2019年5月2日木曜日

この扉(ドア)を閉じたら


         令和の新しい時代の始まりに沸く日本。
      一緒にお祝いしたい気持ちはやまやまですが、御代代わりを
      寿(ことほ)ぐ前にブログ上でもご報告しておきたい
      大きな出来事がありました。長文になります。ご容赦ください。




桜の散った後の福岡は藤、ツツジ、芍薬、あらゆる花々が満開だった。



4月17日。令和の時代を見る前にひっそりと閉じた小さな生命がありました。

その日父は自宅の庭に見事に咲き誇った花々を母に見せようと庭に椅子を二つ並べた。
昼食の後、よく歩けない母を庭に誘って30分ほど花見をしたのだという。
花が、ありとあらゆる花が大好きな母だった。

花見のあと、少し疲れたという母をベットに横たわらせ父は書斎で勉強。
不意に聞こえたごつんという音を不審に思い母の様子を見に行った父は
ベットから転げ落ちた母の様子に尋常ならぬものを感じ綾ちゃん姉に連絡。

大動脈瘤破裂の診断でした。
結局施設に行くこともなく入院することもなくあっさりと自宅で急逝した母でした。






綾ちゃんが母危篤の一報を受けたのは同日の朝ですぐに帰福。到着は翌日夜。
通夜もお葬式も間に合ったけれど到着の夜はすることがなくホテル泊。


それで二人の息子を従えてカラオケに行った。
なぜカラオケに行きたかったのか、無意識にこの歌をチョイスして初めて理解った。
カラオケでこの歌を思い付いたのは初めてのことだった。




森川由加里 本当は泣きたいのに


『助手席のドアを今、開けたところ
この扉(ドア)を閉じたら
永遠にさよなら

・・・

すがりついてもついていきたい
本当は泣きたいのに』


恋人にフラれる失恋ソングだと理解していたけれど
ああ、今の私はこうなんだと思った。大切な人とお別離する歌なんだ。
これからお通夜、お葬式という「此岸(この世)と彼岸(あの世)」をつなぐ
大切な尋常ならぬ儀式が待っている。

ドアを開けて、そして閉める儀式だ。
閉めなきゃならないんだ、と


母親が亡くなったのに通夜の前日にカラオケに行く
とんでもない跳ねっ返りの娘だけれど許して欲しいです。

それで少し落ち着いて覚悟ができた。



カラオケに行ったのには実はもう一つ理由があった。


綾ちゃんの頭の中にアルベール カミュの小説「異邦人」が押し寄せてきたからだ。


今日、ママンが死んだ


に始まる不条理文学の最高傑作。最後に読んだのは何十年も前なのに。
主人公ムルソーの異常心理が突然迫り来る気がした。
なんだか一つ、「ひどく罰当たりなこと」をしたくなったんだ。


「死」という一つの極限の形に対峙すると
理屈を超えた人間存在の在りように心が支配される。


こんな異様な高揚感(一言でいうとハイってやつだな)、
義母の死の際には経験しなかった。彼女の死は綾ちゃんにとって
どこまでも暖かく、平穏で感謝に満ち溢れるものだったんだ。



綾ちゃんを産み育てた実母の死は綾ちゃんにとって
分かち難く強い反作用のエネルギーに支配される檻のような不思議な呪縛だったんだ。

カミュという作家の天才性が初めて理解った気がした。




遺影の母は溢れる笑顔で弔問に訪れた人々を癒してくれた。


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