ちょっと古いけど(映画化のおかげでそれほど恥ずかしがらずに
話題にできる)「ホットロード」の中で主人公の女の子が髪を脱色する
場面を思い出す。いわゆるネグレクトの家庭で子育てがわからない
不倫中の母子家庭の母親。女の子は学校でもおとなしくクラスで
目立たず埋もれていたのだけれど、いくつかの出逢いがあってある日
薬局でオキシドールを買ってくる。それを使って髪の色を変える。
それが「声明」で誰に何の説明も要らない。翌日から周囲の人々は
彼女に引きまくり。それが「合図」で外れもののグループに入れる証と
なり暴走族の「仲間」になる。
ドイツの人はこの場面を理解することができるだろうか?
綾ちゃんは「ホットロード」を初めて読んだ時、少女漫画なのに
吹き出しとセリフの少なさに驚愕したことをよく覚えています。
このペース配分が絶妙でフランス映画みたいな独特のリズムを持った
美しい秀作に仕上がったんだと思う。
日本の漫画の古典となったこの作品、当然海外にも翻訳されているん
だろうと思っていたがそうでもないらしい。ドイツの(西洋の)読者に
この間合いは伝わらないのか?
だけどやっぱりあり得ない。
今でこそカラーリングなんて誰でもやってるけれどそれでも日本の普通の
学校で認めているなんてことないでしょう。高校は義務教育じゃないから
処によりけりかもしれないけれど。
けれどこういう欲求は髪が皆黒髪の日本だから起こることで、もともと
皆髪の色が違う学校にいたら誰が毛染めしたってよくわかんないもんね。
ドイツだったら誰かが髪の毛の色変えてきたら、きゃー、◯◯ちゃん、
かわいーってノリになるか、とにかく美容院で髪型を変えたくらいの
盛り上がりにしかならない。髪を染めることが、まるで抜き身のナイフを
ギラギラさせながら学校に乗り込んできたような騒ぎになることの意味を
読み取るには文化の共通認識の差を埋めるしかないんじゃないか?
皆の容貌が似ている(髪や皮膚の色)状況かそもそもごちゃ混ぜの
社会かで育ってくる意識やアイデンティティーに差が出てくるんじゃ
ないかしら?
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