2013年1月31日木曜日

シャボン玉 飛んだ ⑬



   私のその無謀で傍若無人な発言でわずかに心動かされたらしく
  ドクターは少しだけ正気を取り戻し患者の元へ行った。
  頑張っていつものように仕事をした。



 私はあれだけ偉そうなことを言ったのに、もちろん自分に出来ることは
先生の100分の1以下だった。でもとにかく私もベストを尽くした。
出来るだけ先生を表に出さないようにつとめて前に出て患者さんと
コンタクトをとった。さりげなくでも大胆に患者さんをさばいていった。
幸運にも午前中の患者さんで薬の処方が必要な方はいらっしゃらない。



 やっとで昼休み。2時間空いている。次の患者さんを私が先に指圧や
お灸をすえればさらに30分以上引き延ばせる。



 さあ、いよいよ私の出番。


    『はい、先生、今日という今日は許してあげません。
    昼食が済んだら私が治療して差し上げます。
    洋服を脱いで(!)診察台で待っていてください。』




(つづく) 

2013年1月30日水曜日

シャボン玉 飛んだ ⑫






     そのあとの日々が大変だった。




     ドクターは使い物なならなくなった。




 ハルさんがお亡くなりになって三日目まではなんとかなった。
励まし合って頑張って仕事をして来た。でもドクターは夜もほとんど眠って
いらっしゃらないようだった。そしてその時期うちの病院は悲劇的なほど
連日予約で満杯だった。


 その日、ドクターは遅刻した。15分ほどだったが挨拶も無くものすごい
形相で受付に座った。

私 『先生、おはようございます。おかげんいかがですか?』
先生『夜中にハルさんがやって来たんだ。ずっと二人で話していたよ。』


そして台所に行ってぼんやり座っている。万事休すだ。もちろん私は
こんな風に自分を失っているドクターを目にするのは初めてのことだ。



 私は断然やる気になって来た。(どういう性格だ?)
よおし、こうなったら今日は私がこの病院を仕切ってやる!
私はドクターに向かって高らかに宣言した。


   『先生、少しゆっくりお休みください。今日は私が先生の
   治療をいたします。先生は今日は鍼だけ打ってくだされば
   いいことにしましょう。(何威張ってんだ!?)
   お薬は出しません。(え〜?)あとは私がやります。』




 三ヶ月目の新米アシスタントが一体何言ってるんだろう?



(つづく)

2013年1月29日火曜日

そこで語るな!愛の言葉を!

      


       『本気なんです!愛しているんです!彼のことを!
       彼にご家族がいるのは知っています。でも押さえられないの!
       どうか彼に伝えて、私がどんなにドクターのことを想っているかを。』



 なぜだ!なぜだ!なぜなんだ!そんなに想っているのなら直接言え!!!
なぜその「愛の言葉」を「私」に伝える???あいつなら今そこで昼寝の真っ最中だ。
写真がないのでお伝えできないのが残念だがうちのドクターはメタボでワイルドな
熊男だぞ。なぜ、わざわざ毎日のように昼休みを狙って電話をかけて来て、
「私」相手に愛を語るんだ??



 まあ、気持ちはわからないでもないよ。ジェレミーさん(仮名)の壮絶人生を聞いて
同情しない人なんていないし • • • 。30年前にご主人と二人の息子さんを交通事故で一気に亡くしてから、独り身でただただ身を粉にして救急病棟の看護婦として働いて来た。心身症で精神安定剤を服用するうち薬物中毒になってしまったお気の毒な人生。
60歳を過ぎた今も週に二日の24時間勤務をこなし夜勤ばかりの毎日。若い子が
用事があると全部夜勤を引き受けちゃうからめちゃくちゃな働き方をしている。
だってお家に帰っても誰も待つ人がいないんだもの。30年もそんな日々を過ごして来たんだ。苦しいと勤務先のドクターたちはどんどん精神安定剤を処方してくれるらしい。
薬の中毒作用、依存作用は並大抵ではない。



 そしてとうとう、薬剤を止める決心をしてうちの病院を訪ねて来た。



 私たちは一生懸命やっているが、もちろん30年間の歴史をひっくり返すのは
並大抵の努力ではかなわない。が、一種の初期作用とでもいうのだろうか、これまでの
ところはかなり上手くいっている。長期戦は(こちら側は)覚悟の上だ。つまり、彼女の
予算がどこまで持つかという問題も程なく出てくるだろう。



 彼女は今、きっと初めて「救われた」と感じているのだ。これまでの寂しさを
全てうちの先生の笑顔の中にに投影させている。彼が人生の全てを埋め合わせて
くれていると感じているのだと思う。



 いやあ、改めて、医者のカリスマ度ってすごいもんだなあと感じる。ジェレミーさんに
限らず、うちの先生何人かの女性の患者さんにモテモテだもんね。(大抵おばあさん
だけど、中には先生と同い年くらいの人もいる)弱っている時に手を差し伸べてもらえるとそれだけで心がぐらりとしちゃうんだ。




 ジェレミーさんはうちにくると、まず、先生をハグしてほっぺにキスする。
プレゼントもしょっちゅう持ってくるけど熱い胸の内を直接語るのは恥ずかしいと感じているらしい。
それで私のところになぜかお鉢が回って来て、私が彼女の想いを聞く役になっている。



 ここだけの話だけれど、うちの先生はジェレミーさんのケースについてはかなり
ペシミステイックな観測をしている。30年以上にわたる薬物中毒の歴史、
彼女の精神状態、現在の勤務状況、将来への展望、財政状況、どれも明るい要素が
ないからだ。そして彼女の身体はもうぼろぼろだ。



 今、彼女は若い小娘のように「恋」をしている。この感情は果たしてプラスの要素なんだろうか?道ならぬ恋に60過ぎて目覚めて、それを先生の近くにいる私に打ち明ける。



 とりあえず私は信じたいなあ。素敵なときめく心の果たす作用を。
女性ってこんな風にときめいてもいいんだよって本当はこっそり教えてあげたいなあ。



 同じ女性としてね。




       

2013年1月28日月曜日

シャボン玉 飛んだ ⑪




    ヴァイスさんは毎週火曜日と木曜日の早朝やってくる。
   出勤前で7時過ぎにはいらっしゃるので私も早起きだ。
   警察官の彼はものすごく時間に正確で約束の時間15分前には
   必ずいらっしゃる。そしていつもなら私とヴァイスさんの準備が
   整った頃ドクターがやってくる。
   けれどその日はちがっていた。6月も終わりに近い木曜日のことだった。




    『今朝3時のことだった。私は6時に彼に会って来たよ。
    私のドイツにおける一番の友人が今日、亡くなった。』




 先生が今日はずいぶん早くやって来てそうおっしゃった。とうとう
この日が来てしまった。ハルさんがお亡くなりになったのだ。
ショックを隠せない私に向かって「とにかく仕事をやりなさい」と
手振りでおっしゃるのでとりあえず黙々と仕事をした。
頭の中でお悔やみの言葉やなんて言って先生に
励ましの言葉を言えばいいのかドイツ語がぐるぐる回る。



 先生はと言うとなんと一生懸命診療室の家具を動かし始めて部屋の模様替えを(!)
し始めた。こんな時になんだが、戦闘前の熊(実際に見たことないが)みたいだ。
こういうやり方で心の動揺や苛立ちを沈めようとしているのだろうか?
場合が場合なので(私は自分の仕事が忙しいということもあり)私はどういう
リアクションをとったらいいのかさっぱりわからない。


 ドイツ人の人はとりあえず手を握りあったりハグしたりする(実際このあとうちに訪れた患者さんたちは皆そのようにしていた)が私はどうもその手のボデイーコンタクトが
苦手でとてもそんなことは出来ない。


 
 ヴァイスさんがお帰りになられたあと私はやっとのことでいくつかのお悔やみの言葉を
口にした。どれもありきたりな常套句で、それを口にしたとたん、心の中にある「想い」がぽろぽろ壊れて崩れ去っていくようだった。パチンとはじけて。ああ、人の想いを伝えるというのはどうしていつもこんなに難しいんだろう。



 そう、シャボン玉がはじけるように。





(つづく)







  



 

2013年1月26日土曜日

シャボン玉 飛んだ ⑩




   病院で寝たきりのハルさんに何かプレゼントしたかった。




 彼はもう起き上がることも出来ないし食べ物ものどを通らない。



 これは別件だが一昨年の原発事故騒ぎで私は白血病に興味を持ってずいぶん色々と
本を読んだ。今、日本人としていつ身近に放射線障害の相談が来るか分からないから
少し詳しく知っておきたいと思ったのだ。今もなおドイツの人たちは大変興味を持って
福島および日本国土のなりゆきを見守っている。詳しい状況を毎日のように患者さんたちに説明している。(日本の人たち、わかってくれているかな?理性的な対応をしているかどうか、世界中が今もなお、日本に注目しているよ。)
そんなにわか勉強がおもいもかけずこんなところで役立つなんて皮肉なものだ。というか、どっちにしても役には立たない。もう、打てる手だてはほとんどないから。



       心癒されるような音楽はどうかなと思った。



 いくつか私のお気に入りの音楽の中から静かで心癒されるようなメロディーを
USBスティックに入れて先生に預けよう!



先生『残念だけどもう無理だ。意識のある時間もわずかになっているしそれでさえ
  気持ち的にとてもそんな感じじゃないんだ。ハルさんのために気を遣ってくれて
  ありがとう。』



 あと数日か。ハルさんの奥さんも看病疲れで病気らしい。
こんなときどうしたらいいんだっけ。みんなが疲れているからせめて仕事だけはミスをしないよう細心の注意を払う、そんなことくらいしか思いつけない自分が情けなかった。



(つづく) 


2013年1月24日木曜日

シャボン玉 飛んだ ⑨




 ハルさんが入院期間を終えリハビリ施設へ移ることになった。それは
回復を意味するのではなく死に場所を提供するためのものなのだと言うのが
ドクターの説明だった。


  『病院というところは自分のところで患者を死なせたくないものなんだ。
  だからババ抜きみたいに下級の施設に押し付けるのさ。』



 病院勤めの経験も長くていらっしゃる先生のお言葉は重い。そのリハビリ施設にも
毎日のように通ってらっしゃる。私は夕方には帰宅するのでハルさんの元には行かない。
毎朝、先生にハルさんの容態を聞くのが日課になって来た。


  『とにかく治療方法が根本的に間違っている。あれじゃあ患者の体力を奪って
死期を早めているだけじゃあないか。』



 先生、怒ってるなあ。
昼間は毎日たくさんの患者さんであっぷあっぷの時間を過ごしているし、
日々の治療を終えると準備してハルさんの元へ向かう。



 私たちもいっぱいいっぱいだ。



(つづく)

2013年1月23日水曜日

お別れ






      出会いがあれば別れがある。さよならだけが人生だ。




 『今までありがとう。私のウサギさん。前回お話しした通り、今日で一旦、
 治療を打ち切ります。あなたには本当に親切にしてもらいました。
 また期間をおいて伺わせてもらうことになると思います。これ、少ないですけど
 取っておいてください。』
そう言われてビルさん(仮名)から封筒をいただいた。

 ああ、ああ、ただただ無力感。なぜだか私のことをいつも「ウサギさん」と
呼んでくれた彼は三ヶ月にわたる治療の後ここを去っていく。
多発性神経障害を煩う彼はうちの治療で結局さしたる成果を収めることが出来なかった。
両足ともにほとんど感覚が麻痺していて杖を使いながらゆっくり歩いていらっしゃる。


 治療を開始した時には鍼を打っても痛くも痒くもない。指圧のときに足の裏をどんどん
たたいても何も感じないとおっしゃっていた。両足ともに血流が悪くおそろしく冷たい。一ヶ月後、力を込めて足裏をたたいていたら『わかるよ、わかるよ、足の裏をたたいているね。』とおしゃってくださった。ものすごく嬉しい。こんな風に誰かと喜びを共有できるなんて私ってなんという幸せ者だろうとしみじみ感じ入ったものだ。
今日は足に触れたとたん『ああ、私のウサギさん、こんなに暖かい手をしてらしたん
だねえ。』と言われて涙が出そうになった。



      でも時間切れだ。


 うちの治療費は高い。よそのプライベート医院に比べればずいぶん安く設定してあるが
それでも通い続けるとなると日本円で数十万円は覚悟しておかなければならない。


 彼は最初から予算を設定していた。収入の当てのない年金生活者だから。



 こんな風にきちんとお別れをしてくださる患者さんはむしろ少数派だ。
成果がでない時は嫌な辞め方をなさる方もいらっしゃる。
私は会計を担当していないけれど、そちらでもめてるケースも多々あるらしい。
(誰ともめてるかなんとなくわかる。そういうものだ。)



 そして患者さんはいつか私たちという通過点をくぐり抜けていく。



 あと私たちに出来ることはただ祈ること。どうか、どうか、良くなりますように。



    どうか、どうか、少しでもその重荷が取り除かれますように。



         どうか、どうか、どうか、、、。




2013年1月22日火曜日

シャボン玉 飛んだ ⑧




    『先生!お誕生日おめでとうございます!』



 初夏の香り立つ6月、先生はお誕生日を迎えた。正確に言うと
今年のお誕生日は日曜だったから私がプレゼントを渡したのは翌日だ。
ず〜っと悩んで巻き寿司をお重にいっぱい詰めた。これが私からのプレゼント。
みんなで食べれるし、大げさすぎないし、それにお医者さんが相手じゃ何をあげるに
しても予算不足だし、心を込めたごはん、これでいこう!と思ったんだ。
先生は私が先生のお誕生日を知っていたことにまずびっくり。そしてとっても喜んで
くださった。お昼にコスタリカ島の彼女(彼女の話はいつか必ずします)と3人で
お祝いした。


      『昨日はご家族皆さんでお祝いなさったんでしょう?』



先生『いいや、実はほとんど忘れてたよ。ハルさんの具合があんまり悪いんで
  病院につきっきりだったからそんな気になれなかったんだ。』
私 『あの、ハルさんの病名ってやっぱりMS(多発性硬化症)だったんですか?』
先生『ふざけた話でね、おとついまでMSだと言ってたのに一夜明けたら白血病だと
  言うんだ。化学療法だよ。』



 白血病。化学療法。先生の憂鬱が一瞬にして私にも伝播した。それは頭の中で
閉店のシャッターがジーッと音を立てて閉まっていくような感覚だ。
これは私たち自然療法をやるものにとってほとんど最悪の状況だ。我々の立ち位置が海に
浮かぶ「島」ならば西洋医学という大陸からどれほど遠くに孤立した場所なんだろう、
私たちって。とおいとおい地球の裏側から手漕ぎのボートで大陸目指して近づくようなものだ。先生たちが今、ハルさんにほどこしている『治療』は。
それでも毎日のように病院に通っていた。お見舞いのためではなく出来うる限り我々の
ベストを尽くすために。





(つづく)

2013年1月20日日曜日

シャボン玉 飛んだ ⑦




  ハルさんの容態は突然悪化した。再入院で病名も数日不明だった。
こうなると「町医者」である我々に打てる手段は限られている。


 ハルさんは我々にとっては家族も同然の人だ。遅ればせながら私にもその感覚が
湧いていた。こういう感性って日本の人と中国の人って驚くほど似ている。私の周りに
いる人々は同じ中国でも「田舎の」範疇に入る人たちだから特にそうだ。

先生と奥様は二日に一度は夜、ハルさんの看護と「治療」をするために入院先の病院に通った。きっと嫌な目で見られたことだろうなあ。西洋医学のお医者さんは鍼を否定する人がたくさんいるからね。漢方薬もうちのプラクシスで煎じてから瓶につめて持って行った。



 だけど、実は一番の問題はハルさん自身だった。
彼はうちのドクターの恩人であり親友である人だけれど中国医学に対する理解を持ち合わせない人だった。だから普通の病院に入院してしまったのだ。それは結局のところ我々の
手の届かないところに行くということを意味している。



 我々も日々暖かみを増していく温度となじむように苛立ちの度数を増やしていった。





(つづく)



2013年1月18日金曜日

涙の重さ




      涙がぽろりと一粒。大切な宝石がこぼれていったように見えた。






      ドクターが鍼を打った瞬間、彼女の瞳からあふれ出たものだった。




 先生はそりゃあ慌てて、『申し訳ない!そんなに痛かった?』とおろおろしていた。



      『ごめんなさい。私、ずっと辛かったものだから。やっと治療してもらえて
      気が緩んじゃったんです。』



ヴァイスさんは今年始まって一番の患者さん。本来、彼女よりも警察官をしているご主人との方が我々との付き合いは長い。奥さんは去年の暮れに突然腹膜炎で手術した。
それで予後の治療に通ってらした。年末に具合が悪くなって普通のお医者さんにも行ったんだけど成果がなかったらしい。ずっと具合の悪い状態でうちのドクターのお帰りを今か今かと待ってらしたんだって。



 わかるよ。その気持ち。そう言えば去年の暮れ(正確には一昨年だ)うちの二男が具合を悪くしてここの病院に電話をかけたら冬休みを取ってるってテープが流れてショックだったのを思い出した。あの頃私はまだここで勤めることになるなんて思いもしないただの
患者さんのママだったんだ。
もちろんうちの子供たちにはかかりつけの小児科医がいる。とても立派な先生でその方のことも私はすごく尊敬している。(私は医者の選択にはとてもうるさい。)



 だけどうちのドクターの代わりはどこにもいない。


あらためてじんときたなあ。かけがえのない場所でかけがえのない瞬間を過ごしている。


 ヴァイスさんの涙に自分の姿を重ねて、そしてそれから日々病気で苦しむ色んな患者さんの姿を思い浮かべて、よし、頑張らなきゃ、と思いました。



      少しでも皆様のお役に立てるよう日々精進して参ります。
       今年もよろしくお願いいたします。



2013年1月15日火曜日

明けましておめでとうございます!





   明けましておめでとうございます!今年もよろしくお願いいたします。




 さて、うちの診療所もめでたく新年を迎えました。



 うちのドクターは相変わらず面白い人で、ドイツに帰って来たと思ったら
もう翌日から病院を開けてしまうので、わたしははらはらしておりましたが
患者さんの方が先生のペースについて行けないのか初日は午前中いきなり
ドタキャンが続き時間が空きました。


私 『先生、先生のお身体のためには良かったですよ。のんびりいきましょうよ。』
先生『そうだねえ。じゃ、昨日持って帰って来たお土産の整理を手伝ってくれますか?』



一体何が「お土産」なんだろうと思っていたらいっぱい漢方薬の材料が出て来た。トランク一杯だ。どうやって税関を通って来たんだろう?何とノーチェックだったらしい。
何でも、帰りに北京で一番大きな薬問屋さんに寄ってみたら良質の珍しい薬がたくさん
あったから、ついついいっぱい買い込んじゃったんだって。
 


         うあああ〜!!!


 新年からいきなりあられもない声を上げてしまった私。
それはイモリさんが「蒲焼き」状態できれいに腹を割かれ
3匹ずつ串刺しにされて乾燥したものだった。

 いやだああ〜!イモリさんたちと目が合っちゃったあ〜!
せんせ〜い!なんですかあ?これえ?




先生『ああ、これは喘息の特効薬だよ。でも粉にしてちょっとずつ使うんだ。』
ですって。


あのお、その「粉にする」って仕事、きっと私の仕事になるんですよね。
イモリさんたち恨みがましい目で私を見てる。


あ〜あ、初日からやれやれだ。
こんな調子で仕事始めです。うう、でも負けない!頑張るぞ!