いやあ、おじいちゃんの話が終わらぬうちに夏休み、
終わっちゃいましたね。中々ブログまで気が行きませんでした。
とりあえず続きを書きますね。
「ずれてる」と感じるのはやはり健常者の驕り、というやつかもしれない。
「痛み」というのは怒りや悲しみを伴いがちで(子供がじゃれてポカポカ
叩いたりつねったりしてるうちにだんだん本気になっちゃって泣きべそ
かくようなケンカになったりするのはこういうことなんだな。)
心も身体も消耗する。本来、もっとすごくてもっと長い痛みを和らげる
目的の「治療」の意味さえ曇らせて。
このおじいちゃんはこれまで綾ちゃんが出会った中で最も痛みに「敏感」な
患者さんだったのだと言える。
つまり、「ウチ」流の治療(田舎の接待のことさ)は彼には合わない。
様子を見ながらゆっくりゆっくりちょっとずつ事を運ばねばならないってこと。
鍼の「痛み」が「怒り」に変わり我々に当たり散らしたっというのがおそらく
正しい解釈のようだけど、おじいちゃん、鍼を打つ時だけでなくそのあとも
ずっと痛がっているし指圧もかなり苦痛みたいだ。
お灸はひとまずOK?なのかな?
でもひと悶着あったとはいえおじいちゃんは次の予約の時もやって来た。
そうだよね。他に治療の可能性がないんだもの。なんだかんだ言っても
治療側が立場的には優位だ。もちろん治療はそおっと行った。
これも全力投球の変化球。
こんな状態が続いた。おおよそ2ヶ月。
昨日は中秋の名月。中国では大切な祝いの日。
お料理のおばさんが月見餅を作って下さった。
栗餡入りで激ウマでした。
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