『吉岡さん、今日も明るくお元気でいらっしゃるご様子ですけど
その後いかがですの?もしかしてお母様亡くされた哀しみとまだ折り合い
つけられないでいらっしゃるのではないの?』
いきなり剛速球が飛んできて一瞬クラクラした。
昨日の夕食会でのことである。
綾ちゃんはご縁あって最近懇意になった奥様(ピアノ教師)のご招待で
彼女のお嬢様とビアホールで語らっていた。音楽家のお嬢様はしかし、
ここ数ヶ月大変手強い病気に罹り現在闘病中でいらっしゃる。
お嬢様が外出困難なので市内では落ち合わず郊外にある彼女のご自宅近くの
お店で治療(自然療法)の可能性や展望について伺っている最中だったのだ。
まあ、綾ちゃんとしても心を偽ったり見栄を張ってもしようがないから
正直に答えた。
『お嬢様のご心配だけでいっぱいいっぱいでしょうに、私のことまで
気にかけていただいてありがとうございます。あの、涙がですね、
(ビアジョッキの縁に指をかけて)ここら辺でタプタプしてるんですけど
不思議なもので溢れ出さないんです。母は急逝だったので皆が涙に
くれたんですけどなぜか私は泣かなかったんです。思い切り泣けば
スッキリするかもしれないんですが今はその時ではないらしく、とりあえず
じっと待ってる感じなんです。』
すると奥様
『わかるわー。あのね、私も母が死んだ時ものすごく時間がかかったのよ。』
彼女の体験談をたくさん伺った。義理のご両親。実のご両親と可愛がっていた
飼い犬の死の話。
綾ちゃんはこんな話、誰ともしていなかったので一つ一つのエピソードが
スコンスコンと腑に落ちていく。
『今、私の叔父がね、もう90近くて余命いくばくもない病気なんだけど
自分のお葬式の段取りをあれこれ差配し始めていて、ベト7をね、それも
娘のオケの録音のやつ、これを必ず流してくれっていうのよ。』
ああ、ベト7(しち)!
3人の頭にかの名曲(綾ちゃんはお嬢さんのCDわかんないから勝手に想像)
がかかる。ぼうー、、、。
綾ちゃんのアタマを横切ったのはクライバーの名演
『でもね、私はお葬式なら絶対レクイエムよ。もちろんモーツアルト!』
もうね、その場に居合わせた我々3人に言葉はいらない。
3人でただぼーっとあの美しい音楽を頭に思い描いてはああーってため息。
綾ちゃんのオススメはベームです。
そういえば綾ちゃんも夫からレクイエムの遺言!されてたっけ。
『実は私も夫に遺言されてました。フォーレのレクイエムかけてくれって』
またしても沈黙。もうテレパシーだけの会話してるみたい。
Pie Jesu(18:07)が涙なしには聴けないです。
綾ちゃん?綾ちゃんはレクイエムなら何が好きなんだっけ?
『あの、私は夫と一緒に初めて聴いた音楽がブラームスのドイツレクイエム
で、しかもそれが大変な名演だったので忘れられない思い出の曲なんです。』
そうだ、結婚前でクラシック音楽をほとんど聴かなかった頃のことで
それでも大感激したんだった。
あれは誰の演奏だったんだろう。もう思い出せない。
レクイエムなんてどれも美しいに決まっている。死者の安息を願うミサなんだもの。
昨日は3人ともこの話だけですっかりお腹いっぱいになってしまい
夢見るように家路に着いた。互いの好みの音楽を語り合っただけなのに
これほどの充足感があるとは。
この世の中に音楽というものがあることにただ感謝したい。
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