ハルさんは今から十数年前、弁護士を介して正式な遺言書を作成していた。
そのきっかけはうちのドクターだった。
もともとハルさんはドクターの中国のお父様の友人だ。医学部を卒業したてで
西洋医として癌クリニックで働いていた先生にドイツへ来るように勧めたのは
彼なのだ。
その年、中国では一般人もヴィザが下りれば比較的自由に海外へ行ける
ようになった。多くの中国人が国を棄てて海外移住しはじめた年だった。先生は
飛行機代も持たず、シベリア鉄道に乗ってカバンひとつでハルさんだけを頼りに
ドイツに来たのだ。ハルビンからミュンヒェンまで二週間かかったそうだ。
ドイツ語は一言も出来ない。食っていくために病院の食事運びのバイトをしながら
ドイツ語学校に通う生活からスタートしたのだ。五年後に奥様を呼んでからは
家族を養うという新たな責任も増えた。とにかく歯を食いしばってなんとか
医学部に入った頃、ハルさんはドクターを自宅に呼んでこうおっしゃった
のだそうだ。
『 良くここまで頑張った。これまでお前を見てきたけれど、
本当に感心するほど良くやっている。いつもお金の心配が
付きまとっているだろう。
まだまだ大学を卒業するまで長いけれど、心配するな。
俺はおまえを身一つで中国から呼んだ 、その最低限の責任は果たす。
俺が死んだら俺の土地と家はお前に譲る。
住む場所にだけは困らないように計らうからな。だから安心して
そのまま突き進め。』
その言葉がどれほど当時の先生を励ましたことか。
『家や土地をもらうという事実よりも所詮赤の他人である自分に
ここまで誠意を見せてくれたことが心に響きました。今でもあの時の
ハルさんの言葉の抑揚や表情を思い出す度に胸が熱くなります。』
先生はそうおっしゃった。
ハルさんは有言実行の人だ。
言葉通り彼はそのあと弁護士のところへ行き、ドクターを土地と家の相続人に、
籍を入れていない奥様をその他全ての財産の相続人とする旨遺言状を作成したのだった。(実はこのことを先生ご自身は最近までご存知なかった。)
ベルリンIFAにて
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