2012年11月23日金曜日

砂漠の彼方に光る井戸 ③




    

   『あなたの顔なんか見たくないのよ!もう、何度言ったらわかるの?』



 私だってあなたの顔を見ずにすむならどんなに楽しい毎日だろう。あの日飛び込んで来た彼女は私のアシストにいきなり見切りを付け退場命令を出したのだ。そのあと全ての
場面で私が治療に参加することを拒んだ。あの頃の私はちょうど仕事を始めて3ヶ月目にさしかかった頃。一生懸命毎日勉強して、職場でも失敗しながらあっぷあっぷしていた
頃だ。仕事が楽しく思えて来始めた頃でもある。患者にあなたの顔を見たくないと言われてもこっちは仕事だ。頭の中で念仏のように「私はプロだ。私はプロのアシスタントだ。
私はプロの治療家なんだ。」繰り返し唱えながら彼女の治療室の前で深呼吸した。
うちの患者さんはシンパシーあふれる人が多かったし皆さんとお友達みたいになれて
ちょっと有頂天も入ってた最中だったから、彼女にほとんど意味もなく完全否定されたのはまいった。



 シュピッツさん(仮名)は定年退職したお医者さんだった。メニエール氏病という
これまた厄介な病気が発病したばかりだった。この病気は完治が困難でめまいと吐き気、
耳鳴り、聴力障害などを発作的に繰り返す。かなり辛い病気らしい。うちはこの病気の患者さんは多数いらっしゃる。治療開始は早ければ早いほど治癒率が高まるらしい。
彼女は発作があまりにも堪え難いものだったらしく診察台の上でのたうち回りとても
危ないので必ず誰か補助がいるのだ。先生だって他の患者さんのケアがある。初診のとき
みたいにつきっきりというわけにはいかない。


 彼女は私のことが嫌いというより、うちのドクターの治療を受けに来たのに他の人が
自分に手を出すのが耐えられないらしい。最初の指圧のときに散々なことを言われた。
私が資格を持っていないことをなじられた。私の医学の知識が自分より劣っていることで
馬鹿にされた。(いや、私がアンタより優れていたらアンタが困るでしょう。)
何度もひどいことを言われて泣かされそうになった。でも頑張って治療室で涙は見せなかった。

 
 私はドクターに頭を下げた。『申し訳ありません。私の力が及ばないようです。指圧も
お灸も何もかも、ドクターからでないと受けたくないとおっしゃっています。』


先生『わかった。わかった。じゃ、彼女のケアは全部ぼくがするからね。』



 そうはいってくださったがちょっとしたことでもアシストのいる場面が出てくる。すると親の敵みたいな目で見られるのだ。




 シュピッツさんは2日に一度の割合でやってきた。彼女が来る時間帯は憂鬱で
なんとか少しでも顔を合わせないようにしたいものだと願ったものだ。





(続く)






0 件のコメント:

コメントを投稿