2013年4月30日火曜日

南の島から来た彼女  ⑫



 『査定」から2週間後の日曜日、リードさんの「講習会」の日がやってきた。
私は日曜出勤だ。(家族はぶうぶう言っていた。そりゃそうだ。)講習会のタイトルは「利益を上げるための病院経営のノウハウ」。


 私たちはドイツのスタンダード、理想的なドイツの病院のあり方というものを習った。
とにかくマニュアルだ。プロフェッショナルであるためにチームカラーをまず決める。
うちのロゴは白と青で陰陽のマークなので青で全てを統一すべきだという事になった。
それにあわせてステーショナリーは全て青で統一すべきで患者さん用のボールペンも
うちのネームの入ったものを特注しなければいけない。ファイルも(白だったのだが)
白は汚れが目立つのでこれも青に統一すべき。カードも内装も全て病院らしいもので
モノトーンに改装しなければならない。チープな印象を与えてはならない。時計は先生の
奥様が大型店で買ってきたものをそれぞれの治療室に置いているのだがこれもきちんと
色やデザインのシックなもので買いそろえるべき。これらは彼女の会社の関連会社が全て請け負ってくれる。ちょっとちょっと、聞けば聞くほどめっちゃお金がかかる事だらけ。
そんなことしてピカピカの実務的な病院作り上げてどうするの?


(つづく)





            これが陰陽のマーク。うちのロゴは白と青
     

2013年4月28日日曜日

南の島から来た彼女  ⑪



   リードさんは医療アドヴァイザーとしてプロっぽく様々な視点から
  うちの病院をチェックしていった。



 患者さんにお願いする治療後のサイン。ボールペンは何を使っているか。
私の髪型、お化粧、服装。お掃除の状況。電話の応対。治療のあれこれ。
病院の内装。彼女は私を改めて上から下までじっくり眺めて


  『うん、OK。髪はさっぱり結い上げて化粧は薄化粧。チャイナ白衣は清潔っと。
  あと • • • あえていうならマスカラでもつけると理想的かも。』



余計なお世話だ〜!何で私が職場で仕事するのにマスカラがいるんだ〜!!っと心で
毒づく私。まあいいや。全体としてはOKだったわけだから。




 だけど研修のお代は約90万円では済まないようだ。彼女はうちの受付が小さくて良くないと
言い出した。確かにうちの受付は小さめで質素なもの。スタッフも一人しか座る事が出来ないからみんなで仕事の優先順位ごとに順番に座っている。そこで彼女が奨めた
受付セットは巨大で真っ白。これってまるでドイツの歯医者さんみたい。
これが病院としては「ベスト」だからって。



 ちょっと、ちょっと、これって危険なんじゃない?でもドクターはすっかりその気になっている。ものすごい金額だし、第一この受付セットってものすごく大きくて受付ロビー
の全てを占めちゃって患者さんのスペースがすごく狭まっちゃうよ。


       このシチュエーションってある意味ピンチじゃないの?



(つづく)



                                  これが典型的な病院の受付?私はうちの病院にこんなのやだあ。


2013年4月27日土曜日

南の島から来た彼女  ⑩



         そして今日は「査定(?)」の日。



 リードさんが白衣を着て現れた。彼女はうちのドクターの同僚の女医として
(嘘つき!)治療の場に同席し病院の午前中の流れをチェックし様々な角度から
評点をつける。
そして今日トップバッターの患者さんはホーノルさんだった。まずは私の指圧から。




 本当はリードさんは指圧そのものは私からの施術を何度も受けていてもう、知りすぎるほど知っている。彼女はホーノルさんに自分は女医だと自己紹介して、まあ、偉そうに生活指導だとか食事指導だとかヒーリングミュージックのCDを買えだとかいけしゃあしゃあとこちらが頼んでもいないアドヴァイスをする。しかも漢方とは何の関係もない事だらけだ。クリップボードを抱えて色々と書き込んでいるけれどそれらは私たちスタッフの
評点となるものだ。


 もちろんホーノルさんは微塵の疑いも持っていない。気のいい彼女はリードさんとも
気さくに健康相談の会話をする。



  『うわわわ〜!違うんですう〜!あの人は医者でも何でも無いんですう〜!』


叫びだしそうになる自分をぐっとこらえてなんとか30分の施術を終える事が出来た。

(つづく)




         コスタリカラス・ボラス・グランデスまたはオーバーツ
          謎の石球。

2013年4月26日金曜日

南の島から来た彼女  ⑨



                 案の定だ。



 ううん。みんな商売熱心だよねえ。こんな風にお互いに商売し合う人もうちの病院で
よく見る風景だけど今回は額が大きい。リードさんがさりげなくほのめかす「成功に
導くプラクシス(病院)経営」のスタンダードにうちが「ついていっていない」という説
にうちのドクターははまってしまった。なんで?って私は不思議で仕方が無い。ドクターは自分のやり方に自信が無いのかな?
リードさんは『もしドクターがお望みなら指導して差し上げますけど。』って大上段に
構えてドクターはあっさりと受け入れた。
そして講習会の代金は日本円で約90万円以上。やっぱり向こうが得するように
出来てるじゃない。



 私は極力他人様の事には口出ししない主義だが今回は何度も悩んだ。どうしても
私には思えてしまうのだ。あんな「ただのドイツ人の女」(人種差別発言!ごめんなさい!)にどうしてうちの病院の事をつべこべ言われなきゃならないんだろうって。
うちの病院は何から何まで「変わって」いる。全然病院らしくない。内装もスタッフも
システムも治療も。ここに一歩足を踏み入れるとドイツじゃない別の空間になる。
中国の雰囲気をふんだんに取り入れて凝った内装にしたりしてる漢方の診療所なら
ドイツにはたくさんあるけどうちはそういう「外側」だけじゃなくって、むしろ
ドイツらしくしようとしてもどこからどう見ても隠しきれない中国のオリジナリティーに
溢れている。ここに「居着く」患者さんはそういうところに惹かれて来る人たちだ。
従って「ご縁の無い人」だってもちろんいる。大雑把だったりして大陸的なやり方に
ついていけないって感じて去っていく患者さんだっている。でもそれでいいんだ。


 私たち日本人は自分たちのオリジンとアイデンティティーに基本的に自信がある(人が多いと思う)。でも中国人たちはちがうのかな。共産圏だもんね。ドイツ人に「ドイツではこうでなきゃいけない」なんて説教されるととたんにそっちへなびいていっちゃう。
今回はそんな危険に満ち満ちていた。


(つづく)


2013年4月24日水曜日

南の島から来た彼女  ⑧




 こちらVIP患者のリードさんも都合3ヶ月ほど良く通ってきた。よく食べよくおしゃべりして良く遊んでいった。(なんか良い子の生活態度のお話みたいだな。)
彼女の職業は医療アドヴァイザー。えっ、何?それ?なんか、お医者さんにアドヴァイスをあげるのがお仕事の会社なんだって。まあ、そんな「触れ込み」で来られちゃあドクターも緊張するよね。歯科が専門らしいんだけど、どの分野でもOKらしい。毎日お医者さん相手に研修をしていて病院から病院へと飛び回っているって。



 それって何だかアヤシいんじゃないって思っていたら案の定だった。私は最初から彼女を批判的な目で見ていたからああやっぱりって感じだったけど。
もちろん彼女の会社はどんなにお高い治療費でも全額出してくれるよね。あからさまに
カモ狙いで来てるんだもん。3ヶ月ほどうちに通ってすっかりアレルギーが良くなったと言う彼女の請求書の額は全部でだいたい日本円で60万円ほどになった。そしてその頃
強力に自分の商売を始めだした。


 さて、一体いくら元を取ろうというのだろう?



(つづく)


          名も知らぬ遠き島より流れ寄る椰子の実ひとつ。  

ミシャ マイスキーのコンサート





     チェロの王様(見た目からいうと神様だな)ミシャ マイスキーの
    コンサートに行ってきました。夫と二男と私の三人で。





                                      会場はミュンヒェン プリンツ レゲンテン劇場。




 毎年彼のコンサートは魅力たっぷりのプログラムなのですが今回も最高!

       マックス ブルッフ  コル ニドライ
       チャイコフスキー   ロココヴァリエーション
       ブラームス      ドッペル コンチェルト



 実はチェロをやってる二男がつい最近「コル ニドライ」の譜面を先生からもらってきて(私はこの曲を知らなかったので)CDで聴いてなんて素敵な曲だろうって大感激して
いたところだったので(といっても今は別の曲をやっていてまだ始めないみたいなんですけど)もう、運命を感じちゃってチケット買っちゃいました。火曜日にコンサートとは
働くお母さんにとっては辛いんですけど、でもこのクラスの人になっちゃうと疲れも
全部癒してくれるすごい演奏でしたから翌日も頑張って仕事に行けました。


 三曲とも本当に本当に素晴らしい名演でした。完璧な演奏とはこういうのを言うんだ。
音楽には全然詳しくない私なのでホントに感じたままですがこれ以上無い「自然な」美しい音で、特に微妙で繊細な表現を要求されるピアニッシモの聴かせ方がすごかった。びりびり感じちゃったです。


 ちなみにチェロに関心の無い長男は置いてきぼりにしました。ごはん置いて行くからねって言ったんだけど(そして事前に説明して了承を得ていたんだけど)本人は忘れていたらしくなぜ家族が誰も帰って来ないのか不思議に思っていたらしい。マイペースなやつだから淡々とごはんを食べ普通に生活して一人で寝たということだ。




2013年4月22日月曜日

南の島から来た彼女  ⑦



            私は彼女の事を好きになれなかった。



 正確に言うと「彼女のような種族」だ。リードさんはとても親切な人だし
いつも誰に対しても丁寧だし、ましてや私の事をことのほか気に入ってくれて
ドクターの前で繰り返し繰り返し褒めまくった。あの頃午後の担当の同僚が
もう一人いて彼女の事を気に入ってなかったという事情もあるのだが、私の株が
当時一気に上昇した要因の一つに彼女のべた褒めがあった事は間違いない。



            でも心の奥底に潜む本能的な嫌悪感は事実だった。



 その感情はある意味私の傲慢さから来ている。彼女はうちの患者さんの何割かを占める
いわゆるVIP族でプライベート保険に(彼女の場合は会社が)加入し高価な治療を思う存分
受けられるセレブな人たちだった。プライベート保険というのは加入する場合通常、
加入者の収入が手取りで最低4000ユーロ(日本円だといくらだろう?今、円安だから
50万以上になっちゃう?)だとか聞いた事あるけど色々なオプションがあって
月額500ユーロとか庶民には手の出ないお話だ。
この「元を取る」ためにせっせと通って来るウエルネスな患者さんが必ずいる。



 私がこれまでブログに書き記してきた患者さんの多くは自払いの人々だ。
汗水たらして稼いだお金を治療につぎ込んでいる必死の人たちだ。
例えば私は(正確には息子)もともとここの患者だった。私もここの治療費が高いのに
悲鳴を上げ一旦治療を打ち切ったことがある。ラッキーな事にそのあと子供に補助保険と言う公的保険とセットにするタイプのものをかける事が出来たため6ヶ月の猶予期間を置いて治療を再開する事が出来た。うちは本当にラッキーで、子供の補助保険料はとても
安く(月700円くらい)彼の主治医が「健康に問題なし(?)」と見立てていたため
(西洋医療的にはね)上手くいった。本来プライベート保険は補助保険も含め病気になった後では保険に加入出来ない。だから我が家のケースは全く例外的でほとんどの患者さんは治療にものすごく真剣なのだ。



 だからこの「ウエルネス族」はなんだかとっても見ていてイライラしてしまって
しようがないのだ。いまだにこのギャップを完全には乗り越えていない私だ。


(つづく)



        ええっと、円安だっけ円高だっけ?すぐわかんなくなっちゃう。



 

2013年4月21日日曜日

南の島から来た彼女  ⑥




    けれどその頃私たちはパラレルに色々な問題を抱えていた。



 一つにはハルさんの問題。多くは「シャボン玉飛んだ」に書いたけれど私たちにとって大切な大切な人の事で私たちはやきもきしていた。



 もうひとつ、別の問題があった。ドクターはちょうどこの頃、うちの病院について
ある、一つの分岐点に立っていた。これまで必死で病院経営の事だけ考えていた。
どんな無理でもして頑張って働いてきた。ここに来るまでたくさん苦労をしてらして
なんとか病院をうまく軌道に乗せるところまで来た。これから先どんなふうにしていくのかまさに選択させられるところに来ていた。

 その時ある患者さんが現れたのだ。リードさんという、日光アレルギーを煩った方
だった。彼女はうちのいわゆるVIP患者さんであるある女医さんの紹介だった。


(つづく)




           ナマケモノもコスタリカで見られるらしい。




2013年4月20日土曜日

南の島から来た彼女  ⑤



        ホーノルさんはドクターともすぐ仲良しになった。



 彼女が先生と仲良しになった一番の理由は「自然観察」の趣味からだった。
コスタリカ島は自然の宝庫で世界中の生き物の3割をここで見つけられるとか
観光ガイドに書いてあった。ホーノルさんは昆虫の生態を根気づよくビデオに収めて
それらを編集したドキュメント作品をいくつも作ってらっしゃった。それはそれは
美しいビデオでお昼休みに私たちは食い入るように見つめたものだ。蝶やカマキリの
一生。川の流れや海の風景、朝焼けに夕日。鳥達の群れ。
中でも先生のお気に入りはトンボでホーノルさんはそれはそれはたくさんのトンボの
姿をヴィデオに収めていた。


 こんなに素晴らしい自然に囲まれて生きているんだからどうにかして生物学の
勉強を始められないかしらと思っているのだと言う。全く彼女は一体どこが病気なんだろうって疑ってしまうほど元気な人で毎回うちに来るたびに元気におしゃべりして
ごはんを食べていっぱい遊んで帰って行った。
でもこれが高血圧症の正体というやつらしい。実はうちのドクターも生来高血圧症
だ。だいたいこういう人たちは元気が余っていて興奮すると「アブない」タイプらしい。


(つづく)



             ムラサキツルギタテハ(コスタリカ)
                 私は蝶が好き

2013年4月19日金曜日

南の島から来た彼女  ④




   やったら話し好きでネアカな彼女。おしゃべり好きって言うのはキーワードだな。
  仲良しになるためのね。私はあまり自分から相手のプライベートに突っ込んだり
  しない方だからね。
  それにしても彼女は極端で、黙っているという事が出来ない。


   全く何も知らない南の島の話をたくさん聞く。ご主人とヴァカンスに出かけて
  そのまま惚れ込んでしまって住み始めてはや8年。貨幣価値が全然違うから
  彼女の月収が日本円で約5千円くらいだという話だとか、近所に怪しげな
  鍼灸院があって鍼に通ってみたかったけれどどうしてもコスタリカでは勇気が
  出なかったとか。でも彼女と一番気があったのは彼女はドイツ人であって
  もはやドイツ人のメンタリティーを持たず、かといって南の島の人々のような
  あまりにのんびりとした気質には今更なれない、といった海外に長く暮らす者
  独特のジレンマを我々と同様抱えている事だった。



   彼女は治療が終わると部屋をきれいに片付けてから出て来る。その片付け方が
  ハンパではなく、元々の私のベットメーキングよりずっときれいなのだ。
  ベットのカバーや毛布などのしわ一つ一つが丁寧に伸ばされていて、さすが
  ペンションのオーナー、仕事が違うねえと思わせる。



  (つづく)



          幻の鳥ケツアール。コスタリカは自然の宝庫。

2013年4月18日木曜日

南の島から来た彼女  ③




 この人は絶対ドイツ人じゃないと思った。西洋人には違いないけれどとにかく色が
黒い。こんがり全身日に焼けてロースト状態。ドイツ語は発音もよどみなくネイティヴ
な響き。う〜ん、どっからとっかかりをつけたらいいのかなっと思ってまずは定石で
天候の話題から攻めてみた。


   『今日はずいぶんお天気いいですねえ。暖かくって。』



   『ううん、私は30度以上ないと寒いって感じちゃうのよねえ。』


 私は何かの冗談だと思って
   
    『そういえば、ずいぶん日焼けなさってますよねえ。日焼けサロンとかに
    通ってらっしゃるんですか?』



 そしたら彼女は大笑い。

    『そうねえ、日焼けサロンっていえば毎日日焼けサロンで暮らしてる
    ようなもんだわ。』



 もしや日焼けサロンのオーナー??不思議がる私に彼女は自己紹介をしてくれた。


 彼女の名前はホーノルさん(仮名)。コスタリカ島でペンションを経営してらっしゃるんだって。ご主人共々ミュンヒェンのご出身で二年に一度ドイツの実家の世話(賃貸して
らっしゃる)で3ヶ月だけ帰って来るんだって。




       コスタリカ島ってどこ???



              何も知らない私でした。


(つづく)




                   ここです。

    

2013年4月17日水曜日

南の島から来た彼女  ②



    今年はもう、春は来ないんじゃないかと思っていた。



 年末は全体に暖冬だったがここに来ていきなりの寒波に見舞われ先週まで
毛皮のコートを着ていた私。ちょうど去年の今頃の服装はどうだったけって
考えていたらふと、ああ、あの南の島から来た彼女に初めて出逢ったのは
去年の5月だったよねって思い当たった。去年はずいぶん暖かかったんだ。
カリンさんとの仕事の引き継ぎはたった1週間でそのあと一人で心細かったけど
他にもアルバイトの子がいたりしてしかも病院はいい具合に結構ヒマで
スロースタートが心地よい日々だった。



   南の島から来たと言っても彼女はドイツ人。高血圧の持病を抱えた
  ご婦人だった。



(つづく)



行ってみたいな南の島


2013年4月16日火曜日

南の島から来た彼女  ①




        職場で培った「友情」っていうのはなんだか切ない。




 例えば職場の同僚。ドクターは上司だし奥様もやっぱり上司に近い。
うちはお掃除の人も含めてみんなすごく仲良し。このあいだドクターとお話ししてた時に
私たちの関係を形容する言葉を探してて、やっぱり「友情」って言葉に落ち着いた。上司に対して失礼は承知だけれど、お互いに対する尊敬の気持ちとか大切に想う気持ちとかが
職場の雇用関係を超えて対等なんだ。
どっちかっていうと家族の一員みたいな感じでもあるんだけどね。ドクターも、うん、
うん、ってうなずいて、そうだよね、吉岡さんとは素晴らしいご縁で友情をはぐくめて
いるよねってしみじみおっしゃってくださった。



 それでも、こういう関係っていうのはなんだか儚(はかな)くってやっぱり家族でも
ありえない私たちはきっと時間が経てばまた人生の別の場所へとすれちがっていってしまう。おとつい、カリンさん(私の前任者、仮名)が遊びにきてくれた。4年勤めた彼女とドクターとの絆は私とドクターのものとはまた違う色合いがあって強く、深い。




 これが患者さんとの友情になるとものすごく微妙なものになってしまう。患者さんの
治療中はものすごく密な時間を過ごしていてお互いの事をすごくわかり合えたような
気持ちになる事がままあるのだけれど、ほとんどの場合それまでだ。ましてや私は単なる
アシスタントで治療の主役は先生。先生でさえ長く維持している「友情」と言える
患者さんの数は決して多くない。病院と言ってもしょせんは商売。カネの切れ目が
縁の切れ目に結局なっちゃうんだよね。



    この人との友情は本物かもしれない、そう思わせてくれた女性との
   出会いについて書いてみます。



(つづく)



                  福岡タワー


2013年4月15日月曜日

北京ダック〜夫と妻と犬と私、番外編




      ガルミッシュのおばあちゃんは10年ほど前香港に遊びに行った事が
     あるらしい。そこの「名店」で「北京ダック」を注文した。




 すると、ドイツの「ペキン エンテ」とは似ても似つかないものが出てきたそうだ。
以前にも書いたが私の知る限りドイツにいわゆる「北京ダック」は存在しない。



 この写真はドイツのある中華インビス(立ち食いに近い簡易レストラン)のメニュー。
鴨のローストぶつ切りに野菜とごはんを添えて5ユーロ90セントだから日本円が
いくら円安でも千円もしない。高級店でも基本は変わりない。これをイメージして



こっちに出逢ったら驚くんじゃないか。ドイツ人は、つまり、北京ダックの正体を知らない。実は私は



このパターンに出合ったんじゃないかと思っていた。なぜならおばあちゃんは
その料理を一目見て、


          『猫だ。猫に違いない。』と思ったらしいから。(詳細は不明)



 パーシーは美味い、美味い、って食べたらしいけどおばあちゃんは具合が悪くなって
一口ものどを通らなかったんだって。


 で、そのあと観光で香港の市場を見学してたら本当に犬とか猫とかいっぱい吊るされてるのを(!)見て、『ああ、やっぱり』って思ったんだって。




 ドクターの奥さんにあとでこの話をしたら大笑いしてた。犬、猫は確かに以前は食べてたけど北京ダックだって言って出したりしないよって。そんなの一目でバレバレだよって。



 ちなみに皮だけ出す2番目の写真のお皿は日本の中華料理屋さんだけみたいです。
ということは大抵の日本人も北京ダックの正体を知らないという事になるな。


 「北京ダック」は大変手間ひまのかかるお料理なのでどこのお店でも作れるという
 代物ではないらしいです。




2013年4月14日日曜日

江本勝さんの講演会に行ってきました!



   今日は土曜日。「水からの伝言」を著した江本勝さんがミュンヒェンで
  講演会をなさるというので主人と子供を連れて行ってきました。







 宇宙の振動を伝える唯一の物質、水について貴重なお話をしていただきました。
私たちはミーハーにも本を持って行ってサインまでしていただきました。



                                                              江本勝さん
                       Foto by J.Y.



           
           左から江本さん、二男、私
                                                                                           Foto by T.Y.

2013年4月13日土曜日

夫と妻と犬と私  ⑲


     


      


       そうして彼らは帰っていった。夫と妻と犬。
       扉から出て行く彼らを見送りながら
       なんだか彼らは「おはなしの世界」からやって来た
       架空の人たちだったような気がしていた。
         

     これが人徳ってやつなのかなあ、と思ったりする。



 わがまま放題で自分勝手なのにやっぱりなんともいえぬ魅力を持った人がいて
全体として他人に愛される人生を送ったりして。パートナーとなる人など近くにいる人にはたまったもんじゃあないだろうけど。
そういう人っているんだなあ、前世の功徳を積んだ人なのかなあと思ったりね。
例えばうちのドクターなんかもタイプはちがうけどちょっとそういうところがある。
色んな場面でしっちゃかめっちゃか(!)なことやってるんだけど、とにかく愛嬌が
あっていざという時には結局上手くいってるし。患者さんからも(なんでこのやり方で
患者さんはついてくるんだろうって思う事がたくさんあるんだけど)多くの場合、
慕われているし。ドクターのやり方があまりに常識から外れている時には、正直に
キビシイ意見を言ってくれる人が必ずいる。ちゃんとそれを受け入れるドクターも
エライと思うけどね。


 人間として「好き」とか「嫌い」とかで判断しちゃあいけない場合がある。
この夫婦はその典型だ。


 色んな事を教えてくれた。色んな事を考えさせてくれた。



         さよなら。また御会い出来るかな。きっとね。


(おしまい)


      
        久々に後藤政志先生の映像を見つけました。拡散希望。



 







2013年4月12日金曜日

夫と妻と犬と私  ⑱





    『吉岡さん、あなたという女性に出逢えて私は本当に幸福でした。』




 お別れの時彼はまっすぐに私の目を見つめ心から別離を惜しむようにいとおしげに
そう言った。今日は夫婦二人だけだ。『輪舞(ロンド)』というウイーンの作家
シュニッツラーの戯曲があって、一幕ごとに主役とパートナーがダンスのパートナーを変えていくように交代し続け、最後にまた元に戻るという、あの時代(19世紀)としては画期的な作品があるのだけれど、なんだか地でそんなのを体験した気がする。
4週間、だ。



    『今度は直接ミュンヒェンに宿をとって保養のためにここに通おうと
    思っています。この病院の雰囲気、人々、内装、食事、薬や鍼や治療の
    あれこれ。全てすばらしい体験でした。』



 いやいやそう言っていただけるのも治療が上手くいったからこそです。こんなに
早く治療効果が現れてくれて本当に良かった。喜んでもらえて私も嬉しいです。
それは嘘じゃありません。




               ただ • • • 。


 私はやっぱり心の奥底で少し気になるものを抱えていた。正直に言うと、やっぱりこの人たちとはようつきあえんなあ、と思う気持ちだ。これが仕事じゃなくプライベートだったら私は彼らとは距離を置くだろうな、とはっきり感じていた。
こういうのをデリカシーの無い人たちっていうんだと思う。このご主人はすさまじく
魅力的な男性だった。今も見つめられると舞い上がってしまうくらい素敵な方
なんだけど、なんていうのかな、例えていうなら彼は「遊び好きのプレイボーイ」風な
優男で彼の素敵な物腰もあふれる知性も中身が稀薄でどこかに彼の哲学のようなものが
欠けている感じがしてしまったし、やっぱり私には彼がガルミッシュのおばあちゃんが
大切にしているこの大切な場所を平気でずかずか占領して素知らぬ顔を決め込んでるように思えてしまってならないのだ。


 4番目の奥さんも私はちょっぴり違和感があった。平気で病院に犬を連れてきた事だ。
動物と子供の事は解っても大人のTPOは解らないのかな。実は私はスピリチュアルな人には(特殊能力を持つと自負する人には)これまで何度かお目にかかった事があるが
そういう人で尊敬出来る人にまだ出逢った事が無い。私の印象をいわせてもらうならば
特殊能力を持つ人はその能力があまりにもその人にとって「大きすぎて」それにばかり
頼った人生を送ってしまいがちなのではないかと思う。かえって足下の「現実」が見えてなかったりするケースがある。今回も同様の印象を彼女に持った私だった。
江原啓之さんの本とか読むと素晴らしいなあって感動しちゃう私だけれど
なかなか誰しも自分と向き合って自分の能力を昇華させた人生を送るなんていうのは
至難の業ってことなのかな。


(つづく)



           アルトゥール シュニッツラー 「輪舞(ロンド)」
           岩波文庫の表紙はクリムトの「接吻」なんですよね。







2013年4月11日木曜日

夫と妻と犬と私  ⑰





 それにしても、この一家(??みんな同じ姓を名乗っているがパーシー以外の三人は
誰も血のつながりが無い)皆、「患者さん」としては理想的に素晴らしい人たちと
いえる。そりゃあ、私だってうちのドクターは腕のいい人だと思っている。
そうでなくっちゃ私はきっとここにいないしね。でもそれにしても治りが早すぎや
しないかっていうほど早く効果が現れた。



 4番目の奥さんである謎の能力を持つ彼女は腫瘍摘出の後不眠症と頭痛に悩まされ続け
この半年、一度としてきちんと眠れた事がなかったらしいが、なんとうちの治療を
受けたらたった一度でぐっすり眠れたんだって。
一応、まぐれってこともあるからその一週間はずっとご主人と一緒にいらしたけどね。



 そしてつまり私(たち)はこの一週間、ご主人の治療中にはご主人との会話にぽおっとしたりわくわくしたりして、今度は奥さんの治療室に行くとスピリチュアルな話題におおっと驚きの声を上げるという、またしても起伏に富んだと言うか飽きないというか面白い事が続く日々を味あわせてもらっていた。




(つづく)


            腎系の弱い方は意外と多いんですね、
            そんな方には六味地黄丸がおすすめです。



2013年4月9日火曜日

夫と妻と犬と私  ⑯

    


    驚くべき事に、彼女はこれまでの人生で3度手術を受けているとの事だ。
   麻酔なしで。




 一度は口腔外科。ひいぃ〜!あごのところに穴をあけたらしい。2度目はくるぶしの
故障で(このときレントゲンを撮って子供の頃の骨折が判明したとのこと)腱の手術を受けたって。これも痛そう。3度目が今回の手術で胸の上部にできた良性腫瘍の摘出術。



 彼女はとにかく手術台に横たわってすぐにトランス状態に入れる。自分の意識を
10歳のときの「あのときの痛み」の状態を思い出すとすぐに意識のチャンネルを
切り替える事が出来るのだそうだ。ただし、これまでの経験上、その時間はだいたい
2時間で2時間過ぎるとどうしても痛みを感じ始めてしまうらしい。そこで、そろそろ
終わりだぞ、と思うと右手を動かして合図して早く終わってもらう(!)のだそうだ。




 そうして彼女は今回、良性腫瘍を摘出してもらったらしい。




(つづく)




     

        いやあ、私なら麻酔で眠らせてもらった方がいいなあ。

夫と妻と犬と私  ⑮




    彼女の「能力」は生まれつきのものなのかと思っていたら、はっきりとした
   「きっかけ」があるらしい。



 曰く、彼女が10歳の頃、3歳年上の姉とともに自転車で二人乗りをして遊んでいたときの事、自転車が横転して後ろに乗っていた彼女は右足をタイヤに巻き込まれてしまうという事故に遇ったそうだ。お姉さんはとても慌ててなんとか彼女の右足をタイヤから外した。妹に痛い想いをさせた事が親にばれると大目玉を食らうと判断したお姉さんはこの事件について他人に語る事を妹である彼女にきつく禁じたのだそうだ。だが、足のけがは
ただごとではなく痛み、時間が経っても良くなるどころかますますひどくなる。堪え難い痛みの中で彼女は自分の「意識」を自分から「はずして」耐えたのだそうだ。



 痛みが本当に引いてしまうまで数ヶ月を要した。彼女は痛みの発作が来るたび「意識」のチャンネルを変えてしのいだ。後に20数年後足のレントゲンを撮る機会があり
その際、複雑骨折を起こしていた(!)のだという事を識る。



 それ以来、「意識のチャンネルを変える」ことが痛みから逃れるだけの用途でないとこに様々な偶然から気づかされていったのだと言う。不思議なもので動物たちは、自分たちと同じレベルの意識状態を彼女が持っているという事にすぐに気付くのだと言う。



 言葉を持つ前の赤ちゃん、動物、それから本能に頼って生きている脳障害児童とは
同じようにわかり合えるのだとか。



(つづく)




          ミュンヒェン日本人学校は明日が入学式です。




2013年4月6日土曜日

夫と妻と犬と私  ⑭

    

        『目を見れば全てがわかるのよ』

                   そう彼女は言った。



 曰く、彼女の専門は重度脳障害児童でコミュニケーションの方法がほとんどない
子供たちだったのだそうだ。こういった子供たちと接するにあたって色々なやり方、
マニュアルの類いがあるらしいのだが彼女はそれらのいずれも必要なかったらしい。
全てを「己の本能に従って」行っていたのだとか。
即ち、子供の目をじっと見つめる。子供の「声」を目の中に捜す。すると浮かび上がって来るのだそうだ。彼らの「声」が。そこでもう一度本物の声に出して確認する。
多くの子供は話す事も身体を動かす事もままならないのでまばたきで返事をする。



 他の誰よりも子供たちの「声」を聞く事が出来たから子供たちにとても愛されて
仕事ができたそうだ。



          適材適所とはまさにこのこと。






       これは城崎温泉の桜だそうです。満開の桜、懐かしいなあ。
      3月11日に福島復興支援&脱原発コンサートをヴァイオリニストの
      ヤンケ有紀さん、日本人会女性コーラスの方々と行いました。
      コーラスの方々が歌った「さくら(独唱)」(ドイツ語訳詩付き)
      には泣けました。ドイツ人の方々もいっぱい泣いてた。

       脱原発運動は生涯を通して続けていきます。賛同の方は是非
      ご連絡ください。ドイツにはいっぱい仲間がいますよ。

2013年4月3日水曜日

夫と妻と犬と私  ⑬



    昨日のブログで話題にした小説は伊坂幸太郎の「オー!ファーザー」でした。





             彼女の職業は障害児介護士でした。



 ちなみに彼女の夫は精神科医で音楽療法の専門家なのでおそらくその辺りの「つながり」なんだと思う。2番目の妻であるガルミッシュのおばあちゃんと比べるとちょっと
陰気で内にこもった感じの人。内省的っていうのかな、とっつきにくいのかなっと
思っていたら意外におしゃべり好きな人だった。



 彼女は自分の「特技」を生かしてこの職業に就いたのだとか。つまり、「言葉」を
用いないでテレパシーを使う、という意味。彼女は森のお散歩が日課なんだそうだけど
ありとあらゆる動物が彼女に寄って来るそうだ。


 「森」というのは「ドイツの」森です。そう、あの、ヘンゼルとグレーテルの。
ちょっと10分、20分のお散歩とは訳が違うんだと思います。だって、彼女に「ついて来る」動物のリストって、鹿だとかリスだとか狐とかウサギとか鷹(!)だとか、
普通のお散歩で出くわすような方々ではないんですもの。まさに白雪姫の世界!?



 そして、彼女曰く、施設の脳障害児たちとも全く同じ方法で「語りあえる」
らしいのです。



(つづく)




2013年4月2日火曜日

夫と妻と犬と私  ⑫




    伊坂幸太郎の小説だったと記憶してるんだけど、確か4人の夫と
   常時不在の妻と(誰の実子かわからない)息子が同居してみんなで
   仲良くやっていくってお話があった。ほんわかした良作だった。




       現実離れしているから、面白くって暖かい小説に仕上がっていた。



             そう、現実離れしているから。




  ああ、ああ、本当に来ちゃったよ。こっちは現実だよ。「私の妻です。」って
 アンタ、何考えてんだ!まさかこれはないだろうと思っていた風景に脱力。
 今日のメンバーは夫と妻とパーシーとそれから • • • 


  とっても可愛くって人懐っこくって私を見ると「大好き!大好き!遊んで!」って
 後ろ足立ちでだっこをせがむ。



  まあ、かわいいって私がだっこしたりなでたり、、、出来る訳無いでしょう!!!
 私は今、仕事中なの!ここは病院なの!たとえ全然病院っぽくない雰囲気でも
 他の患者さんに悪いでしょう!患者さんにだって触れるんだから素手で犬に
 触れたり出来ません!!、、、とは怒らず努めてにこやかに、


  『ごめんね。可愛いわんちゃん。私はあなたをなでてあげられないの。
   おとなしくしてられるかな?』 



  するとわんちゃん、突然私の ひざから離れ、おとなしく座った。
 どうも言葉がよくわかるらしい。



  『そう、その子はね人間の言いたい事がすごくよくわかる仔なの。』


 奥さんはそういった。

  『私はね、どんな動物とも話が出来るの。ベラ(犬の名前)はいつも
  私と話しているから人間の言葉がまず何でも理解出来るのよ。』





       こ、この奥さん、何者?


(つづく)


馬と鹿って交配出来ないんでしょうね。
ちなみに馬とロバの交配したものは漢方薬の材料にあります。




2013年4月1日月曜日

夫と妻と犬と私  ⑪





     ガルミッシュのおばあちゃんの元夫で音楽家兼医学部教授の彼(長い!)の
    疾患は驚異的な回復を遂げた。しかも3日で!



 84歳という高齢からは信じがたい回復例といえる。彼曰く、これまで何年も色々な
医者にかかってきたのにどうしても改善しなかったのだとか。鍼もドイツ人の医師のもと試してみた事があるが全くだめだったので自分には向かないと思っていたのだと。もう、喜ぶ、喜ぶ、喜ぶ。そうだよね。わたしらも嬉しいよ。アンタたちには苦労させられたし。精神面でね。なんていうか、おばあちゃんと元ご主人との板挟みで「自分」を
保つのが難しかったんだ。こちらもいい勉強になりました。


 予後のため一応、予定通り一週間は結局いらっしゃった。パーシーはその間、
ずっと毎朝運転手役に徹していた。


 後に聞いたところでは、うちのドクターが名医だと彼に告げたのはパーシーであった
らしい。そうじゃないかと思ってたんだ。ガルミッシュのおばあちゃんがうちの先生を
心から信頼しているのはよく知っている。うちの病院の事をとても大切に想ってらして
彼女にとってうちは一種の「隠れ家」のような場所になってるんじゃないかと思うんだ。
だからおばあちゃんがわざわざ元夫を「連れてきた」ことに違和感を感じていた。
そりゃあ、人として誰か困ってる人がいたら大切な情報でも出し惜しみしないで教えて
あげるべきだし、おばあちゃんはそういう親切な心根をお持ちの方だ。(彼女のペンションには受付にいつもうちのパンフレットが常備されている。)でも、相手は
こんちくしょうの(!)元夫でしかも医者なわけだし、私ならわざわざそういう
おせっかいするかなあ?わかんないなあ、と思う。



 まあ、とにかく終わり良ければすべて良し、めでたく一件落着。



 • • • では済まなかった。




 何で?まだ来週も来るの?まあ、ご高齢だし、予後のためこちらにいらっしゃる間は
通ってくださるのも嬉しい限り(ウオッホン!)なんですけど。まあ、いいか。




          良くなあああああああいい!



 嘘でしょ!冗談も程々にして欲しい!Hr. & Fr. につづく女性の名前は



          またまた新患。まさかの、4番目の妻。

          ってことは、まさか、ね?さすがに、それはないよね。



(つづく)


           

TÖLZER KNABENCHOR Mahler, Symphony No.3, BimmBamm by Jansons 

                 少年たちの最前列左から2番目が二男です。ちょっぴり映ってます。