翌日、姑は驚くべき回復力を見せて食事を摂るまでになった。
(最期の挨拶に訪れた)見舞い客たちに笑って冗談を言ったりして皆を驚かせたり
していた。綾ちゃん達親子は病室にいる間はずっと足つぼマッサージを
続け百合の花を買い足し孫達のビデオを流し最近の家族の様子を
語り合い、つまりは我々にできるわずかなことだけに集中していた。
松江の実家はここのところすっかり埃だらけになっていたので
息子と一緒に大掃除した。うん。埃があっちゃ風水的にも良くないぞ。
とにかく峠は越えた。
姑には(誕生日が2日しか違わない)綾ちゃんと一緒に
誕生日を迎えましょうね、ドイツと日本で二人で一緒におめでとうを
言い合いましょうね、と約束してお別れした。
姑はもうすぐ86歳。抱える病気は回復を望める類のものではない。
今、生命永らえたからといって永遠に延命できるものでもない。
綾ちゃん達は彼女の寿命をちょっとだけ伸ばすのに貢献していい気になって
いるだけなんだろうか?問題を先送りにしているだけなんだろうか?
いやいや、そんなはずない。
人は生きているからには最期まで生を全うするべきなはずなんだ。
そう理屈では納得してもやっぱり複雑な気持ちだった。
そんな綾ちゃんが改めて回答を得たのはその後訪れた福岡でのことだった。
大阪B級グルメの数々
一体どんだけ食ってんだ