何度も寄り道してスマン。
またまたドイツ語の話に戻ろう。
前回までは進化するドイツ語教授法の話をしたんだけれど
実はそれ以上にえええー?って驚くことがあるんだ。
あのね、ドイツ語が違うのよ。色々と。綾ちゃんが習ってた時のと。
ほらほら綾ちゃんもばーさんへの入り口付近にたむろしてるから
「あたしの若い頃はにゃー」なーんてババアの主張を始めているのだろうと
思われてもしょうがないんだけどさ。
でもね、そういうのとも違うんだ。信じてもらうしかないんだけれど。
言葉というものは日々変化する。日本語は特にひどい。
どんどん台頭する若者コトバを知っている日本人としては
むしろドイツ語は変化が緩やかな感じがする。
電車でテイーンエイジャー達のドイツ語が聞こえてくると
綾ちゃんにはやっぱり聞き取りづらいことも多いんだけれど
それでも日本語ほどものすごくはないと思う。
でもね、綾ちゃんがこれから説明しようとしていることは
そういう「時代の流れ」的な自然に変化が訪れる語史の範疇ではなくて
なんちゅうか、教育の側が「意図的に」ドイツ語をいじくっているような
「作為」を感じることがあるわけ。
自分で教えながら「本当にこれでいいのか?」って煩もんすることがあるんだ。
これも順次例をあげながら説明するね。
知人のお宅でガネーシャ発見。ご主人のインド出張時のお土産だって
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