2016年4月30日土曜日

「彼女」というステイタス




    欧米では未成年の性交渉がオープンだとか言って他の国がまるで後進国で
   あるかのようにひょいひょい追随するのは危険だと思う。
   実際綾ちゃん自身もこのオープンな雰囲気に最初はびっくりしつつも
   現在はそれもアリかなと考え始めているのは確かだけれど。



    でも、元々の文化的背景が違うのだからうわべだけ真似るのはやっぱり
   危ない。




    何が一番違うかというと、(少なくともドイツ国内の事情しか綾ちゃんには
   解らないが)「彼女」「ガールフレンド」というのははっきりとした(口頭だが)
   「契約」事項で、これは日本でいうとほぼ婚約者くらいの扱いだと思って
   間違いない。 パーティーがあれば「恋人」の身分として同席するし時には
   家族旅行について行くことすらある。準家族としての待遇を受けるんだ。
   でも二人がのちに別れてもそうなのって感じでかなりあっさり受け入れる。
   (当人同士の感情的な軋轢は別として)大騒ぎしたりはしない。恋人という
   法的には何の権利義務もないただ伝統的な身分の問題なのだけどそこには
   日本でいう「彼女」「彼氏」よりもはっきりと重い空気が流れていて
   これを理解せずしてどっちが良いとか悪いとかいう議論はできない。
  




    こういうのってヨーロッパだなあって思うんだ。むしろ日本よりも「家族」の
   一体感って強いように思う。子供が大きくなれば性的に成熟していくのは当然の
   ことでパートナーができることも深い関係に入っていくことも認めて良い。
   でも勝手にさせるんじゃなくて家族はその状況を把握しつつ、なんだ。



    綾ちゃんが数人の知人(ママ友、ドイツ人の友人、仲良しの患者さんなど)に
   確認したところ、やはり誰もが自分の子供の「初体験」の日時を把握していると
   いう。ひやあー。だからオープンで自由にさせているようでその実、大変なことが
   起こらないようコントロールしているんだと思う。



    綾ちゃん、自分が子供の立場だったら、戸惑っちゃうと思っちゃうなあ。






昨日はユリウス ベルガーと歩 ヤンケ先生のコンサートに
行ってまいりました!


       去年、ザルツブルク音大のサマーコースでお世話になったお二人。
       観客を魅了するすばらしいコンサートでした。





          



2016年4月29日金曜日

異性交遊は不純?じゃなくて普通?




     この話題は日本人の親にとってはセンセーショナルだ。まずは綾ちゃんの
    仲良しの日本人男性、Aさん(奥様はドイツ人、成人した二人の息子のパパ)
    から伺った逸話から紹介しよう。


     彼の長男君が高校生の頃、初めてガールフレンドが出来た。すぐに家に
    連れてきて家族に紹介、夕食の流れになって彼女はAさん宅の長男君の
    部屋に「泊まって」いった。



     おいおい、いいのか?いきなりこの展開?他所様のお嬢さんをお泊まり
    させちゃって、、、。



     父親として心配するAさんをドイツ人の奥様はからからと笑って、いいのよ、
    そのために連れてきたんだもの。ドイツではそれが当たり前なのよ、と
    平気の平左。そ、そんなものなのかなあとはらはらしていたところ
    翌朝何事もなく朝食に降りてくる二人。そして二人で仲良く登校していった。




     二人はその日も揃って帰宅して一緒に宿題をやったり買い物に行ったりして
    結局、息子さんの部屋に泊まった。なんだかんだでそのあと二週間、その
    ガールフレンドちゃんはAさん宅に居座り続けたらしい。そしていよいよ
    彼女が自宅に帰るという日には息子を伴って帰り今度は息子君が彼女の家に
    二週間ご厄介になったというのだ。




     結局このカップルはその後2年間(!?)にわたって1日として離れ離れに
    なることなく互いの自宅をお泊まりで行き来したというのだ。
    この二人がその後どうなったかは記憶が定かでないが確か別れたんじゃ
    なかったかな?



     このエピソードは(その後何度となくドイツ人の人に確認してみたが)
    テイーンエイジャーのパターンとしてはどちらかというと極端なものに
    属すらしい。2年間、ずーっと一緒にいたというくだりがね。



     でも好きな異性ができたら堂々と互いの家に泊まりに行くというのは
    こちらでは本当に本当に普通のことのようだ。




やっと今日は晴れましたね。お庭から空を撮りました。



2016年4月28日木曜日

ピアス




    うちは二男の進学の時期にお引越しをしたという事情があって
   二人の子供の通う学校(ギムナジウム)が違う。長男は市内のど真ん中、
   ドイツ博物館裏の音楽ギムナジウム、二男は通学バスで10分の近所の
   学校だ。どちらの学校にも顔を出す機会があるけれど、まあそりゃあ、長男の
   学校は都会で音楽学校ときているから女の子が多くて華やかだ。
   一方、二男の学校は田舎だから女の子もかなり地味。明らかにジーンズが多い。


    長男の方の学校に顔を出すと(特に夏の暑い盛りなんて)高学年の女の子
   たちはお色気ムンムン(これも死語か?)。10歳から18歳までの子供たちが
   通うギムナジウム。10歳と18歳では全然違うけど卒業間際の18歳なんて
   体格もボリュームたっぷりで胸も露わだったりミニスカだったりで
   よく男の子たちは鼻血出さないもんだと心配になってしまう。




    タトウーはよくわからないけれどピアスはだいたい15歳前後でする子が
   多い。女の子たちがおしゃれに目覚め始める時期?なのかな?
   ちなみにうちの病院でもピアスの穴あけはやっていて、ちゃんと病院で
   (ちゃんと?病院で?)お医者さんに開けてもらいたいって人が時々
   うちにやってくる。ま、やってることはそんじょそこらのお店と変わらないと
   思うんだけど。消毒だって普通だし。まあ救急の対応は素早いかもね。




    日本人の駐在のご家庭でお子さんを現地校やインターナショナルスクールに
   通わせて日本に帰国後お子さんが(特に女の子)適応できなくて困ることの
   一つにファッションの問題があるそうだ。


    以前、臍ピアスを(耳はもちろん)していたお嬢さんが帰国後不良扱い
   されて登校拒否に陥ってしまったケースでお母様が悩んでらしたのを
   伺ったことがある。
   こちらではどこにピアスをしてたってどんな格好をしていたってそれと
   素行や成績とは何の関係もなくって生き生きしていたのにって。
   そのお母様はピアスを開けるときから何度となくお嬢さんに、日本に帰ったら
   こちらでしているようにはいかないこと、できるだけ日本では皆の格好に
   合わせるように口では指導していたらしいのだけれど海外生活が長かった
   お子さんにはいまいちピンとこなかったらしい。帰国子女らしい問題だなあ。






  それはそうとここんとこすごい天気だ。右は今朝起き抜けに撮った自宅の庭。
 左は職場の病院の窓から撮った午前中の眺めです。
 ドイツの春の天気は気まぐれ、というのはこの時期の常套句なんですが
 それにしてもすごすぎる。寒いよお〜。


2016年4月27日水曜日

ファッションで「甘え」を表現しない




       この間電車の中でモヒカンの男性に出会った。かなり久々。
      フリューリング フェスト(ミュンヘン春のビール祭り。オクトーバー
      フェスト春版)に行くのかなあ?このものすごく手間がかかるであろう
      髪型の割にファッションは地味で系でスマートにまとめている。
      いやあ、お洒落だなあ。ついチラ見を止められない綾ちゃん。



       ショッキングピンクとか蛍光イエローなモヒカンの人たちが一世を風靡
      した時代もあった。ドイツの大人たちはこれらを総称して「パンク」な
      人たちと呼んでいる。一種の思想として認めている風だ。今の大人たちは
      ロックな世代をくぐり抜けているわけだから随分理解があるように見える。
      画鋲が刺さった革ジャンとか鎖が絡みついたビリビリズボン(綾ちゃんは
      全部名称がわからないんだけど)の人を見ても別に怖くない。うーん、
      取り巻かれたら怖いかも。でも今はこの種の人たちはどっちかというと
      アニメオタクのコスプレとか大人にとって「もっと訳のわからない」分野と
      同一視されてるように思うなあ。いづれにしても綾ちゃんだけでなく
      このモヒカンに限って言えば、たいていのドイツ人は「賞賛」の目で
      見ている。沢山の疑問が沸き起こってくるもんね。美容院でいくらくらい
      したのかとかこの後自分で手入れできるのかとか明日までこの状態は
      持つのだろうかとかこれをどうアレンジして日常の生活を
      こなしているのだろうかとかね。注目されてる本人もそれらの疑念を
      自らの「謎」めいた装飾部分としてぶら下げて自意識に酔っている風に
      見えるなあ。



       何れにしても皆、とっても優しいんだ。寛容なんだ。こういうことに。



       ドイツでもエリートとパンクというのはいまいち結びつかない。
      うちの子達の学校でもそれぞれパンクな子供というのはいないかも。
      でも、もしそういう格好をしたかったら学校の外でやるだろうと思う。
      特殊な格好していたら体育の授業とか受けられないし。他人に迷惑を
      かけたり授業をさぼったり妨害するだけの目的で学校に来る子は
      いないと思う。犯罪目的というのはいるけれどこれは別件。




       ファッションは思想なんだけどファッションで「甘え」を
      表現したりしないんだ。うん、そういうことだと思う。



            
wikiより
5月1日までですよー。



2016年4月26日火曜日

髪の色なんて関係ないし




        ちょっと古いけど(映画化のおかげでそれほど恥ずかしがらずに
       話題にできる)「ホットロード」の中で主人公の女の子が髪を脱色する
       場面を思い出す。いわゆるネグレクトの家庭で子育てがわからない
       不倫中の母子家庭の母親。女の子は学校でもおとなしくクラスで
       目立たず埋もれていたのだけれど、いくつかの出逢いがあってある日
       薬局でオキシドールを買ってくる。それを使って髪の色を変える。
       それが「声明」で誰に何の説明も要らない。翌日から周囲の人々は
       彼女に引きまくり。それが「合図」で外れもののグループに入れる証と
       なり暴走族の「仲間」になる。


        ドイツの人はこの場面を理解することができるだろうか?


             

       綾ちゃんは「ホットロード」を初めて読んだ時、少女漫画なのに
      吹き出しとセリフの少なさに驚愕したことをよく覚えています。
      このペース配分が絶妙でフランス映画みたいな独特のリズムを持った
      美しい秀作に仕上がったんだと思う。



       日本の漫画の古典となったこの作品、当然海外にも翻訳されているん
      だろうと思っていたがそうでもないらしい。ドイツの(西洋の)読者に
      この間合いは伝わらないのか?




              だけどやっぱりあり得ない。 




       今でこそカラーリングなんて誰でもやってるけれどそれでも日本の普通の
      学校で認めているなんてことないでしょう。高校は義務教育じゃないから
      処によりけりかもしれないけれど。
      けれどこういう欲求は髪が皆黒髪の日本だから起こることで、もともと
      皆髪の色が違う学校にいたら誰が毛染めしたってよくわかんないもんね。


       ドイツだったら誰かが髪の毛の色変えてきたら、きゃー、◯◯ちゃん、
      かわいーってノリになるか、とにかく美容院で髪型を変えたくらいの
      盛り上がりにしかならない。髪を染めることが、まるで抜き身のナイフを
      ギラギラさせながら学校に乗り込んできたような騒ぎになることの意味を
      読み取るには文化の共通認識の差を埋めるしかないんじゃないか?



       皆の容貌が似ている(髪や皮膚の色)状況かそもそもごちゃ混ぜの
      社会かで育ってくる意識やアイデンティティーに差が出てくるんじゃ
      ないかしら?





      

2016年4月24日日曜日

「不良」の定義に当てはまらない、例えば服装




     家に帰ってからwiki博士にお尋ねしてみたところ、「不良」というのは
    犯罪を伴わないが要指導に該当する未成年を指すらしい。ヤクとか法的違反を
    伴うものは「非行」と定義されるそうだ。ま、ここでは全体のイメージとして
    日独比較のざっくりした話をさせてもらうことをお許しいただきたい。




     ドイツにだって「ワル」はいっぱいいる。うじゃうじゃいる。だけど
    彼らは日本の「不良」じゃないんだ。




     例えば服装。服装の乱れって一体なんなんだろう?よく日本でも制服の
    是非が議論されることがあるけれど、ドイツの学校にはもともと制服と
    いうものが無いから乱しようが無いんだ。貧富の差が現れるとか規律とか
    チーム意識とか色々な議論があって綾ちゃん的には(今となっては)
    どっちでもいいと思うんだけど(ちなみに綾ちゃんは制服大好き派でした。
    なんでかしらんがとにかく大好きだったから廃止とかになると寂しい
    と思ったと思う。あくまで感情論です。)これだけ制服の無い社会に
    長く生きてしまって制服の無い学校を見続けてしまったドイツっぽい「眼」から
    眺めると日本の制服は奇妙に思えることがあります。



     ドイツの子達は(というか親たちは)全体にファッションセンスが地味なので
    子供にぴらぴらの服を着させたりものすごいブランドで固めさせて学校に
    通わせる親はまずいません。私学に通うお金持ちの家庭では一部見たことが
    あるけれどそれでも常識の範囲です。夏はジーンズにTシャツ、冬は
    お洒落なんかしてる場合じゃないほど通学路が寒いのでごっついブーツに
    合う服となるとやっぱりジーンズ系になっちゃう。
    これは大学でも一緒で日本でいわゆる「女子大生」というのはこちらには
    いないと思う。大学は勉強するところだもん。お洒落するところじゃないんだ。



     もちろん思春期に差し掛かると外見が気になってきて色々なお洒落が
    始まる。ピアスも毛染めもセクシーな服装も男女ともに普通。ネイルアート
    とかお化粧も普通にし始める。ウチの子たちみたいに一切興味なし!って
    子もいるし。どこまでも自由でそれと学業成績とか素行とは何の関係もない。
    面倒臭がりの子達は、制服いいなあ、毎日選ばなくっていいもんねって
    思う向きもあるよね。それはわかるわかる。
    だらしない格好をしていて不潔な子は(特に小学校)家庭が乱れていて
    要注意の子だっていうそういう一般論以外では服装と反抗期との関連って
    こちらではほとんどないんじゃないかなあ?






うちのドクターのお絵描き




2016年4月23日土曜日

不良って何さ?




       ゴハンを食べに行って一番盛り上がった話題は「不良」。
      ねね、不良って何なの?




     ドイツで生まれ育った我が息子たち。とはいえ日本人家庭だしもちろん
    言葉の意味はよーく知っている。ドラマとかも良く見てるから学園ものだと
    まずどこかで出てくる「不良」。綾ちゃんも良く口にしてるかも?そんなの
    不良ですよって。でも、言われてみると、ははあ、なるほど。ドイツには
    「不良」はいない。


              不良の定義とは??



     その場にwiki先生がいらっしゃらなかったから自分のアタマで考えてみる。
    素行不良ってことだよな。具体的には服装の乱れ、飲酒、喫煙、不純異性交遊。
    ヤク?暴走族とか徒党を組んでそれと判る格好をしている。カツアゲとか
    反社会的行動を(集団で?)行う。学校の外れものの中の一部の仲間が
    似たようなファッションに身を包んでカタマッているってところか?



              なーるほど。



     子供に指摘されて初めて気が付いた。そうさ、ドイツにはこれに該当する
    ような子供はいない。綾ちゃんも長年の胸のつかえが一気にとれたような
    気がしたんだ。




              どういうことか説明するね。


             

           綾ちゃんがいつもお昼寝に使うテラス用の椅子



2016年4月21日木曜日

6年ぶりに、、、





麻里さんのコンサートで久々に家族三人揃ってお出かけしたのでついでに
ご飯を食べて帰った。あてもなくぶらぶら漂ってた我々の前に「庄屋」の看板が、、
あ、これって良いかも。


滅多に和食には行かない綾ちゃん。子連れだとお勘定が怖いから
回転に連れて行きます。でも今日はちょっと特別。


なぜなら、麻里さんと初めて逢ったのはここだったから。
その時はただの野次馬ファンできゃーっ、ナガノ一家がいるーって
一人で興奮してケントさんにサインもらって握手してしてもらった。
その時はそれだけだったのにそのあとひと月もたたないうち全く別方面からご縁ができて
あれよあれよという間に
家族ぐるみのお付き合いになりました。
ここでも綾ちゃんの引き寄せ?侮れず!?




とんこつラーメンに牛丼(和牛でちょっと豪華)、お子様たちはあくまで
ジャンクに走る。





綾ちゃんはどーせそんなに食べない(飲むだけ)なので
巻き寿司を頼んで三人でシェア。これが結構ウマかった。
特筆すべきは日本酒が大層美味だったことです。


なんと綾ちゃん、庄屋(プラッツル店)に来たのは6年ぶりのことでした。
前回は補習校のママ会だったんだ。メニューも全部と言っていいほど違っていて
面白かった。


楽しく子どもたちともおしゃべりして盛り上がったものです。



2016年4月19日火曜日

児玉麻里さんのコンサートにもいったー!



さて、順番がごっちゃになってしまいましたが地震の起こる前の週に行った
コンサートのお話をしますね。
ちなみにこれは4月の「もう一つの」コンサートではありません。
そちらは月末なのでまたお知らせしますね。




多分麻里さんは綾ちゃんとほぼ同世代のはず。
なんでこんなに綺麗でいられるんだ。



実は綾ちゃん、児玉家(というかナガノ家)とは家族ぐるみのお付き合い。
彼女の夫であるマエストロ ケント ナガノさんがバイエルン国立歌劇場で
振っていた頃のことです。
アメリカや日本のおじいちゃん、おばあちゃんもここの家族は皆
素晴らしい方ばかり。妹の児玉桃さんも日本を代表するピアニストですよね。
うちの長男は麻里さんのお嬢さんと同い年で当時はうちの子たちは
二人ともピアノを弾いていて(ちょっとレベルが違いすぎるけど)
たくさん話題が合って楽しい日々を過ごしました。


綾ちゃんはナガノ宅で麻里さんのピアノを聴いたことは何度もあるのだけれど
コンサートホールに出向いたのは初めてのことでした。


精霊教会(Allerheiligen Hofkirche)の高〜い天井で聞くと彼女のピアノは
まあこんなに女性らしい柔らかい音色だったのかとちょっとびっくりしてしまいました。


曲目のラインナップがフランスものにバッハとベートーベンを加えた
かなりマニアックなもので不覚にも(他のコンサートに気を取られて)
予習を怠った綾ちゃんは初めて聴くフレーズに呆然としながらも
暖かいシャワーを浴びているような心地よい感触を味わっていました。



ラストの大曲、ラベルの「クープランの墓」だけはこの間、ノイベルトさんの
コンサートで聴いたから知ってるー!


でも、おお、ピアニストが違うとこんなに違う曲になっちゃうんだ!
驚きの一曲となりました。麻里さんのラベルは風や土の煙薫るような陰影が
あって自然のただ中にいるような気にさせられました。びっくりです。
独仏米日と拠点をお持ちの彼女ですがブレンデル仕込みのベートーベン弾きの
イメージが強かったんですがこれがパリ・コンセルヴァトワール音楽院出の
実力なのですね。


コンサート終了後にご挨拶に行って久々にひとしきり盛り上がりました。


素晴らしいひと時をありがとうございました。




2016年4月18日月曜日

余震に想う その2




     それでも神戸の地震は今にして思えば綾ちゃんにとって他人事だったように
    思う。(当時の被災者の方、申し訳ありません!!)ドイツに住んでいて
    明らかに情報量が日本在住の方と違っていたので致し方ないかもしれない。
    


     今日のニュースを見て(例えば綾ちゃんは枕元にスマホを置いて寝入り前と
    目覚めてすぐ見たんだけど)早朝一番にエクアドルの地震のニュースが
    トップに来ていたのを見て変な気持ちがした。死者41名、震度7.7という
    数字が奇妙に熊本地震とシンクロしていて何かの間違いじゃないかと思った。 
    地震なら世界中でしょっちゅう起こっている。被災地が自分とどのくらい
    関わりあうかでこんなにも関心度が変わってしまうのだ。



     今回の地震でもドイツ社会における日本の地震というのはものすごく
    ニュース性があって、いかにドイツという国が日本に関心を持っているかが
    わかる。いや、明確に親近感を持っていると思う。



     ただしドイツに限らず世界中が日本の地震に関心を持っているのはもちろん
    先の東北大震災で福島の問題があったからだ。福島の例で日本の有事対応が
    いかに幼稚なものかを見てしまったのでどっちかというとドキドキはらはら
    しながら行く末を眺めているように思える。



     有事に際しての日本人のモラルの高さや助け合い精神の発達度は見事な
    ものだ。さすがに地震大国、台風王国だけあってまず個人の行動が立派だし
    警察や自衛隊、医療関係者、誰もが高い理念と見事な行動力でテキパキと
    動いている。今回、綾ちゃんも熊本在住の知人と連絡が取れましたが
    自分の持ち場を心得てできることを一生懸命やって災害と戦っています。
    がんばれー!ですね。


     これだけ一人一人がきちんと対応できるのにどーして集団マインドになると
    いじめが起こったり権力や力のあるものに迎合したり利権で争ったりして
    国として崇高な精神を示すことが出来ないのか、これが日本の根源的な
    問題だと思うなあ。こういうことを綾ちゃんはうまく分析できずにいる。
    実はこの話題はドイツ人とガチで話していて最も話題になること
    なんだけどね。綾ちゃんはこういうとき狭い島国の農耕民族である日本人の
    穏やかで平和を愛する国民性と、同時に集団制を重んじて「出すぎる」ことを
    極端に嫌う傾向(それを悪用する一部の政治家たち)の話をするんだけれどね。
    でもやっぱり上手く説明できないなあ。




     まだまだ余震の続く九州地方ですが少しずつ間隔が広がりつつあるの、、
    かな?大変なときに平静を保つのは無茶ですよね。でもまず何よりも
    生命を護ってください。ずっとずっと祈っています。





楓 スピッツ YO1KO2 featuring by URU
最近の綾ちゃんのイチ押しです。



2016年4月17日日曜日

綾ちゃんと地震、そして1995年の追憶




      
      綾ちゃんは実は地震をほとんど知りません。ドイツ人にこう言うと
     びっくりされるけれど本当です。綾ちゃんが日本で暮らしていたころの
     福岡は地震が来ないことで有名な県だったんです。綾ちゃんがドイツに
     来たのは1994年の体育の日10月10日でした。21年以上前に
     なるんですね。


      綾ちゃんはフランクフルトの日本企業に夏に雇われてすぐ渡独するはず
     だったんですけどドイツのお役所の手違いでヴィザがおりるのが遅れて
     秋まで待たされたんです。綾ちゃんはその年の夏、バイトも全て辞めて
     しまってスタンバイ状態でぼんやりする日々を送っていました。
     ヴィザがおりたら翌日にでも飛んできてほしいと言われていたので
     何をすることもできず思いもかけず暇を持て余していました。
     テレビをつけると松本サリン事件が画面を賑わせています。


      綾ちゃんが本格的にドイツ生活を始めて3ヶ月後の1995年1月17日
     淡路神戸大震災が起こりました。当時はネット社会ではなかったので
     会社の会議室に設えてある大画面のテレビに映るドイツメディアの
     テレビ報道を、まるでこの世の果てを映す鏡のような面持ちで眺めていたのを
     思い出します。高架が丸ごと壊れた映像。壊れてしまった大都市。


      そのショックから醒めやらぬ3月20日、地下鉄サリン事件
     発生しました。現場はあのまま綾ちゃんが東京にいたら自分も巻き込まれて
     いたかもしれない地下鉄構内で、もう綾ちゃんがいなくなってしまった
     たった数ヶ月の間に一体ニッポンはどうなってしまったのかもう
     訳がわからない、そんな混乱の中に魂だけが放り込まれて身体は
     ドイツで何事もなく仕事に追われる。今とあまり変わらない日々がすでに
     始まっていました。


      
      やはりあの時から日本は、綾ちゃんの知っている日本とは違ったものに
     なってしまったのかもしれない、というスリップ感を不思議に持っている
     綾ちゃんでした。

                続きはまた明日。




          大空と大地の中で / 松山千春

         綾ちゃんの応援するURUさん、とうとうCDデビュー決定です。



       

2016年4月16日土曜日

余震に想う。




       今日は他の記事を用意していたんだけれどツイッターをやってる
      長男がリアルタイムで熊本の余震を伝えてきた。ものすごく大きくて
      余震とも言えない。(震源が違うようにネットでは解説してましたね。)


     
       今日は職場から福岡の両親に電話をかけた。福岡は大きくても
      震度4だからそれほどものすごい騒ぎではないんだけれど
      もうあちこちから電話があったって。今日の余震でもやはり震度は4。
      お年寄りの世帯は滑って転んだだけで大騒ぎになるというのに。



       おそらく日本の人ならなら皆が皆5年前の災害を頭の中で
      フィードバックさせているんじゃないだろうか。神戸に始まって
      中越沖を介して前回は東北。今回は九州。綾ちゃんなどずーっと
      ドイツにいて外から眺めていただけなのにトラウマになってしまったことが
      幾つかある。日本の地震速報から片時も目を離さないように
      なってしまったとかね。現地の方達はどんなにか恐怖に打ち震えて
      おられることだろう。
      


        

熊本城

どんな風にしてこういう恐怖や哀しみと立ち向かっていけば
いいんだろう?普段は偉そうなことを言っていてもいざとなると
立ちすくんでしまう自分の弱い心が情けないと思う。


悲しみ傷ついた人々に寄り添ってあげられる毅然とした強い心を
持っていたいなあ。





心慰める一番の方法はやはり音楽だと思います。
今日はユンデイ様のラ カンパネラをあなたに。



2016年4月15日金曜日

熊本の方、ご無事をお祈りしています。









            ああそれにしても地震大国ニッポンよ。


     熊本、心配してます。綾ちゃんの故郷、福岡とはとても近い親しみのある
    場所です。知人もたくさんいます。 


            みなさんのご無事をお祈りしています。



2016年4月14日木曜日

憧れの「あの方」、ユンデイ様




          やっぱ綾ちゃんは「王子様」系に圧倒的に弱い。




サイン会があってサインもらってきた。
ショパン尽くしだったのにたった一枚あったリストのCD買った。
これはうちの長男が「巡礼の年」を弾いていた13歳の頃
  いつも聞いていた懐かしの録音だから。


クラシック音楽界にこれほどまでに心トキメクお方がおいででしょうか?
このルックス。整形疑惑があったって構うもんかー!
    生ユンデイ様にお会いしたーい!  


もちろんユンデイ様はルックスごかしのチャラ男じゃない。
鍛え抜かれた指。老齢の巨匠にも比する音楽性。そして瑞々しい感性が宝石のように
     輝く音を紡ぎだす。ホンモノ中のホンモノでーす! 


しかも、今回はショパン尽くし。24のプレリュード一気弾き。
「雨だれ」とか太田胃散のテーマ(?他に何ていやあいいんだ)とか
超有名曲も盛りだくさん。アンコールも超、超有名なノクターン。
悶絶ものでした。

      

サインをどうぞって、、、きゃあー!!


はいこちら。
一言話しかけようとしたら後ろの人に押された。あえなく断念。


        ショパン弾きで有名なピアニストは数多くいるけれど
       ショパンの甘く切ない響きは男性的な芯のあるものだと思うんだ。
       だから男性のピアニストの奏でるショパンが好き。やっぱり
       ユンデイ様が好き。


     どーでもいいけど、綾ちゃんの隣に座っていたアラブ系のおばさんは
    なんだか迷い込んできたみたいな感じで綾ちゃんの買ったパンフを見て
    「ね、これ見てもいい?」ってひとしきり見た後、YUNDIの文字を指差して
    「これ、なんて読むの?」と尋ねる。綾ちゃんがユンデイって教えてあげると
    「この人何人?韓国人?日本人?中国人?」中国人です。
    「じゃ、この人、ランランとどう違うの?」と答えようのない質問をした。
    恐るべしランランの知名度。存命する音楽家で世界中でおそらく一番有名な
    人かもね。ユンデイとランランは別人です。はい。



 

2016年4月13日水曜日

綾ちゃん、コンサートに行く




今さらそれがどうしたってタイトル出しちゃったけど。


この4月、綾ちゃんはコンサート尽くしでまあ忙しい。


ブログを読んでくださってる方には綾ちゃんって人はクラシック音楽狂で
子供にも音楽やらせて毎週のように音楽会に足を運ぶヒトに見えるだろうなあ。
まあ、半分くらいはその通りだけど。


でも、今月の「忙しい」はちょっと違うのさ。


ライヴ派ではない綾ちゃん。生演奏が嫌いなわけじゃないどころかもちろん
大好き。でもものぐさで出不精なんだ。綾ちゃんが出向くコンサートのほとんどは
お子様関連か知人のご招待、ご推薦、応援などなど。つまり本気の趣味という
感じじゃない。


そんな綾ちゃんにも転機が訪れた。


幾つかのコンサートに「いつか行きたい」などと思っていたら演奏家が
怪我で二度と弾けなくなっちゃったり(ハインリヒ シフ)プロジェクト
そのものが無くなったり(小澤征爾)プレーヤーがお亡くなりになったり
(もう数え切れないくらい。最近だとアーノンクール)、つまりは
諸行無常を肌で感じちゃった訳なんだな。


よーし、今、この人に逢っておかねば後で後悔するに違いないってのに行こう!
と突如として決心した綾ちゃん。


決心したはいいがミュンヘンは音楽天国。その気になると行きたい演奏家が
多すぎる。予算を考えて綾ちゃんが自分の楽しみのためだけに行くコンサートは
年に二回だけと自分でルールを決めた。子供は連れて行ってあげない。えへへ。
お洒落して行って幕間にゼクトなんか傾けて(ていつもだけど)
自分だけのために優雅に時間を使うのさ。


二つに絞るのに本当に苦労した。
でも、もう二度とコンサートに行けないとしたら行かなかったことを
一番後悔するのは誰のコンサートだろう。うん、この人とこの人しかいない!



そしたら二つが二つともリサイタルは4月でしかも両方ともピアノ独演会になった。



そして夢のような4月が始まったんだ。



どきどき。もうすぐ憧れの「あの方」が、、、


2016年4月12日火曜日

結局、ネイティヴにも難しい他人との距離(綾ちゃんドイツ語講座)




ネットで適当にDu? Sie?なあんてググってみると出てくる、出てくる、
いっぱい悩み相談。そしてそれに対する回答がまた千差万別。



なあんだ、だから結局、ドイツ人にだってわかんないんじゃん!
初対面の人、職場の人、行きがかりの人に親称、敬称のどちらを使うべきかは
ネイティヴドイツ人にとってもしばしば頭を悩ませる問題なんだ。



これを見てから綾ちゃん(たち夫婦)はぐっと心が軽くなった。
現在の綾ちゃんは(綾ちゃん夫の妻、という立場もあり)かなり用心深く
していて基本、社会生活はズイーで生きている。
初対面でいきなりドウーで始める人間関係はハナからお断り。
この感性は日本と同じで大丈夫だと思う。オイよう、っていきなり話しかけられたら
オトモダチになりたくないもんね。学校とかママ会は別だけど。



これまでの綾ちゃんの経験だと、永住的日本人女性でも夫がドイツ人か日本人かでは
ドイツ人社会への参入権は明らかに違う。相手のこちらに対する
警戒心が半端ではないのだ。


これはヒガンでもしようがないことで、反対の立場なら容易に想像がつくよね。
日本に住んでて近所とか学校にガイジンのママがいて、そういう人に
親切にはできるけど本当に心安く友達になる気がするかというと難しい。
話題も合わなかったり立ち居振る舞いとか価値観とかそもそも言語力の差も
歴然としているし。知性や出自もよくわからない。


日本人同士だっていじめや仲間はずれが横行しているのにわけのわかんない
ガイジンと付き合ってる暇なんて普通ないよね。



ネイティヴ同士だって難しい他人との距離の測り方。
我々が簡単に出来ることじゃない。


どれほど永く住んでいても難しいことはやっぱり難しい。
一つ言えることは、こんなことやそんなこと、日常起こる軋轢でいちいち
うわわーって傷つかない!強い大きな心を持って悠然と構える



、、、ってことができるようになったら素晴らしい、ってことです。



今日は汗ばむほどの良いお天気。イザールでくつろぐ人々の様子を
写真に収めたつもりがどうも写っていない、、??失礼しました。



2016年4月11日月曜日

ドイツの教育における親称・敬称(綾ちゃんドイツ語講座)




      ドイツ人の子供は、というと当然ドウーの社会の中で育まれる。


     生まれたときからドウー。母親に対してもドウー。日本だとママ、とか
    お母さんだとか言う単語を二人称の代わりにしてしまうがこちらでは
    そうでもない。ママ、と呼びかけて二度目からはドウーというケースも多い。
    ママの方では一人称をママで代用することも多いが別にイッヒ(私)でも
    どうってことない。


     子供が幼稚園に入ると幼稚園の先生はまず母親の代理的存在だからやはり
    ドウー。先生のことを苗字で呼ぶケースもあるけれど(決めるのは先生ご本人)
    呼びかけるのはドウー。子供はそれしか知らないし、わざわざ教えるほどの
    ことでもない。子供が体験しなくてはならないことはその他にもたくさんある。



     さて小学校にお入学。ここでもドウーは未だ引きずる。先生は自分のことを
    必ず苗字で呼ばせる。綾ちゃんはドイツの学習指導要領に精通している
    わけではないがどこのクラスでも同じようであったのでおそらくきちんと
    ラインが決まっているのだと思う。最初は幼稚園の延長のような内容が続くので
    (日本のようにひらがな、カタカナ、漢字、計算であっぷあっぷ言うことは
    ない)互いのコミュニケーションもドウー以外はありえない。



     そして少しずつませた女の子なんかが先生に対して自主的に敬称ズイーを
    使い始めたりしてちゃんぽん状態が続く。5年生で上級学校に入ると
    (綾ちゃんは自分の息子たちの経験からギムナジウムと呼ばれる8年生学校
    しかわからないが)生徒から先生に対してはズイー、先生から生徒に対しては
    ドウーというパラレルな特殊環境となる。実はこのパラレルは意外にあちこちで
    見られる。ちなみに綾ちゃんとドクターもしばしばこの状態だ。
    綾ちゃんはFr.YOSHIOKAが難しいという患者さんの要望に応えて最近名札を
    AYAKOに変えた。右上に小さくYoshiokaと入れてはいるが。
    人間関係に明らかな上下関係がある場合、このパラレルは自然に起こるみたい。



     そしてドイツにおける義務教育の最終学年の10年生になった時、教科書の
    表記は全てズイーに変わるのだ。この問題を解け、から解いて下さい、的に。
    それに対応して10年生以上の教師はすべからず生徒に対して敬称ズイーを
    使用する。これで「対等」だ。教師はここで生徒たちを「大人」として
    扱うのだ。もちろん、学校内でこの関係が変わることはないから、途中で
    ドウーに変えようなんていう動議は起こらない。生徒間は常にドウー、
    先生と生徒はズイーとなる。



        



       今年の初!アスパラガス!今年は早〜い!しかも甘みがあって
      美味!当たり年というやつですな。イチゴはまだお高いけど。
      多分急に暖かくなったり冷えたりという今の気候がアスパラに
      とってはいいんじゃないのかな?アスパラにはしのごの言わず
      バター醤油が一番合います!  

 



         

2016年4月10日日曜日

敬称を学ぶ重要さの一例(綾ちゃんドイツ語講座)




     随分昔のことですが実話です。綾ちゃんの日本の内輪では大変有名な話。




    綾ちゃんの大学の先輩にあたるHさん。大学時代ドイツに旅行に行った。
   確か彼は法学部の学生だったと思う。独文とかドイツ語と直接関わりのある
   専攻ではなかった。初級文法と基礎会話はきちんとお勉強していたけれど
   大学2年生の春だからドイツ語の実力や推して知るべしのレベル。




    彼はなんとミュンヘン駅構内でいきなりひったくりにあったのだ。全財産と
   パスポートが入っているカバンごとひったくられて外人労働者っぽい犯人は
   あっという間にホームを駈け去っていく。



    H先輩は大変だー!とすぐに反応して後ろを追いかけた!大声を出して
   彼に呼びかけたい。でも彼の語彙もドイツ語もたどたどしく表現力もない。
   待てー!!!と呼びかけようと思って唯一、彼の(日本で)勉強した文章を
   大声で叫んだ。



          WARTEN SIE, BITTE!!(どうか、お待ちください!)



     すると犯人はびっくりして立ち停まった。そして後ろを振り返った!


    H先輩はなんと犯人に追いついて、そして


      GEBEN SIE MIR DAS ZURÜCK, BITTE. (どうかそれを返してください)


   とお願いしてカバンを返してもらってきた、というのだ。 



   ひったくり犯は一体何に驚いたのかというと先輩の丁寧なドイツ語の物言いに
  ビビったのだ。普通はWARTE!(ヴァルテ!待てー!)で終わりだ。口に出して
  言ってみると大した違いがあるようには思えないが、ドイツ語を識れば識るほど
  この語感の違いは全く明らかで綾ちゃんはこの犯人の驚きが良く理解できる。



  おそらくこの犯人氏は誰かにこんな風に話しかけられた経験がなかったのだ。
  けれど立派ななりをした他人がこんな風に喋っているのは山ほど見てきたんだ。



   H先輩はもちろんこの犯人氏を警察に突き出したりなどしなかった。そんな
  こと考え付きもしなかっただろう。語学力の問題も時間の問題もある。カバンさえ
  取り戻せたらそれでいいのだ。そして図らずしもズイーで語られる文体には相手への
  尊敬の気持ちが込められていてそれを犯人は読み取ったのだ。
  そんなこと初級文法しか知らない学生には意図することなどできなかったに
  違いないのだけれど。



    だから我々はまず二人称を学ぶにあたってズイーから入らねばならないのだ。


         ドイツ語を学ぶとともに尊敬の表現を学ぶために。



         えへへー!綾ちゃんのちょっと一杯。詳細はまた今度。




   
 

2016年4月9日土曜日

毅然としていて(綾ちゃんドイツ語講座)



           『おい、オマエ、バーカ!(Du, doof!)』



     こんな言葉で始まる教科書が存在するということが信じられますか?



    でもこれが現実だったりします。ドイツでは第二次大戦以降施行された
   移民政策とともに「外国語としてのドイツ語(=DAF
   =Deutsch als Fremdsprache )」という学問が急速に発達してきました。
   実は綾ちゃんがミュンヘン大学に留学していた頃このダフ(DAF)という学科は
   綾ちゃんのような若きドイツ語教師の目にはとても進んだドイツ語教授法に
   映ったものでしたが、今にして思うとあれは我々の求めていたものとは全く
   別次元の世界だったのじゃないかしらと思うことしばしば。



    もう随分以前から始まっているドイツ国内での目に見えぬ両極化現象。
   ドイツの国内にどんどん「ガイジン」が増えてくる。彼らにドイツ語を
   教えるため、つまり支障なくドイツ社会に適合してもらうため。
   即ち、できるだけ文法は簡略な方がいい。実戦に即している方がいい。
   二人称はドウーだけでいい、そういうドイツ語が我々の住んでいる世界の
   裏側にじっとりと棲息しているわけなんです。



   


    例えばうちの病院でつい最近まで掃除を担当していた女性(ギリシア人)
   などはその典型だった。綾ちゃんに対してもドクターに対しても奥様に対しても
   全部初対面からドウー。アンタ、アンタ、アンタ。 動詞は全てマッヘン(machen
            =英語のmakeに当たるが幼児語的にはdoの意)。
   マッヘン エッセン(料理する?)、マッヘン シェーン(綺麗にする?)、
   マッヘン、マッヘン、マッヘン。
   
   
   

   見知らぬ人に声をかけられて、しかもそれが何の躊躇もないドウーで
   始まる質問だったことはありませんか? 



         『ねえ、アンタ、ヤパーナーなの?ニーハオ?』



   そういうときにはこちらとしても軽々しく対応すべきではないし
  毅然とした言葉の選択につて一考してもらえたらいいなあと思ったりする
  綾ちゃんでした。


   家族の一員のように親しい関係になろうよ、という本来の意味のドウーと
  ここで話題にしたドウーの性質がそもそも異なるということを理解して
  いただけましたでしょうか?



             

         お天気良くなると綾ちゃん家ご飯の写真が充実してきます。
        魚介のパスタが簡単豪華でいいねえ。






2016年4月8日金曜日

労働者の言葉と、、(綾ちゃんドイツ語講座)



綾ちゃん的私見によればズイーからドウーに移行した場合と
最初からドウーで始めた人間関係は明らかに質が違う。(後、本当は
ここにどんなに仲良くなってもズイーを通す人間関係を付け加えたいけど。)
前者はドウーの中に、以前の相手に敬意を表していた頃の気持ちを
丸ごと抱えた不思議な親しさがあって後者は本当にワイワイとした遠慮のない
友人関係だ。


でもこれはどちらかというと「お行儀の良い」ドイツの人間関係の中での話だとも
言える。我々外国人にとってとても危険なことは
何でもかんでも親称ドウーが良いように勘違いしてしまうことだ。


昨日のブログで英国文学云々という話をしたけれど、これはイギリスに限る
ことのようでアメリカ人は何が何でもファーストネームで呼び合うのが
通例のように見える。まあ、綾ちゃん、アメリカに足を踏み入れたことが
ないんだけどね。アメリカ帰りのドイツ人なんて(うちの患者さんで
何人かそういう人がいる)ちょっとどうしちゃったのっていうくらい
ノリが軽くなっちゃって、ヘーイ、ユー!、って誰にでも気楽にドウーを
使う。言うまでもなくドイツ語のドウーは英語のユーと語源が同じはずで
ズイーの気持ちには戻れないみたいだ。


このアメリカっぽいノリは実はドイツにおける外国人労働者のドイツ語に
通じるところがある。移民の国アメリカが言語淘汰の行き着いた先のように
しばしば思える綾ちゃんだけれど言ってみれば国民総移民の国なわけだから
さもありなん、という感じだね。



さて、いわゆる外国人労働者、ガストアルバイターと呼ばれる人たちは
(以前にも書いたけれども)基本的に机についてドイツ語を学んでる暇が
(そして気力もあまり)ないので聞きかじりのブロークンドイツ語を
話すことになる。すると彼らはほとんどズイーを学ぶことなしにあるレベルまで
到達してしまうのだ。


我々がアメリカンのノリのドイツ語に慣れてしまうと上記の状態と
混同されてしまう、そして蔑視の対象とされてしまう。



ドイツに長期住んでいる日本人で、一度も語学学校に通ったことがないという人を
綾ちゃんはたぶん一人も知らない。(もしいらっしゃいましたら乞う、ご連絡!)
それほど日本人はお行儀の良い民族なのだ。


だけど傍目には区別がつかない。







昨日、お庭の手入れをしながらパチリ。春の午後の風景。


2016年4月7日木曜日

相手との距離を「契約」する国民性(綾ちゃんドイツ語講座)



     敬称ズイーで呼び合っていた人たちが、ある時点で「そろそろ親称ドウーに
    しないかい?」と提案する。この動議を発令する権利を持つのは通常目上の
    人間で互いの人間関係が「熟し」たことを見越しての発言だから却下される
    ことは普通ありえない。綾ちゃんは未だ「いやー、やっぱりズイーのままで
    いましょう」なんて相手が言う場面には出くわしたことがない。この提案が
    承認されると(それまでどれほど永く付き合って互いのことを識っていても)
    もう一度ファーストネームで自己紹介をして握手を互いにかわす。僕は
    トーマス、私はアンナ、よろしくねって。




     綾ちゃん自身もなんども体験してきた場面だ。人間関係の「仕切り直し」の
    小さな儀式。



     綾ちゃんは(くどい!)英語圏の文化には詳しくないが、少なくとも
    英国文学を読む限りでは現代でもこの状況は全く変わっていないように思う。
    二人称表記がYOUオンリーなので気をつけて読まなければならないが
    人間関係を苗字で呼びあう関係かファーストネームで呼ぶかは当人同士の
    契約でドイツ語やフランス語のようにはっきりと表記の区別がない分、
    気をつけて読まないと人間関係の緊張感を感じ取れない場合が多い。



     これってザ・ヨーロッパだなあって思う。だってはっきり
    「契約」するんだもん。口頭とはいえ。



     綾ちゃんのことを現在アヤコと呼ぶ人間は二種類しかいない。
    ドイツ人か綾ちゃん夫か、である。



     日本で綾ちゃんのことをアヤコと呼ぶ人間は綾ちゃんパパが
    他人に向かって綾ちゃんのことを話す時だけだ。うちのアヤコが、って。



     もう一度初心に戻って(?)考えて(感じて?)みると、やっぱり我々
    日本人にとってファーストネーム呼び捨ての距離感ってこちらのドウー
    のそれとは随分違うよなあって思う。もし綾ちゃんの男友達の誰かが
    いきなり、今日からアヤコって呼ぶよ、なあんて言い出したら綾ちゃんなら
    そいつを背負い投げすると思うなあ。ふざけんなあって。(いや、ちなみに
    綾ちゃんは柔術できません。背負い投げはアタマの中でだけです。)




     色々考えることの多い敬称親称問題なんだけれど、実はですね、本題は
    これからで(えええー??もうどんだけ引っ張ってると思ってんのー?)
    ここまでお話しした内容は純然たるドイツ人たちの社会のルールの
    基本形でありまして、現実にはもう少し複雑だと思われるんですな。


     この問題をどこで区別するかというと、あくまで全部綾ちゃんの私見
    なんですけど、人間関係がズイーから始まる場合と最初からドウーで
    始まるケースでは問題の性質がやや違うみたいだということが
    これまでのドイツ生活で感じられてきたことなんです。





今日の夕焼けは桜色でハッとした。





     
      

2016年4月5日火曜日

社会性を持った言葉選び(綾ちゃんドイツ語講座)



          ゲンちゃんの話題も以前一度したよね。



   彼は綾ちゃんの会社では最古参で皆に愛されていた。ドイツエリア担当の
  唯一の営業マンだった彼は当初すべての仕事を一人で行い、自分のやり方を
  通していたしそのことにつべこべ言うライバルもいなかった。



   が、支店が大きくなるにつれスタッフも増えバブルも終わりを告げ
  本社が少しずつ(安く済む)現地スタッフに舵を切り替え始めた頃のこと。
  ドイツ人営業スタッフを1名、ドイツ人営業マネージャーを1名増員することとなり
  彼のやり方では少しずつ通らないことが増えていった。



   彼は単純に会社で古株の自分が当然昇進できるものと踏んでいたようだが
  ことはそう簡単ではない。上司は外部から招かれ、新たに「同格」の
  仲間が増えるにあたり、はたとこれまで同僚とお友達のように接してきた
  ことを激しく悔いているように見えた。


   彼は(ミヒャエルも含む)綾ちゃんの世代までの同僚からは下の名前で
  呼ばれ、上司から、または日本人が3人称的に彼の話題を口にするときには
  ゲンちゃんと呼ばれていた。


   が、彼は自分が「ちゃん」づけで呼ばれることに不快感を現すようになってきた。
  これは日本語のニュアンスでは決して蔑視であるわけもなく純粋な愛称だったの
  だけれど、彼的には自分が本当は周囲から軽んじられているのでは、、、?
  と疑いの目を持つようになったからのようだった。


   この頃から突然彼は新しく始まる人間関係とは決してドウーで自分を
  呼ばせないようになった。新人のスタッフは合点が行かなそうである。
  我々は皆親称で呼び合っているのにはっきりと「線」を引かれたわけだから。



   綾ちゃんはというと、実はゲンちゃんのこの行為によってかなりはっきりと
  ドウーとズイーの重要性、社会性を持った言葉の選び方ということに意識が
  いった。



   当時同僚だった綾ちゃん夫もこの事件がきっかけで親称、敬称問題に
  目覚めた一人だった。彼も学生としてドイツ生活を始めたので仲良しは
  ドウー、目上や特に親しくない人とはズイー、くらいの単純な線引きで
  それまで生きてきただけだったのだ。 






          これ、日本の桜じゃないよ。今日ミュンヘンの
          街中で見つけた桜です。



   

2016年4月4日月曜日

おそらくより陰湿ないじめ(綾ちゃんドイツ語講座)




    この話題を公開することに少しためらいがあるんだけれど、、、。


  一度別の話題で触れたことのあるミヒャエル。(えーと、綾ちゃんはこれまで
 数多くのミヒャエルという名のドイツ人と出会ってきたけれどどいつもこいつも
 記憶に残るエピソードの持ち主だなあ。今日のミヒャエルはフランクフルト時代
 綾ちゃんの同僚だったミヒャエルです。)
 彼はのんきで気弱で優しすぎる性格の男だった。とことん仕事ができない。
 以前、彼の話題をブログに書いた時、彼は社内でいじめにあって泣く泣く
 会社を辞めていったらしい、という表現をした。綾ちゃんは先に結婚退職したので
 詳細を知らないが彼のトラブルがどんどん大きくなっていく過程は垣間見ていた。 



  彼は学校時代から学習能力が低かったが性格的に温和で人当たりが良かったため
 本人の希望で我々の業種の、接客業に就きたかったらしい。ただそちらはうまく
 行かずに事務系での採用となったということだ。我々の職種は別に日本企業で
 なくてもドイツにも大会社がある。が、そちらはいかなる部署も採用してはくれず
 最初に内定をもらったのは韓国の会社であったらしい。そこで壮絶ないじめにあって
 (ヨーロッパのキャリアに就職する見込みは薄いので)アジアの同系統の会社を
 転々とした後、若い日本企業であるうちに来たという話を後から聞いた。


  あまりにも仕事ができなくて、あまりにも周囲の同僚に迷惑をかける。そのくせ
 何の反省もなく(少なくともそう見える)定時出勤、定時退社でニコニコしている。
 彼の部署には男性二人、女性二人だったがいつもいつも彼の尻拭いに明け暮れる
 日本人女の子二人がある日ブチ切れた。


    『いい、ミヒャエル!これ以上、アタシはあんたに我慢できない!
    口を聞くのも嫌だと思ってるの。そもそもドウーで呼んでるのも
    いやなのよ!これからはあんたとは極力口をきかない!
    絶交だからね。ドウーで呼ぶのもやめにするわ!』



   綾ちゃんはその話を数日後に別の同僚から間接的に聞いてゾッとした。


  ドイツ人とドウーで会話をしてそれを取りやめたなんて話は聞いたこともない。



  綾ちゃんの頭の中では親称を使うか敬称を使うかという問題はほとんど相手との
 契約事項であって、何が起ころうとこれを一方的に覆すなんてありえない。
 喧嘩しても絶交してもそれは当人同士の勝手だけれど、ドウーをズイーに変えるなんて
 とんでもない発想ができるのは、この彼女が日本人だからだ、と思った。



  この彼女は東京の有名私大のドイツ語学科を卒業していてドイツ語会話力に
 問題はなかった。が、所詮当時の綾ちゃんとどっこいどっこいの経験しか持たない。
 おそらく彼女の頭の中ではドウーという親称を使うのは「仲良し仲間のお約束」
 という理解だったんじゃないだろうか?



  綾ちゃんは今でもこの彼女はドイツ語とドイツ文化の理解の仕方が浅かったんじゃ
 ないかと思っている。ドイツにおける(そしてヨーロッパにおいても、多分)親称、
 敬称の別というのは単なる「親しさ」とは少ーし性質というか境界線が異なる
 ように思える。


  ドウーで喋っていてこれを突然破棄されるというのは例えば親子の縁を切られる
 とか目に見えない糸や磁場のようなものを強制的に破壊するような暴力にも
 値するように思う。



  これらの一件を綾ちゃんは全て後付けで間接的に聞いただけなんだけど
 ミヒャエルはドウーを否定された件では「泣いていた」らしい。


  おそらくこれは、あの女の子が意図したよりはるかに陰湿なイジメとなって
 作用したに違いないと思う。



   


           今日のミュンヘンは汗ばむほどいいお天気ー!
          お花もどんどん満開!日本の桜が恋しい季節です。




 
 

2016年4月3日日曜日

親しさの落とし穴(綾ちゃんドイツ語講座)




    いよいよドイツに旅行で行くということになってワクワクしていた
   大学2年の春。やっぱりあの記述はおかしいんじゃないかなあと疑い始めていた。
   ドイツ語で主に使うべきは敬称のズイーだという教科書の文句。大学の
   研修旅行プログラムには一週間のホームステイが組み込まれていた。ここで
   主にそれまで勉強してきたドイツ語をとうとう試す時が来る!でも「ホーム」
   な訳だから全部親称ドウーを使うに決まっている。


    もちろん家庭内ではドウーの連発だった。二度目にバイト代を貯めて赴いた
   修士課程一年生の夏休み、ハイデルベルク大学のサマーコースでも全てドウー。
   要するに旅行やらで初対面の人と話す時以外はほとんどいかなる時でも
   ドウーばかり使う。



    これで綾ちゃんのドイツ体験が終わってしまっていたら、今頃綾ちゃんは
   日本でドイツ語の教師として生徒たちに「教科書にはそう書いてありますけれど
   実際にドウーもよく使いますからきちんと覚えましょうね。」なあんて言って
   おしまいにしていたことだろう。


    このころの綾ちゃんは親称、敬称問題についてはその入り口にすら着いて
   いなかったのだ。この問題と正面から取り組むことになったのはドイツで
   社会人になったからだ。



    綾ちゃんは日本企業だったから(当時)上司は全員駐在日本人だった。
   しかも誰一人ドイツ語は話せないから公用語は英語。ドウー、ズイーなんて
   関係ない。そして同僚。綾ちゃんの職場は職場自体が若くってドイツ支店
   設立3年目だった。スタッフも全員若い。当然、誰もがお互いにドウーで
   話した。綾ちゃんはドイツ人からはアヤコ、と呼ばれ日本人女性からは
   アヤコさん、と呼ばれた。上司と男性、家庭持ちの女性からは苗字で
   呼ばれていた。なんとなく自然な成り行きでそうなった。



    ところが、3年間ほど経つうちに最初は和気藹々に見えていた職場の
   人間関係に亀裂が生じ始め細かい対立があらわになるようになった。
   それと同時に親称ドウー、で呼ぶことを悔いるようになってきた人物が
   現れたのだ。二人の人物だった。


      その二人が二人とも純然たるドイツ人だった。




今年も出稼ぎアイス屋さんがイタリアから
やってきて開店しました。ドイツらしい春の訪れです。



2016年4月2日土曜日

キミかあなたか、それが問題(綾ちゃんドイツ語講座)




    英語には一種類しかない二人称ユー。でもドイツ語にはドウー(親称、キミ)と
   ズイー(敬称、あなた)なんて二種類もあってややこしい。



    今でも書かれているかどうかわからないけれど、綾ちゃんの大学の
   ドイツ語初級の教科書には(確かNHKのラジオ講座のテキストにも)
   主に使用されるのは敬称のズイーの方、とあった。



    これはとても誤解を招く記述だ。ズイーとドウー、どちらがドイツ国内の
   総会話量で占める割合が多いかというともちろんドウーに決まっている。
   統計なんんて取る必要もない。家族や友人、ほとんどのプライベートな場面で
   使用されるわけだから。



    どうしてこんなことが書いてあるのかというと、教科書が大学生の教養課程の
   もので「教養」としてのドイツ語を学ぶための本だということ、将来ドイツを
   訪れるチャンスができた時、旅行や学会、出張など大人としての公の人間関係を
   築くことが想定されている、ということなのだと思う。 



    こういう発想はとことん正当で立派なものだと思う。実は親称、敬称問題は
   結構根が深くってこれからドイツ語を始めようという若者に、実はこれこれ
   こうで、、、と説明するとせっかくのやる気も萎えてしまいそうだから
   とりあえず「無理やりどっちかを選択しなければならないのならば」
   敬称ズイーにしておきなさいという「忠告」だと受け取っておこう。
   ナイスなやり方だと思う。
   このことは重要なのでブログの読者の方、今の流れを覚えておいてほしい。
   これは一つの知恵だ。いざという時にはズイーの方が失敗しない。



    そして文法の欄を見ると人称代名詞の変化は敬称ズイーの方がはるかに
   楽チンだ。なーんだ、だったらこれだけ覚えておけばいいやなあんてズルして
   いると後で実際にドイツに行ってひどい目にあう。綾ちゃんもしかりだった。
   留学なんかでドイツに行くと周りは親称ドウーの洪水、しかもドウーの複数形、
   イア(キミたち)の変化形なんて出てくるじゃないか。



    ドウーとズイーの選択は境界線上では難しい問題を含むことも多いけれど
   いくつかはっきりとした「とりきめ」がある。特にドウーの決まり。
   例えば Studenten dutzen. (シュトウデンテン ドウッツエン)。大学とか
   カルチャーセンターでも水泳教室でも「生徒」同士はドウーを使う。
   先生とは普通ズイーだがこれは先生の方針次第だ。ただし大学で教授と
   ドウーはありえない。



    かくして、留学でドイツを訪れた若者は日本のドイツ語教師たちを
   恨む羽目になる。◯◯先生のうそつきー!!ってね。





        暖かくなりました。昨日の朝、家を出るときは2〜3分咲き
       だったのに帰宅時にはこんなに開花していた。さくらんぼだと思う。







2016年4月1日金曜日

一番太っているのは最上級の人じゃない?(綾ちゃんドイツ語講座)



         今日は比較級と最上級の話でもしようかな。


    不覚にも原級、比較級、最上級の実際に意味するところを知ったのは
   大学院に入った後だったように思う。使いこなせるようになったと思ったのは
   ドイツで働きだしてからだったかな。これが意外に難しいもんなんだ。
   文法的な意味合いを言うならば別に英語もドイツ語も変わらない。
   英語だとロング、ロンガー、ロンゲストって奴だ。



    綾ちゃんがドイツ語の初級文法で習ったときには例文は何とデイック
   (太い)で絵まで付いていて笑ってしまった。だいたいこんな感じ。
              見にくくてごめん。

               

       原級がデイック(太っている=左)、比較級がデイッカー
  (より太っている=真ん中)、最上級がデイックスト(最も太っている=右)
  いやー、ドイツ人ってやっぱり肥満を気にしてるんだなあ。いや微笑ましいぞ。
  綾ちゃんは中学校で英語の比較、最上級を習ったときからずっと物事の比較は
  この順番で表現するのだと単純に思っていた。




              でも、これ間違ってる。


   実際の会話では決してこの順番で物事の有り様は測れない。これらの形容詞、
  副詞は会話の前後がものすごーく重要で比較する対象によって言葉の意味する
  範囲が変わってくる。


       ごくごく一般に言って、痩せてる順番に


      デイッカー<デイックスト<デイック、、、かな??



   ①「やだー、私、太っちゃったあー!」これはデイッカー(以前より太った)


   ②「恥ずかしいわ、だって私が一番太ってるんですもの。」デイックスト(比較の
   対象次第なのでむしろこの女性は一般的に言って全然太っていない可能性すら
   ある。モデルさんたちの会話とかね。)


   ③「彼女は太っている。」デイック(第三者による絶対的価値観だからこの人は
   きっと本当に太っているんだ。)


    ねね、綾ちゃんの言いたいこと、わかってもらえましたでしょうか?



    実際の運用だと比較級を婉曲的に使用することも多いんだ。これはね、
   言葉っていうのは意味を持っているから。形容詞でも、ポジティブに使うときは
   まんまでいいんだけど(これ最高に美味し〜い!とかね)ネガティブな文章の
   時には原級で表現するときつすぎるわけ。何?まっずうーい!とは言わずに
   もう少し塩分を控えたらより美味しかったのに(比較級)、とかね。


    こういう表現を生きた現場で体験してきてわかったんだけれどネイティヴ
   ドイツ人の多くは会話の一つ一つに配慮が細やかで極力穏やかな表現を
   望む。ものすごく直裁に感情を伝える時とすごく抑えるときとそれぞれの
   ツボのようなものが日本語のそれとはいろいろ違っているんだ。



            いや、奥が深いと思うよ。