こんな風にして綾ちゃんは日々病院内で出会う人々に
教えられること大なんだけど、今更ながらに思っちゃうな。
病気という試練に応える人々の神々しさというのか、
軽々しく語っちゃいけないのはわかっているつもりなんだけれど。
振り払うことのできない病魔に向き合う姿がそのまま人生を語っているなあって。
以前、尋牛(または十牛図)の話題を出したことがあったよね。身近な真実が見えなくて
探して探して力で押さえつけてなんとか手なづけて連れ帰る。そしたら
いつしかその存在さえ消えてしまって調和に至る。そして今度はその真理を
他人に語れる存在となる、という、まあ、ざっくり言い過ぎかな?
こういう禅のプロセスとか、、
西洋の心理学で言うとショック、絶望(悲しみ)、怒り、諦めそして
受け入れという諦めがたいものを受け入れるまでの経過というのは
通じるところがあると思うな。
リーダーシュタインへの道はやっとで山道っぽくなった、
と、思ったら、、、
あれれ?これはまた、イエス様の受難の図?なんでここに?
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