2013年7月29日月曜日

素敵な女性の造り方



 今回、秋田さんのことを色々と書いてきたが、私が彼女のことを取り上げた理由は
「素敵な女性」のお手本のような方だとビビッと来た、という一点に集約出来るからだ。



 明るく前向きでヴァイタリティーに富んでいる。めちゃくちゃ仕事をしているのに
すごく余裕たっぷりに見えて周囲への配慮も忘れない、信頼出来る女性。


 こんな、誰もが憧れる美点だらけの女性になるためにはきっと秘訣がある。



 まずは体力。マラソンをやってらっしゃるその経験が持久力、物事をやり遂げる
忍耐力の基礎となっていることは言うまでもない。体力のある•なしはずばりものを言う。
毎朝、たとえ1〜2分でもいいから走るために外に出る、というあり方は「行動する
ところから全てが始まる」という象徴とも言える。


 そして思想的な裏付けが内的なモチベーションを作る。
グラミン銀行でマイクロクレジット(小額貸し付け)を行いバングラディシュの社会構造変革を成し遂げノーベル賞受賞に輝いたムハマド ユヌス氏に感銘を受け、ソーシャル ビジネスを被災地復興のあり方と捉え活動する。
その他にも、このブログでも紹介した七つの習慣の考え方をベースにしていたり、
村上幸徳氏の気学を元にした経営者塾で学んだりすることで自分の「使命」を明確に
する。実はこういった作業(というか勉強)が、日々の仕事の一つ一つ(刹那的な意味での)よりもむしろずっと大切なベースになるのだ。


 
 でも、おそらく、これは私の単なる想像だけれど、一番大切なことは「未来を思い描く力」を強烈に持つことが出来るということなんじゃないだろうか。想像力。空想力。
そしてポジティブな近未来を思い描いた瞬間、それを実現出来ると思うことをためらわない。最初の一歩を踏み出すために、そしてその歩みを一歩踏み進めるたびにゴールへの
道筋が見えて来る。上に書いたこと全ては、この、「強い想い」の栄養分となっていくんだと思う。    



 これが、今回、私が秋田稲美さんと言う方に出逢って感じた感想です。


        

           暖かい気づきをありがとうございました。





2013年7月28日日曜日

心の地図の描き方教えます。




              行動力の女性。
        とにかくポジティブ、かつ明朗な方だった。



 言葉にするとありきたりだがそういう女性は滅多にいるものではない。今回、
秋田さんに直接お目にかかった感想だ。明るくて迷いの無いまっすぐな瞳の持ち主。
女性リーダーのコーチングのための会社エムズとは別に一般社団法人(利益を出さない)としてドリームマップ普及に取り組んでおられる。ドリームマップとは一言で言うと
「自己実現のための目標達成ツール」だ。2004年〜2006年、経済産業省「起業家教育促進事業」で公募された教育プログラムの1つとして採択され、全国の小・中学生約1万人がドリームマップ授業を受けた(平成16年度~18年度)という実績もある。


ドリームマップ公式サイト
http://www.dream-map.info/dream-map/dream-map.html





 特別なことをする訳ではない。自分とゆっくり向き合う時間を作り3年後に
「なりたい自分像」を具体的にイメージして写真や絵を取り入れながら大きな紙に
描いていく。
目標は「野球選手になりたい」とか結論だけを書くのではなく、どんな野球選手に
なりたいのか、それによってどんな社会貢献をなし得るのかといったいくつかの
視点を忘れない。そして人前で発表。このとき、例えば野球選手ならヒーロー
インタビューの場で語るように夢を達成してしまった瞬間から過去の回想をする
ように行う。言葉にすることで、人前で発表することで、そして回想形式をとる
ことで「夢」にたどり着くための具体的な道筋を鮮やかに心と頭に刻むことが
出来る。今日の一歩をどんな風に過ごすべきかが解り始める。発表に使った紙を
自分の部屋のなるべく目だつところに貼っていつもこの気持ちといっしょに
いられるようにする。もちろん、ドリームマップはいつでも何度でも
書き直していい。



 昨日書いた遺伝子工学の村上和雄さんは80歳近くなった現在も、新たな「夢」

にむかって猛進中でいらっしゃるとのこと。
私自身はまだ、このドリームマップを作成していないのだけれど、今度、
子供と一緒に是非作ってみたい。


 素敵な出逢いからまたひとつ、素敵なことを教わった。



         


             
              ドリームマップ 秋田稲美





2013年7月27日土曜日

スイッチ 〜 遺伝子のココロ 〜



      先週の土曜日。映画の上映会があった。題名は「スイッチ」。
      フィルムは秋田さんが監督さんから託されて日本からお持ちになられた。





           下から撮りました。秋田さんです。


 遺伝子工学の村上和雄さんが(ヒトレニンという)遺伝子の構造を明らかにした
ことで遺伝子解読、ゲノムの道が大きく開かれた。世界中から称賛を受けるが、
彼はむしろ遺伝子と言う生命体の地図を書き記した「大いなるもの」の存在を
思いめぐらせ畏怖の念に打たれる。「神」という呼び名とは別次元の概念が欲しい、
そして彼は「それ」を「サムシング グレート」と名付ける。



 一個の生命体の中にある遺伝子情報はとてつもなく膨大な量であるのに実際に使われているものはその中のほんの3%ほどの量。それらを思いのままポジティブな方向に
開花させることが出来たらどんな素晴らしい人類の未来が待ち受けていることだろう。
遺伝子の「スイッチ」をオンにするためのヒントは日常のどこにでもある、誰にでも
出来るささやかなことだった。



                           そんな内容です。
          


 上映までの時間に秋田さんのドリームマップの説明が行われました。



           ご自身のドリームマップを披露する秋田さん
                                         Photo by Jiro Y.

  映画の上映後、お茶と御菓子を楽しみながらそれぞれ感想を述べ合って一旦解散。
そのあと10人ほどで近くのビアガーデンへ行きました。



 秋田さんの人となりとドリームマップについては明日書きます。





2013年7月25日木曜日

夢にむかって走る




         

           いわゆるマラソン大会とは違う。




 まず、スタートがない。スタートは皆が思い思いの場所から別々に始める。
ゴールだけがあってどんな方法でどんな風にたどり着いてもいい。マラソンぽく
やりたい人のために一応のモデルコースはいくつか紹介してあるのでそれを利用する
人もいる。目印はオレンジ色のマフラー。これを南三陸の工場に発注して仕事を
増やしている。その他にもゼッケンの縫い付けなど内職を被災地の女性たちにお願い
している。
そして目的地は一緒。「待ち合わせ」だね。誰に出逢えるか解らない。




 最初は一人。どんな風に歩くか走るか自転車に乗るか電車で行くか。ある程度まで
近づいて来ると「目印」のマフラーで仲間と分かる。その「仲間」が足を進める
ごとに増えていき最後はみんなでゴールイン。





 ああ、これって秋田さんのもう一つの大切なお仕事、ドリームマップと同じ構造なんだなっということがわかるね。誰もが夢を叶えていく、そのやり方に。



           

2013年7月24日水曜日

走れ!平和のために〜ラン フォー ピース 〜



 秋田さんは愛知県で会社経営をなさっている女社長さん。現在、三つの会社を
経営している。


 東日本大震災のとき、津波の被害を甚大に被った南三陸町へ行った。
そこでボランティア活動にいそしむ傍ら、彼女独自の視点から復興のアイディアを
思いつく。



 女性が生き生きしているところではその人の周囲自体がきらきらしている。
どん底の中にも光が灯るのだ。復興の端緒はまず女性を元気づけること。


 一方的に手を差し伸べるだけではだめ。「ありがとう」の言葉も言うだけの
立場では自分に自信を失ってしまう。誰しも「ありがとう」を言ってもらえる
立場に立つことで生き甲斐を育んでいくのだ。


 

 そうして震災地に永く続く、女性のための事業を作るプロジェクトを立ち上げた。


 その最初が、ラン フォー ピース。





                  お次はこれね。

2013年7月23日火曜日

夢の地図〜ドリーム マップ〜



         素敵な出逢いがありました。



 ニッポンに元気をあげるため、人の心に明るい未来を照らすため
活動している女性です。ご存知の方もあるいはおられるかもしれませんが
ドリームマップを手がけていらっしゃる秋田稲美(いねみ)さんがミュンヒェンに
いらっしゃいました。秋田さんの活動とお人柄、ドリームマップについて
お話ししようと思います。
   
       

          
  
             
              まずはこれをご覧下さい

2013年7月22日月曜日

トマトの運命



 トマトに限らない。例えばジュースなら濃縮果汁(Konzentratsaft)なんてのはほぼ
間違いないくらいアヤシい。メーカーが大手であろうがなかろうが大差ない。
(フレッシュジュース Direktsaftなら輸送時間の都合上セーフ)



 そうだね。ことの真偽はともかくとして、この話には十分な信憑性があると思う。
安直に買える便利さ、簡便性はどこかで代価を支払わなければならない。




 あれは春のこと。ドイツの新聞記事に大見出しで、アメリカからEU(特にドイツ)に
対して農業輸入規制緩和のオファーあり、と報じていた。これって欧州版TPPじゃないの?
って思って、翌日農水省勤務のダンナ様の方に訊いてみた。するとやはり私の思った通り
だという。が、豈図らんや、ドイツはそんなことしないよって彼は説明した。
例えば大豆。近年の健康食ブームで代用肉として需要が飛躍的に伸びた。だが、大豆食品に関心のある人というのは即ち安全性にも厳しい人たちだ。アメリカや中国から原材料を
頼っていては意味が無い。現在、バイエルン北部に大規模な有機農法による大豆畑を作る
プロジェクトが進行しているらしい。



       自分たちの口にするものは自分たちで責任もって守る。
      当たり前のことが我々日本人には痛い。



 トマトトマト。ドクターの突然の逸話から色々と書き連ねてきたけれど、やっぱり
私(たち)の願いはただ一つ。、美味しくて安全なトマトが食べたい。



    


        ドイツ人の大好きなアスパラガスも冷凍、瓶詰め品は
        中国産とのことだ。


トマトの悲劇




          彼女によるとこういうことだった。



 彼女は国立歴史研究所の研究職員で時折テレビのドキュメンタリー番組の監修を手掛けたりする。彼女のチームはエコ系の特集を組むことも多く成り行きでロケ話を耳にはさむことが多々あるのだそうだ。



 ヨーロッパで消費の多いトマト加工品。その原材料となるトマトはほとんどが中国から来ている。そしてそのことを誰も知らない。何故なら商品のラベルにはイタリア産と明記されているから。
トマトは中国国内で加工され大型輸送でイタリアに運ばれる。そこで瓶詰め缶詰めされ
欧州各地に運ばれていくだ。
made in Italyと冠されて。



 うひょお!し、知らなかった!考えてもみて、イタリアだけで全欧州をまかなえる
トマトソースを生産出来るわけがない。トマトだけじゃあなくって、多くの冷凍食品、
保存食品は中国の野菜を使っている。



   『出来合いのケチャップやミートソース、トマトジュースは高級メーカーの
   ものでも同じ。私はフレッシュトマト、またはフレッシュジュース以外は
   使わないわ。』


 もしかして、日本の高級食材店で売っている輸入もののイタリア産トマト缶って
中身は中国産だったりする???


      

   
              ショック!大好きトマト缶

2013年7月18日木曜日

トマトの健康

 
 んでも、トマトって身体にもいいし(薬膳的には生津止渇、熱病による煩渇。
健胃消食。)トマト、トマト。いいんじゃない、って思っていたら患者さんから
思いがけない話を聞いた。


 自然療法の病院だから集まる患者さんはエコや自然食に関心の高い人が多い。
その方はご主人(やはりうちの患者)が農水省勤務の官僚で農業事情にもお詳しい。
この間ドクターに、ベジタリアンのあなたはたくさん豆腐などの大豆食品を摂るようにと言われ、、困ったことだとぼやいていた。
    

  『私は大豆を食べないの。大豆が身体に良いのはもちろん知っているわ。でも、
  現在ドイツで流通している大豆はどれも中国産の低品質なもの。遺伝子操作に
  山ほどの農薬(これはセットだ)。
  味噌に醤油、どれも信用できる有機農法農家のものでなければ口に入れたくない。』


 そうだ。言われてみればそうだよね。ドイツでも豆腐ブームは久しいがもともと
大豆食のお国柄じゃあないわけで大豆畑なんてたくさんない。安い製品は遠い国からってことになるよね。こういう話題は皆さんドクターには直接しない。漢方薬や食材料など、その安全性は全くもって?なのだが誰も口に出来ない空気だ。
ドクターはいつも中国のものは老舗の名店から仕入れているので
ブランドという意味では間違いないがその店が好き放題やっていたら
どうしようもない。


 そして彼女曰く、これと全く同じ状況にあるのがトマトだというのだ。


 トマトの運命やいかに?


        

                   う、運命?


2013年7月17日水曜日

トマトのその後



 トマトのくだりを夫に話すと夫は


  『お前の職業規約に「トマトを切る」というのは入っているのか?』



と責められた。責められたというよりはあきれられたと言った方が正確だが、より正確に
言うと彼はきっと四六時中一緒にいて身の回りの世話を私にやいてもらっているドクターにヤキモチをやいているだけのように見える。


 不思議なものだ夫婦というのは。うちは職場結婚で会社で会っているだけでは物足りなくてずっと一緒にいたいから結婚したのにいざ家庭を持つと主人は彼の同僚の女性たちに
取り巻かれ、私は朝から晩までドクターと一緒にいてあれこれ世話をやいてる。


 まあ、それはともかく彼曰く、


  『オレが職場の ○ ○ さん(直接の部下)たちにむかって「トマト切って
  ください」なんて言ったらひと騒動起こっちまうよ。公私混同だとか女性蔑視だ
  とか。』


ふむふむ、なるほどね。アットホームな家族同然の職場でこそのエピソードってことか。


 トマトって多くの人に愛されているお野菜でしょ。生食は苦手でもジュースやソース、
ケチャップとか食生活に沁み込んでいるし。これをはずしちゃあ食卓はずいぶん寂しいものになっちゃうよね。日本もヨーロッパも、そしてそれから中国もきっと。





         SMAPの「セロリ」は歌詞ごと「トマト」に変えても
         いいと思う。



2013年7月16日火曜日

トマト



       中国人はよくトマトを食す。これは意外だった。



 これまで都合、三人の中国人女性の料理を交互にほぼ毎日食べてきたが、二、三日に
一度はトマト料理を口にすることと相成っている。三人とも北部中国(ハルビン市)の
出身なので名物料理?(?北部だよ??)なのかもしれない。


 ぶつ切りにしてスープにぶちこむパターンが多い。卵は必須。このコンビネーションは
炒め物でもたびたび登場する。あっさり塩味。


 ある日のこと、朝一番に台所で患者さん用のお茶を淹れているところに、突然ドクターが切羽詰まった顔でやって来て、



    『吉岡さん、何か食べるものありませんか?』



と、のたまわった。先生はいつも奥様の朝食弁当をお持ちなのだが、今日は何かの
手違いか誤解があったにちがいない。



 だが残念ながら何も無い。ひととおりの材料なら揃っているからそれで何か簡単なものを作ってあげることは出来るのだけれど、それって「出過ぎた」行為かな?一瞬の逡巡が頭をよぎる。


 が、先生はざっと冷蔵庫の中身を見渡したあとおもむろにこういった。



       『吉岡さん、トマト切ってください。』




ああ、それはナイスアイディア。ぐずぐずしてると患者さんたちがなだれ込んで来るもんね。ドクターはその野獣の風貌に似つかわしく何でも生で齧る。大根でもセロリでも
塩もつけずにばりばりぼりぼり。



 でもね、私は日本人主婦なの。私のプライドにかけてそんなもの出せないの。んで、
とりあえず大ぶりのトマトを2個急いで洗って一口大に切り、中華風(和製中華だけど)
ドレッシングを素早く作って手早く和えお皿に盛って持って行ったの。



 やれやれと元の仕事に戻っていたら3分もしないうちにドクターがまたしても台所に
駈けてきて(もう、こっちの仕事の邪魔すんなよう!)吠えた!本当に吠えた。


     『美味い!吉岡さん!本当に美味かった!!もう一皿作ってください!』




 もう、吹き出しそうになっておかわりを作ってあげました。



 数日後、私が花の水やりにドクターのお部屋に入ると大きなボウルに山盛りのトマトが
置いてあるのを発見した。トマトを齧りながら文献を読んでいるんだな。トマト生食が
マイブームと化してしまったようだ。



 結局、私の特製ドレッシンングよりトマトの美味に感動しただけだと知り
ちょっと傷ついた。





        トマトと卵のスープ。キュウリの薄切りが浮かぶことも。


        


                トマトと卵の炒め物。



2013年7月15日月曜日

バヴァリアンラン オリンピック競技場マラソン大会


ちょうど一週間前になります。7月7日七夕の日曜日。マラソン大会に参加しました。
会場は1968年ミュンヒェンオリンピックの会場でもあった


          

オリンピック公園!どうだあ〜!



アイススケート場前特設広場

ミュンヒェンと言うと都心部マリエン広場から英国公園をめぐるミュンヒェンマラソンが
最も有名で大規模な大会なのですが愛国主義の長男がスポンサーに日本企業が無い(!)のを見て出場をしぶり始め(15歳だよお!泣けるじゃないか!)ネット検索の結果、
アシックスが協賛しているこのバヴァリアンランに急遽変更したのです。もちろん
我が家は(私以外)全員靴はアシックス。なぜか私一人アディダス。
規模は小さいですが上位3位まで賞金が出るとあって真剣な人たちもいっぱい。
参加者にアジア人は4人だけでした。つまり、吉岡家のメンバーのみ。すると • • • 




インタビューを受けてしまったあ〜!しかも生放送のラジオ番組で流されてしまった〜!
司会者が近づいて来るのに気づかなかった綾ちゃん。主人がいきなり後ずさったので
(ひどい!)何事かと振り返るといきなりマイクを差し出されチョー緊張。
おかげで支離滅裂な受け答えをしてしまった。

『どこからいらしたんですか?』

『に、日本です。』

『おお!日本から。それで、今日はどちらから来たんですか?』

『日本の南部です。福岡という都市です。』


ああ、ああ。あとから子供たちにばかにされまくり。でも長男も




名前を聞かれてタジタジでした。



まるきり運動音痴で運動嫌いの私。マラソンなんて大嫌い。2キロ以上走ったことも無いくせに申し込んじゃったのは運動不足の息子たちを奮起させるため。母はエライねえ。
その私が6キロメートルにトライ。何とか完走出来ました。が、上のお兄さん、最後まで
司会やってて私が199位(何名中かはきかないでね)でゴールするとき

『Ayako です!ニッポンのフクオカ出身の Ayako Yoshiokaが、今、ゴ〜ル!!』と
派手に名前を呼び立ててくれてそっちが赤面でした。


一応、数ヶ月前から週末を利用して走る稽古をしていたので意外に筋肉痛とかも無く
翌日(節々が痛いながらも)無事仕事出来たと思っていたら火曜日になって突然左足が
パンパンにふくれあがり(右足と比べて足首回りが2センチも太かった)ドクターに
治療してもらう羽目に陥ってしまいました。


同じ市内でもオリンピア公園は空気も良く晴れ渡ってとても気持ちよかった。
もしかしたらやみつきになって来年もまたトライするかも、です。



2013年7月14日日曜日

ドクターの負傷  ⑬



   たった2回の治療でターニングポイントを超えたと言う奇跡の人。



 水曜日以降ははた目にもわかる劇的な回復ぶり。もちろん水曜と木曜はなんとか時間を見つけてドクターの治療を行いました。


私   『本当に良かったですねえ。こんなに早く良くなられて。』


ドクター『いやあ、私は昔、整形外科で働いていたからこの方面は得意中の得意なん
    だけどね、でも、自分で身を以て実感したのは初めてなんです。山頂で
    足をやられた時にはあまりにも痛みがすごくてさすがにこれはマズい、
    救急外来で手術される羽目に陥るんじゃないかと心配していたんですけどね。
    大事に至らなくて良かった。』

私   『そうですよ。先生は名医でいらっしゃるんですからご自分でご自分の
    患者になるチャンスが出来て良い経験をなさったわけですね。』



 翌金曜日はものすごく忙しくてドクターの治療をするヒマなど無かった。
「あの〜!大丈夫なんですか?」という私のかすかな憂慮もかこだまと化して
ただただ忙しいいつもの日々を過ごす。


 お昼休みになってから『少しでも治療しましょうか〜?』と先生のお部屋を
ノックする。


ドクター『ありがとう、でももうすっかり良くなりました。もう治療の必要は無いと
    思います。』


 
 いやあ、激動の一週間だったよ。先生、これからもご無理なさらずお大事に。


          

ツークシュピッツェ山

2013年7月11日木曜日

ドクターの負傷  ⑫



      二度あることは三度ある、かな?



 果たして今日のドクターの運命やいかに??心配な私は例によって早めに出勤。
準備万端に整えておいて何が起こっても良いようにスタンバイ。すると、朝一番の
患者がやってきました。それはやっぱりドクター。おお、けれど昨日とは明らかに
違いがある。なんと今日は一人で壁に両手をつきながらびっこを引き引き移動している。
思わず駆け寄って肩を貸しながら(車椅子もどきのことは忘却してしまった)、


    『お一人でいらしたんですか?』


と尋ねると、


    『昨日ね、あんまり調子が良かったから、夜、一人で車で帰ったんだ。
    もう大丈夫。』



 無謀にもほどがある。私は運転をしないからわからんが自動車ってアクセルとブレーキ
があるんだから両足使う訳でしょ。なんかあったらどうするんだ。



 すぐに今日の治療を開始した。同じことの繰り返しだがまだ痛みが残っていると言う
部分を重点的に施術した。



           •   •   •   •   •



 私はここで働き始めるまでは周囲に親しい中国人の友人を持たなかった。だから中国人はこうだ、と一概に言える訳ではないが、何と言うか彼らは私たちと比べて明らかに
(様々な意味で)野生に近い。感性とかものの考え方とか暮らしぶりとか。
で、身体の頑丈さという点もものすごくって、今回の異常とも言える回復ぶりは、ひとつ、ドクター自身の名医ぶりが大きな要因を占めているということと、元々の人間の
強靭さがそもそも格段に違うということが大いに言えると思う。


(つづく)


          


         スーパーマンも野生人には勝てないんじゃないか?


 

2013年7月10日水曜日

ドクターの負傷  ⑪



私   『いかがですか、足のお具合は?』


ドクター『残念ながら良くなくってね。どうも少し腫れてきたようだ。』



 ほうらね。治療のあと無茶するから。まあ、今はあんまり時間もないからまずは
今日の手当を始めましょう。と、いうことでほぼ昨日と同じ流れ。ぎゅうぎゅう指圧して
私が(!)鍼を刺してそのあとダブルのお灸。今日は先生、私のために赤ボールペン
(おいおい!)で鍼を刺す場所にマーキングしてきてくれた。でも嫌なものは嫌なん
だけどね。お灸を始めたところで9時の患者さんがやって来たのでドクターの処置は
従姉妹さんに代わってもらって私は患者さんのケア。それが済むと車椅子もどきを
押してドクターのアシスト。


 ふええ。瞬く間に時は過ぎて一日の労働時間は終わった。


 私は火曜日は歯医者の予約があってすぐに出なきゃいけない。奥様は朝、一旦、ご自宅に引き上げちゃったし従姉妹さんは帰国が近いとあってお土産を買いに出かけた。どっちにしても彼女はドイツ語全然出来ないから戦力にならないんだけど、でも先生の介抱くらいは出来るはずだったのに。いいのかなあ、あんな状態の先生を一人残して私が帰っちゃって。


    『大丈夫、大丈夫。治療してもらったらすごく良くなったから。』


 う〜ん、昨日も同じこと言ってたぞ。で、あんまり気になったので歯医者の帰りに
(っていうか歯医者はお向かい。お医者さんばかりのビルだからね。何かと便利。)
病院に寄ってみた。ドアを開けると奥様がのんきにごはん(お昼ごはん?夜ごはん?)を
食べてる最中だった。


奥様  『あら、吉岡さん、どうしたの?』


私   『先生が心配で戻ってきちゃったんです。大丈夫ですか?お一人で?』


奥様  『なんか、治療のあとすごく良くなったって言って一人で大丈夫って
    はりきって働いてるわよ。』


 ほほう。それにしても二度目の治療で回復というのも早すぎる気がするが。とにかく
先生を心配しているのは私一人だということが判明してなんだかどっちらけてしまった。
そしてすぐ大人しく家に帰りました。


(つづく)


          

洪水あとの我が家周辺は裏の草地が一時沼と化して
結果、蚊が大量発生しています。
今年の夏は日本よりもひどく蚊に刺されまくっている私です。



ドクターの負傷  ⑩



         さて翌日。



 最初の患者さんは9時。ということは私は8時に出勤すればいい。まあ、ドクターの
治療もあるから少し忙しくなるかもしれないけどね。大丈夫でしょう。



 それでも時間に余裕を持って7時40分くらいに病院に着いた。私は起き抜けでは
食欲が無いので病院で朝食をいただくことにしている。これはもちろん勤務時間に
入れられないので少し早めに行くのだ。朝食抜きは辛いからね。っと受付にまず寄って
私が昨日帰宅したあとスケジュールに変更が出ていないかチェックする。これがあると
結構きついんだ。みんなのんびりしていてよっぽどのことが無い限り電話なんて
滅多なことではしてくれないし。あれあれ?ぎゃぎゃ!!8時から「ドクター治療」
となっている。うひゃあ!大変だあ!



 朝食どころではなくなりばたばた用意をしていたらやってきました本日の第一号。
つまりドクターその人ね。ほれほれ、やっぱりダメじゃない。昨日と全く同じように
奥様に抱えられてご出勤でした。


(つづく)


            


          私の朝食はいつもコーヒーとクロワッサン
        



2013年7月9日火曜日

ドクターの負傷  ⑨



 私が患者さんの指圧を終えて先生の治療室にあたふた戻ってみるとそこはもぬけの殻。



 もう、また勝手なことしてえってドクターのお姿を探すとご自分のお部屋に(例の
車椅子もどきを使って)自力で戻って(ということは鍼を抜いたり着替えたり靴を
履いたりもしたんだな。ああ、治療室が戦場のように散乱していた訳だ。)患者さんの
カルテを検討してらした。先生は私の顔を見ると、


   『いやあ、吉岡さん。さっきはどうもありがとう。お陰でずいぶん良く
   なりました。もう大丈夫です。煎じ薬も出来上がって飲んでいるしね。』


とのたまわった。



 ばかあ!そんな訳無いでしょう!確かに一通りの施術を受ければ患部と身体全体が
ふわっと軽くなった感じがする。でも歳も歳なんだからたった一回の治療で全快は普通
あり得ない!これだからお調子者はあ!!


 車椅子もどきで患者さんの元へ行こうとする。慌てて車椅子を押してアシスト。



     『こんにちは。 ○ ○ さん。いかがですか?調子は?』


 って、お〜ま〜え〜の〜調子はどうなんだあ!!と突っ込みたくなる私。
出来るだけ患者さんにこちらの窮状を悟られないように(って無理だけど)
一生懸命先回りして先生の手の届く範囲に必要なものを次々に並べていく。患者さんの
問診が終わると鍼の施術が始まる。鍼を打つ場所まで先生をがらがら押していき消毒は
私が行う。鍼を渡していく。


 こうしてみると、ここに勤め出して1年とちょっと。前もって示し合わせている訳でもないんだけど先生の次の動きとかかなり解るようになっているなあ。
先生に不自由な思いや身体的に辛い思いをさせないようにと頑張りました。

(つづく)


       

 
            テルツ少年合唱団日本公演のお知らせ



2013年7月7日日曜日

ドクターの負傷  ⑧




        そしてお灸。


 棒灸をダブルにして患部にあてる。ドクターからは突き刺した鍼をぐるぐる回して
刺激を与えるようにとの指示。鍼を打つだけではなく、打ったあとそこに刺激を与える事で効果を高めるやり方で、他にも電気刺激を加えたりとか鍼のてっぺんにもぐさを
待針(まちばり)大に冠して火をつけたりとか色々な方法がある。


 暖めるというのはたいていの痛みに有効だ。お灸は今回のようなケースでは特に
有効だし患者さんにとって気持ちのよいものでもある。だけど鍼を回すってのは場所に
よっては結構な苦痛だ。私も自分が病気をしたときドクターにこれをやられてまいった。


 左手に棒灸を持ち右手で順番に鍼を回していく。これはかなりの痛みらしくドクターの
顔がゆがみ足はびくびく震えている。


   『あの、大丈夫ですか?ちょっと一度にやりすぎなんじゃないでしょうか?』


私はつい何度も尋ねてしまった。いくらタフなご仁とはいえちょっとハードすぎるんじゃないかな。ドクターは大丈夫、大丈夫っておっしゃったけどやっぱり鍼を回す回数は
少しずつ減らしてお灸をメインに変えていった。今は損傷箇所をゆっくり休ませてあげた方がいい。うん、今度はぐーすかいびきをかきはじめた。そうそう。まずはゆっくりお休みになるのが先決。


    そうこうするうちに10時になって患者さんがやって来た。


 よし、この患者さんなら良く知ってるから最初の30分は私が施術出来る。あと30分
ゆっくりお休み下さいと言いおいて私は患者さんの元へと向かった。


(つづく)


        

こんな感じで電気刺激を与える。

2013年7月6日土曜日

ドクターの負傷  ⑦



                 あれ?入らない!


 初めて鍼を突き刺そうとする私。抜くのは毎日イヤと言うほどやっているのに。
鍼がとても細くてしなやかなのは良く解っているつもりだけどこんなに最初の
ひと突きが難しいとは知らなかった。衛生上あんまり先っぽの方を掴む訳にも行かない。
ある程度真ん中もとを持って勢いよくえいや、と突き刺す。入った!


 んで、どの程度入れたらいいんでしょうね。え?もっと入れるの?入れられるだけえ?
この鍼、大きいサイズですよ。ひゃああ!
ずぶずぶ筋肉に突き刺す。お次はくるぶし。ぎゃあ、骨に突き刺さったあ。


 そんなこんなで10本くらいは打ったかな。感想はって言うと「もういやだあ」の
一言。私は鍼師にはなれないな。ベジタリアンの私はお肉をまな板の上で切ったりするのも嫌い。なんだかちょっとその時の気分に似ている。


(つづく)

       



2013年7月5日金曜日

ドクターの負傷  ⑥



 もちろん私はこれまでの人生で一度たりとも鍼などというものを自分で打った事など
無い。昔、中国によく出張で行っていたと言うドイツ人の患者さん(70歳くらいの方、
元シーメンスの技術者)がおっしゃるには中国に行くと朝早く太極拳をやっている
お年寄りたちが公園のベンチなどで一汗かいたあと互いに鍼を打ち合っているという
風景にしょっちゅう出くわしたという。彼は「非衛生的だ!(そこか?)」と非難して
いたが、まあ、とにかくそれほど鍼と言うのは中国ではポピュラーなものだ(または
ものだったのだ)ろう。現代中国ではとにかく西洋医療ばかりが幅を利かせているようにも聞くけれどね。



 指圧とお灸なら毎日やっている。でも、どっちもアバウトな場所感覚なんだもの。
親指とかで触れる面積と鍼一本がちくりと刺す一点は、ああ、砂の中に隠れた真珠を
手探りで探すようなものお〜!ホントに、本当に勘弁してくださ〜い!!



       『ここ、ここ、ここにね』


って指差して頼まれてこっちも真剣勝負でドクターの指差した先を見る。
よっしゃああ!ぶすっ!



      生まれて初めて鍼を刺したその相手はなんとプロ中のプロ。


            ひゃああああ。


(つづく)

       

僕参(ぼくしん)というツボでした。

2013年7月4日木曜日

ドクターの負傷  ⑤



    さて朝食休憩をはさんでお次は鍼のお時間。



 実はうちのドクター、整形外科系は得意中の得意。ドイツで医学部の学生だった頃
自然治療家の資格を取って鍼師として整形外科クリニックで働いてらした。
一日に50人から80人(ええ〜?)ほどの患者さんに鍼を打っていたらしい。
西洋医の上司から患者さんのカルテを回されたらオートマチックに鍼を打っていく、
という「鍼打ちマシーン」と化していたという。


 まあ、いずれにせよドクターの腕に異論の余地はないんだけど。問題は治療の部位で
足のくるぶしのところなのでドクターのメタボなお腹ではなかなか届かない。ハアハア言いながらなんとか命中させようとしている。ふくらはぎのあたりは問題ないんだけど
足の先っぽの方は上手くいかない。つまり、足を曲げられない状態にあるって事みたい?


   『フラウ ヨシオカ。この鍼をあそことあそこに打ってくれ!』



 ひゃああ〜!ダンナあ!おねげえだあ!そいつだけは何とかご勘弁くだせえ!!



         

いや、全部はアタマに入ってないって!

2013年7月3日水曜日

ドクターの負傷  ④


       さて指圧のお時間。


 とはいってもあまりツボや経絡とは関係ない。こういう時にはずばり損傷箇所を
刺激する。無理の無い範囲で。
これが普通の患者さんだったらかなり注意してそろりそろりとやるんだけどドクターは
思いっきりやれとの御注文だ。めちゃくちゃに痛いらしく顔をしかめ足も痛さにびくびく
震えている。本当にいいのかなあ、こんな乱暴なやり方で。


 昨日も痛みであまり眠れなかったらしく、私が(やっぱりやり過ぎじゃないかと
思って)周囲をさすったりなでたりしてる間に気持ちよくなったらしくすうすう
眠り始めた。
私は私で、最初にドアのところで見たドクターの姿(奥様に抱えられてるやつ)が
あまりに衝撃的でものすごく動揺してしまってなんだか涙があふれてきてしまった。
一生懸命こらえて悟られないよう、こっそりキッチンペーパーで目元を拭った。


 もうちょっと、もうちょっと、と指圧を続けていると
「朝ご飯にしましょう。」(は?)と声がかかった。お料理上手の先生の従姉妹さんが
台所で朝食のご用意をなさってくださったのだ。


(つづく)

          

この日は中華風すいとんが朝食メニューでした。
麺とかおかゆとか汁物の朝ご飯が多いみたいです。

2013年7月2日火曜日

ドクターの負傷  ③



 先生、自分で自分用の漢方薬の処方を書き終え、じゃ、治療室へって部屋を移動しようとしたが一人じゃ動けない。奥様はって、あれ、いないぞ。トイレか?ええ!?
私がドクターを抱えるの?



 『フラウ ヨシオカ〜?』って肩を貸せと迫って来るドクター。おい、ちょっと待て!
テキはどう軽く見積もっても80キロはあるんじゃないか?おいおい、私の方がつぶれ
ちゃうよ。(後に夫はこの時の私の状況はセクハラにあたると言って憤慨していた。学校勤務だからね、うちの主人は。こういうシチュエーションに厳しいんだ。私自身は
一瞬たりともそういう風には解釈してなかったけどね。ありがとよ。そういう心配を
こんな歳になってもしてくれるとは嬉しい限りです。)


      
      『ドクター、車椅子をお持ちします。』


私はすばやくドクターの机からコロ付きの事務椅子を転がしてきた。我ながらナイス
アイディア。これは良かった。先生もこれはいたく気に入ったらしく、後の数日間、
これに乗りっぱなしで仕事をこなしていったものだ。


(つづく)

          

こんなやつ