2017年7月31日月曜日

必殺!二ヶ国語教育の現状



我が家の主要言語は日本語だ。


当たり前のように見えてこれは大変な決断だ。
まあ、決断するだけなら誰にでもできるのだけれどね。
環境言語と家庭内言語が違うわけだから主要言語を日本語にしてしまうと
進学等、子供達の将来に関わる問題になってしまう。



ドイツ語もなおざりにできない。
子供を日本人学校へやると「環境」が日本語になるのでキャラクターも
日本的になる。よっしゃあ、ここは任せた!
だけどいつまでも安寧とするわけにはいかない。
日本人学校は義務教育の中3までしかないので進学先がなくなってしまう。


とりあえず家族会議で小学校3年生まで日本人学校、そのあとは
ドイツの小学校に転校して5年生時のギムナジウム進学を狙うと決めた。
そのためには日本人学校に行っている間は家庭内ではドイツ語教育を
ばっちりしておかないと。



綾ちゃんは母親の権限で子供が日本人学校に通っている間は家庭内では
「ドイツ語」で生活する。毎日の宿題とともにドイツ語の勉強も
しっかりやる、というルールを定めた。


果たしてその結果は?



2週間夏休み前倒しで息子がザルツブルクへ。ここは大学寮。





カラフルで清潔で素晴らしい寮だった。


2017年7月24日月曜日

12年の周回遅れで良書紹介




先日、ふと書棚で目に付いた本が何故か気になって通勤のお供にと
カバンに入れた。



                  



知る人ぞ知る、2005年のベストセラー。
当時綾ちゃんのママ友仲間でも話題になっていた。


当時綾ちゃんも読んでみたのだけれど、どうもピンとこなかったんだ。
今回読み直してみてなんとど真ん中の正論だったことかと
12年の周回遅れでやっとこの本の意図するところを汲み取れたと思う。
この先見の明はものすごいし内容も全く色あせていない。



ここでは外国語教育に関連のある事柄のみ言及しますが
「思想は言語」という綾ちゃんの持論がそのまま謳われていて
「海外で土地の人から尊敬される存在である」ことが、つまり「思想の
内容」があることが語学そのものの出来栄えよりもはるかに重大なこと
なのだと説かれている。幼児教育に英語導入だの日本を滅ぼす確実な方法だと。
そんな暇があれば本を読め。初等教育の一番大事なポイントの一つは
読書の喜びを知ることです。のちの人生で困難にぶち当たった時に読書が
多くの打開策の端緒になり得るからです。


綾ちゃんも全く同意見です。



人は教育を受けなければ自分という存在そのものや
その依って立つバックグラウンドを理解することができません。
どんな風に生きていくかとか家族や職業や人生そのものの指針となる
価値観は一生をかけて学び広げ深化させていくものなのです。


だから勉強しなければいけない。
今自分はいったい何を勉強しなければいけないのかが
わからぬうつけ者であってはならないのです。



外国語教育が悪いとは言ってないしそうは思わないけれど
本題の母国語教育をなおざりにした状態で英語その他を
同時進行で進めるのはものすごく危険なことなのです。





シーボルト像



2017年7月21日金曜日

主要言語を決める




海外で子育てをする場合に一番大切なことは


主要言語を決める


ことだ。



通常は母親の言語になる。だから母国語というのだ。
(綾ちゃんは個人的に母語というアタラシイ言葉が好きではないので
ここではあくまで母国語と言い張る)だが滞在国の言語が結局は
影響甚大なので思い切って親の言語以外に決めてみるのもいいかもしれない。


語学教育をどのようにするかはそのあとで考えることだ。


繰り返すが言語は思考そのものといってもいい。
言語を決めれば自ずからそこから子供のアイデンティティの形成が始まるのだ。
言語は不思議なもので主要言語が決まった途端にその言語の持つ
「背景」を言葉と一緒に受け継ぐものなのだ。



世界はグローバル化しているのだから「自分はナニジン」などという
意識は論外だと考える人は子供からその背負って立つ拠り所を奪うのだと
理解してほしい。国籍云々の問題を論じているのではない。
人間一人ひとりが形成する思考と思想には必ず言語と文化のバックグラウンドが
必要だということなのである。





えへへ。先日生徒さんのご家族のご招待でご馳走していただきました。
役得綾ちゃんです。



2017年7月17日月曜日

バイリンガル教育の危険性



バイリンガル教育の危険性について綾ちゃんは当時
体系的に勉強していたわけではなかったが周囲を見渡して
薄々は気がついていた。少なくとも環境に任せるだけではダメだと。
おそらく相当恣意的にコトを運ばねばいけないのだと覚悟していた。



幼児期に二つの言語を同時に学ばせるのは危険なことなのだ。
セミリンガルやハーフリンガル、リミテッドリンガルなど新しい用語が
飛び交っているところを見るとこう言った事実そのものが
一般に認知されていないのだと思う。
つまり脳の発達期に二つ以上の言語を同時に入れ込むと
子供の頭の中では混乱が起こって両方の言語が未成熟となり
思考そのものが未発達になってしまう危険大なのだ。


欧米言語の人々が自由にいくつもの言葉を話すのは
言語が近いせいで(我々なら関西人が東京弁を操るような感覚だろうか?)
それでも頭の中では「思考をつかさどる」言語は決まっているはずだ。
もちろん例外は常にあって言語に聡いタイプの(多くは女の)子も居る。
私たちが憧れていた「あの」帰国子女の女の子たちはおそらく
そういう数少ない例外であったのだと思われるのだ。





ミュンヘンのはじける夏


オデオン広場のライオンさんの特設舞台でオケリハやってた。


ミュンヘンフィル  チャイコフスキーか?それは美しい響きでした。



大画面も映し出されていました。



2017年7月13日木曜日

日本語発音のドイツ訛り解消



環境というのはいかに大切なことか。


二男の日本語の発音は程なく霧消。幼稚園にいながらにして。



これはどうしてかというと、、、
ドイツの幼稚園で日本人のお友達ができたからである。



昨日は少し曇り。Westparkでお昼休憩しました。






ミュンヘンへやってきた我々は長男を日本人学校へ進学させ
二男を日本人学校の隣にある現地幼稚園へ入学させた。
この方が綾ちゃん的には送り迎えがいっぺんに済んで楽チンだったのだ。
ここは公立母子寮に併設されている公立の幼稚園で
見学に行ってみると黒人の子とか見た目から非ドイツ人率が高い。
日本人の子供は受け入れたことがないという。
あそこはガラが悪そうだからやめた方がいいという意見も聞いたが
綾ちゃんは幼稚園の先生たちに好感を持って入園させることを決意。

すると噂を聞きつけて長男の同級生のご家庭が三家族!、急遽参戦。
全くドイツ語のできない日本人幼稚園児4人の世話(通訳)を
うちの二男が一挙に引き受けることになった。
幼稚園の先生方も意思の疎通ができないと全部うちの子に仕事を振ってくる。


これが家庭内では一番のチビで下っ端だった子供にプライドと責任感を教えた。
結果、幼稚園時代の彼は「優等生」のレッテルを獲得することになる。
そしておかげさまで心配していた発音の矯正がいつの間にか出来ていたのだ。




大きな白鳥





バラ園




一つ一つのバラのアーチにベンチがあります。
綾ちゃんここでランチ&休憩。バラの芳香が心を洗ってくれるように思えた。



2017年7月10日月曜日

かなり真剣な決意




二男は二番目の子供にありがちなようにお気楽極楽に育っていた。
第一子は親にとっても何もかも初体験だから手探りで失敗も多い。
二人目は敷かれたレールをたどっていくだけなので楽チン、、、



と思っていたら思いもかけぬことが起こっていた。



幼稚園でもお兄ちゃんがいるせいで何事もなく自然にドイツ語を
覚えたが幼稚園も二年目に入るあたりで明らかに日本語の発音が
「ガイジン」化し始めていた。さしす音が「スア」「シイ」になっている。
これはマズイ。やはりきちんと日本語を習得させたい。


実はこれが決め手になって長男の日本人学校を決めた。





モネ

でも課題は多い。日本語はいいとしていつまでも
日本人学校にいられるわけでもない。
期限を決めてドイツの現地校にスライドさせねばならないし
その時にドイツ語が全然できないでは困る。

何と言っても綾ちゃんはもともとドイツ語の先生。よっしゃあ、
国語は学校に任せてドイツ語の勉強を家庭できちんとさせねば。

我が家のかなり真剣なバイリンガル教育が始まった。





2017年7月8日土曜日

日本人学校に入学させたいという希望



長男がドイツの小学校へお入学して(9月)ほどなく我々は
ミュンヘンへ引っ越すことになった。
その時夫が強く、強く主張した。子供達を日本人学校に入学させたいと。


いやいやいや。無理でしょうそれは。



我が家の財政だって窮乏している。
日本人学校は主として企業の派遣子女を受け入れ対象にしている。
日本の環境を教えてあげたい気持ちはわからんでもないが
いつ日本に帰るかわからない我が家では中学校までしかないでは
その先進学先がなくて困ってしまう。



その頃綾ちゃんは夫の思想の深みを真に理解していなかったように思う。
己の思想を形作るのにいかに言語が大切な役割を果たすか。
いい加減なバイリンガル環境がどれほど危険か。
夫はこれがいかに我が家の教育にとって大事なことかを力説した。
お金より何より優先させられるべきことなのだと。



綾ちゃんは夫の考えを納得したというより勢いに負けてしまって
しぶしぶ了承した。
そして綾ちゃんなりに考えて、もしかしたらドイツでずっと生きていく
ことになるかもしれない子供達のために、彼らがドイツ社会で
落ちこぼれて辛い思いをさせないためにいくつか対策を講じなければならなかった。




昨日は特に暑かった。綾ちゃんお昼はパンを買って公園ランチ。
木陰は涼しくて風も通って極楽でした。カールス門脇の元植物園跡地。
2時間も時間が空いていたので目をつぶってちょっちお昼寝までしてしまった。
そのあと夜の9時半まで働いたからね。



夜のマリエン広場の空が不思議な色で綺麗だった。
写真ではやっぱり伝わらないなあ。


2017年7月5日水曜日

幼稚園で習得したドイツ語




幼稚園は当時の自宅のすぐそば。


結論から言うとすごく上手く行った。
長男はもちろん駄々を(とても長く)こねたしトラブルもそれなりに
あったけれどどれもどこの家庭でも起こるようなことだったし特筆すべきことでもない。


ドイツ語がまるでできない息子に対して先生方も当惑気味であったが
縦割り教育が普通のドイツ幼稚園が幸いした。息子は年長組のお姉様方に
モテモテだった。言葉ができなくて不安げだった小さい子の姿はお姉様方の
母性本能をくすぐったのである。女の子ってすごいね。


年長の女の子たちはうちの子を相手に毎日ドイツ語講座。


『ほら、私のやることを真似してごらん。これはテラー(Tellerお皿)っていうの。
テラー アウフ デン テラー(お皿を重ねる)。ほらやって。』


子供ってすごいなあ。その時本気で思った。
テラーが男性名詞のデア テラーで重ねる時には前置詞アウフ(auf)に
目的格のデンを組み合わせ、なーんて文法知らなくったって
一つ一つの表現を丸暗記していく。


長男は瞬く間にドイツ語ぺらぺらになった。



福岡は太宰府天満宮の梅ヶ枝餅。社務所で宮司さんから
正式な食べ方を教わりました。2段重ねで間にあんこまで入っています。



これは喫茶店のスイーツ。何気ないお菓子が日本は美味しい。



2017年7月3日月曜日

環境は家庭よりも重い?



お友達のせいこさんとは学生時代からのおつきあい。
銀行家のご主人(ドイツ人)のお仕事の都合でロンドンに在住だ。


結婚当初はドイツ語ができなかったとおっしゃっていたせいこさんの
お子さん(綾ちゃん地の子供より10歳くらい年上)はやはり綾ちゃんちと
同じく3歳まではほとんど日本語しか喋らなかった。


ところが幼稚園に入れた途端、お子さんたちの会話は英語が主体に変わった。
家庭内では日本語だから大丈夫だろうと思っていたところどんどん
家庭内にも姉妹間の会話から始まって止まらない。


帰宅の遅いご主人とは一番会話がないはずなのに
いつの間にか英語の次の言語はドイツ語へと変わっていく。
何よりも日本語の発音が「ガイジン」風になってしまいこれは戻らなかった。


ちなみにせいこさんはもともと外国人のための日本語教師なので
教える方は得意、、、のはずなのだが
環境は何と言っても一番重い。家庭よりも重い、、、らしい。
毎夏日本に里帰りして日本の学校を体験させたり日本のドリルを
させたりしてそれは熱心に教育してらっしゃる。


『私、最初の頃はこんなに日本語ばっかり喋っていて
子供達の社会生活は大丈夫なのかしらって思っていたほどだったんだけど
今となってはむしろ後悔してる。
もう、やりすぎるくらいもっともっと日本語漬けの環境を
用意しとくんだったって。私、子供達には絶対日本的になって欲しくて
日本語も完璧に喋って欲しかったのに。こんなに日本語教育が
大変だなんて思わなかったわ。』



のちにいろんな在外家庭の語学教育事情を識ることになるが
せいこさんのお子さんは日本語能力だってむしろ優秀な部類だと
いうことがわかった。



綾ちゃんちは日本人家庭なんだから本当に心して
日本語教育に当たらないとダメよって力説されたんだ。



ちょっと前にお友達と大奮発でTOSHIさんのランチに行った。大満足!


2017年7月2日日曜日

我が家のバイリンガル教育の始まりの時期




ドイツに来た時には若くて独身だった綾ちゃんも
結婚して子供産んで子育てに明け暮れた。自分の子供の教育方針も
確固たるものがあったわけでなく
行き当たりばったりながらに格闘してきた。


その中で子供の語学の教育問題では本当に苦労した。


ちょっと前ですがかずえさんにウイーン土産でデーメルのプラリネをいただきました。


綾ちゃん自身は特に考えもなく普通に子育てしていれば
子供はバイリンガルになるのだろうと思っていた。
長男が3歳になるまでは完全に日本語で子育てしたので
子供たちはドイツ語など一切喋れなかった。
0歳の頃から地元のいわゆるシュピールグルっぺ(週一の母子の集い)には
出かけていた。言葉が違うのを子供も意識するのか日本人の子供が相手の時と違って
ドイツ語圏の友達と遊ぶ時ではなんとなく子供同士もぎくしゃくしがちだが
そこそこにはうまくいっていた。毎日公園へは出かけていたし
毎日一緒に遊ぶお友達もたくさんいた。





木箱を開けたところ。


ドイツには外国人のママがたくさんいてロシア人や
フランス人のママ友だちは最初から意識して「ママとしゃべる言語」を
決めて意識的にバイリンガル教育をしている人々がいた。
だからミックス言語の環境的には特に問題なく、「社会的にはドイツ語」
「家庭では日本語」で過ごしていた。



この頃ロンドン在住でご主人がドイツ人のママ先輩のせいこさんのお宅にお泊まりした。


そこでせいこさんから日本語教育の重要性について嫌という程
釘を刺されたのだった。




お味は超一流、さすがデーメル。



これは先日ケーニヒ湖岸の昼食。湖で獲れたお魚です。