とりあえず四門出遊の話から入る。仏教入門編ね。
『ブッダがまだ小国のプリンスだった頃、東西南北の四つの門から
外出します。そこでそれぞれの門の外には老人、病人、死人、修行者に
出会い生老病死という人間の根源的な悩みに向き合うのです。』
『ずずいとすっとばします(!)がのちに悟りを開いたお釈迦様は
これらの問題を「常に移り変わるダイナミズムである(=無常の訳の
つもり)人生の必然的に向かいあうべき課題」と捉えます。
生あるものは必ず死ぬ、というのはこの最も典型的な例ですね。
その上で人生を様々な苦を背負いながらこの世は無常だという真実から
目をそらさずに歩いて行けるだろうか、そのために四つのアクセプト
(四諦の訳のつもり)があると考えました。』
『今、私はアクセプトと訳しましたが実はこの言葉は日本語では
「諦める」という漢字を使います。この言葉を専門家がどう訳して
いるかわからないですが私の言葉で言えば真実に目覚めた者が
たどり着く高い次元での理解、受容、そして世俗的な悲しみから
心を引き離す唯一無二の心のあり方、と言えばいいでしょうか。』
おっと、マッサージの30分のリミットはもうそこまで来てるよ。
綾ちゃんのナンチャッテ解説だけどハンナさんの心はもう疲れ果てて
ぼろぼろなのでものすごく感受性がナイーブになっている。
ふと気がつくと涙が止まらない様子だ。
四諦(たい)とは四諦八正道の四諦だが日本人である我々は
この漢字が当たり前なのでそれほど違和感がないけれど、ドイツ人の
彼女の心には「アクセプト=諦めの心である」であるという綾ちゃんの
説明が強烈なショックであったようだ。
そうか。綾ちゃん、刺激的に過ぎることを
言ってしまったみたい。どうしよう。
ぱっと歌詞が耳に入ってこないからか?)こんな風に
「べったりすっかり諦めてしまっている」諦念だけを
歌い尽くした曲ってあるのかな?ユーミンの「海を見ていた
午後」は曲も歌詞も編曲もすべて諦めきっている内容で
切なく悲しいです。すごく日本的な感情だって気がします。
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