綾ちゃん一家が(正確には綾ちゃん夫と子供たちが)皆で書道を始めた頃、
うちの子供たちはピアノと歌を習ってはいた。が練習のケアをするのは
夫の役割で綾ちゃんは音楽ちんぷんかんぷんだった。綾ちゃんはクラシック
音楽を聴くのは好きだったから子供たちの様子を横から垣間見て
へーそうなのって感じで理解を深めていった感じ。トータルな知識で
ない分今も学ぶのが楽しいです。
ところで今、「とめはね!」を読んでみて、書道と音楽がどれほど修行の
仕方が似ているかに気付いてびっくりしているところです。
芸術だから当然と言えばそうなのかもしれないけれどこの二つ、特に
似ているんじゃないかしら?
(岩滝書道教室の画像を拝借いたしました。)
入門の子に「一」の字を半紙に100枚書かせて「線」の基本を
叩き込む。起筆、終筆、線の太さ勢いなどおおもとになる筆の運びに
自信が出来てきたところで、じゃあ今度は「十」を書いて見ましょう
ねっと言われてお安いご用と書こうとしたら上手くいかない。
それはなぜかと問うと、線が一つから二つになると「文字の一部」が
「文字」に変化して「空間の美」が生まれるからと説明される。
これって音符が二つ以上になると音楽の方向性が生まれて来るから
決して単音を並べた音出しをしてはいけない音楽の練習そのもの。
線の太さ細さ、勢い。墨の濃い薄いとかすれ具合。
もしもあなたが何の制約もなく自由に美しい文字を書きたいならば
古典の臨書(書き写し)を死ぬほどするのが結局、真理にたどり着く
一番の最短距離なのだから労を惜しんではならない。これって楽器を
学ぶならとにかくクラシックの曲を繰り返し練習しなければならない
のと一緒。古人の筆を極限まで真似て完璧に「同じ」に近いものを
書くためには何千年前の書家の人々がたどった全く同じ筆運び、
つまり全く同じ動きを再現できなければならない筈。姿勢、運筆。
あるいは思想や態度、息の吐き方まで想像しながら、、、。
臨書はすなわちタイムカプセル。書の内容にも想いを馳せる。
粘葉本和漢朗詠集
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