2013年4月12日金曜日
夫と妻と犬と私 ⑱
『吉岡さん、あなたという女性に出逢えて私は本当に幸福でした。』
お別れの時彼はまっすぐに私の目を見つめ心から別離を惜しむようにいとおしげに
そう言った。今日は夫婦二人だけだ。『輪舞(ロンド)』というウイーンの作家
シュニッツラーの戯曲があって、一幕ごとに主役とパートナーがダンスのパートナーを変えていくように交代し続け、最後にまた元に戻るという、あの時代(19世紀)としては画期的な作品があるのだけれど、なんだか地でそんなのを体験した気がする。
4週間、だ。
『今度は直接ミュンヒェンに宿をとって保養のためにここに通おうと
思っています。この病院の雰囲気、人々、内装、食事、薬や鍼や治療の
あれこれ。全てすばらしい体験でした。』
いやいやそう言っていただけるのも治療が上手くいったからこそです。こんなに
早く治療効果が現れてくれて本当に良かった。喜んでもらえて私も嬉しいです。
それは嘘じゃありません。
ただ • • • 。
私はやっぱり心の奥底で少し気になるものを抱えていた。正直に言うと、やっぱりこの人たちとはようつきあえんなあ、と思う気持ちだ。これが仕事じゃなくプライベートだったら私は彼らとは距離を置くだろうな、とはっきり感じていた。
こういうのをデリカシーの無い人たちっていうんだと思う。このご主人はすさまじく
魅力的な男性だった。今も見つめられると舞い上がってしまうくらい素敵な方
なんだけど、なんていうのかな、例えていうなら彼は「遊び好きのプレイボーイ」風な
優男で彼の素敵な物腰もあふれる知性も中身が稀薄でどこかに彼の哲学のようなものが
欠けている感じがしてしまったし、やっぱり私には彼がガルミッシュのおばあちゃんが
大切にしているこの大切な場所を平気でずかずか占領して素知らぬ顔を決め込んでるように思えてしまってならないのだ。
4番目の奥さんも私はちょっぴり違和感があった。平気で病院に犬を連れてきた事だ。
動物と子供の事は解っても大人のTPOは解らないのかな。実は私はスピリチュアルな人には(特殊能力を持つと自負する人には)これまで何度かお目にかかった事があるが
そういう人で尊敬出来る人にまだ出逢った事が無い。私の印象をいわせてもらうならば
特殊能力を持つ人はその能力があまりにもその人にとって「大きすぎて」それにばかり
頼った人生を送ってしまいがちなのではないかと思う。かえって足下の「現実」が見えてなかったりするケースがある。今回も同様の印象を彼女に持った私だった。
江原啓之さんの本とか読むと素晴らしいなあって感動しちゃう私だけれど
なかなか誰しも自分と向き合って自分の能力を昇華させた人生を送るなんていうのは
至難の業ってことなのかな。
(つづく)
アルトゥール シュニッツラー 「輪舞(ロンド)」
岩波文庫の表紙はクリムトの「接吻」なんですよね。
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