メルヘンおばさんが久々にやって来た。
でも治療ではない。クレームだった。
メルヘンおばさんことパンツェルさん(仮名)は昨年秋から冬にかけて20〜30回ほど
集中的に施術を受けにきた。そういえばここのところ見かけないなと思っていたが、その
からくりは単純なもので、彼女の保険会社がうちの治療費を負担する。そのやりとりに
気の遠くなるような時間を要するのでその間は休憩。全額支払われたらまたリピートで
やって来るの繰り返しなのだ。
彼女はなぜか(夫が米国人?)アメリカ国籍で保険会社もアメリカで、これがもう、面倒くさいったらありゃあしない書類の山を求めて来るのだ。もちろん英語で。
当然、私の上司は(ドクターよ)書類はダメダメ。英語もすみません、の人なので(私の
知らないうちに)事態は険悪なものになっている。
そしてパンツェルさん、相変わらず信じられないほど口が悪い。私はアメリカ人の知人を持たないのでよくわからないが、この「テ」の「口の悪さ」は多く、ドイツ人の
「おばさん」に見られるものだ。本当の事なら何でもいえばいいってものでは
なかろうに。
全く同情しちゃうよ、ドクター。
『ドクター、あなたの書類、めちゃめちゃですよ。』
『よくそんなんで医者が務まりますね。』
『”恥”ですよ、全く。そんな言語能力で。』
『これ以上、私をイライラさせないでください。』
アシスタントの私の目の前で罵倒を繰り広げる。さすがの私もあまりに先生が哀れで
応戦に出ようとしたその時突然、パンツェルさんは私に向かって日本語で語り始めた
のだ。
『オヒサシブリデス。ワタシノテンシサン。アナタニアエテワタシハウレシイ。』
以前、「メルヘンおばさん」で説明した通り、パンツェルさんは日本のアメリカ大使館にお勤めで日本語が出来る。おそらく彼女はいわゆる「語学のセンス」がある人なのだと思う。彼女の日本語は訥々(とつとつ)としたものだが、なんというか、抑揚とか発声とかがとてもお上手だ。ドイツ人や中国人のしゃべり口調は私の目から見ると、ちょっと
した時候の挨拶でも喧嘩をして怒鳴り合っているようにしか聞こえない事がしょっちゅうだが、日本語をしゃべっている時のパンツェルさんは半分歌うようなささやくような、
要するに日本人の発声だ。優しく淡く、しとやかで遠慮深い。
二言三言、ドクターにドイツ語で毒づいたかと思うとドクターが黙った隙に
『モウシワケアリマセン。オチャヲイタダイテモイイデスカ?』
私はもう、戦意喪失でお腹を抱えて笑い出したくなったのだが、今、この状況の
コミカルを理解出来る人間は私しかいない。ああ、ドクター、あなたが日本語を解する
人ならばパンツェルさんの言語の使い分け能力のギャップを一緒に体験出来るのにい!
『コチラノオカシモイタダイテイイデショウカ?キョウハイイテンキデ
ナニヨリデス。ミナサマノオカゲデブジニシテイマス。デモ、モウチョット オナカノシボウヲヘラシタイデス。』
そう、現在の彼女の主訴は「肥満」。鍼を打ちに来る度に、でっぷりとしたお腹を
さすりながら、「鍼でこのお腹を平らにしてくださ〜い。」と無茶ともいえる要求を
出して来る。ううん、東洋医学に対する幻想だ。待合室で心行くまでおやつを食べて帰る彼女に治癒の見込みはないように思えるのだが • • • 。
『とにかく、こことこことここ、今すぐ書き換えて再送してください。
私はこれ以上、あなたのために時間を無駄にしたくないんですから
もう、これで帰ります。
(私に向かって)ソレデハサヨウナラ、ワタシノテンシサン。』
きっと、この人、日本に住んでた頃はみんなに「いい人」って思われてたのかも。
少なくても日本語でしかやりとりをしなかった相手に対してはね。
今日、改めて学びました。語学っていうのは単語を覚えたり文法を覚えたりするだけ
じゃないんだよね。言葉を学ぶ民族のキャラクターを受け入れるってことなんだ。
日本語で話すように丁寧にドイツ語でしゃべってくれさえしたら、もっとずっと
「いい人」でいられるだろうに、パンツェルさん。
そして我々は一人一人が「言語を担うもの」としての責任から逃れられないのだという事をひしひしと感じた事件でした。
An einem sehr schönen Sonntagnachmittag ある素晴らしい日曜日の午後に
by Jiro Y.
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