外国語がしゃべれるなんて大したことじゃないって昨日のブログで
宣言した綾ちゃん。このことをちょっと説明するね。
綾ちゃんがずーっとドイツ語と関わってきてドイツに住んでいて
少しずつだけれどドイツ語で表現できることが増えてくるに従って
昔々綾ちゃんがぴちぴちに若くって海外でペラペラ外国語が喋れて
いろんなところで活躍する姿に憧れていた頃のことを思い出すんだ。
外国語がしゃべれるってなんだかとってもかっこよくて素晴らしいことに
思えた。でも今、あの頃思い描いていた理想の姿と現在の自分や周囲を見渡して
「違うなあ」って思う。
主にね、二つの事柄について「違う」って思うんだ。
一つは語学を習得するということが、いわゆる語学学習を超えて
広い意味での文化理解を伴っていなければ「伝わらない」ということ。
もう一つは(そしてこちらがものすごく大事なことなんだけれど)
語学だけ勉強してもしゃべるべき内容つまり確固たる思想を伴った
言葉でなければほとんど意味がないということ。
そしてその思想は通常母国語によって形成されるのだということ。
そして何より綾ちゃんが問題だと思っているのは
こう言った本質論がほとんど看過されたまま英語をはじめとした
外国語習得熱に多くの人々が浮かれているという現状なんだ。
東京オリンピックの際に外国人に道案内をしてあげたいから
英語を学びたい人、海外を旅行するときにレストランであるいは
切符を買うときに困るからという理由だけで勉強している人は
これから数回のこのブログは読み飛ばして下さって結構です。
でも本当にそれだけの理由で英語の勉強に熱心な人っているの?
目先の理由があって学習している人だってきっと本音はもう少し
違うところにあるよね。綾ちゃんはきっとそうだと思うんだけど。
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