過ごした。音楽というより
ドヴォルザークにどっぷり浸かった旅をしてきた。
普段ドイツに住んでいるとクラシック音楽が
近いところにある。一流のオケや音楽家に溢れ
演奏会チケットも非常に安い。
バッハやベートーベン、ブラームス、、、
数知れぬほどの大作曲家を生み出してきた土壌が
ドイツにはある。
そのせいだろうか、スラブの音楽について これまで一度も真剣に対峙してこなかったように思う。
車でも電車でも5時間あればプラハに到着できる。
神聖ローマ帝国の首都でもあった豪華絢爛な街だ。
その街で5泊6日、音楽だけ考える時間を過ごしてきた。
作曲に使用したピアノ
今はこの庭はルサルカの庭と呼ばれている。
モルダウ河畔ドヴォルザークホール前
いきなり初日にドヴォルザークホールでチェコフィル
オセロ序曲、チェロ協奏曲、交響曲第7番
コンサート帰りのプラハ城の夜景は格別
早起きは三文の得!ということで毎朝早起きして
7時にはホテルを飛び出し下調べした名所旧跡を回った。
博物館などは10時開館だからそれまでに記念碑や教会などを巡るのだ。
例えばここはモルダウ河畔の中洲、スラヴ島
ここのレストランホールで「わが祖国より」
全曲が初演された。
こちらはスメタナが指揮をしていたフラホル合唱団で
ドヴォルザークもオルガンを弾いていた。
ドヴォルザーク名前の可愛らしいプレートが。
そして今回のドヴォルザーク紀行のハイライト、
アントーニン・ドヴォルザークの直系の曾孫である
ペトル・ドヴォルザーク氏の案内で非公開の
ドヴォルザーク家の別荘を案内してもらえたことだった。
ペトル・ドヴォルザーク氏とヤングプラハのソリスト達
玄関と居間。
非常に寒い地域(プラハから車で1時間半)なので
晩年の春から秋までを毎年過ごしていた。
「ここにさえいれば私は幸せです」
ここでユーモレスクやルサルカを作曲。
作曲に使用したピアノ
今はこの庭はルサルカの庭と呼ばれている。
歴史の荒波に呑まれてこれまで数々の著名人の
生家が召し上げられたり転売されたりした。
ドヴォルザーク家の人々はアントーニンの死後
当時のままに一族で必死で護ってきた家だそうで
だからこれからも一般公開する意志が無いそうです。
それからドヴォルザークのお墓にもお参り
さすがチェコ(とアメリカ)の音楽の父の墓
こちらはアントーニンの死後棺が安置されたという
サルバトール教会
そして最終日にドヴォルザーク博物館へ行った。
2階でドヴォルザークの生涯を綴ったドキュメントフィルムが
流れていて休憩がてらにゆっくりと眺めていたら
そこに出てくるほとんどの場所に
この6日間で出向いた(行ってないのは
アメリカとイギリスだけ!)という事実が判明。
よく歩いた甲斐があったものだと
我ながら思いました。