2012年11月9日金曜日
プロフェッサー ②
プロフェッサーは厳格な方だ。
我々の一つ一つの所作に正当な理由を求め
自分が納得したならそれを厳密に滞りなく
行うことを要求する。
つまり、一言で言うと面倒くさい人だ。
もし彼が彼でなかったならば、そして彼の
病気があの病気でなかったならば、きっと彼のことを
いやなおじさんだと思ったに違いない。
けれど私はプロのピアニストという職業の人を
心から崇めている。ピアノだけでなくて舞台に立つ
ことが職業の人ならば、それがどんな人でも
尊敬してしまうのだ。
これは私が主人から教わった、たぶん最も大切なことだ。
〜私と主人は職場結婚だ。彼は私の職場でとてつもなく
誠実に働いていた。信じがたい真面目さで見返りを求めず
勉強熱心でアイディアが豊富なのに、誰にでも気軽に自分の
思いついた考えをを分け与えていた。
正しくないと思ったらどれほど偉い上司にでも
もの申したし、従って誰からも一目置かれていた。
何よりも陰日向がなかった。
私は、彼がなぜ、そこまで生真面目なのかがわからなかった。
どうでもいいようなことまで全力投球で打ち込むからだ。
実は結婚してからもこういう完璧主義は彼の性癖なのだろうと
単純に思い込んでいた。子供が音楽を始めるまでは。
彼は元音楽家だった。病気をして自分から舞台を降りてしまった。
(そしてそこで私に出会ったのだ。音楽オンチの私に。)
子供が音楽を始めると、彼は子供たちに「自分の満足のための」音楽
ではなく「他人に感動を与える」ための音楽を奏でることを求め始めた。
彼にとってそれ以外は音楽ではなかったから。
そしてそれからやっと私は気づき始めたのだ。まわりに感動を
与えるということの素晴らしさ、尊さと厳しさを。
それは社会のどの位置に立っていても同じことなのだ。
(だから主人は音楽をやめてからも自分の生き方は変えなかったのだ。)
けれど舞台の上ではひときわ厳しい。サーカスの芸を思えば良い。
綱渡りなんて出来て当たり前。綱渡りをどんな風に「魅せる」かで
プレーヤーの価値が変わってくる。100点満点は最低条件なのだ。
彼は舞台を降りたあとも、心の中でいつも舞台に立っていたのだと
思い知るのにこんなに時間がかかったなんて。〜
私はプロフェッサーが他人に求める厳しさの分、きっと
それ以上に自分に対して厳しく生きて来たに違いないという
確信があった。
だから私も彼に対して、真摯に治療を行わなければならないという
気持ちになっていた。
(続く)
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