2016年10月28日金曜日

対等であるべき国際結婚?




       何年前だったか、ドイツニュースダイジェストに国際結婚論?の
      特集みたいな記事が載ってて、そこに特に国際結婚の場合は互いが
      フィフティ・フィフティであるために互いの言語をそれぞれが習得
      しなければならない、と書いてあるのを読んで目からウロコだと
      思ったのを覚えている。
      改めて考えてみれば、当たり前すぎるほど当たり前のことなんだけど。
      


       嫁(または嫁ぐ)という字は女が家に入ることからきていることでも
      わかるように一般に女性は男性と比べて環境の変化に柔軟に対応出来る。
      とにかくそういう仕組みになっているらしい。だから国際結婚は圧倒的に
      女性が異国に嫁ぐケースが多くなり従って言語的にも女性が男性の国の
      言語を習得する必要に迫られる。ま、個人的には日本語ぺらぺらの
      ドイツ人パパ友も結構いるけどね。


       でも確かに、日本に何の興味も持たないドイツ人夫は一般的に問題アリ
      だな。普通は相手のことが好きになったら必然的に相手のバック
      グラウンドにも興味が湧いてくるはずだからね。



       女性のドイツ語が拙いからといって夫がイライラするのは間違っている。
      だったらそっちがアタシの言葉で喋ってよ、というべきなんだな、本当は。



       そういうことって、でも、もっと早くから気付いておくべきことだね。
      でもなあ、結婚前とか、恋愛で燃えてる最中には思いもよらないん
      だよなあ、これが。




ご存知「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない」の主題歌。
綾ちゃんはこれを見てラストシーンで号泣しているところに息子がやってきて
僕も見たいというのでもう一度最初から見て2回目もまた号泣してしまった。



でも綾ちゃん夫は全然だったって。うちはとっても仲良しでよく判りあってる
夫婦だと思うんだけどこういう感性はまるきり違う。息子の方が感性が合うらしい。
多分夫婦って違ってた方がいいのかも?





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