2015年7月14日火曜日

神様のことをよう知らん奴はドイツ語会話に気をつけた方がいい??





        話をずず〜いと戻してスーパーマーケットにさかのぼる。




      苺パックを手にした若い女性。セルフでパックをカートに入れる。
     日本みたいにフタになるようなシールとか貼ってないから傷んでる苺なんて
     見つけちゃうと他のパックの中身と移し替えちゃうことがある。
     まあ、こういうのがスーパーマーケットの限界?ってカンジだけど。





      これをチョー真面目なおばあちゃんに見咎められて大声出されて
     店員さんまで呼ばれて果ては大げんかに発展しちゃった。
     女性のご主人まで参戦して大声で怒鳴りあい。
     そりゃあ、わたしだってちょっとは悪かったわよ。だけどだからって
     凶悪犯みたいに大騒ぎしなくったっていいじゃないの。
     ダンナさんも、いいかげんにしろ、そんなに他人のことあげつらって
     何が楽しいんだ、放っておいてくれ。全く=Um Gottes willen
     ウム ゴッテス ヴィレン!、、、これがいけなかった。





   おばあちゃん『ゴット!!!神!神の名を語るなんて!いいこと!
          私はね神を信じているの。あなたのような薄汚い
          欺瞞に満ちた人に神の名を呼んでほしくないわ。』




     Um Gottes willenというのは感情が高ぶった時の感嘆詞のようなもんで
    翻訳なんかまるでできない言葉の一つだ。綾ちゃんなんかはこんな言葉が
    さらりと出てくるようになればネイティヴっぽいのにな、なんて
    思ったりする語彙の一つなんだけど。



     だけど敬虔なるキリスト教信者にとっては慣用句的に使用する会話にも
    「神」の一言が入っていると大事になってしまうんだ!
    いやー、綾ちゃん前言撤回。神様のことなんかよう知りもせんのに
    会話に神の名を出すのは慎んだ方がいいんだな!?





       

                    Tölzer Knabenchor - J. S. Bach - Jesu, meine Freude excerpts
              神は「我が喜び」





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