2013年10月8日火曜日

ハルさんの遺言と裁判    その7





               ハルさんが人事不詳に陥ったのはいつのことだっただろう。





  以前、ブログにも書いたが私はあの頃ハルさんをお見舞いしたくて
音楽でもお届けしようかと提案したら、もう、そんな状態ではないからと言われた。
その日のはっきりとした日付を思い出せない。でも、そう言われた翌日に
ハルさんがお亡くなりになった訳ではない。絶対にない。少なくとも三日、
おそらく一週間以上あったはずだ。あの頃毎日のように先生や奥様がハルさんの
衰弱の様子を語っておられた。ほとんど話すこともなく意識も朦朧とした状態が
続いていたと。

      


   彼は健康保険に加入していなかったため入院費用、治療の額は膨大で
あった。(それらの事情は後になって知らされる事となる。)
但し、例えそういった事情があるにせよ金銭のやり取りは彼と入院先の病院との間に
生じる問題だ。担当医と患者の間に起きる問題ではない。



          そして問題のその日、ハルさんの死の前日、彼はある書類に
           サインした(らしい)。


          


       その「遺言書」のコピーが今私の目の前にあった。


         





ベルリン名物アンペルマン
信号に写ってるヒトが活き活きしていて可愛い




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