ハルさんの容態は突然悪化した。再入院で病名も数日不明だった。
こうなると「町医者」である我々に打てる手段は限られている。
ハルさんは我々にとっては家族も同然の人だ。遅ればせながら私にもその感覚が
湧いていた。こういう感性って日本の人と中国の人って驚くほど似ている。私の周りに
いる人々は同じ中国でも「田舎の」範疇に入る人たちだから特にそうだ。
先生と奥様は二日に一度は夜、ハルさんの看護と「治療」をするために入院先の病院に通った。きっと嫌な目で見られたことだろうなあ。西洋医学のお医者さんは鍼を否定する人がたくさんいるからね。漢方薬もうちのプラクシスで煎じてから瓶につめて持って行った。
だけど、実は一番の問題はハルさん自身だった。
彼はうちのドクターの恩人であり親友である人だけれど中国医学に対する理解を持ち合わせない人だった。だから普通の病院に入院してしまったのだ。それは結局のところ我々の
手の届かないところに行くということを意味している。
我々も日々暖かみを増していく温度となじむように苛立ちの度数を増やしていった。
(つづく)
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