「一月」という名の珍しい名前の子供だった。ドイツ人だ。
ドイツ語なら本当は「やっちゃん」だろうけど我々は勝手に
「いっちゃん」と彼を呼んでいた。一(いち)月だからいっちゃん。
お正月生まれで記念につけたのだという。ちなみに弟は「九月」くんだ。
綾ちゃん長男の大親友でギムナジウム、つまり小学5年から
高校3年まで同じクラス。常に息子とその家族である我々のそばにいた
男の子だった。綾ちゃんはもちろんいっちゃんママパパとも仲良しだ。
ドイツ人にしては控えめで人懐こく甘えん坊だった。優しい男の子だった。
日本の大学に行きたいという長男と話し合って一緒にミュンヘン大学に
進学するよう説得したのも彼だった。
ミュンヘン大学はマンモス校だから理科系の我が息子と哲学に進学した彼とは
自然と連絡も途絶えがちになる。
のちに哲学科から日本学に籍を移したと聞いた時も不審を抱かなかった。
日本の漫画が好きでうちの子と親友で高校時代から日本語の勉強を開始
していた。我が家のタコ焼き機を長男に懇願されていっちゃんにプレゼント
したのはいつのことだったろう?
なぜ彼は逝ってしまったのだろう?
いつ誘惑に負けてしまったのだろう?
彼は「その」誘惑に溺れ始めた時、大親友のうちの息子を道ずれにしようとは
しなかった。誰にも秘密を明かさなかったのだ。
それはおそらく、小さな、小さな劣等感であったのかもしれない。
埋め合わせるために、気晴らしになるならと軽い気持ちで足を踏み入れた?
ドイツの大学は入学するは易く道のりは厳しい。ドロップアウトする方が
普通といって過言ではない環境で少しずつ自分に負けていく。少しずつ
ダメになっていく自分の未来をトレースする。
気がつけば身も心も破滅へと向かいつつ誰にも告白できない自分の自尊心を
呪う。自尊心に傷つく。
この人生が続く限り、中毒患者として酩酊の中でだけ夢見ることを許され
合間の地獄に現実を呪い自分が「そこ」へ堕ちてしまった脱落者なのだと
自認し、いや自認できずに自傷行為を繰り返す。
躁と鬱の高低バランスに心も身体ももはやついていけない。
オレはダメなやつなのだとダメになっちまったと、たとえここから
這い出たとしても「知れた人生」「汚名の人生」が見え隠れする。
もともと賢い子だからこそ彼の想い描いていた「平凡な人生」との乖離に
心かきむしられ自傷を繰り返す。
そしてその日、彼は軽い酩酊の中で母親の胸の中に飛び込む。
「お母さん!大好きだよ。」
はらはらとなすすべもなく立ちすくむ母親に、大丈夫、僕は頑張るからねと
愛している、ありがとうを繰り返した翌日の明け方に彼は自宅の庭で
発見された。
21歳だ。
21歳だ。
この人生にはどんな意味があってそこから我々は何を学び取れというのか。
綺麗事なら聞きたくない。誰か教えてくれ。
「一月」の話は誰かの嘘なのだとお願いだから言ってくれ。