでいる。



  『ええ〜?あなた、絶対自分に嘘ついてるよ。仕事が楽しいだって?
  これだから日本人はクレイジーなんだ。あなたは僕が生涯に出会った
  3番目の変わり者だね。』


  『いいかい、僕はね、ルーマニアで情報学科の大学を卒業したんだ。
  発明品も作って(新型の哺乳瓶らしい)特許だって取得したんだ。
  そんな僕がドイツに来てありついた最初の仕事は朝の道路掃除だぜ。
  今は毎日ベルトコンベアーから流れてくる自動車にうんざりして
  同僚からいじめを受ける毎日さ。でも誰だって似たような人生じゃないか。
  少しでもましな給料をもらって休暇でマジョルカ島に行くんだ。それとも
  イタリアか。人生ってのはあそこで過ごす数週間のことを指す言葉さ。』


そしてドイツ人の悪口悪口。アジア人への蔑視(ならうちに来るな!)。ロシア人を
馬鹿にして他の東欧諸国を分かった顔してそれ以外の外国人のこともひたすら
悪口。




 心の中でバリアを張りつつ、でもこれってきっと「心の毒出し」なんだよなっと
理解して、一応私なりの見解を随時述べる。あくまでポジティブな方向へ。
するとまた噛み付かれる。これの繰り返し。


 彼の主訴はこれまた耳鳴りとめまい。ああ、性格病だあ。全然良くなってないし。
彼は鬱病患者ではない(実際明るいし社会生活もちゃんと出来てる)が精神を病んでいることは間違いない。ズバリ鬱病の患者さんもこれまで何人か見て来たが、やっぱり
皆さん扱いが難しい。基本的に皆さんネガティブ思考なので治療途中で効果に疑いを
はさんでやめていく人が多い。


 彼は今のところよく続いているね。やっぱり私を相手に悪態をつくのを楽しみにしているとか??



 まあ、いいか。ふう。


(つづく)





北京同任堂のお灸。これが効くんだ。日本で言うお灸とは少し形状が違うかな。
                                                                                                             Photo by J.Y.

2013年2月11日月曜日

片一方のスッポン  躁病か?




  『いやあ、看護婦さん!(えっ?わたしのこと?)あなたの優しい手で毎日
  癒してもらえるならもう、私は一生ハッピーでいられるなあ!
  是非私と結婚してください。毎晩指圧してもらって(ええ?)
  にこにこ笑顔を絶やさず(ぶっ!)どんな無理を言っても「ハイ」って
  従順に従うあなたは私にとってまさに理想の女性。(えええっ!?)』



  『え?もうご主人がいらっしゃる?ああ、ご主人があなたのような方を手放す訳が
  無いなあ。うう、うらやましい。あなたのような方が毎日側にいて優しく仕えて
  あげるんでしょう?あなたと結婚できないなら、あなたのお姉さんか妹さんとか
  従兄弟とか姪御さんとかいませんか?わたしにとってあなたは特別な人なんだ。
  私は次に(!)結婚するのはアジア人と決めているんだ(ちょっとお〜!)。
  看護婦さん(!)のご親戚ならきっとあなたに近いオーラを放っているに
  違いない。是非誰か紹介してください。』



 アルジェリア人の彼は黒人でちびで全身毛深い42歳。しかもものすごい汗っかき
なので身体のどこに触れてもびしょびしょで診察台のシーツの上に敷いたタオルも
いつもじっとり濡れている。衛生上の理由から指圧の際には上にタオルをもう一枚
かぶせているほどだ。


 工場勤務の彼は職業病で頭痛などいくつかの疾患を抱えていたが、うちの治療で
劇的に症状が改善した。もう治ったなら通ってくるな!と言いたいところだが
「免疫力をつける」とかであと数回はくるらしい。



 とにかく明るい。よくしゃべる。そして私をくどきまくる(職場の花?)。
私の年齢を激しく誤解している。これはよくあることだが
ヨーロッパの人はアジア人の年齢を実際よりずいぶん若く勘違いしてくれる。
結構愉快だけどね。在独20年というと『えっ。子供の頃からいたんですか?』
とかよく言われる。15歳の息子がいるというとヤンママと思われるし。
ちなみに日本人の知り合いの人で私の年齢を誤解する人なんていないよ。
ただのええ歳こいたオバはんじゃん。



 疲れることにこの人は、もし、私が独身なら、私が彼の愛を断る訳がない
とかたくなに信じている。
さらにうっとうしいのはアジア人の女性は男性に対して100%服従するものだと
思っていることだ。(だから彼の愛も断る訳がない、というすごい理屈)
『ご主人との関係に少しでも曇りが生じたら(!)すぐに私にご連絡してください。
私が一番に名乗りをあげます。』 100%服従するんだったら曇りなんか
生じる訳無いでしょう!




 もう、女性と見たら誰にでもああやって口説きまくってるのかなあ。




 とにかく彼の「治療」を全力を挙げてする以外に無い。一刻も早く完全な健康体にして
高額な請求書を送りつけて退散させるのが最も円満解決の道だ。



 がんばろうっと。













ウインナー•シュニッツエル(ウイーン風カツレツ)ミュンヒェンのお店にて。
ものすごく大きかった。主人と二男が食べました。こんなのばっかり食べてるから
こっちの人は肥満体でふけ顔になっちゃう?     photo by Jiro Yoshioka

2013年2月10日日曜日

トマトの運命


トマトに限らない。例えばジュースなら濃縮果汁(Konzentrat)なんてのはほぼ間違いないくアヤシイ。メーカーが大手であろうがなかろうが大差ない。(フレッシュジュース、Direktsaftならや輸送時間の都合上セーフ)

そうだね。ことの真偽はともかくとして、この話には十分な信憑性があると思う。気軽に買える便利簡便
はどこかでた代価を支払わねばならない。


あれは春のこと。ドイツの新聞記事に大見出しで、アメリカからEU(特にドイツ)に対して農業輸入規制緩和のオファーあり、と報じていた。これって欧州版TPPじゃないの?って思って、翌日農水省勤務のダンナ様のほうに訊いてみた。するとやはり思った通りだったが、あに図らんや、ドイツはそんなことしないよって彼は説明した。例えば大豆。近年の健康食ブームで代用肉として需要が飛躍的に伸びた。だが、大豆食品に関心のある人というのは則ち安全性にも厳しい人たちだ。アメリカや中国から原材料を頼っていては意味がない。現在、バイエルン北部に大規模な有機農法による大豆畑を作るプロジェクトが進行しているらしい。


自分たちの口にするものは自分で守る。当たり前のことが我々日本人には痛い。


トマトトマト。ドクターの突然の挙動から色々と書き連ねたけれど、やっぱり美味しくて安全なトマトが食べたい。



2013年2月8日金曜日

スッポンとスッポン  躁鬱編



       最近疲れている。



 ものすごく「疲れる」患者がいるのだ。しかも二人。二人とも
最近来院し始めたのだが、とにかく私は彼らとの会話の一言一言にものすごく
エネルギーを消耗させられる。患者さん十人分まとめて治療したあとみたいに
ぐったりしてしまうのだ。


 どう大変って、片一方はとんでもない鬱病患者みたいな奴でもう一人は
信じられないハッピー男なのだ。ハッピーな奴は相手するのも楽チンに思えるかも
知れないが • • • まあ、どう大変かは追って話をしよう。


 だがふと妙な符合に気がついた。この二人、同じ会社だ。ミュンヒェンを
代表する世界的な自動車会社BMWの製造部門、つまり工場勤務の人だ。
二人の話を聞く限り同じ場所に通勤している。実は職場の同僚だったりして。
まあ、工場と言ってもべらぼうに大きいらしいから互いに全然知らない
確率も高いんだけどね。
もちろん病院の職員が他人のうわさ話なんてしないから、私だって
『あら、○ ○さんご存知?』とか片方に向かって言ったりしない。
お二人さん、初診の時期も通院の時間帯も似ているのにニアミスばかりで
互いにうちで顔を合わせたことも無い(と思う)。


 他の条件も似ている。年齢も40歳くらい。それぞれ出稼ぎ労働者
(ルーマニアとアルジェリア)で離婚歴がある。花嫁さん募集中。


  こんな「妙な合致」に気がついてからと言うもの、なんだかジキルとハイド
 みたいに(例えが正確でないけど気分だけ分かって!)精神分裂の同一人物が
 変装して交代ごうたいに私をたぶらかしに(!)来ているのではないかという
 幻想に捕われるようになったのだ。



 ただ、二人の抱えている病気は違うし、現在の経過もかなり違う。



 私にとってこの二人の印象が大変似ているのはただただ、「話し相手を
疲れさせる名人」であるというその一点に尽きる。
彼らの話をしよう。



(つづく)


風のない湖のほとり。心の中もいつもこんな風に穏やかでいられたらなあ。            
                                                                        (Photo by Jiro Yoshioka)

2013年2月7日木曜日

チェロのコンクール



 2月3日(日)、二男の13歳のお誕生日。


この日は子供のコンサートの日(コンクール1位受賞者のための)でもありました。
本人たちはストレスだらけでブーブー言ってたけどね。遡ること1週間前の
1月26日(土)ドイツ青少年音楽コンクールミュンヒェン地区予選が行われ
うちの二郎君は1位(といっても点数制で一人ではないんですけどね)を
取ることが出来たからです。ピアノ伴奏は長男です。








 実は去年の今頃、(昔取った杵柄というやつで)ピアノで伴奏を頼まれた二郎は弦楽器+ピアノ部門でやはり1位を取ったのですがすごく具合が悪くてそのあと入院するはめに
陥ってしまったのです。無理をさせすぎてしまったと親としては反省しきりでした。


 あれから1年。元気に本職?のチェロで1位をとれて本当に良かった。
ずいぶん長いこと病気をしていてお勉強も音楽も満足に出来ていなかったのでコンクールへの出場そのものも直前まで逡巡していました。
辛くも次のバイエルン州大会への切符を手にすることが出来ましたが次はそう甘くはないのでドキドキです。三月下旬です。頑張ってね。見守ることしか出来ないけれど。



 コンサートにいつも一緒に励まし合って頑張っているヴァイオリンの女の子が
お花を持って来てくれました。彼女の演奏は評価してもらえなくって州大会に
行くことが出来ません。コンクールではそういうこともあるんです。
うちの子とその女の子の立場が逆だったらこんな風にお花を持っていってあげることが
出来るかなあ?きっと辛くて出来ないよね。あの子は偉いね、大人だねって主人と
話しながら帰路につきました。
頑張ろうね。みんな。辛くても止めちゃだめだよ。止めたら全てが終わっちゃうよ。
お花ありがとう。感謝を込めていただいたお花の写真をアップします。







2013年2月6日水曜日

シャボン玉 飛んだ ⑯




   どこかで聞いたことがある。

      人は死や離別、衝撃的に悲しい体験をすると
      それを乗り越えるために三つのプロセスを経るんだって。
      まず茫然自失のショック状態、次に哀しみ、最後に怒り。



   目の前の結末を自分が結局良い方向に変えることが出来なかったことに
  対する怒りの想いと対決しなければならないんだって。そしてそういった
  手順を踏んでようやく最後に事実を事実として受け入れられるようになる
  ものらしい。私たちもそういう曲がり角に来ていたのだろうか。



   ハルさんの死に哀悼の意を表し続ける私たちの心に小さな波風を起こす
  事実が判明した。




   すなわちハルさんの残していた遺言だ。


   彼は自分の入院費用と治療費のために借金をしていた。自宅を抵当にかけて。
  そして遺言書の中で、彼のなけなしの所有品目を全て現金化して
  彼の入院先の担当医に「感謝を込めて」贈与する旨取り決めてあった。




   医者としての私のドクターは完全敗北していた。というより最初から先生の
  立ち位置はハルさんの「友人」であって「主治医」では無かった事実を
  思い知らされる結果となったのだ。



   きっと先生のアタマの中ではこれまでハルさんのためにかけて来た時間と
  労力と架空の請求書(数十万円ではきっとすまない額)が渦巻いたことだろうなあ。
  決して考えてはいけないことだけど、私でさえ計算しちゃったもんなあ。
  全部ドクターの余計なお節介だったんだって公式文書で言われちゃあねえ。


   もちろんドクターは(かなりアタマに来ているようだったけど • • •
  この頃にはだいたい表情で上司の気分が読み取れるようになっていた)
  この一件に関してはノーコメントを貫いていた。奥様が愚痴ってらした。
  (それで私がこのことを識った。)



先生『ハルさんは余すところ無く自分の人生を生きたよ。最後の数ヶ月は辛い日々を
  送ったけれど。少しでも余暇があるとキャンピングカーで好きなところへ出かけて
  誰に対しても自分の意見をはっきり言ったし。自由人だったなあ』


奥様『そうねえ。私がドイツに来たばかりの頃ドイツ語が一言も出来ないから英語で
  話しかけたんだけど無視されて辛かったわ。オマエはドイツで生活するつもりで
  来たんだろう、あんなに苦労してヴィザを取ったんじゃなかったのか。だったら
  ドイツ語以外は話しちゃだめだって何度も叱られたわ。今にして思うと
  あれほど親身になってくれた他人は彼一人だった。』



 そんな思い出話を重ねながら(そんな話を横で聞く私もなんだかそんなこんなを
一緒に体験したかのような感触にとらわれて)ゆっくりゆっくりハルさんの
ことを心の額縁に飾っておけるようになっていった。




 ドイツの夏は短い。8月の声を聞くともう、秋の香りが漂い始める。
私はハルさんの近親者じゃないからお葬式にも参列しなかった。
その日は病院の留守番係だった。でもお葬式と言っても遺言で死後
すぐに荼毘に付されて灰を大好きだった山に撒くというだけのものだ。


   今日が晴れで良かった。
   みんなが柔らかい笑顔を取り戻せた頃で良かった。



   どんなことも乗り越えていけるものだ。


ミュンヒェンの空




(終わり)
 
   

2013年2月5日火曜日

シャボン玉 飛んだ ⑮






      そんな風にして私たちはあの辛い時期を乗り越えていった。



 毎日焚き続けるお香とろうそく。四十九日までは続けなくっちゃと思っていたが、
ふと、中国の人って宗教はどうなっているんだっけと思い当たった。
初七日とか四十九日とかきっと私たち日本人と同じ感覚じゃあ無いはずだよね。
ドクターは博識の人なので一通り色んな「知識」はお持ちだけれど
今回のハルさんの件で何をどうしなさいと言われた訳ではない。ハルさんが
お亡くなりになられた日、いつの間にかろうそくが(といってもお灸用に
用意しているもの)灯されてお香が焚かれていた。私は何となくあとのケアを
引き受けちゃったけどこのままでいいのかな?改めてこの話題を口にするのは
気が引けちゃうな。



 ドクターとご家族の皆さんは新教のクリスチャンだ。ドイツに来られてから
洗礼を受けたって聞いてるけど、四十九日=リ•インカネーションの思想って
受け入れてもらえるのかなあ?人が亡くなった時こそ輪廻転生の思想は
残されたものを悼み癒し慰めるのだと信じてもいいかしら?




     『先生、仏教で言う四十九日の法要をご存知でいらっしゃいますか?』



 私は日本で通常いわれるところの四十九日、つまり来世への転生のための準備期間に
ついての説明を試みた。現代中国では、宗教というものを国の文化として
取り入れて来なかったため一般市民には縁の薄いものになってしまった仏教思想。
けれど先生にとって私の説明、つまり仏教の教えによると、死者は 亡くなってから
49日間はこの世とあの世をさまよって新しい生へと旅立つ準備をしている、という
考え方は言葉の一つ一つがすーっとお香の煙がたなびいてそのまま身体の中に
沁み込んでいくような感触で「入って」いくのがわかった。



    『ああ、ありがとう。輪廻という言葉を、今、ここで聞くと私自身が
    救われた思いがするねえ。』





 素直に喜んでもらえた。



 私たち日本人よりももっと濃い仏教的背景を引き継いでいるはずの中国に今、
輪廻転生の思想さえ無いんだ。けれど禅やお寿司や鍼治療が「ナウい(死語か?)」
ドイツの人たちと話すよりも自然に受け入れられる感覚がある。
本来あったはずの川筋に水を引き入れると何事も無かったかのような顔をして
水は流れていく。そんな感触だった。







(つづく)

2013年2月1日金曜日

シャボン玉 飛んだ ⑭




   毎日10人以上の女性の裸体を見ている先生はしかし、
  自分のメタボな身体を見られることには抵抗があったらしい。



   のちに冬が間近に迫った頃、今度は私が風邪を引いて鍼を打ってもらう
  羽目に陥るのだけれど、やっぱり私も職場の上司に裸を見られるのが
  イヤで肩からつま先までびっちり毛布にくるんで絶対見せなかった(?)
  もんね。



   ということで先生は最後までズボンを脱ぐことは強硬に拒み(あはは)
  わたしは背中をゆっくり指圧してのちにお灸してあげた。
  先生は恥ずかしかったのかいちいち私が背中に触れるたび経絡(つぼ)の
  解説を高らかに(おいおい)し始める。 


  『私ごときがわざわざいうことじゃないですけど、治療家は患者さんから
  外邪(病気のエネルギー)をもらいやすいものなんですよ。
  ちゃんと定期的に毒出ししないと。』 



   ゆっくりゆっくりマッサージしてあげるうち、先生は静かに寝息を立て始めた。
  やったね。少なくてもあと一時間半はお昼寝できる。頭に枕を差し入れて、
  抜き足差し足部屋を出て行った。




   午後一番の患者さんがいらっしゃったが私が対応して先生には知らせなかった。
  自分の出番が終わって先生のお部屋に行くともう先生は身支度を整えて
  黄帝内経の解説本を読んでらっしゃった。いつもの穏やかな表情に戻っている。



   『今日は本当にありがとう。フラウ ヨシオカ。おかげで元気になったよ。』


   っていうか正気に戻ったって言うのが正確な表現だと思うけど、とりあえず
  よかった。



   ドイツらしからぬ蒸し暑い日々が続いたけれど私たちは毎日病院の受付に
  ろうそくを灯し続けお香を焚き続けた。




  (つづく)