2016年11月16日水曜日

マールさんとの別れ




           彼女とだけはきちんとお別れしなくっちゃ。



    患者さんの中で一番の仲良し。彼女も綾ちゃんに会うのを楽しみに、
   もしかしたら今は生きがいの一つになっているかもしれない、そんな風に
   うちの病院に来るまで何とか時間をやり過ごすという風に生きてらっしゃる。
   もちろんメインはドクターの治療なんだけど病院に来れば必ず綾ちゃんと
   30分くらいは話し込む。前回から今回に至るまでの時間、何をしていたか
   どんなことがあったか、何を考えていたか、全部話してくださる。
   大抵は辛い辛い身体の不調のことなんだけど誰にも愚痴ることのできない
   想いを伝える相手がいるというのはどんなにか大きな慰めだろう。
   よくわかるよ。特に彼女の場合はご主人様も重病人。一人だけ不幸顔を
   しているわけにいかない。


    綾ちゃんも彼女のことが一番気がかりだ。彼女の両足はいつも氷のように
   冷たい。もう何をしても無駄なのだと彼女は言うけれど、真夏でも
   生きている人ではないような冷たさだ。綾ちゃんは彼女の名前が予約リストに
   あると必ず彼女用に幾つかのスペシャルサービスを用意して待つ。
   スリッパを温めておくとかね。どんなに忙しい日でも絶対やった。
   もちろんただのサービス。お金はとらない。誰か受け継いでくれるかな。


                       

       これはスリッパの中に穀物の種が入っていてオーブンで温めて履く




    マールさんに別れを切り出す。綾ちゃんが勝手にやっていたサービス、
   全部カルテに書いておくし口頭でも伝えておく。でも忙しいとみんな
   それどころじゃなくなるからマールさん、ご自分でおっしゃってくださいね。
   スリッパが欲しいとかランプで温めてくれとか背中が痛いとか。
   それから綾ちゃんの電話番号とメルアド。辛い事とかいつでも聞きます。
   おしゃべりしたくなったらいつでもかけてくださいね。これからは
   お友だちになりましょうね。


             彼女は言葉少なに頷いた。



    とっても引っ込み思案の彼女だもの。きっと連絡してはこないだろう。


             その日は静かにお別れした。


   
       

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