2014年11月4日火曜日

魂の救済

                    


       惨めに滑稽に絶望的に訳の解らない状況を受け入れざるを得ない
     グレゴール ザムザ。一家の長男で真面目な公務員で家族と信頼の絆で
     結ばれていたはずのザムザ。しかし「変身」した彼は最も信頼厚い家族に
     とって疎まれ忌み嫌われストレスの元凶でしかなかった。



                        大作家というのは本当に凄い。ね。カフカの名作「変身」に解釈の
     必要なんて全く必要ないから。例えば「アル中に陥った義理の息子が
     毒虫のように忌み嫌われその死を歓迎される」という、ある「現実」を
     そのまま当てはめると「な~んだ、そういうお話だったんだ!」と
     すんなり納得できる。もちろんうちの病院のおばあちゃんちのパターン。
     グレゴールは別にアル中の息子である必要はない。世界中の家庭に
     存在する「忌み嫌われ」る人間の代表だ。愛情に育まれ生まれ来た
     生命が全て愛情に満ちた生涯を送る訳ではないのだ。カフカはラストの
     シーンでぐっと背伸びをする美しく育った妹の姿に作品全体のアイロニーを
     全て投影する。

                        そして綾ちゃんの目の前にはその「美しく伸びをする妹」の姿と
     おばあちゃんがダブって見えた。



                        おばあちゃんは何度も繰り返し"erlöst "という言葉を使った。
     これは宗教的な意味合いの単語だ。この言葉は単に
     「救われた(gerettet)」のではなく「神によって」「魂」の「救済」が
     行われたということだ。





                                 2009 07 17 Tölzer Knabenchor Teil 1A 

                                Motetten Felix Mendelssohn Bartholdy

         綾ちゃんにとって魂の救済はこんな音楽。
         手前味噌で古い画像ですが最前列の左から三番目が
         うちの長男。まだ幼く可愛かった。

   

2014年11月2日日曜日

フランツ カフカ 「変身」  ラスト








                   それから三人はそろって住居を出た。もう何カ月もなかったことだ。
               それから電車で郊外へ出た。彼ら三人しか客が乗っていない電車には、
               暖かい陽がふり注いでいた。三人は座席にゆっくりともたれながら、
              未来の見込みをあれこれと相談し合った。そして、これから先のことも
              よく考えてみるとけっして悪くはないということがわかった。というのは、
              三人の仕事は、ほんとうはそれらについておたがいにたずね合ったことは
              全然なかったのだが、まったく恵まれたものであり、ことにこれからあと
              大いに有望なものだった。状態をさしあたりもっとも大幅に改善することは、
              むろん住居を変えることによってできるにちがいなかった。彼らは、
              グレゴールが探し出した現在の住居よりももっと狭くて家賃の安い、
              しかしもっといい場所にある、そしてもっと実用的な住居をもとうと思った。
    こんな話をしているあいだに、ザムザ夫妻はだんだんと元気になっていく娘を
    ながめながら、頬の色もあおざめたほどのあらゆる心労にもかかわらず、彼女が
    最近ではめっきりと美しくふくよかな娘になっていた、ということにほとんど
    同時に気づいたのだった。いよいよ無口になりながら、そしてほとんど
    無意識のうちに視線でたがいに相手の気持をわかり合いながら、りっぱな
    おむこさんを彼女のために探してやることを考えていた。目的地の停留場で
    娘がまっさきに立ち上がって、その若々しい身体をぐっとのばしたとき、
    老夫妻にはそれが自分たちの新しい夢と善意とを裏書きするもののように
    思われた。(原田義人訳)


              フランツ カフカ 「変身」より抜粋
     




        

2014年11月1日土曜日

身内の死を喜べるほどの地獄





    おばあちゃんの義理の息子は急性アルコール中毒による突然死だった。



                 『アル中の息子は昨日も朝から浴びるように酒を飲んでいて我々が
    気がついたときにはもう冷たくなっていたのです。彼はキリスト教信者では
    ありませんでした。ですからお葬式はしません。荼毘に伏して遺骨を葬る
    業者にお任せすることにしました。これで全ておしまいです。
    やっと我々は救われたのです。』
                  


                        穏やかに、しかし決然といい放つおばあちゃん。まあ、ストレスの
     元凶であるところの義理の息子が突然死んじゃった訳だから豈に計らんや
     というところだ。が、そんなにロコツに喜べるものなんだ。
     こっちとしてはかなりフクザツ。どうコメントすりゃあいいんだ?



                       この静かな深い歓び、アイロニーに富んだ「歓迎さるべき死」を
      綾ちゃんはどこかで識っている、何だったっけ?と必死で考えて
      不意に思い出した。



                        カフカだ。カフカの「変身」のラストシーンだ。





         

キャロライン リーフの砂絵
グレゴール ザムザ



                      

2014年10月31日金曜日

救済、恩寵、だがそれは死がもたらしたもの

                       


    今日は月曜日。綾ちゃん月曜日の朝はいつもちょっとお疲れ。
   週末にだらけたネジを巻き直すのに時間がかかる。



                 今日は二番目の患者さんであのおばあちゃんが来る。あ~あ、きっとまた
   大変だ。いつもおばあちゃんちは週末に新たなトラブルが降りかかっているから
   やって来ると先ずは涙、涙にくれて消耗し尽くすんだよね。でも泣くっていう
   作業は大切な心の自浄作用だからね。ゆっくりじっくりお話聞いて
   あげなくっちゃ。



                    悲惨な物語を聞かされるであろう心の準備をしつつ最初の患者さんの
    治療が始まる。


                     綾ちゃんが最初の患者さんにお灸している頃、ドアチャイムの音が
    聞こえた。


     おばあちゃんだ。玄関の受付から遠い部屋にいるから音は小さいが
    職業上の慣れで患者さんがどんなふうに入ってくるか手に取るように
    目に浮かぶ。
   


                     ドクターがいつものようにお茶を勧めて歓談が始まったみたい。
    
      んん?でも今日はそれほど涙にくれてる訳ではないのかな?遠くから
     かすかな音を聞き取っているだけだから何とも言えないけれど。



                        お灸が終わった。おばあちゃんに挨拶しよう。
     こんにちは。おばあちゃん。あれれ?今日のおばあちゃんったら
     何だか明るい。



                         そうか、服装が明るいんだ。真っ白いブラウスにピンクの
      カーディガン、真珠のネックレスもしている。穏やかに微笑んで
      静かに輝いている。彼女はゆっくりとこう言った。




                             『おはようございます、ヨシオカさん。私の元に
       神の恩寵が参りました。義理の息子が死にました。
       私たちは救われたのです。(Wir sind erlöst!) 』



                              はあああああ~???



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2014年10月30日木曜日

戦中世代の見るヒットラー

                  


      その日のお昼ご飯はドクターと二人でとった。先程陽気なおじいちゃん、
   シュテイルさん(仮名、でもシュテイルっていうのは「静か」という意味)が
   お帰りになったばかり。



             ドクター『いやあ、あのシュテイルさんは楽しい方だね。美術商だから
       歴史と芸術に造詣が深くって話始めると時間が経つのを忘れちゃうよ。』



                そうそう、綾ちゃんも彼とお話して楽しかったんだよ。今日はなんと
   シーボルト(!!)の生涯、日本から追放されたあとの彼の足跡を
   レクチャーしてもらっちゃった。うちの病院のすぐそばにシーボルトの
   お墓がある(!)なんて初耳!これは是非とも行ってこなくっちゃね。



                ドクター『彼はあの年代の方としては驚異的に健全な心の持ち主だね。
        今日は朝一番にあのおばあちゃんと長い間話をしていたからね。
        なおさらコントラストが浮き立つよ。』



                                  『戦中・戦後世代の人というのは多かれ少なかれ心に傷を
         負っているから老後、吐き出すように心身共に歪みが
         際立ってしまうものなんだ。でも面白いのは二人とも
         ヒットラー肯定派だということだね。』


                     うんうん、綾ちゃんもそう感じていたんだ。ヒットラーという存在を
    教科書や歴史の本などで読んだのではなく、メルケルやコールなどのように
    同時代の人として感じていた世代の中にはこういう人が意外に多い。
    つまりヒットラーの台頭によって雇用問題が解決されて経済が上向きになり
    生活が目に見えて良くなった現実を肌身で感じていた人々だ。

                         生きた歴史の証人。ドイツに何年住んでいても驚くことがまだまだある。





陽気な仲間


2014年10月29日水曜日

治療だけが心の安らぎ




                        そんな日々が続きおばあちゃんは病院を訪れるたびにオンオン泣いて
     近況を語るというパターンが繰り返された。彼女から聞かされる話は
     どれも聞くに耐えない酷い話で、これほど醜悪な環境でいつ終わるとも
     知れない地獄を高齢の身の上で引き受けるのはさぞかし大変なことだろうと
     同情を禁じ得なかった。



                      おばあちゃんがやって来ると先ずお茶を一緒に飲みながら
      綾ちゃん、ドクター、おばあちゃんの三人で近況を尋ねる。
      一通り涙にくれたあと、治療室に場所を変えて綾ちゃんが
      足の反射区マッサージをしてあげる。夜、まるきり眠れない
      おばあちゃんはここでだけはぐっすり眠れるとおっしゃって
      いびきをかきながら熟睡。爆睡。良かった。


                      最近、ヒマだったからね、うちの病院。彼女のために
      たっぷり時間が取れる。

                       指圧が終わってドクターにタッチ交代すると、ドクターはなんと
      彼みずからもう一度指圧マッサージをしてあげる。
      これは料金取らないサービスだよ。他に緊急の用がない限り
      随分長い間身体を揉んであげながら世間話(大抵はおばあちゃんの
      昔話)を二人きりでしていた。


       時間を取ってあげられないときは吸玉療法をしてあげる。


                         最後に鍼を打ってチャイムを手のひらに持たせたら治療おしまい。
      鍼が全身に刺さった状態だけど赤外線ランプもつけてぬくぬくお昼寝。
      起こして欲しいときにチャイムを鳴らしてくれればいい。
      これにお灸が加わるパターンもあるね。




                           治療が終わるとだいたいお昼の12時。マイさん特製野菜スープを
      飲んでから家に帰る。



                             おばあちゃんにとって今やうちの病院での治療タイムだけが
       大きな心の安らぎの時間となっているのは明らかだった。
                     

お、探偵もう一パターン発見





大集合!壮観!


2014年10月28日火曜日

アル中の夫と重度障害者の妻

                  

      あの娘の夫はもう随分以前からアル中なの。会社をリストラ(なんと
    生々しい話!)されてから酒と暴力でストレスが多くてうちに避難してきた
    矢先に起こった脳卒中で、本人も私の元で介護を受けることを望んでいた
    はずなのに。



                     おお、あの娘さん、既婚者だったんだ。いつもおばあちゃん(母親)と
    お姉さんに付き添われていたっけ。



                     アル中や暴力の人というのは発作と改心の繰返しで根本的な改善を
    望むのは難しいというのが通説だけど、連れ戻しにきたということは
    きっと奥さんに根本的な「情」はあるんだろうな。


                    それから「失業」と「アル中」。この二語はセットだし。


     しかし夫がその状態で奥さんの介護は出来まい。


                      『そう、だから結局毎日私とあの娘の姉とで娘の世話をしに
     行くのだけれど、あの義理の息子と喧嘩ばかり。流石に私に対して
     暴力は無い(ということは理性は働いている訳だ)けれど言葉の暴力が
     あまりに酷くて。』




                        おばあちゃん家とお嬢さん夫婦の家はすぐ近所らしい。



                        おばあちゃんの方も本来激しくて自分を曲げない性格なのは
     綾ちゃんも知っている。普通の状態でもこのタイプの姑と
     上手くやっていくのは大変だろうに毎日毎日アル中の義理の息子と
     やんややんや喧嘩してストレス溜めまくり。

                         実は綾ちゃん、おばあちゃんの容体を良く知らない。
     もちろん彼女のカルテはそこにある。それを見ればどこが痛むとか
     色々と書いてある。が、綾ちゃんが彼女に、
       「お身体の具合はどうですか?」と尋ねると
     どこがどう悪いって話よりも「昨日こんなことがあって」という
     ストレスの原因の話ばかりになるのだ。



       この状態で治療を続けて治るのかな?おばあちゃん。





バイエルン地方の男女




花嫁と花婿


スパイダーマン