ドイツに戻ったら4月なのに雪が積もって
いてハンパ無い寒さだった。
ドイツに戻ったら4月なのに雪が積もって
いてハンパ無い寒さだった。
生涯、何十回、いや、何百回観ることになる予感。
一生をかけてそばにいる大切なものになる予感。
一種の戦慄を感じて映画館を出たあとただただ
ぼうっとしていた。
綾ちゃんがこの日観た映画はこれ。
もちろん綾ちゃんは映画のスタッフの方々と
なんの繋がりもない。けれどこの映画と関わっていく
ストーリーが頭の中にくっきりと浮かんできた。
でもどうやって?
運命というものは本当に神秘なるもので、
短い日本滞在中にあり得ない偶然が次々と
重なっていく。
綾ちゃんはドイツに戻るフライトの前日、
予定外のスケジュールで東京にいた。
早稲田にある「劇団夜想会」
ここで映画の野伏翔監督以下プロデユーサーの面々と
会談する事になる。映画「めぐみへの誓い」の
ドイツ語字幕を作成する了承と台詞台本に
DVDをいただいた。
綾ちゃんはこの映画をドイツの人に、
そして全世界の人に観てもらいたいと訴えたんだ。
年末にカッチーニの「アベマリア」が
綾ちゃんにとって忘れられない一曲になった、
そしてその経緯を書くと予告していました。
そろそろこの話をしようと思う。
きっかけは去年の春の里帰りの時のこと、
時は3月。自宅待機の開けた初日、
綾ちゃんは一人でぽくぽく映画に出かけた。
久々の日本。
ショッピングしたりお茶したりー。あー楽しみー。
まずは映画。これを見るのを楽しみにしていた!
映画に行く時、もう今日は絶対泣くから
分厚いハンカチ用意しなくっちゃ!なんて
いそいそと出かけたけれど、、、
結果は、、、しまったタオル持ってくるんだった
というほど泣きくれた。号泣とはまさにこのこと。
映画はね、もちろん涙無しには観れなかったん
だけれど信じられない箇所で泣いて泣いて
泣きくれてしまった。
なんと、本編終了時のクレジット!
あなたは映画のクレジットを見て泣いたことが
ありますか?
綾ちゃんはね、本編よりももっと泣いて
しまったんだ。
これは全体の一部分。映画の支援者名簿。
(映画のパンフレットにも載っていました)
これがクレジットに延々と流れた。
その映画とは、、、
ハッピーバースデー、トゥーユー!
先週の日曜日は長男のお誕生日でした!
何と年オトコ!寅年!
年が明けました。皆様、令和4年も
「綾ちゃん玉手箱」を
よろしくお願いいたします。
昨年の11月末、綾ちゃんの誕生日の日に
叔母が亡くなった。
このブログにも書いたっけ。
綾ちゃんは当然、新年は喪中と決め込んで
いたところ、、、、、
元旦にいきなり父親とのLINE電話で
「あやちゃん!明けましておめでとう!」
と満面の笑みで言われてずっこけた。
だってSNSやらで山のように押し寄せた
明けおメッセージに「喪中にて」なーんて
書いちゃったから、もう心配されて
心配されちゃって申し訳なかった!
父に不幸があったと皆さんに思わせて
しまってこっちがおろおろ。
なんでも、父達は親戚が続々亡くなっていくから
このままでは「こっちが死ぬまで新年が
祝えん!ええい、辞めだ辞めだ〜!」
と喪中の挨拶を放棄したらしいのだ。笑!
それはそれで良いような気がするなぁ。
喪中の掟を破っても高齢の父ならきっと
お天道様も許してくださるに違いない。
また後で皆、逢えるよって識ってるしね。
綾ちゃんはといえば、新年早々仕事始めに
タクシーで(クライアントさんの指示)
クライアントさんの元に向かったら
トルコ人の運転手さんに売春婦、娼婦、あれ?
今どきの言葉で言うと、デリヘル嬢に
間違われた、という事件に遭遇した。
祭日の早朝にタクシーを使うオンナは
そういう職業だけなのだろうか?
そんなに化粧が濃すぎたのか?
いやいやマスクだし。
はたまた毛皮のコートが
失敗だったのか←それだ!
悩みの深い年明けとなった。
これも厄落としの一種?
今年も皆様に素晴らしい一年が
訪れますように!
令和3年、最後の記事になると思います。
去年の最後の日、新年の目標として
『◯◯◯の秘密兵器になる!』
と皆の前で大見栄を切りました。
(綾ちゃんの仲良しは◯◯◯が何か分かりますよね。ヒミツですよ。)
どうだったでしょう?秘密兵器かどうかはともかく
それなりの戦力として頑張ったつもりです。
令和4年への目標は、、新年の記事で発表しまーす。
ていうか考え中です。てへ。
今年はいつにもまして生命について考えた一年
でした。これまでの思想が深くなったという訳では
なくこれまでに培ってきた想いや思想が
試された一年となった。生命と言えば、、、
つい最近、有名人の女性が命を絶った。
去年も同じようなことがあったっけ。
少なくともその女性は金銭的に窮乏している風では
なかったし立派なお仕事も持っていた。
一部病気宣告の記事も流れたが立ち消えていたし
事情は良く分からない。
昨年はいっちゃんが生命を自ら絶つという大事件が
あったから尚更だったけれど、それってどういう
気持ちなんだろう?
他人の気持ちは分からないのだから決して土足で
踏み込むものではない。けれど綾ちゃんには
わからない。
その行為が一体誰のためになったのだろう?
生命のバトンが大切に運ばれてきたこと、
そのバトンを手渡しする義務があったこと、
生命は自分のためだけに使ってはならないこと、
これからそういう話をしていきたい。
生命についての曲を一曲、毎年の終わりに
紹介してきました。
令和3年、この1年間ずっと綾ちゃんの側にいた曲は
カッチーニの「アヴェマリア」です。
綾ちゃんにとって一生忘れられない曲になりました。
そのお話は長くなるので年が明けたらまた
書きに来ます。
年末に家族でこの曲を演奏して動画を撮ったり
しましたが、さすがにここに挙げるのは
恥ずかしいので三浦春馬さんバージョンを紹介いたします。
皆様、良いお年をお迎えください。
どうか健康にご留意してお過ごしくださいませ。
天国や地獄という単語は宗教のもので、言葉そのものに
広がりのあるイメージがつきまとっているが
「あちら」と「こちら」は極めて無色で
ニュートラルな響きがする。
すうっと一線を越えるだけで特別な
どこかへ行く感じがしない。
死を親しく感じるというのはこういう事なのかなぁとぼんやり思った。