2017年12月17日日曜日

若い頃の父と母にとても会いたい





      ちょっと早すぎですが今年最後のブログアップになると思います。
    明日明後日明々後日と怒涛の3連ちゃんのフルタイム仕事の後、飛行機に乗って
    クリスマスイヴを松江で過ごすことになりました。
    義母の四十九日法要(なぜイブ!?)です。今年いっぱい日本です。


      今年はブログを開始した2012年以来突如としてペースダウン。
     綾ちゃんのブログを楽しみにしてくださっていらっしゃている方(い、
     いらっしゃいます?)には期待に添えなくてごめんなさい。


  この一年は綾ちゃんにとって大切な方々を亡くすという節目の年でもありました。
  亡くしたことが寂しくもありまた「亡くした」ことによってむしろいつも一緒に
  ついてくれて支えてくれているような不思議な感触も体験しました。


    毎年ブログではクリスマスに綾ちゃんお気に入りの一曲を紹介しています。
    今年はこの曲がしょっちゅう綾ちゃんのアタマを流れていました。一年のうち
    4回も日本へ帰省するのは初めてで「家族」についてとことん考えたのも
    初めてのことでした。 だからこの曲。
 


帰郷 ぜひ歌詞もご覧ください。
フォークギターの神様、石川鷹彦さんも必見。上手な歌手はたくさんいるけれど
綾ちゃんにはさださんの歌唱力が一番しっくりくる。





疲れた時 見る夢は ふるさとの夢
家について 扉を開けて そこで目が覚める
幼い頃 庭で遊んだ 犬の夢も見る
若い頃の 父と母に とても会いたい



この一年に起こったこと、考えたこと、たくさん書きたいことが
 ありますがお正月明けからまた頑張ってブログ続けたいと思います。



              みなさま、良いクリスマスを。
             そして良いお年をお過ごしください。





2017年12月15日金曜日

禁忌の1日




お葬式の話題をもう一つ。


近い親族の葬儀に初めて出席した綾ちゃん。
知識としてはもちろん知っていたことだけれど
参加してみて改めて心に深く刻み込まれたことがある。


それはこの1日に親族が皆で集い皆で禁忌を行うのだ、ということだ。
北枕だとか立て箸だとか。でもやっぱり「箸渡し」が一番
ショッキングかな。お骨を皆で箸から箸へリレーして骨壷に納める。
そうだった。これこそが日常の禁忌の最たるものだったと、
そして親族皆で普段タブーとされている行為をすることへの畏怖。
ああ、今三途の川への扉が開かれたのだという恐れの気持ちが自然に湧いた。


こんな風に皆で三途の川へ送ってあげて「死」や「あの世」を身近に感じ
そして荘厳な気持ちで扉を閉める。「死」を敬い「生」を乞い願う。



そうか。そういうことだったんだ。




ところでこれは前々回、ルフトハンザが欠航した時のどんより風景です。


午前中から午後16時くらいまで延々待たされました。


その間もらった食料これだけ。トイレにも行かなかった。


とうとう飛んだ翌々日


羽田でひつまぶし食べちゃいました。



2017年12月11日月曜日

KIXへ向かうタクシーの中で




始発の便で羽田へ向かう。上手い交通手段がなくやむなくタクシーを
利用した。大阪市内から関空まで延々と飛ばす車内で綾ちゃん夫と色々な
話をした。互いの仕事、両親のこと、子供のこと、政治と世界情勢、音楽、
それらはつまり全て「我々のこれからの夢」を語り合う時間だった。




タクシーの車窓から見えるKIX


今回は福岡と大阪で紅葉狩りも楽しんだ。とうとう!お腹をこわして
1日半寝込んだが仕事も抱えていたのでかえって良かったりもした。
だから京都へは紅葉を見に行けなかった。


綾ちゃん、夫とはいつも日常の話題から時事問題までかなり突っ込んだレベルで
話し合っているけれどこの時は「生きる」ということの意味を深く教えられた気がする。
これまでに我々が出会ってきた素晴らしい人々の驚くべき濃密な時間の
使い方と特別な集中力がいかに感嘆に値するものであるかということ。
どうやってそこに至るか、我々に与えられた限りある人生を燃焼できるか
について話しあった(というか拝聴していた)。


うーん、綾ちゃんは色々な意味で幸福で幸運な人生を生きているけれど
何よりラッキーだったのはこの夫と結婚できたことだなあと改めて感激していた頃、
夜明け前の空港の美しいライティングが我々を迎えてくれた。



空港に到着した時、即座に理解した。タクシーの運転手さんが我々
おじさんおばさんの青春話を聞いていて満面に笑みをたたえている。
お話聞いていました、是非頑張ってくださいねとは言えないもどかしさを
顔いっぱいに表現しながら

『いやー、できるだけ急いでみたんですがね、フライトは
大丈夫ですかね。お気をつけてお帰りくださいね。』


『ありがとうございます。余裕で着けました。空港の綺麗な夜景も
楽しめて良かったです。』


まともな会話一つ交わしていないけれど互いの空気で理解る。
綾ちゃん達の思想に共感してくれたんだ。なんとなく同志だ。


すごく気持ち良く帰途に着いた綾ちゃんだった。



今日は日中も−3度の雪模様。植木鉢の氷も厚い。

2017年12月9日土曜日

福岡の紅葉





義母の葬儀は盛大だった。士族の家系の伝統に則った臨済宗の
お坊さんが三人もおいでになって般若波羅蜜多を唱えだした時には
感慨深かった。何十年も般若心経の写経を続けた義母を送るにふさわしい
荘厳な会だったと思う。合唱団「みづうみ」に最高齢で参加して
ドイツ語で第九を歌ったりしていた。たくさんの方々がお悔やみにおいでになった。



本当は葬儀を終えた後すぐに大阪へ戻るつもりだったのだけれど
急に思い立って始発の特急いずもに乗って博多へ里帰りした。
やっぱりチャンスを逃してはいけない。
会えるときに会っておこう。両親に。


黒田家別邸友泉亭 綾ちゃん実家から徒歩10分です。
ここは紅葉が見事です。


綾ちゃん実母は心臓が弱っていて10分も歩くと汗がだらだら
動悸もひどくてたくさんお散歩できない。お散歩だけが唯一の楽しみなのに。

時間をかけてゆっくりと紅葉を鑑賞してきました。



 






休み休みゆっくりと。





2017年12月7日木曜日

矜持を保つ



お話しかけていたところだった。



大阪箕面公園 残念ながら名所の滝へは台風の影響で行けませんでした。


実は今回他界した義母もわずかに認知症が芽を出していた。
85歳だから無理もない。綾ちゃん実母も現在進行形だ。


この手の話は昨今あちこちで聞く話らしい。綾ちゃんの近い親戚筋で
やはり進行した認知症の方がいらっしゃる。奥さんの介護に疲れた夫が
やけを起こして親戚のあちこちに迷惑をかけていてうちうちでは悪評高い夫婦だ。

よくよく考えてみるとそのご夫婦のシチュエーションは綾ちゃんの父母の
置かれた状況に酷似している。うちの両親よりも10歳ほど年若いから恥ずかしい。


最近、そこのご主人がお酒に酔っ払って介護の憂さを晴らすべく
綾ちゃん父の元にやってきて認知症の奥様の愚痴を並べた、ということがあったらしい。
その時綾ちゃん父は言下にこう言ったということだ。



『いいかい、良く聞きなさい。私はね、あんたが今から五十年前(!)に
やってきて皆の前に頭(こうべ)を垂れた時のことをよーく覚えとるよ!
あんたはこう言ったんだ、この人を私にください。私はこの人と
どうしても結婚したいんだ、と。あの時ね、あんたに彼女を任せたいと
考えとった人は親戚内でだーれもおらんじゃった。あんたが、あんたたちが
どうしても一緒になりたいと言ったからしぶしぶ承知したのであって
誰一人あんたに頭を下げてこの人をもらってやってくださいなんて
言わんかったよ。そのあんたがどうして嫁の悪口を言えるんじゃ。
どうして嫁の生涯に責任を持ってやろうとせんのじゃ。

そりゃあきついさ。嫁がアルツハイマーになるなんて予測もせんじゃったさ。
だけど男はいつでも、人生のどんな時でも向かってくる試練から顔を背けちゃ
いかんだろうが!』


自分自身がいつ人生を終えるかわからない再来週89歳になろうという
綾ちゃん父がこれほどまでに誇り高く人生の矜持を持っていたということに
改めて驚きまた尊敬の念を新たにした綾ちゃんだった。





2017年12月4日月曜日

二人の母に出会えて




ものすごくご無沙汰しちゃいました。
あともうしばらく忙しい日々が続きますが
できるだけ頑張ってブログ続けようと思います。


とりあえずまたしても日本に帰省してきたのでそのお話から。



これ誰?大阪に着いた途端、福島県産品フェア(?多分)
のキャラの人と記念写真。なんかお笑いの人みたいに言っていた。


義母が亡くなった。

秋にお見舞いした時、2日しか違わない互いの誕生日を
一緒にお祝いしましょうねっと無理やり約束して別れた。
何度もなんどもお誕生日までに元気になりましょうね、っと言った。
(お誕生日を過ぎたら一緒にお正月を迎えましょうね、と励ますつもりだった。)


義母は86歳のお誕生日まで待てなかった。




自宅での通夜を終えて。写真を大きく入れたら
ちょっと辛かったので小さくしました。


素晴らしい女性だった。美智子妃殿下にどこか面影が似ている。
綾ちゃんの尊敬する綾ちゃん夫を育てた人だけあって
綾ちゃんの産みの母からは(おそらく近すぎるせいか)学べない
多くのことを教えてもらった。家族や他人への尊敬と愛情の持ち方。
激することもなく教養深く品格のある女性だった。


いわゆる嫁姑の確執もなく、「息子より綾子さんとお話ししたいわあ」と
おっしゃってしょっちゅうドイツまでお電話いただいた。


結婚した時には自分たちのことで一生懸命で想像つかなかった。
結婚によってもう一人ずつ素晴らしい父と母に出会えたのだ。
そのことによってどれほど綾ちゃんの人生が豊かになったことだろう。