2016年1月2日土曜日

音楽は敵を超える




            明けましておめでとうございます。



   新年にはいつも心改まる思い、出発の気持ちがみなぎるものです。
  この新しい一年を、一瞬一瞬を素晴らしい、生きていてよかった、と思える時間に
  したいものです。



   一年の初めに贈る言葉として今年は去る12月8日、世界的な指揮者兼
  ピアニストであるバレンボエム氏が来日に際してのインタビューで語った内容を
  採ろうと思います。彼のように芸術に音楽にだけ集中していても、いや
  集中しているからこそ語れることがある。心の中にある美しい想いを
  そばにいる人と暖かく育める、
  そんな時間を過ごせたらと願って止まない2016年初頭の綾ちゃんです。




       大晦日にマリエン広場に花火を見に行こうとしたら雨が止まないので中止。
  まったりと家で過ごしていたところ、テロ警報にて駅は閉鎖騒ぎだったと元旦に
  知りました。お出かけしていたら帰れなくててんやわんやに巻き込まれている
    ところでした。
  そう、こんな風にお気楽タイヘイに生きている私の、その地球の裏側で血を
  流しながら無残にも命を落とす名もなき儚い存在がある。そんな緊張感を
  思い起こさせてくれる1月1日でした。 





 「ドイツほど、自分たちの過去と真剣に向き合ってきた国はない。そうでなければ私は、ユダヤ人としてこの街に住むことなど考えなかった。
 多くの国がいま、過去との向き合い方に関して問題を抱えていますね。イタリアフランススペインも、そして日本も。多くの原因は、『愛国』と『国粋』を混同していること。自分たちがやっていることに誇りを持つということと、自分たちが他より優れていると思いこむことは大きく異なる。本物の自信と誇りは、他者との比較からは決して育ちません」
 「同じように、グローバリズムとユニバーサリズムとの間にも、本質的な違いがあります。ユニバーサリズムは互いの違いを認めるということ。グローバリズムはみんな一緒を求めるということ。どちらを私が支持するかはもう言うまでもないですよね。私はスパゲティもおすしも刺し身も天ぷらもインド料理もフランス料理も、すべて好きです。人生を豊かにするのはグローバリズムではなく、ユニバーサリズムなのです」
 「大切なのは、自虐からではなく、誇りを礎に再起すること。ドイツはあまりに過去が凄惨(せいさん)すぎるものだから、愛国的なにおいがするものを即座に『危険』と排除する傾向が今もある。楽器ひとつとっても、オーボエやトランペットで、ドイツらしさを感じさせるものが減りつつある。ナチスは『最も偉大なドイツ人だけが真の芸術を理解できる』と主張したが、これがファシズムの権化であるとすれば、ドイツらしい重厚さを排除し、機能的な響きばかりを歓迎するのも、これもまた逆の意味でファシズムとなりかねません。時代は流転する。そのつど過去を受け止め、克服してゆく。この継続なくして、先に進むことはできません」
 「大切なのは、国という集団としても個人としても、誰もが過去と向き合う必要があるということです。いま、世界でたくさんの紛争、対立が起こっています。それは、ある種の過去への憧憬(しょうけい)から生まれているものです。今のロシアはいつも過去を振り返っているし、アメリカも世界を統べる権威ある国として威容を誇っていた時代を懐かしんでいる。しかし、今はどちらもすでに、唯一無二の覇権国家などではない。繰り返しますが。過去を新しい状況のなかで受け入れ、克服しないことにはどの国にも未来はないのです」
 「ドイツでも、過去に対する取り組みをちゃんと感じられるようになったのはせいぜい80年代のことでした。こういうことには時間がかかります。例えば、私があなたに何か良くないことをしたとしましょう。私はあなたに謝らなければなりません。それは道徳的な行為であり、また、対立を終わらせるための戦略的な行為ともいえます。ごめんなさい、私が悪かったです、と。私は悪くない、と言い張れば言い張るほど、対立は根深いものになってしまう。人対人なら、手をとりあおうという姿勢を共有することができます。しかし、国対国となると、なぜそれができなくなるのか。そこを私はまだ理解できないのです」
 「今したことに対して謝ることより、100年前に犯した過ちを謝るということが、なぜこんなに難しいのか。思うに、現代の私たちに欠けているのは勇気です。そうした時に音楽は、政治的な理由での対立を人間同士のものに戻すことができます。紛争や対立から、一瞬離れることができるのです。ドイツフランスの相克の歴史はご存じかと思いますが、ドビュッシーやボードレール、ベートーベンやバッハを通じ、彼らは人間として出会うことができるのです」
 思想家のエドワード・サイード(1935~2003)とともに、イスラエルパレスチナの若者を集めたオーケストラ「ウェスト・イースタン・ディバン・オーケストラ」を創設して15年。思想や民族の対立を超え、心を通わせる幸福な感情を若い時期に体験することが、無為な争いの芽を摘む。そんな信念をゲーテの「西東詩集」にちなんだ名称に託した。卒業生の多くがベルリン・フィルやシュターツカペレ、バイエルン放送交響楽団などの名門へと翼を広げた。
 「ディバンは平和の象徴のようにしばしば語られますが、それは違う。正義や安全は、音楽にはもたらすことができないものです。ディバンの目的は政治的な合意ではなく、たとえばベートーベンの交響曲について、同じ考えを持つようなことを求めるわけです」
 「『敵』である人の隣で、同じ曲を1日練習したとしましょう。終わるころには『敵』という感情はなくなっています。政治には不可能なことが、音楽では可能になるのです。私はまず、相手の言葉をリスペクトすることを求めます。自分の考えと違い、納得できなかったとしても、相手の正当性を否定せず、まずは受け入れなさい、と」
            ダニエル バレンボエム氏のインタビューより



バレンボエムの録音は数多くの名演がありますが今日はベートーベンの
「悲愴」を。彼は綾ちゃんが熱愛するチェリスト
ジャクリーヌ デユ プレの夫でもあった人です。
綾ちゃんにとって彼は自分の亡き夫(?例えがオカシイ?)のごとく
愛すべき人物です。



今年も素晴らしい年でありますように。



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