2016年4月8日金曜日

労働者の言葉と、、(綾ちゃんドイツ語講座)



綾ちゃん的私見によればズイーからドウーに移行した場合と
最初からドウーで始めた人間関係は明らかに質が違う。(後、本当は
ここにどんなに仲良くなってもズイーを通す人間関係を付け加えたいけど。)
前者はドウーの中に、以前の相手に敬意を表していた頃の気持ちを
丸ごと抱えた不思議な親しさがあって後者は本当にワイワイとした遠慮のない
友人関係だ。


でもこれはどちらかというと「お行儀の良い」ドイツの人間関係の中での話だとも
言える。我々外国人にとってとても危険なことは
何でもかんでも親称ドウーが良いように勘違いしてしまうことだ。


昨日のブログで英国文学云々という話をしたけれど、これはイギリスに限る
ことのようでアメリカ人は何が何でもファーストネームで呼び合うのが
通例のように見える。まあ、綾ちゃん、アメリカに足を踏み入れたことが
ないんだけどね。アメリカ帰りのドイツ人なんて(うちの患者さんで
何人かそういう人がいる)ちょっとどうしちゃったのっていうくらい
ノリが軽くなっちゃって、ヘーイ、ユー!、って誰にでも気楽にドウーを
使う。言うまでもなくドイツ語のドウーは英語のユーと語源が同じはずで
ズイーの気持ちには戻れないみたいだ。


このアメリカっぽいノリは実はドイツにおける外国人労働者のドイツ語に
通じるところがある。移民の国アメリカが言語淘汰の行き着いた先のように
しばしば思える綾ちゃんだけれど言ってみれば国民総移民の国なわけだから
さもありなん、という感じだね。



さて、いわゆる外国人労働者、ガストアルバイターと呼ばれる人たちは
(以前にも書いたけれども)基本的に机についてドイツ語を学んでる暇が
(そして気力もあまり)ないので聞きかじりのブロークンドイツ語を
話すことになる。すると彼らはほとんどズイーを学ぶことなしにあるレベルまで
到達してしまうのだ。


我々がアメリカンのノリのドイツ語に慣れてしまうと上記の状態と
混同されてしまう、そして蔑視の対象とされてしまう。



ドイツに長期住んでいる日本人で、一度も語学学校に通ったことがないという人を
綾ちゃんはたぶん一人も知らない。(もしいらっしゃいましたら乞う、ご連絡!)
それほど日本人はお行儀の良い民族なのだ。


だけど傍目には区別がつかない。







昨日、お庭の手入れをしながらパチリ。春の午後の風景。


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