2012年11月30日金曜日
お誕生日
今日は一年に一度のお誕生日。やっぱりお仕事。お誕生日。
今日は朝、先生が花束を抱えてやって来た。
『おめでとう!フラウ ヨシオカ!」
きゃあ、嬉しい。なんだか嬉し恥ずかし。そしたら今日一番の患者さん。
ドイツ警察官の彼がまたもやプレゼントを抱えてやって来てくれた。
パソコンを開けたら福岡の姉からメールが入ってて大学時代の友人からも
お祝いメールが届いてた。
ドイツでは誕生日の当人がバースデイケーキを持ってくるならわしだ。
昨日、必死で夜なべして(!?)紅茶のシフォンケーキを作った。先生も奥様も
甘いもの苦手だしこれならいいよね。
お昼にやって来た先生の奥様はアジアショップで日本の抹茶餅を買って来てくれた。
『ごめんなさい。日本の人が誕生日に何を食べるのか見当もつかなくてこんなものしか
買えなかったの。』っておっしゃって。
午後一番の患者さんの彼女はシフォンケーキを食べて私の誕生日と知り、
即座に『それならこれを受け取って。』と老舗の高級チョコトリフの包みを差し出した。
なぜこんなものを持っているのかと尋ねたら『いつも持っているのよ。自分用よ。』
と平然と答えた。
彼女の病気は体重過多から来るひざの不調だ。120キログラムはあるからね。
それじゃあ、いつまでたっても治らないよ。
「メルヘンおばさん」ことパンツエルさんは私のためにドイツ語の誕生日の歌を
唄ってくれた。先生が鍼を刺す間も私の手を握りしめたままでずっと唄ってくれたけど
先生も一緒になって唄っちゃったから時間がかかりすぎちゃった。
メルヘンおばさんが今日最後の患者さんで時間はまだ16時20分。やった!
今日は早く帰れる!と思ってにこにこして『パンツエルさんお灸終わりました!』って
受付で報告したら先生が『申し訳ない!フラウ ヨシオカ!どうしてもあなたの施術を
受けたい患者さんからたった今電話が入って、今日はあなたの誕生日だからって説明したんだけど「10分で飛んでくるから」って言われちゃったんだ。もう一人だけ!
お願い!』と例によって泣き落としをかけられ最後の患者さんを待つ。
結局30分の残業。家庭持ちにはとても辛い30分だ。先生は私が治療室から
出て来るのを待ち構えて私に紙袋を握らせた。
『さっき行商のおばさん(あるんだ!そんなの!さすが中国人パワー!)から
買った手作り餃子だよ。肉まんもあるからね。ごめんね。残業させて。今日はこれを
家族で食べてお誕生会をしなさい。もう、今日は自分でお料理しちゃいけないよ。』
あ〜あ、いっぱい入ってる。正直、今晩どうしようと思ってたからものすごく
助かる。こんな幸せな誕生日を迎えられるなんて。
家に帰って餃子と肉まん、それから抹茶餅の誕生会。子供たちはそれぞれ
プレゼントを用意してくれていた。太郎はお小遣いをはたいてとてもきれいななペン。
二郎は念入りに描いたカードとマッサージ券。主人は週末に私と一緒にお買い物に行って
プレゼントを見繕ってくれるって。
そして子供たちは私のためにミニコンサートを開いてくれた。ヴィヴァルデイ、
サンマルテイーニ、そしてサン サーンス。心がこもっていて最高だった。
上手になったじゃない。
もう、これ以上幸せな日を思い出せないくらい一瞬一瞬が幸せで満たされた
一日だった。
みんな、ありがとう。
2012年11月29日木曜日
バトル〜猫舌族とのあくなき戦い
アタマにきていることがある。
先生のことだ。
四六時中顔を合わせているとどうしても互いに気になることが出て来るものだ。
一旦治療ともなればすべてを棚上げにしてチームプレーでタグを組む我々だが
(そして仕事人としての彼をこよなく尊敬する私だが)生活の隅々における些事において受け入れられないことがままあるのだ。
ひとつ。
先生は猫舌らしい。どうも飲み物だけのようだ。この間一緒に水餃子を食べた時には
ゆであげほやほやのを美味しそうにほおばっていたからね。
私の毎日のルーティーンの仕事に患者さん用のお茶を湧かすということがある。
ジャスミンティーに薬膳茶をいくつか配合して作るのだがこれがくせもの。
先生用のお茶は別に陶器のポットに淹れている。当然時間が経てば冷めるように。
患者さんにはいつでも熱々のお茶を飲めるようにポットに入れておく。
そのポットのふたを、先生はわざわざ待合室を通る度に開けて行くのだ!
ほっとけ!他人のは!!
次に私が通りかかるとあわてて閉める。また先生が開ける。私が閉める。
このようにして一日中ふたの開け閉めバトルは繰り返されるのであった。
(室温のお茶もミネラルウォーターも別途用意してあります!)
この問題に関して先生と議論したことは一度もない。「冷戦」状態だ。
先生(患者さんに向かって私の目の前で)
『いや〜、お茶は熱すぎると飲めないからねえ。』
私(患者さんと談話でやっぱり先生の目の前で)
『やっぱりお茶の醍醐味は熱々のところをいただくことですよねえ。』
いつまで続くか、この戦い。
ところがドイツの短い夏が過ぎてからずっと続いていたこの戦いに参戦した奴がいる。
名前を仮にパーシーとしよう。患者だ。40歳くらい。彼は「あの世の存在を信じる彼女」で紹介したガルミッシュのおばあちゃんの実の息子だ。
品の良いおばあちゃんの息子がどうしてこうなるのかわからない「変わった」奴だ。
(あるいは父親の血か?)
彼はマッサージオイルを人肌に暖めただけで大騒ぎして嫌がる。診察室の隅っこの
ほこりを拾い上げ、「オマエのところの掃除夫はめくらか!」と騒ぎ立てる。
鍼治療の最中、15分以上一人にさせると「オレのこと忘れただろうと!」と
呼び鈴を鳴らしまくる。(鍼治療は40分ですってば!)
このパーシーが最近、ちょっと私が目を離した隙にポットのお茶を陶製の茶器に
わざわざ移し替えるという「親切運動」を開始した。漢方薬をその場で作って飲ませるために陶製のポットが待合室に並べてあるのだ。
ここまでされると打つ手はない。多勢に無勢だ。
これまでのところ圧倒的にわたしは不利だ。
ふん、負けるもんか。
2012年11月28日水曜日
プロフェッサー ⑥
プロフェッサーのために予習をしてみて改めて当たり前のことに
気がついた。
なんで今まで私はこれと同じ情熱を持って一人一人の患者さんに接して
来なかったんだろうって。
例えば指圧マッサージ一つを例に挙げても、うちは病院であって
マッサージ屋さんではない訳だから求められているのは医療レベルのそれだ。
一人一人を治癒に導くためにもっと真剣に事前準備をすべきなのだ。
そしたら思いもかけず先生が私に向かってこうおっしゃった。
『吉岡さん。これからは出来るだけこういう機会を持って
一人一人の患者さんを検討していきましょう。
一緒に頑張りましょうね。』って。
先生も同じこと思ってくださったんだ。
そう、うちの先生は一匹狼タイプで他人に頼るということをしない。
おそらく自分の鍼の「腕」に相当自信がおありなのだろうと思う。アシストは
あくまで添え物の補助だとお考えの部分があったのではないかしら。
私も実は腹を割ったコミュニケーションが苦手なタイプ。やっぱり一匹狼。
1+1が3にも4にもなるような場を作っていかなきゃいけないんだ。
うん、勇気を出して先生に相談してよかった。
(続く)
2012年11月27日火曜日
プロフェッサー ⑤
プロフェッサーは7月に入ってもう一度一週間の予定で
治療を受けに来た。
彼から予約依頼のメールを目にした私はまっすぐドクターの部屋へ行った。
今回は全力を尽くすのだ。恥じらいなんか持ってる暇はない。
私 『お願いがあります。来週いらっしゃるプロフェッサーのために
事前準備をしたいんです。私に出来る最善の指圧とお灸をご教授ください。』
勘の良い先生は私の言わんとすることを即座に理解してくださった。
先生は午後の空いた時間を全て費やして、東洋医学一年生の私を相手に
手取り足取り説明してくださったのだ。
先生 『確かあなたのご主人も彼と同じ病気でしたね。いいですか、
これからこの病気について西洋医学における理解と中医学での
解釈を両方説明します。それをプロフェッサーのケースにどう
応用するかの部分は難しいですが、ついて行けないと思ったら
すぐに質問してくださいね。』
指圧は先生と二人で互いに患者と治療家の役を交代しながら練習した。
お灸はマジックペンで私の足や背中に丸を書いてもらった。
私も頑張って先生に食らいついて何度も確認してメモを取りながら
力のかけ具合や指をすべらせる速度などを身体にたたき込んだ。
とても意外なことに先生からの指定の指圧(力)はとてもソフトな
ものだった。
今度こそ、準備万端。やれるだけのことはやった。
(続く)
2012年11月26日月曜日
砂漠の彼方に光る井戸 ⑥
砂漠が美しいのはどこかに井戸を隠しているから。
「星の王子様」にでてくる最も美しい台詞だ。
私はこの日、この瞬間、電撃的にこの台詞が脳裏にこだました。
そう、病に苛まれれば誰しも心が乾く。そこに必ずあるはずの美しい井戸を
見通せる「眼」を持てるかどうかに私たちの職業はかかっているのだ。
あれから2週間後にヒュウちゃんは突然病院を辞めた。
あれから1ヶ月後、シュピッツさんの病気は驚くべき回復を遂げることになる。
彼女への請求書の額は総額(日本円で約)16万円を超えた。
元気になった彼女はうちの病院に怒鳴り込んで来た。こんな額、払えるかって。
あはは。
先生はにこにこしてシュピッツさんに
『まあ、お話ししましょう。解決策を考えましょう。』
と言って彼女を自分の部屋に連れて行った。保険会社を口説き落とすこつ
(そんなものあるのか?)を伝授してあと少し割引してあげたみたい。
良かったね、シュピッツさん。
「大切なことは目には見えないんだよ。」
「星の王子様」より
(終わり)
2012年11月25日日曜日
砂漠の彼方に光る井戸 ⑤
あれは6月のある日曜日のこと。
その週はあまりにも患者さんの予約が多くて溢れ出てしまい
日曜日に午前中だけプラクシスを開けることになった。本来午前の勤務の
私と午後担当のヒュウちゃん(仮名)でダブルスタンバイ。午前中だけの
仕事だったがてんてこまいの忙しさだった。でもやっとでおしまい。
時計を見るとそろそろ13時。
さあ、やっとで家に帰れると思った時にまたしてもシュピッツさんが
「飛び込んで」来た。
『助けて!ものすごく気持ちが悪いの!』
いや、よく大胆に飛び込んでくるもんだなあ、とまず私は感心した。
電話の一本くらいかければいいのに。普段はうち、お休みだよ。
初診の際のタイミングの良さといい、もしや、この人、超能力者?
ヒュウちゃんの顔がこわばる。私に向かってこっそりべ〜の顔。ヒュウちゃん、
アンタもいい歳でしょう。知ってんだからね。あなたの年齢!
先生はおっしゃった。
『よし、ちょうどきりもいいところだ。みんなで
力を合わせて治療しよう!二人ともおいで。』
ヒュウちゃんヒェエ〜!の顔。私は例によって「私はプロだ。プロだ。プロなんだ!」
と念仏を唱えながら作り笑顔。3人がかりで彼女の治療を始めた。
どれほど私たちの力が先生に及ばなくてもアシスタントがいるといないとでは
もちろん大違いだ。身体の色んなところが痛かったり気持ち悪かったりするんだから
さすってあげたりお灸でツボを暖めてあげたり色々できる。ここまで至れり尽くせりの
病院を私は個人的に知らない。設備が豪華だったり応対が丁寧なだけのところはたくさん
あるけどね。
彼女は悪口雑言の限りを尽くした。治療は2時間に及んだからその間ずっと
私たちは彼女の罵詈雑言を浴びせられていたことになる。ヒュウちゃんは
たまらず日本語で私にだけ向かって
『アノオバサンキライ』
『モウイヤ、カエリタイ!バカ!』
と小声で愚痴を漏らしていた。先生だって意味はわからずとも彼女が何を
言っているかは容易に推測できたはずだ。
けれど先生はものすごかった。得意技の「親切攻撃」でシュピッツさんが
わがままを言えば言うほど丁寧にさすってあげ話しかけてあげた。一瞬も
手を止めなかった。
私はただただ尊敬の念に打たれていた。
治療の後、彼女の「発作」は収まった。
シュピッツさんはさすがに今日ばかりは私たちに向かってお礼を言って
握手して帰って行った。
全体としては発作の頻度も減って回復に向かいつつあるのだ。
ヒュウちゃんは速攻着替えて立ち去ろうとしていた。私は今日の感動を
先生に伝えたくてぐずぐずしていた。
その私たちに向かって先生はおっしゃった。
『シュピッツさんはね大変真面目で優秀なお医者さんでいらっしゃるんだよ。
とっても繊細で敏感な方なんだ。身体が不調な時の苦しみは他人には
わからないものだから彼女のおっしゃることを健康な人のそれと
取り違えてはいけないよ。』
その瞬間、私の頭の中には暗い夜空にはるか見渡す限りの砂漠の光景が
浮かび上がった。サン•テグジュペリ「星の王子様」の情景だ。
(続く)
2012年11月24日土曜日
砂漠の彼方に光る井戸 ④
だけど先生は違う。
私が先生をとても尊敬している理由のひとつだ。(今回のケースは先生自体が嫌われている訳ではないが。)病院はお客様商売と一緒だからこちらが患者さんを選べる訳じゃあない。もちろんうちは完全プライベートのいわば、「高級病院」の範疇なのでそれなりに
お金持ちの人が多い。VIPもいる。でも中には変な人もいる。そういう人に対して
うちの先生は進んで仲良しになろうとするのだ。30分の診察時間内に笑い声が満ちて
ほとんど必ずと言っていいほど患者さんの心をゲットしてしまう。
シュピッツさんはそのせいか(おばあさんなんだけど)年下の先生にまるで自分が
彼の子供か恋人でもあるかのように甘えまくる。そして先生がまたよくハイハイと甘えさせる。彼女は側で見ていると、まあこれでもかというほどわがままを言い、具合が悪いくせに自分の医学の知識をひけらかしまくる。先生が、彼女が私を排斥したがったにもかかわらず私を治療に同席させるのは、その彼女のわがままに滞りなく応えるためだ。
シュピッツさん『ああ、今度は首が痛いの。アクセル(頸椎のひとつ)よ。』
『昨日は右に打った鍼を今日はどうして左に打つの?』
『こっちの毛布は邪魔。ああ、背中が寒いわ。お灸の熱さが足りない。』
実は彼女が通院していた時期、中国人アシスタントがもう一人いた。
看護婦の資格を持つ彼女は午後の担当(私は当時午前だけ)。
なんと日本語がしゃべれた。
彼女もこのシュピッツさんにはさんざんやりこめられて文句たらたらだった。
彼女の口からずいぶんとシュピッツさんの愚痴を聞かされたが私は(先生のお姿に
感銘を受けていたせいで)それには乗らなかった。
不思議なもので自分の患者さんだと思うと「嫌いだ」という気持ちは湧いて来ない。
でも傷つけられたことは確かだ。だから顔を合わせるのは辛かった。
(続く)
2012年11月23日金曜日
砂漠の彼方に光る井戸 ③
『あなたの顔なんか見たくないのよ!もう、何度言ったらわかるの?』
私だってあなたの顔を見ずにすむならどんなに楽しい毎日だろう。あの日飛び込んで来た彼女は私のアシストにいきなり見切りを付け退場命令を出したのだ。そのあと全ての
場面で私が治療に参加することを拒んだ。あの頃の私はちょうど仕事を始めて3ヶ月目にさしかかった頃。一生懸命毎日勉強して、職場でも失敗しながらあっぷあっぷしていた
頃だ。仕事が楽しく思えて来始めた頃でもある。患者にあなたの顔を見たくないと言われてもこっちは仕事だ。頭の中で念仏のように「私はプロだ。私はプロのアシスタントだ。
私はプロの治療家なんだ。」繰り返し唱えながら彼女の治療室の前で深呼吸した。
うちの患者さんはシンパシーあふれる人が多かったし皆さんとお友達みたいになれて
ちょっと有頂天も入ってた最中だったから、彼女にほとんど意味もなく完全否定されたのはまいった。
シュピッツさん(仮名)は定年退職したお医者さんだった。メニエール氏病という
これまた厄介な病気が発病したばかりだった。この病気は完治が困難でめまいと吐き気、
耳鳴り、聴力障害などを発作的に繰り返す。かなり辛い病気らしい。うちはこの病気の患者さんは多数いらっしゃる。治療開始は早ければ早いほど治癒率が高まるらしい。
彼女は発作があまりにも堪え難いものだったらしく診察台の上でのたうち回りとても
危ないので必ず誰か補助がいるのだ。先生だって他の患者さんのケアがある。初診のとき
みたいにつきっきりというわけにはいかない。
彼女は私のことが嫌いというより、うちのドクターの治療を受けに来たのに他の人が
自分に手を出すのが耐えられないらしい。最初の指圧のときに散々なことを言われた。
私が資格を持っていないことをなじられた。私の医学の知識が自分より劣っていることで
馬鹿にされた。(いや、私がアンタより優れていたらアンタが困るでしょう。)
何度もひどいことを言われて泣かされそうになった。でも頑張って治療室で涙は見せなかった。
私はドクターに頭を下げた。『申し訳ありません。私の力が及ばないようです。指圧も
お灸も何もかも、ドクターからでないと受けたくないとおっしゃっています。』
先生『わかった。わかった。じゃ、彼女のケアは全部ぼくがするからね。』
そうはいってくださったがちょっとしたことでもアシストのいる場面が出てくる。すると親の敵みたいな目で見られるのだ。
シュピッツさんは2日に一度の割合でやってきた。彼女が来る時間帯は憂鬱で
なんとか少しでも顔を合わせないようにしたいものだと願ったものだ。
(続く)
2012年11月22日木曜日
砂漠の彼方に光る井戸 ②
『おはよう、フラウ(ドイツ語のミセスにあたる)ヨシオカ。』
あれ?先生、今日はずいぶん早いじゃない。どうしたのかな?
私 『おはようございます。ドクター。今日はずいぶんお早いんですね。』
うちは8時に受付開始。私は電話を取るので何があってもこの時間には
いるが、完全予約制なので先生は最初の患者さんの時間に合わせてやってくる。
その日は珍しく暇な日で午前中は10時と11時にそれぞれ一人ずつ予約が
入っているだけだった。
先生 『もう少ししたらホフマンさん(仮名)来るよね。』
あはは、やった〜!先生おトボケ!大勘違い!
私 『ドクター、ホフマンさんがいらっしゃるのは明日ですよ。』
先生は時々おっちょこちょいを発揮して失敗したり墓穴を掘ったり
まあ、色々ある。でも今日は誰にも迷惑をかける訳じゃないから
いいよね。仕事は残念ながらたくさんあるしね。先生は勉強家でも
いらっしゃるので空いた時間は文献を勉強なさったり、患者さんの
ケースを検討したりしている。いつも一人で黙々と机についておられる。
そんなお姿を間近で見られるのも私には素晴らしい刺激だ。
さてと、先生にお茶でも持って行こうとした時だった。
ドアベルが鳴って「飛び込み」の患者さんがやってきた。
とても苦しそうに頭をおさえている。
『もう、苦しくて苦しくて我慢できないの。予約なんて
入れてないけどいいでしょう?』
うちは病院だから飛び込みの人は絶対断らない。いや、それにしても
たまたま先生が間違えて早出をして来た日に飛び込むなんてラッキーな
ひとだなあ。普段なら飛び込みだと時間調整が大変で(うちはベットが4台。
一人の患者さんの治療にに最低でも1時間半はかけるから。)患者さんを
待たせちゃったりすることもあるのにね。
先生も先生だ。なんていうか、勘がいいというか、鼻が利くというか、
意味もなく出て来たと思ったらそこに患者が飛び込んで来るんだから
すごい「才能」なんだなあ。
(続く)
2012年11月21日水曜日
砂漠の彼方に光る井戸 ①
きっと病院の看護婦さんとかやってる人は毎日患者さんたちとの
修羅場ずくめで、いやんなっちゃう出会いもいっぱいあるんだろうな。
私の病院では、「もうこの人、カンベンして〜!」というほど
大変な思いは滅多にしていない。いや〜、本当にありがたいことだ。
やっぱり先生の人徳のおかげかな。
これまでで一番大変だったと思う患者さんのお話をします。
でも、実は今ずいぶん毎日忙しいのでちょっとずつね。
また明日。
2012年11月18日日曜日
心の傷 ③
『腫瘍の位置は姉がのどを切り裂かれたズバリその場所なの。
そしてその同じ場所を今度は医者が切り裂いたの。』
うちの先生は彼女に「手術前にうちに来てくれれば良かったのに。」と
言ったそうだ。そう、良性腫瘍は自然療法で割合あっさり治るケースが多い。
彼女のように若ければ、腫瘍が出来て日数が経っていなければ一週間ほどで
引っ込んでしまうことがよくある。先月も胸にしこりのある50歳代の
患者さんを治したばかりだ。そしておそらく(西洋医学のお医者さんは
認めないかもしれないが)彼女の腫瘍は、その位置は「事件」と関係している。
関係していない訳がない。切除なんてことしたら • • • 。
『包帯がとれて最初に傷口を見た時の私の衝撃を想像できる?
ねえ、姉の雄叫びが、苦しみが私に張り付いてしまったかのように
私ののどにはこんなに大きな傷跡が残ってしまったの。
毎朝毎朝起きて鏡を見る度に、5年前のあの時の情景と向き合うことに
なってしまったの。』
手術は成功した。もう、彼女ののどに腫瘍は存在しない。
だが。
腫瘍以上に恐ろしい大きな手術痕が残ってしまった。
しかも炎症を起こし全く治る気配がないのだ。
『手術で取ってしまったはずの場所は腫れ上がり
痛みも異物感もますます酷くなっていくの。本当に、本当に
どうしたらいいのかわからないのよ。』
主治医からは雑菌による炎症ということで抗生物質を渡される。
全然効かない。
心の叫びだ。彼女は静かに彼女の「恐怖」を物語る。なんという重い
十字架を背負った人なのだろう。
気丈に明るく優しく振る舞うプロストさんのまわりには柔らかな乳白色の
香が立つような気配すらある。彼女の持ち前の気質は彼女に課せられた
試練によってますます香気高いものへとなっているのだ。
でも、きっと頑張りすぎたんだね。
あなたがここでドクターにだけ話したあなたの「秘密」を今、私に打ち明けて
くれた。あなたには今、そんな風に心打ち解けて甘えられる存在が必要なんだよね。
大丈夫。大丈夫。心の傷が癒される日もいつかきっと来る。とにかく
そう信じよう。
私『プロストさん、あまりにお気の毒で気安い慰めの言葉が見つかりません。
だけどプロストさん、あなたを愛していたわる人の存在と気遣いを信じて。
その人たちはみんなあなたの味方であなたが心安らかに日々を過ごせる日が
来ることを心から願っています。皆のベクトルが同じ方向を向いています。
私も治療に全力を尽くします。私はうちのドクターと朝から晩まで一緒に
いるから、彼がどんなに優秀ですごい人か知っています。知識や腕だけではなく
「心」や「人間性」が身体に及ぼす作用というものをわきまえておられる方です。
とにかく一緒に頑張りましょう。いえ、頑張るのは私どもであなたは
愚痴でも何でも言っちゃった方がいいのかもしれませんね。
もう、ものすごい話は聞いちゃったから、あとはなにを聞いても怖くないし。』
彼女は優しく微笑んだ。『うふふ。』って。
彼女に癒されるのは私の方だ。きっと彼女はそんな存在になるための
試練を乗り越えていけるはずだ。
注) プロストさんのお身内に起こった「事件」は事実報道を脚色しています。
決して検索等で彼女の素性がわからぬよう配慮して書いたつもりです。
心の傷 ②
『私には3歳年上の姉がいたの。死んだの。殺されたの。
殺人事件だったの。犯人は、ああ、なんてこと、彼女の夫。
私の義理の兄だったの。』
私も覚えてる。あれは5年ほど前だったろうか。ローカル新聞は連日一面大見出しで
その家族のことを報道していた。こちらの新聞はびっくりするほど写真をいっぱい出す。
未成年も目に横線を貼ったりしているが、絶対本人確定できるほどの特徴的な写真を公開する。あんなことして冤罪だったらどうするのだろう?(きっとどうもしないのだ。)
罪のない犯人の親戚や同姓同名の人はどうなるのだろう?(きっとどうにもならないのだ。)
確か、夫はヒステリックな「やきもち」やきでつまらないことで口論になり
奥さんにナイフを向け、のどを搔き切って殺したのだ。同居の家族の目の前で。
同居の家族の • • • 同居の家族の • • • あなたの目の前で!?
プロストさん??
プロストさん!!!
『ずいぶん長い間私たちはマスコミの餌食になって世間から注目を浴びたわ。私は
それでもずいぶん頑張ったと自分で思うの。母が憔悴してしまって精神的に大変だったから、そしてうちの父はすでに他界してしまっていたので私が母を支えなきゃと思って
必死だったの。今もまだ公判は終わってはいないわ。
とにかく私に出来るたった一つのことは胸を張って明るく元気に会社へ行くこと。
いつも通りの日常に戻れるように。そうして世間に私たちのことを忘れてもらって
少しずつ心を落ち着かせられるように気を配ったわ。5年かけて。公判のたびに
新聞は私たちの記事を取り上げるけれど、もう一面ではないし記事も小さくなっていく。
あの事件を覚えている人はいても私たちがその当事者だと記憶している人たちも
たくさんはいない。』
『そんな頃よ。私がものを飲み込むときに違和感を覚えるようになったのは。
嫌な予感がしたの。』
(つづく)
2012年11月17日土曜日
心の傷 ①
心の傷口は目には見えない。
あからさまに目に見える傷なんて嘘っぱちだ。
私のようなたかだかちょっぴり医学をかじっただけの
人間でさえこれまでの10年ちょいの間に色々な人の健康の悩みを
聞くことになり、その際驚くべき「過去」たちに出会って来た。
そんな物語を抱えて生きている人たちは皆、一様に普通に穏やかに
生活している。ただ、封じ込めきれない想いが思いがけず
「症状」の形をとって現れるのだ。
こういった病気は往々にして西洋医学では完治しない。
彼女のケースもまさにそうだった。しとやかで明るいとても
感じの良い女性だった。さらさらの金髪を肩まで伸ばしマシュマロの
ような色白のほほで微笑みかける。誰からも愛されるタイプの人だ。
彼女は咽頭に良性腫瘍が出来てオペで切除するも腫れがいっこうに
収まらない。今日で7回目の来院。症状は一進一退を繰り返していたが
前回、突然悪化。のどに異物感。
プロストさん(仮名)『手術が終わってからそろそろ半年にもなるのよ。』
私 『そうですね。あなたのようにお若い方の場合は回復も早い
はずなんですが。』
プロストさん『ねえ、私、普段はとってもポジティブシンキングの人なの。
だけど今回のことでは本当に途方に暮れちゃててどうしたら
いいかわからないのよ。あなたは私のようなケースの患者を
見たことがあるかしら?』
私は自分の識る範囲で、人間の不思議な運命や暗い重荷、遺伝の影響に
ついて語った。例えば私はかつて、幼児期に虐待を受けた経験を持つ女性が後に
重症の頭痛に40年以上悩まされ、そのトラウマを解くことで彼女を治癒に
導く手助けをしたことがある。その方も大変な美人で生き生きと毎日を
過ごしていらっしゃる方だった。傍目にはそんな恐ろしい
過去を背負っている人には見えなかった。
すると突然彼女は語りだしたのだ。
プロストさん『ねえ、あなた。もしかしてドクターから私のトラウマについて
話を聞いてらっしゃるの?』
いや〜、まいったな。それを言われると。実はうちの先生は患者さんの話を
誰にもしない。奥さんにもしない。病院内の話なのでここでは守秘義務という
のは当てはまらない。私も治療に参加するセラピストの一員なので本来情報は
共有すべきとも言えるのだ。
陽気で明るく話し好きの先生だから、そして私と先生はとってもウマの合う
コンビネーションだから、何でも話し合っているのだろうと思われがちだが、
実は私は先生と必要最低限の会話しか行っていない。ほとんどが仕事の、
それも実務上のことだけだ。奥様とは女同士の会話もしょっちゅうだが、
先生とは何となく緊張してしまってどうもだめなのだ。患者さんたちの方が
よっぽど先生の私生活なんかよくご存知だ。
特に患者さんの情報について、カルテに書いてある内容には私も目を通す。
が、先生は何事においてもものすごく口が堅い人で私は自分が患者さん本人から
打ち明けてもらったことしか知らない。
私はこれで正解だと思っている。先生が何でもぺらぺらしゃべる人だと
印象づけない方がいい。でも今のこの場面はどうなんだろう?
私が知らないことは是か非か?
とにかく彼女は物語った。きっと私にも知っておいて欲しかったのだ。
彼女の「秘密」を。
(続く)
2012年11月16日金曜日
プロフェッサー ④
漢方の言葉で「瞑眩(めんげん)」という。
わたしはホメオパシーを長くやっていたのでこの現象はよく知っている。
ものすごく重要なテーマだ。日本語では「好転反応」が近い訳だと思う。
自然療法では患者さんの自然治癒力を高めることで病気を治すので
身体が良くなろうとしたときにコンディションが「揺さぶられ」
一時的に具合が悪くなる現象である。これで死んじゃったり悪化して
それきりになってしまうことはない。むしろ身体にとって良い知らせなので
「好転」反応というのだ。回復はふつう
1、何事もなく順調に治る。
2、好転反応の後、回復に向かう。
3、何事も起こらない。
の3通りだがこの中では実は3番が最悪だ。鍼•漢方の場合はゆっくり回復する
ケースが多いので最低10回は続けて鍼を打ちに来て欲しいものだが
それで何事も起こらなければこの療法が患者さんに合っていないかも
しれない。
身体の具合が一時的に悪くなるのは本来、良いきざしなのだ。
けれど患者さんにとってはたまったものではない。
病院に来て症状がひどくなるとは何事だ!っということになる。
前もって誰にこの反応が出るかわからないし、あんまり
前もって脅すのも良くないから、うちの先生は事前に
このテーマを周知しない。ま、どっちにしたって用意周到な
タイプの人じゃないからね、先生は。
うちの病院で私が見た限りでは、この瞑眩現象はお年寄りの方、
主訴が頭痛やめまいなど頭部にある方に圧倒的に多い。
(ちなみにホメオパシーをやっていた頃は明らかに赤ちゃんなど
小さい子の方が好転反応が出やすかった。不思議だなあ。)
プロフェッサーはこの現象に「かかりやすい」タイプの人らしい。
ずいぶん後になってプロフェッサー本人からこの反応が出ることに
ついて、うちの先生はよく「失敗」するのだというコメントを聞いた。
それは違いますってこれこれと説明したのだがイマイチ不満そうだった。
2012年11月14日水曜日
プロフェッサー ③
そんな風にしてプロフェッサーと私が出会った6月のあの一週間は
静かに過ぎていった。私ももう出しゃばることはせず、淡々と自分の
仕事をこなしていった。音楽の話もほとんどしなかった。
ご病気のせいでピアノが弾けなくて苦しい思いをして
いらっしゃるようだったからだ。
最後の日、心を込めてお灸をしてあげた。どうか、どうか、
良くなりますように。
彼はふと、私に尋ねた。
『息子さんはピアノをお弾きになっていたのでしたね。
今、どんな曲を弾いていますか?』
私 『リストのヴェネチアとナポリ、ベートーベンはテンペスト。
あと、ケンマリング先生から宿題でショパンのエチュードを
10の1と2と5ばん。とにかくショパンをたくさん弾きなさいと
言われています。うちの子はテクニックがずいぶん劣っているので。』
プロフェッサー『あなたの息子さんは今、何歳ですか?』
私 『14歳です。』
プロフェッサー『14歳ですか、そうですね。そんな年齢ですね。今はそういう曲を
いっぱい弾かないと。』
そうして彼は去っていった。先生が毎日お薬を煎じてその日の分をポットに
持たせてあげていたが、あと10日分の煎じ薬を袋につめて帰っていった。
必ず連絡すると言いおいて。
けれど、その翌週、彼の容態は悪化した。
(続く)
2012年11月13日火曜日
人と人との関係性 ②
わたしはこの10年以上医学の勉強とホメオパシーの勉強を
してきた。漢方にはほとんど興味がなかった。実は今も、ホメオパシー
は色々な意味で最も素晴らしい療法ではないかと思っている。
医療というのはどんな種類のものでも一つ一つが固有の哲学を持っている。
だから何が上で何が下ということは決してないというのが私の信条だ。
西洋医学が主で自然療法が補助だなんてナンセンスだ。
それぞれにテリトリーがある。それだけだ。(故に私は統合医学のたぐいの
ものは好きではない。はっきり別々にすべきだと思っている。)
漢方には漢方の素晴らしさがあってホメオパシーにはホメオパシーにしか
出来ないことがある。
それでもホメオパシーは私を惹き付ける。とにかく理論が素晴らしく
隙がない。人間観察をすることで自然との合一への道を探る。ホメオパシーの
セッションはミステリー小説を読み解いていくような論理力と推理力、
そして直感が試される、ぞくぞくする体験だ。
• • • • • で、私って何で今、東洋医学の病院で働いているの?
私と先生との出会いについてはまたそのうち書く機会もあると思うけど、
まあ要するに「成り行き」だ。
病院で働く毎日は楽しい。中国医学は難しいけれど勉強のしがいもあるし、
何より「現場」で「実地の」体験がてんこもりでわくわくする。
「ねえ、そんなことでいいの?」
そんな声が聞こえないこともない。私はホメオパシーをやるために
あんなに苦労してお金もつぎ込んで学校に行ったりセミナーを受けまくっていた。
いっぱい本も読んだ。あなたはホメオパスになるためにずっと勉強して来たん
じゃなかったの?
なんと、そのジレンマが、自分でも解けなかったこだわりと言う名の
結び目が今日、すっと解けたのだ。
きっかけは「眼鏡屋事件」。
あの節約家の私が9万円相当のレンズを買ったのも、お取り置きの
眼鏡を放棄したのももうあそこに二度と行かないのも、ただただ
私がデルシュさんに惚れ込んだという、それだけの結果なのだ。
人というものはそういうものだ。私にとって、うちの先生と私の
間に築いた関係性は、私の10年間の夢と目的を一時棚上げにさせるほどの
影響力があったのだ。(私はそんなことに影響されるような人間では
ないとなぜか信じていた。安売り眼鏡しか買わないつもりだった時の
ように。)
それにはたと気付いて愕然とした。
私もずっとここで働くのか、どんな方向に行くのか自分でも
よくわからないのだけれど、今日、改めて学んだことがあるということだ。
「人と人との関係性」の威力というものを。
私自身も他人にどんな影響を与えてしまうかわからないのだから
これから出会う人ひとりひとりとのご縁を大切にしていかねばならないんだ、
改めてそう思った。
一期一会、だねえ。
関連サイト 藤村正宏のエクスペリエンスマーケティング
http://ameblo.jp/ex-ma11091520sukotto/
2012年11月11日日曜日
人と人との関係性について ①
行きつけのめがね屋さんに行った。ここは
私のお気に入りの店である。この店との出会いは偶然だった。
一家の家計を預かる主婦である私は滅多に
高級品を買わない。仕事をするにあたりどうしても
新しいコンタクトレンズとめがねが必要になった私は
迷わずポイントカードサービスのある安売りチェーン店へ足を運んだ。
でもその日その店は混雑していた。向かいにもう一軒めがね屋がある。
(なぜか私の住む町はめがね屋が多い。田舎町なのに本当に不思議だ。)
フレームの物色でもしようと思って店内に足を踏み入れた。そして
そこの店員であるデルシュさんの対応に惚れ込んで結局その店で
全てのケアを任せることにした。
彼女のどこに惚れたかというと、とにかく仕事に対して
プロフェッショナルであるという点だった。そしてセンスがいい。
控えめで商品を売り込んだりしない。けれど妥協を許さず
納得がいくまで丁寧に丁寧に時間をかけて仕事をする人だった。
私のコンタクトレンズを特注で注文するまで2ヶ月半かけたのだ。
病院での仕事を始めたばかりの私にとって彼女の仕事っぷりは
襟を正される思いがした。店長と二人で二人三脚でやっているのも
(夫婦ではなく店長と雇われ人の関係)自分の立場にちょっと似ていて
好感を持てた。そして土曜日しか時間が取れない私は毎週その店に
通うことになり、彼らと仲良しになったのだ。
コンタクトレンズは結局日本円にすると9万円ほどの高価なものになった。
けれどこれまでの私のレンズのトラブルの原因を徹底的に洗い出してくれて
私の眼球のカーブに合わせた製品で、身につけたときのフィット感は最高だった。
是非、予備にもうひとつめがねが欲しい。けれどものすごい予算オーバーを
してしまったからすぐには買えない。彼女にそう言うとじゃあ、フレームを
取り置きにしておきましょうかといってくれた。彼女が選んでくれたフレームは
驚くほど私の顔の輪郭になじんでいた。
1ヶ月待ってちょうだい、次のお給料が入ったらすぐに来るわ。そう言うと彼女は
『それは良かった。実は私も来週から3週間バカンスに出かけるんです。
ではまたお会いしましょう。』と言ってくれた。
けれど私は翌月そこに行かなかった。2ヶ月続けて主人の事情で急な出費が
続いたのだ。う〜ん、サラリーマンの辛さよ。
やっとのことで昨日、めがね屋に足を運んだ。ちょっと今月予算オーバーに
なっちゃうかもしれないけど、めがねのフレームを今の古いもので使い回したら
節約になるんじゃないかな。デルシュさんもそれでも全然構わないって言って
くれたし。これからはオプテイカルのケアもチェックも全部ここでやるから
いいよね。
『おはようございます。』開店と同時にドアを開けて元気に挨拶した。
『いらっしゃいませ。』
しかし対応に出て来た女性は私が見たこともない女性だった。新しい人らしい。
私のこと知らないよね。
『あのお、ヨシオカと申します。デルシュさんいらっしゃいますか?」
『デルシュはおりません。』
『今日はお休みでいらっしゃるんですか?』
『いいえ、彼女は二度と来ません。』
は???辞めたってこと?後ろからもう一人の女性がこちらを見ている。
あの店長もいない。店内は全く同じ内装で何も変わっていないのにここは異空間。
突然私はいわれのない不安感に襲われた。SFやミステリーの世界に足を踏み入れて
しまったかのごとき違和感だ。パラレルワールド??
『めがねのお取り置きをなさっていらっしゃったんですか?』
『いえ、いえ、違います。何でもありません。すみません。失礼します。』
気を取り直すために急いで店を出た。そして瞬時に理解していた。私は
もう二度とあの店に行かないだろうということを。あの素敵なフレームを
半額にすると言われても、もう要らない。私はデルシュさんと店長と
いう「人と人との関係性」の中で買い物をしていたのだから。
(続く)
関連サイト 藤村正宏のエクスペリエンスマーケティング
http://ameblo.jp/ex-ma11091520sukotto/
事件ファイル 不法臓器売買疑惑? ②
これって結構なプレッシャーだ。
毎日楽しく働く病院。私は先生からも奥様からも
とっても可愛がられて大切にしてもらっている。それは
誰より私自身が痛いほど感じてる。
中国人を信じちゃいけない。中国人は平気で嘘をつく。
あなたも気を付けなさい。色々な人から言われた。
でも大丈夫。私は自分に自信があるから。そう思って来た。
私だってだてに20年海外生活をしている訳じゃあない。いろんな
国籍の人たちとコミュニケーションを持って色んな体験をして来た。
子供っぽい感傷で「先生たちはそんな人たちじゃあない!」なんて
叫ぶつもりはない。人の価値観も人生も様々だし彼らの全てが
わかっている訳じゃあない。
中国人の中でたった一人の日本人として働くことに不安が
なかった訳ではない。けれど自分なりのルールを持って、
もしも倫理•道徳上相容れないことがあればそれはそこまで、
ご縁がなかっただけのことだ。静かに去っていけば良い。
万一の覚悟は出来ている。
そんな想いを秘めて来た。今、それが問われることになるのか?
私、夫に病院の臓器売買疑惑を指摘されてから必死でネットを
検索し始めた。ままよ、何かの間違いであって欲しい。
私はここで働き始めてからやっとで8ヶ月になったばかりなのだ。
全てを終わりにしたくはない。ましてや先生方の運命を変えてしまう
端緒になどなりたくない。
• • • • • 1時間後、ひとつの可能性を思いつく。
「プラツエンタ、プラツエンタ、プラツエンタ!!そうだ、プラツエンタだ!」
プラツエンタ(日本ではプラセンタ)とは胎盤のこと。そうだ!
それなら話はわかる。簡単なことじゃないか。
分娩時に胎児とともに出てくる胎盤は、日本でも出産直後に食する
習慣のある地方がある。ガンマグロブリンが豊富で免疫力を高めるのだ。
私が病院で見たあの「薬」はとても大きかった。子宮は通常ならば
大人の握りこぶし大の大きさであるはずだ。つじつまがあっている。
私はあの時奥様と話をしただけで先生とは話さなかった。先生なら
ドイツ語で正しい表現をしてくださるはずだ。
きっとそうだ。なあんだ、よかった。私はほっとして泣きそうになった。
先生、奥様、ごめんなさい。ほんのわずかでも疑ったりして。心の中で
謝る私。
ああ、もう、こんな時間だ。早く寝よう。明日も早い。
翌日、手が空いたタイミングを見計らって先生に話しかける。あの、
昨日みんなでカプセルを作ったあのお薬ですけど • • • 。
先生は破顔して『ああ、あれは高かったんだぞう。すごくいい薬なんだ。』
私 『あれってもしかして • • • ?』
先生 『プラツエンタだよ。ガンマグロブリンが豊富で免疫機能を高めるんだよ。』
私 『やっぱり〜!良かった〜!実は昨日、奥様があれは子宮だって
おっしゃったんで一体どういうことかと思ってたんです。』
先生 『なんだとお〜!あの馬鹿が!!』
先生奥様に怒ってらしたけど、冷静に考えると
子宮(ゲベアムター)という単語を最初に持ち出したのは私で、
奥様はムター(母親)としかおっしゃらなかった。
胎盤はドイツ語でムタークーヘンだ(プラセンタはラテン語)。
勘違いしたのは私の方なのだ。
ああよかった。今日も元気に働ける。きっと明日も元気に
働ける。みんなと仲良く働ける。
当たり前の幸せな一日を送れるのだ。
2012年11月10日土曜日
事件ファイル 不法臓器売買疑惑? ①
『吉岡さん、これ見て。なんだか当ててみて。』
先生の奥様がそういった。最近私は薬学博士でもある奥様の
お手伝いで漢方薬剤の調合のお手伝いをしている。
うちは小さな診療所だが奥様のおかげで小さなファーマシーとしての
機能も持っているのだ。
漢方のお薬の材料は種類が豊富なだけでなくびっくりするような驚きの
薬剤もある。この間は竜の歯と書いているものに出くわして仰天したりした。
さて、今目の前にあるそれは一言で言うと巨大な乾燥あわびだ。とにかく
貝の干物によく似ている。でもずいぶん大きい。大人の手を広げたより
もう一回り大きい。
私 『ええっと、貝柱!それか大きなきのこ!』
奥様 『残念でした、違います。これはずいぶん高価なものなのよ。
しかもとっても手に入れるのが難しいの。〜の病院の〜。』
たまたまその時近所から工事音が聞こえて来て奥様のおっしゃっていることが
よく聞き取れなかった。どこか病院から入手してきたのかな?
奥様 『えっと、これはねえ、ううん、ドイツ語でなんて言うのかしら。
ムター(母親)、ムター、だから、人間の体の一部で、ええと、
ムター • • •』
私 『もしかしてゲベアムター(子宮)のことですか?』
奥様 『そう、それ!とにかくベータ • • •なんとかがいっぱいあって
ものすごく体にいいのよ。ほら、ここに血管みたいなのがあるでしょう?』
ええ?それって、本当?いったいどこの誰が献体するのかな?
さっき病院って言ってたからどこかの患者さんで子宮摘出したって
ことかな?病気の人のとかじゃないの?
その時は深く考えなかった。目の前に仕事が山積みしているときって
判断力がなくなるものだ。先生と奥様と私の3人掛かりでこれを粉末状にして
カプセルを30粒ほど作った。全部手作業。レトロだなあ。
今、治療中なのは若い小児科のお医者さんの女性。表情にあどけなさが
見えて、少女時代からこんな感じの人だったんだろうなと思わせる
おとなしくて優しそうな32歳だ。
彼女は健康体だ。何事もなければ治療に来る必要もない。だけど子宝に
恵まれない。だからご主人と二人お忙しい仕事の合間を縫って可能な限り
うちにいらっしゃる。(鍼は不妊症にも効果があるのです。)
不妊症の人に子宮を飲ませるんだ、なるほどねえ。漢方では自分の
病気の臓器と同じものを摂る、という発想がある。肝炎の人はレバ刺しを
食べるとか、足の悪い人は鳥の足を食べるとか。
奥様 『患者さんにはお薬の材料を教えない方がいいんじゃない?』
うん、うん。焼き鳥屋さんでいちいち出てくる串の解説は要らないのと
同じ原理だね。わかるよ。
お医者さんの彼女は、(たぶん)自分のもらったお薬がヒトの
子宮だなんて知らないで大事に持って帰った(と思う)。ひえ〜、これも一種の
共食い???
いや〜、すごい体験しちゃったなっと思って家に帰って家族に話した。
私 『今日ね、すごい漢方薬の材料に出会っちゃったんだよ。』
って事の次第を話したら、突然夫が
『なんだとおお、そいつは臓器売買じゃないか。そんなもの
どこからどうやって手に入れたのか知らないが、不法入手に
決まってるじゃないか。』
言われてみればその通り。
夫 『綾子よ。よくぞその話をしてくれた。これは一大事件だ。
綾子も製薬の手伝いをしたとなれば違法行為に加担したこととなる。
おまえの手が後ろに回ることにはならないことを願っているが、
とにかくことは重大だ。まずは事実を確認しよう。
漢方の材料に果たして本当に人間の臓器を使うことがあるものなのか。
そしておまえの先生が手に入れたブツは臓器そのものなのか。
ドイツ保険局に問い合わせるという手もあるな。先生には申し訳ないが。』
大変なことになってきた。夫の言ってることは全部筋が通っている。
中国といえば臓器売買天国だってネットにも載ってるし。規則や法律なんて
歯牙にもかけない人たちばかりだって、よく言われているし。
ああ、どうしよう。先生、そんな恐ろしいことをやってらっしゃったんですか?
• • • • • • だけど • • •
ねえ、アナタ、なんかはりきってない?
続きは明日のお楽しみ。
2012年11月9日金曜日
プロフェッサー ②
プロフェッサーは厳格な方だ。
我々の一つ一つの所作に正当な理由を求め
自分が納得したならそれを厳密に滞りなく
行うことを要求する。
つまり、一言で言うと面倒くさい人だ。
もし彼が彼でなかったならば、そして彼の
病気があの病気でなかったならば、きっと彼のことを
いやなおじさんだと思ったに違いない。
けれど私はプロのピアニストという職業の人を
心から崇めている。ピアノだけでなくて舞台に立つ
ことが職業の人ならば、それがどんな人でも
尊敬してしまうのだ。
これは私が主人から教わった、たぶん最も大切なことだ。
〜私と主人は職場結婚だ。彼は私の職場でとてつもなく
誠実に働いていた。信じがたい真面目さで見返りを求めず
勉強熱心でアイディアが豊富なのに、誰にでも気軽に自分の
思いついた考えをを分け与えていた。
正しくないと思ったらどれほど偉い上司にでも
もの申したし、従って誰からも一目置かれていた。
何よりも陰日向がなかった。
私は、彼がなぜ、そこまで生真面目なのかがわからなかった。
どうでもいいようなことまで全力投球で打ち込むからだ。
実は結婚してからもこういう完璧主義は彼の性癖なのだろうと
単純に思い込んでいた。子供が音楽を始めるまでは。
彼は元音楽家だった。病気をして自分から舞台を降りてしまった。
(そしてそこで私に出会ったのだ。音楽オンチの私に。)
子供が音楽を始めると、彼は子供たちに「自分の満足のための」音楽
ではなく「他人に感動を与える」ための音楽を奏でることを求め始めた。
彼にとってそれ以外は音楽ではなかったから。
そしてそれからやっと私は気づき始めたのだ。まわりに感動を
与えるということの素晴らしさ、尊さと厳しさを。
それは社会のどの位置に立っていても同じことなのだ。
(だから主人は音楽をやめてからも自分の生き方は変えなかったのだ。)
けれど舞台の上ではひときわ厳しい。サーカスの芸を思えば良い。
綱渡りなんて出来て当たり前。綱渡りをどんな風に「魅せる」かで
プレーヤーの価値が変わってくる。100点満点は最低条件なのだ。
彼は舞台を降りたあとも、心の中でいつも舞台に立っていたのだと
思い知るのにこんなに時間がかかったなんて。〜
私はプロフェッサーが他人に求める厳しさの分、きっと
それ以上に自分に対して厳しく生きて来たに違いないという
確信があった。
だから私も彼に対して、真摯に治療を行わなければならないという
気持ちになっていた。
(続く)
2012年11月8日木曜日
りんちゃん
うちは小さな小さな個人病院。
午前中は私と先生二人だけで切り盛りしてる。
13時になると先生の奥様が手作りのお弁当を持って
やってくる。とっても美味しい中華だ。
最初は私は自分のお弁当を持って来ていたが
先生の食べろ食べろ攻撃がすごくってとうとう
折れてしまった。いっぱい作ってあるので患者さんも
誘ってみんなで食べることもしょっちゅうだ。
本当は私は午前中だけの約束で勤務していたのだが
午後の女の子がすぐにやめてしまい、その時先生に
拝み倒されてずるずるひきずられて
17時まで勤務している。残業は基本的にしない。
家庭があるからだ。(早朝出勤はあります。)
本当はもうちょっと早く帰りたい。それに私と先生と
二人だけではどうにもならない場面もある。
夕方遅く来る患者さんだっている。
どうしてももう一人雇って欲しい、ずうっとお願いし続けていたが
なかなかウマくいかなかった。
でもやっとで、とりあえずだけどアルバイトの女の子が来た。
医療行為以外の雑務が担当だがものすごく助かる。
私の影武者も頼めるように少しづつ普段の仕事も
教えていたら結構こなせるようになって来た、さすが若い、
25歳の女の子。美大生だって。彫金科の学生さんで
とっても手先が器用。お洋服も自前で作れるんだって。
りんちゃん、というのが彼女の名前(仮名)。ビールで有名な
青島(チンタオ)の出身なんだって。小さい子なのに
たくましい。
この間一緒に仲良くごはんを食べていたらいきなり、
『ねえ、犬のお肉って食べたことある?』って無邪気に聞かれた。
ぎゃああああああああああああああああ!!!!!!!
私、平静を装って『いや、日本人は普通、犬は食べないから
私も食べたことないけど、りんちゃんはあるの?』
りんちゃん『うん、最近は食べなくなったけど以前はよく食べてたよ。』
オウ、ノウ、りんちゃん、なんてあなたは冷静なんだ!?
私、さらに顔がこわばらないよう気を配りながら『あのさ、犬を食べるって
つまり、食用の犬とかがどこかで飼育されてるってこと?食用に向いた
種類があるってことなのかな?』
りんちゃん『ううん、道を歩いてるそこら辺の犬を適当に食べるんだよ。』
うわああああああああああああああああああ!!!!!!!!
なんて、なんて、「ワイルドだろう〜?」どころじゃないでしょ!
『ちなみに、お味はどんな味なのかな?』と聞いてみた。
りんちゃん『お肉はお肉の味だよ。』
私 『牛肉に近いとか、鳥に近いとかいろいろあるでしょう?』
りんちゃん『うちのお母さんは牛肉料理を作るときは必ずものすごく
辛い味付けをしていたんだ。だから私はごく最近まで
牛肉というものはもともと辛いんだとばかり思っていたの。
だから比べられないなあ。』
ううん、結局よくわからないコメントだ。
実はうちの二男が学校で友達に『オマエ、アジア人だから
犬の肉食ってるんだろ?』と聞かれて憤慨して
そんなことはないし決してしないと言い返したことがあるらしい。
主人ははその時その話を聞いて、『そうだ、毅然として言い返してやれ!
オレたち日本人はそんな野蛮人じゃないんだ。』といきりたっていましたが
なんだか世界観が変わるなあ。
ちなみに私、基本、家ではお肉を食べません。ドイツではお魚は食べるが
お肉を食べない人のことをヴェジタリアンと呼びます。(両方食べない
完全菜食主義者はヴァガターといいます。)
スーパーマーケットのお肉売り場を通るのも辛くて嫌な人です。
外では一人わがままを言うのも面倒なので主義として『出されたら
食べる』ことにしています。7年ほど前に突然お肉をやめました。
この話は別の機会にしましょう。
そんな私の受けた衝撃は結構大きかったよ。いやいや、生き物を
食べるというのはそれ自体罪深いことなのだから、どの動物なら
良くてどれなら悪いというのもおかしな話だ。
捕鯨問題だっていつもそう思う。
ああ、りんちゃん。いい娘だねえ。
大好き。これからもよろしくね。
2012年11月7日水曜日
プロフェッサー ①
彼に出会ったのはドイツにも初夏の香り立つ
6月のことだった。
その患者さんのことは前もって先生から伺っていた。
私がとても興味を引かれていたことはふたつ。
一つは彼がピアニストだということ。もうひとつは
彼が私の主人と同じ持病に苦しんでいるということ。
遠くからお越しになるので通院のためにミュンヒェンに
ホテルをとって一週間毎日集中治療にいらっしゃるのだ。
たいへんきめ細かなかたで前もって確認の電話を何度も
かけていらっしゃった。メールでご自身の病状や毎日の
生活をを事細かに報告してきていた。
完璧主義と言ってよい。
雑音防止のために耳当てをした、大きな大きな殿方が
いらっしゃった。うちの先生は彼のことを『プロフェッサー』と
呼んだ。へええ、どこかの音大の先生でいらっしゃるんだ。
私 『初めまして。カリン(前任者、仮名)さんの
後任のヨシオカです。』
そのときは握手をしただけで特に何も話さなかった。
指圧をするにあたって、私は密かにいくつか特別な予習を
して作戦を立てていた。とにかく私はこの病気が治るものなのか
興味津々なのだ。この病気に効くといわれるツボをネットで
探しまくって特別プランを立てていた。ドクターには内緒で。
ところが、、、
私 『指圧を始めますね。』
プロフェッサー『最初にあなたにお聞きするが、
あなたはこれから私に施そうとする治療を目的的に
行うのですか?』
私 『ハイ、もちろんです。あなたの病気の場合、ここと
ここのツボが、、、』
プロフェッサー『それは間違っています。この病気は色々なタイプが
あって、ひとくくりにこれこれといっても私の症状に
合ったものだと言えるのですか?』
• • • • •
いきなり撃沈してしまいました。だいたいなぜ私は前もってドクターに
相談しなかったのでしょう?理由はわかっています。この病気にあまりにも
関心があって特別に肩入れしていることを見透かされたくなかったんですよね。
とりあえずその日は一般的なデトックスの足もみに変更。
でもちょこちょこお話は出来ました。
私 『ピアニストでいらっしゃるそうですね。』
プロフェッサー『ああ、もしまだ私のことをそう呼んでくれる人が
いるならばという前提でだが。』
私 『どんな分野がご専門なんですか?ベートーベンとか
バッハとか現代曲とかいろいろありますでしょう?』
プロフェッサー『それが芸術であるならば、私はどんな音楽でも
弾きますよ。』
私 『私、実は長男がピアノを弾いているんです。以前は
クラシック音楽にはほとんど興味なかったんですが
息子と主人をとおしてずいぶん色んなことを学んで
いるところなんです。
息子はつい最近ピアノのコースに行って来たばかりなんです。』
プロフェッサー『誰についたのですか?』
私 『ケンマリングという人なんですけどご存知でいらっしゃいますか?』
突然、彼の顔色が変わった。
プロフェッサー『何だって?彼はまだ現役で教えているのですか?
私は30年前に彼についていたんだ。私はピアノの
全てを彼から教わったんだよ。』
なんということでしょう。ここから私とプロフェッサーとの絆が
生まれ始めたのです。
続きはまた今度。
2012年11月6日火曜日
メルヘンおばさん ③
『ワタシノテンシサン。アナタノメルヘンガキキタイ。』
彼女ははししと私の手を握ってそう言った。
えっ?メルヘン??ええっと、じゃあね。
私 『パンツエルさん、日本語がおわかりになるなら
私の息子の名前を教えてあげましょう。うちの子はね
太郎って言うんです。どうしてだかわかりますか?
太郎って言う名前は日本の昔のおとぎ話にたくさん
出てくるんですよ。
じゃあ今日は日本のおとぎばなしをしましょう。
浦島太郎という話です。
〜むかしむかしあるところに浦島太郎という若者が
いました。』
私、一生懸命ドイツ語で浦島太郎の物語をしました。
助けた亀に連れられて竜宮城へ来てみれば、、、気がつくと
鍼を打っている先生まで熱心に耳を傾けている。だから、
手を止めないで早く済ませちゃってくださいってば!
結局、乙姫様に玉手箱を開けてはいけない、と言われる
くだりにさしかかったところで鍼を打ち終えました。
先生 『で、いつまで開けちゃいけないの?』
私 『ず〜っとです。また竜宮城へ遊びに来たいなら
ずっと決して開けちゃいけないんです。』
結局、次回のお楽しみにするには物語が進みすぎていたので
最後までお話をするはめになりました。
私 『パンツエルさん、これでおしまいですよ。
鍼もおしまいです。頑張りましたね。』
パンツエルさん『えっ、もうおしまい?本当に何も感じなかったわ。
素晴らしい、ああ、これでもう鍼を打つのも
不安じゃないわ。私の天使さん、次回もお願いね。』
次回かあ。次はやっぱり桃太郎かなあ。これはちょっと難しいぞ。
『きじ』だとか『きびだんご』だとかどう訳す??
悩みは深いがとにかくパンツエルさんとは大の仲良しになれました。
めでたしめでたし。
2012年11月4日日曜日
メルヘンおはさん ②
先生『パンツエルさんの治療をするから吉岡さん4号室で指圧を始めて。』
そういわれてパンツエルさんの部屋へ。嫌だなあ、どんな話をすればいいんだろう。
それともまるまるだんまりかな?それもいいか?
足のマッサージを始めた。パンツエルさん、結構気持ちよくなって来た様子。
パンツエルさん『アナタハドイツニキテナンネンニナリマスカ?』
私(日本語で)『ええ〜?日本語お出来になるんですか?』
パンツエルさん『ズットマエ、ニホンニスンデイマシタ。デモモウ、
ワスレテシマイマシタ。』
私 『すごいです〜!どちらにお住まい、えっと、
どこに住んでいたんですか?』
パンツエルさん 『ロッポンギノアメリカタイシカンデ3ネンハタラキマシタ。
イエハスグチカクデシタ。』
さっきは私が日本人だと聞いても日本語なんておくびにもださなかったくせに。
ううん、だいぶリラックスして来たね。
それからマッサージの間彼女の日本にいた頃の話を日本語で会話。
面白いものでドイツ語だととてつもなく高圧的でいじわるなおばさんに
見えたこの人は片言の日本語(とはいってもかなりウマイ!)
だと清楚で可愛らしい乙女に見えるのだ。
私(日本語)『さあ、マッサージはおしまい。ドクターがいらして
鍼をうってくださいますからね。』
パンツエルさん『オネガイ、ココニイテ。ワタシノテンシサン。
ワタシハハリガコワイ。ワタシノテヲニギッテ。』
はああ〜?天使?鍼が怖い???
私 『わかりました。すぐ来ます。』
私、急いで先生の部屋をノック。『あの〜、パンツエルさん、マッサージ終わりました。それから鍼のとき私に同席してほしいそうなんですけど〜。』
先生はにこにこ笑って『そうそう、彼女は先端恐怖症(!)なんだ。手を握って何か気を紛らわしてあげなさい。』(先端恐怖症の人が鍼なんてうちに来ないでください!!)
またあ、先生は時折とっても気軽に私にとてつもなく無理難題を要求する。
もうヤケクソだ。歌でも唄うか?ん???
そうか、だって日本語わかるんだもんね。それもありか?
さて、結局私はパンツエルさんに何をしたでしょう?
続きは明日のお楽しみ。
2012年11月3日土曜日
メルヘンおばさん 1⃣
彼女との出会いは最悪だった。
正確に言うならば、私は彼女に偏見を抱いていた。ここ数ヶ月の
彼女と先生との間に起こったトラブルの全貌を知っていたからだ。
私の前任者はドイツ人だったのでドイツ語の書類関連は全て彼女がやっていた。
彼女が29歳にして医学部入学を決め、去っていったあと難しい書類をお忙しい
先生がこなさねばならなくなった。なんといっても私は右も左もわからなかったし••。
うちの先生はドイツ語はぺらぺらだが書くのは苦手だ。もちろんドイツの大学で
医師免許をもらっているから最低限以上のレベルだが、『医師』のステイタスに
見合ったインテリジェンスなドイツ語を書けるかというと、それは望むべくもない。
今回の一件は、書類のことで先生の対応がもたもたしてしまい、いよいよ険悪な
感じになってきたタイミングで私がヘルプに入り、稚拙ながらもなんとか
まとまりをつけた、冷や汗をいっぱいかいていっぱい嫌みを言われた事件だ。
もちろん非は全てうちにある。
その、いっぱい嫌みを言い放った彼女が私の目の前にやって来た。
『あなた、名前はなんていうの?』
『ヨシオカです。』
『あら、日本人。で、下の名前は?』
『アヤコです。』
『アヤコ ヨシオカっと。ところであなたはドイツの正規の医療補助
教育というものを受けているのかしら?』
(いや〜、イタいところをつくねえ。)
『あの、それはどういった意味でしょうか?わたしは自然療法家養成学校を
卒業していますので医学の基礎知識には問題ないんですが。』
『ふん、自然療法家養成学校。それはドイツの学校なの?』
『ええ、そうです。』(だから、何が言いたい訳?)
『つまり、その学校ではドイツの病院で発生する書類の書き方なんかを
ちゃんと教わるのかってききたいのよ。請求書とか医者の申し送り書とか、
そういうやつ。』
(やっぱりそうきたか。ちなみに診療所で発生する最低限の書類の書き方は
習います。)
『はい。ただ、ここはプライベートの病院なので保険計算などは関係ないので
いわゆる医療事務の知識は要らないんです。』
『だいたい、こちらの先生もカリンさん(私の前任者、仮名)の後任でよりにもよって
日本人なんか入れることナインじゃないの?どうしてドイツ人じゃないのよ。
おかげでこの間の書類の一件はさんざんだったじゃないの。まあ、あなたに言っても
仕方ないわよね。悪いのは全部先生だもの。私、どうしても先生に直接会って
もの申したいのよ。なんとか替えられないものかしら?』
それってここの病院における私という存在の全否定??
『替える』って私を誰かと取り替えるって意味?
返す言葉もなく立ち尽くす私。そこへ先生がやって来た。
『やあやあ、パンツエルさん(仮名)。
この間はすまないことをしてしまいましたね。』
『すまないどころじゃありません!私はここの病院のアシスタント
採用基準について是非先生とお話ししたくて来たんです。』
『まあまあ、まずはお茶をいれますから私の部屋でお話しましょう。
(私に向かって)吉岡さんは1号室の患者さんのお灸をしてあげて。
下腹部と足の腎経ね。』
『はい。』
20分後、お灸が終わって受付に戻ってくると先生がずいぶん沈んだ様子で
座ってらっしゃった。こってりしぼられたみたい。
さて、ところがこの15分後に私はこの患者さんとものすごい
仲良しになります。
話が長くなるので続きは明日のお楽しみ。
あの世の存在を信じる彼女
『ねえ、あなたは生まれ変わりを信じる?』
ガルミッシュの彼女は初対面の私に開口一番そういった。
『ええ、もちろんです。私は日本人だし一応仏教徒だし
(信心深くはないけれど)。日本だったら、普通の会話で
私は生まれ変わったら何になりたいとか私とあなたには
前世からの縁があったのかもなんて話したりしますよ。』
『私はクリスチャンなんだけど、カルマ(前世の業のことわり)
だけは固く信じているの。
でも、こんな話をしても変な目で見られるだけ。』
そうなんだ。宗教を失って久しいドイツ。宗教なんて
今となってはあるのかないのかわからないような日本。
(これについては色々異論もあるとは思いますが
私は印象としてそう思っています。)
けれどそれぞれ固有の歴史と背景が刻み込まれた二つの国。
人々の何気ない会話や小さなタブーの中にそういった思想と
その残像をくみ散ることが出来る。
『私は主人と離婚してもう30年以上たつんだけど主人は医者だったの。
もう、べらぼうに頭がよくって仕事ができる男前だったのよ。彼の
お父さんも医者でお母さんはピアニストだったの。だから彼のピアノの
腕前もそれはそれは素晴らしいもので、もう、私なんかすぐに参ってしまって
結婚しちゃったんだけど、あれはどう考えても大失敗だったわ。
彼はとにかく自分のことしか考えられないエゴイストで家族のことも
何も考えない冷たい人だったの。息子に会いに今でも来るけど、ついこの間
会ったときには、今の奥さんが自分の言うことを聞かないって愚痴ってたわ。
今の奥さんが4番目の人だからいい加減に少しは気づけばいいのにね。』
『それはそうと主人のお父さんの弟がね。私たちが結婚する少し前に
亡くなったの。あの家族はみんな芸術肌でその人は水彩画が趣味で
きれいな風景画を描く人だったの。彼の絵を立派な額縁に入れて
飾っていたんだけど私たちの結婚式の日になんのいわれもなくその
額縁が壁から落ちて壊れちゃったの。
不吉よね。義理の伯父に、アイツと結婚してもうまくいかないよ、って
言われてるみたいだった。
不思議に割れたのは額縁だけで絵はまっさらなまま。そしてその絵は
その後、3回不吉な事件を予言することになるの。主人のお母様が
お亡くなりになられた時も絶命したまさにその時刻に落ちて割れたわ。
わたしたちはお母様の容態が急変したことすらそもそも知らなかった。
でも、なんといっても絵のチカラを知っているじゃない?
だから手当り次第に親戚や友達に電話をかけてみようと思って
まずお母様のところへ電話したらなんと的中だった訳よ。
あの弟さんは天国へ行ってみんなのことを見守ってくれて
いるんだと思うと、気味悪く思うどころかなんだか
暖かい気持ちになってね。』
『例えばこんな話ひとつをとっても`あの世`はあるって
私が信じていることをわかってもらえるでしょう?私、基本的に
宗教はどれでも同じことを教えているんだと思うの。
神という言葉を使うのかどうかが問題じゃなくって、
私たちが何らかの魂の向上を目指して生々流転を
繰り返しているのだということ。死ぬのは無ではないのだということ。
これが大切なことなのよね。』
ガルミッシュの彼女は治療が終わると治療台のベットを
きれいに元に戻して部屋を整理整頓して退室してくれる。
(彼女は観光地ガルミッシュのペンションのオーナーでも
ある。)こんな風に強い信仰心を持っている人は裏表がない。
他人が見ていても見ていなくてもきれいに後片付けを
していく人だ。
2012年11月1日木曜日
風邪〜オニのかくらん
今日はドイツ(ミュンヒェン)は祭日です。プラクシスもお休み。
ああ、でも風邪引いちゃいました。先週末から主人が風邪を引いていて
みごとにそれがうつった形です。主人は学校勤務だから学校の風邪を すぐ
もらってくる。隣の布団でごほごほ、熱もあって一晩中主人の ウイルスに
さらされていた私。
一生懸命うがい 励行していましたがなんだかのどがやばいよう!
とりあえず病院からいただいた朝鮮人参茶をいただいていました。
しょうがもなつめも入っているしぽかぽかあったまって これでなんとか
なるかな?? おとつい、病院で先生に主人の話をしたところ、
『何?風邪?それはいかん!! 私がご主人に薬を調合するから
持って帰って飲ませなさい!』
『いえいえ結構です。(漢方薬ってドイツではとってもお高いんですよ)
このあいだの朝鮮人参も飲んでいるし。』
『だめだだめだ!あんなもの何の役にも立たん!!』
(オイオイ!それは言い過ぎ!)
お忙しいのに、主人の代わりに私相手に問診をはじめ
『お代はいらないからね。ご主人お大事に。』って言われて 漢方薬をお土産に
もらって帰ってきました。
そのお薬を自分で飲むはめに。とほほ。(主人は先に ずいぶんよくなりました。
もう、お薬いらないって。)
うちの息子がここでお世話になっていたころから 先生の『腕』は信頼して
いたけれど、本当に先生の お薬はよく効く。体に負担を与えないで辛い症状が
楽になっていく感覚も体感できるし、久しぶりに自分が 患者になって、
良い体験をしたってことでいいかな。
さて、明日は金曜日、朝7時にガルミッシュから 『あの』患者さんたちが来ます。
わお、5時起きだ! 小さな小さな診療所なので私のような一アシスタントでも
役割は重い。
明日までにフィットになって頑張ろう!
注)ガルミッシュ•パルテンキルヒェン...ミュンヒェンから南西80キロの
リゾート地。1936年冬季オリンピック開催地。
ドイツ最高峰ツックシュピッツエ山がある。
ペトラさん
ペトラさんはクレオパトラみたいな美人。
きれいなまっすぐの長い黒髪に黒い目。
でも日本的な感じとは違って特別な凛とした緊張感がある。
うちのプラクシスにも 若くて素敵な女性の患者さんは何人か来るけど、
その中でも彼女はちょっと神秘的な 雰囲気の人。
でもきっと心に傷があるんだと思う。
彼女が初めて電話してきたのは3週間ほど前だった。
『予約を入れたいんですけど。』
『ハイ、お名前は?』
『•••ペトラです。』
『??はい、ペトラさんですね??』
病院で予約を入れるのにファーストネーム しか言わない人なんて普通いない。
まあいいや。電話番号も聞いたし。 でも翌日、私が予約を入れた次の週にも
同じ名前の人の予約が入っていたことに 気がついた。予約を入れたのは
先生の奥様だ。なんだかおかしいぞ。 そう思っていたらまたしても
彼女から電話が来た。
『あのお、来週予約を入れたものなんですが』
『はい、お名前は?』
『•••ペトラです。』
『はい、ペトラさん。先日お電話くださった方ですね。』
『あの、こちらの先生なんですけど、精神面でのケアとか患者さんに
してくださるんでしょうか? わたしの病気は頭痛とか不眠症とか
いろいろなんですけど、でも一番大切なことは 心理的な問題なんです。』
なるほどね。大丈夫、まかせて。
『問題ないと思います。うちのドクターは心理学と精神医学が得意分野ですから。』
これは本当。うちの先生は漢方の先生だけど(西洋医学的には内科医)
趣味が心理学と精神分析でしょっちゅう この手の本を読んだり議論してる。
でも、一応、先生の耳にも入れておこう。
そして(最初の)予約当日、素敵な美人の彼女がやって来た。
ひゃ〜、きれいな人。 受付票にフルネームを記入してもらう。
そのとき、彼女の心の傷のかけらを発見することになる。
彼女の名字は、それは ひどく耳障りの悪い差別用語だった。
こういうことって私は日本では見たことがない。でもドイツではときどき
びっくりするような 変な名字の人がいる。『にんにく』さんだとか
『ぶたのしっぽ』さんだとか。
でも彼女の名前は私がこれまでに聞いたことのある変な名前の中でも
飛び抜けて ひどい、それを耳にしただけで心が痛んでしまうような
種類のものだった。
他人に聞いたことだが、ユダヤ人が虐げられていた頃、
侮蔑的な名前を強要された人たちがたくさんいるのだとか。
彼女の黒髪もユダヤにまつわるものなのかしら。
日本だったら『言霊』といういい方があるけれど、
言葉には魂があって、それを文字や音にして
『形』にしたとたん、その言葉の持つエネルギーも
一緒に放たれてしまう。
こんな酷い言葉を背負わされて生まれて来たら
いくらニュートラルに発音しようと思っても、頭をかすめる
『ああ、かわいそう』という想いはぬぐえない。
ネガティブな事柄を『笑い』に変えてしまうという『手』も
あるが、それこそこれはエネルギーが要る。こんな名前じゃ
それを言う方も言われる方も辛いよね。
診察室での問診はずいぶん長く続いた。治療が始まって
私もちょこちょこお手伝い。 もちろん彼女のカルテをわたしも見る。
ふ〜ん。こんなに若いのにたくさん苦労して らっしゃるんだ。
『ペトラさん。』私も先生も彼女のことを下の名前でしか呼ばない。
彼女がそれを望んでいるから。
きっと治療はこれから長く続くよ。一緒に頑張っていきましょう。
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