2013年6月30日日曜日

ドクターの負傷  ②




     『まあまあ、吉岡さん、そんなに大した事じゃあないから。』





 ってどこが大した事じゃあないんだあっ!全然一人で歩けないじゃあないの!
ドクターは奥さんに背負われるというか引きずられるようにして受付まで来ると
(っていうか奥さん、力持ちだなあ)パソコンの前の椅子になだれ込むように座って
漢方の書籍のページを検索し始めた。ご自分用の漢方薬のレシピを考えているらしい。
普段ならご自分のお部屋の机でリアルの書籍を検討なさるんだけど、今日はそこまで
たどり着くのもしんんどいらしい。



私 『先生!一体どうなさったっていうんですか?』


先生『昨日ね、(現在中国から遊びにきている)従姉妹とツークシュピッツェ(ドイツ
  最高峰。ミュンヒェンから1時間ほど。ケーブルカーで簡単に山頂まで行ける。)
  に行ってきたんです。山頂に小さな散歩コースがあって、うちの奥さんと従姉妹が
  買い物してる間にそこを散策していたら足をやられてね。不覚にも普通の
  運動靴で出かけてしまって(観光だから)登山靴を履いてなかったんだ。地面が
  湿っていたんで靴が濡れて凍ってしまいその重さで足をひねった瞬間腱を
  損傷してしまったみたいでね。』




 昨晩女二人に抱えられるようにして帰宅してとりあえず鍼だけ自分で打ったけれど
漢方薬は病院でないと用意出来ないのでとにもかくにもやってきたらしい。
なんだ、最初の患者さん、キャンセルでラッキーだったんじゃない。



 わかりました。先生が処方箋を書き終えたら奥様がお薬の用意をするからその間
私は先生の治療ですね。


(つづく)





       ツークシュピッツェ山頂。ここのところ地上でも寒い日が
       続いています。山頂はなおさら。2962m。



       

ドクターの負傷  ①



              今日は月曜日。



 ずいぶん早く出勤しました。今日はさして忙しい日ではないのだけれど一人だけすごく早い時間の患者さんが来る。時間に余裕を持ってばたばた準備していたら電話が鳴った。


     『スミマセン、今日、急に同僚が病気になってしまって私が彼女の
     代わりに早番で出社しなければならなくなりました。今日はキャンセル
     させてください。』




 ありゃりゃ。なんだ、キャンセル。次の患者は10時だからずいぶん余裕あるな。
今週、割とヒマなんだけどこんな時こそたまってる仕事片付けられるぞ〜。おっと、
その前にドクターのご自宅にお電話しておこう。慌てて朝早く来る必要ないもんね。


私 『もしもし。ドクターのお宅ですか?先生、もうお出になられましたか?』
奥様『いえ、今出るところですよ。』
私 『では先生にお伝え下さい。最初の患者さんはキャンセルです。次は10時ですので
  どうぞごゆっくりおいでくださいと』



 えへへ。久々にゆるりとした時間。ゆったりとジャスミンティーでも飲みながら書類の
整理でもしよう。うちの病院にはコーヒーは置いてないんだけど(中医学だからね。)
下のパン屋さんでコーヒーでも一杯買って来ようかな。



 • • • なんてゆる〜い雰囲気でくつろいでいたところ、不意にドアのチャイムが
鳴ってドアがちょっぴり開いた。うん?急患さん?私はドアの方を覗き見る。だけど
誰も入って来ない。ええ、何?やだ、何だろう?私はドアへ駆け寄る。すると私の
目の前でゆ〜っくりとドアが開き、私の知ってる人が少しずつ見えてきた。先生の
奥様だ。なんだか大きな荷物を引きずっている。あっ、それで入るのに時間が
かかったのね。お手伝いしましょ。




 奥様の「荷物」が少しずつ見えてきた。


         きゃああああ〜!!思わず大声を出してしまう私。


 奥様が引きずっている、というか抱えていたのは


            ずばりドクターその人、でした。


(つづく)






                我が家のコーナー
                    Photo by Jiro Y.

2013年6月29日土曜日

プロフェッサーの友情  ⑬




          やっほーい!



 なんだかとってもいい気分。小さな、小さなことだけどお仕事を通して誰かのお役に
立てた。それも日本とドイツの友情を復活させる手助けが出来た!そう思っていいよね。



 長〜い長〜い友情、長〜い長〜い人間関係。何十年にもわたってお互いの事を
想い合う。だから全ての条件が揃った時、「想い」が熟成してぽんっと通じ合う事が
出来た。そんな瞬間に立ち会う事が出来て私も光栄でした。



          

               めでたしめでたし

2013年6月28日金曜日

プロフェッサーの友情  ⑫




『吉岡綾子様


 お便りありがとうございました。在独20年になられる由、若いときからドイツで暮らしたいと思っていましたものにとってはうらやましい限りです。


 B氏(プロフェッサーのこと)がそちらでお世話になっている由、私は彼とはD大学で
一緒に勉強した仲です。〜略〜先日彼から久しぶりに手紙をもらい、こちらも近況を便りしました。


 Uさん、Nさんはちょうど私がG大学に勤務していた頃の学生さんでその演奏も何回か
伺っていますので良く覚えています。大変優秀な方々です。

            〜中略〜


 これからB氏とは手紙のやりとりを続けていくつもりです。どうか彼の故障を直して
やってください。朗報をお待ちしています。

             〜略〜


                              K     』



(つづく)


           

菅原道真公(ひな人形ではありません)
出雲地方に伝わる男の子の守り神のお人形です。
なんとか水難を免れました。

2013年6月27日木曜日

プロフェッサーの友情  ⑪




   なんだかんだでお節介もエスカレートして東京在住のピアニストK名誉教授に
  宛てて手紙をしたためた。どきどきして投函。






 どうだろう、どうだろう、上手く着くかな。うふふのどきどき。でも私はなんだか
確信がある。どんなに有名人でも多忙な方でも、これはきっと彼にとって素敵な
出来事のはず。私がその先生の立場ならきっと嬉しい。海外留学って(特に昔は)
すごく特別な体験だったはずだからお若い頃の事もきっと鮮明に覚えてらっしゃると
思う。私のミュンヒェン大留学時代もそうだった。たとえ不愉快な事があったとしても
きっと時間が悪い感情をきれいにお洗濯してくれてると思う。



          つらつらと待っていたら。



 キター!!2週間ほどだからかなり早いタイミングでのレスポンスと言える。



 やってきました。もう一人のプロフェッサー、つまり日本のK教授からの
返信が我が家に届きました。


(つづく)


       

               ドイツの郵便ポスト


2013年6月26日水曜日

プロフェッサーの友情  ⑩





               お手紙を書きました。


 もちろん日本語で。プロフェッサーより先に着かなきゃいけないものね。私の自己紹介とここに至るまでの大ざっぱな事情を記したお手紙。見ず知らずの、それも有名大学の
名誉教授兼ピアニストの先生に宛てる手紙ですもの。そりゃあ緊張しました。ママ友ピアニストのUさん、 Nさんからもそれぞれ頑張ってのかけ声をもらい(「K教授もきっとお喜びになるはずですよ」と暖かい励ましの声)ぐぐっと頑張って一晩で仕上げました。



 でも主人の一言『字が汚いんじゃない。』でどあっと沈没。ああ、悪筆は今から急には
治せない。でも活字はいやだあ!



 で、普段から硬筆のお稽古をしている(!)主人に代筆してもらうことになりました。


      

            空海  風心帖    ああ、お習字!

2013年6月25日火曜日

プロフェッサーの友情  ⑨



     

    数日でKというピアニストの大学教授についての情報が届きました。



 プロフェッサーの治療はすでに終了している。治療の最終日にメルアドを教えて
もらっていたので早速結果報告しましょ。メールにてピアニストKの住所を
お教えしました。すると翌日にはもうプロフェッサーから返信メールが届いていました。
とても喜んでくださっているご様子。すぐに手紙を書きますってさ。



 でも、もう何十年も連絡を絶っていたんだよね。きっとそのKという方もびっくり
しちゃうよね。突然ドイツ語の手紙が来たら。もう一押ししたほうがいいのかな?



 もう、ここまで乗りかかった船だ。とことんお節介してみようか?




(つづく)

これも近所のお花
Photo by Jiro Y.

2013年6月23日日曜日

プロフェッサーの友情  ⑧

     

 UさんとNさん。それぞれ素晴らしいピアニスト。ミュンヒェンという都に住んでるからこそ芸術家と「ママ友」だったりする。私にとっては雲の上の人なのにね。ミュンヒェン音大にお二人ともお勤めでやはり同じ大学のご出身。このお二人のどちらかならあるいは
K名誉教授の情報がもらえるかも。最後の望み、とばかりにお二人に宛ててメールを出してみた。だいたいの事情を記してね。


 ままよ、という気持ちで出したメールに対して、ふたりとも速攻で返信してらした。


        『もちろん知ってます。』って。




ご住所もご存知。ひゃあああ〜!やったあ〜!(もしかしてうちの主人がとっぽかった
だけかも?というかすかな疑惑も残るけれど。)お二人から別々に彼女たちの在学中と
同じご自宅のご住所であるか、そして私という第三者に先生のご住所をお渡しして
いいものか確認を取る、という、何ともきちんとしたお答え。ああ、うれしや、
うれしや。プロフェッサーはきっとお喜びになる!

(つづく)



          でも今日は寒くなりました。

2013年6月22日土曜日

プロフェッサーの友情  ⑦




      早速家に帰って主人に尋ねてみる。



私 『ねえ、ねえ、Kっていう名前のピアノ科の教授があなたの在学中にいたと思うん
  だけど知ってる?』

主人『いや、知らんなあ。他の学科の事は何にも知らんからなあ。』



 ががが〜ん。撃沈。だって、言ってたじゃない。小さな大学だから学科を問わず、
学年も問わずみんな仲良しの知り合いみたいなもんだったって!



 ううん、やっぱり難しいかも。私自身はといえば国立マンモス大学出身だから自分の
学科の事なら教授の数も学生の数も少なくて(独文科だ〜い)色々と噂も入って来る
けれど同じ文学部でもお隣の研究室の人の顔すらわからなかった。
だから「わからない」と言われるとすぐに納得してしまうのだ。



 いやいや、まだ「糸」が途切れた訳じゃないさ。



 ミュンヒェンは芸術の街。音楽家は本当にたくさんいる。私の知り合いの中にも主人と
同じ大学卒のピアニストが何人も活躍している。気軽に聞けそうな人も何人か知って
いるぞ。



              よ〜し。


(つづく)

Photo by Jiro Y.

プロフェッサーの友情  ⑥



私     『プロフェッサー、この件、ちょっとの間私がお預かりしてもいいですか?
      おそらくドイツでもそうであるように日本でも音楽家の社会はとっても
      狭いんです。この教授とコンタクトをとれるかどうか主人にきいてみます。      ミュンヒェン在住のピアニストの方も同じ大学出身の方を何人か
      知っていますので。』



プロフェッサー『どうでしょう。彼は私の事を怒っているかもしれません。とても失礼な
       事をしてしまったので。今更人間関係をやりなおすことができる
       でしょうか?』



 でも、やり直したいからこそこの話を私に打ち明けてくれたんでしょう?
だ • か • ら 任せてね。


(つづく)


         
  


          近所のお花です。突然暑くなって夏のお花が
          花盛り。      Photo by Jiro Y.

2013年6月21日金曜日

プロフェッサーの友情  ⑤




私     『プロフェッサー、お時間です。鍼を抜きますね。先ほどお尋ねの
      日本人のピアニストですが彼の著書は「弟子から見たショパン」
      「ドビュッシー〜自然からの霊感」二冊で間違いないですか?』


 私は鍼を抜きながらこともなげにそう聞いた。



プロフェッサー『そう、そう、それだよ、まさにその題名でどんぴしゃりだ。
       ええ〜?私が鍼を打たれている間、こんなわずかな間に調べて
       くれたんですか?』



 えへへ。プロフェッサーさん、ネット検索なんてものの数分あれば出来てしまうの
ですよ。ピアニストなんて公人に等しいしね。著作まであるならあっという間さ。



私      『Kという方はコンサートピアニストとしてよりも大学教授として名前の
       知られた方のようですよ。彼は武蔵野ではなく東京の別の大学のご出身
       でした。後に母校の教授におなりになったようです。最近退官なさって        現在の肩書きは名誉教授でいらっしゃいます。実はその大学は私の          主人の出身校でもあるんですよ。』


プロフェッサー『その大学なら私も良く知っています。私の日本人の弟子たちの多くが
       そこの出身ですからね。そこから来た留学生たちは皆一様に真面目で
       どの子も優秀でしたよ。大学名が長いから略してG.と言うんですよね。』



 なんだ、それならもしかして今までそのKっていう先生のお弟子さんを教えた事だって
あったんじゃないの?または彼らに聞けばきっと一発でわかったろうし。



 さて、これでプロフェッサーの人探し、確実に一歩進んだね。だけど大切なのは
このあと。Kさん、どこの誰かはわかった。プロフェッサー、次の一歩を踏み出しますか?




                             
             ドビュッシーのアラベスク
             ギーゼキングの演奏です。



2013年6月19日水曜日

プロフェッサーの友情  ④




   『彼が東京にある Musashino音大の出身だと覚えていたので数年前に英文で
   手紙をしたためてみたのです。大学宛に、差し支えなければ彼の連絡先を
   教えてはもらえないものかと。あと、彼は何冊かの本を出版しています。
   ショパンに関する本とドビュッシーに関するものです。どちらも素晴らしい
   内容のものです。そうですか、吉岡さんも彼の事をご存じないですか。』



 ふふふ〜ん。プロフェッサーの年代の人は「検索」をしないね。私は何気なく
彼の「繰り言」を聞き流す振りをして、お灸が終わるとすぐに受付のパソコンで
そのKなるピアニストについて検索してみた。情報としては先ほどのプロフェッサーの
話ですでに十分だと言える。もう現役ではないかもしれないけれど彼が
「あれほどの腕」と誉め称えるからにはきっと有名なピアニストにちがいない。私が
知らないだけで一世を風靡していた時代があるはずだ。


            そして • • •



 いやあ、インターネットって本当に便利です。これが無かった頃をもはや思い出せないですよね。ネットを使わずに私たちってどうやって調べ物をしていたんでしたっけ?
そのKなるピアニストはすぐに見つかりました。


 プロフェッサーの誤りは出身大学の記憶違いでピアニストKは武蔵野音大ではなく
別の大学の出身だったのです 。その大学は、おお、なんと私の主人の母校!でした。


 さて、プロフェッサーの鍼を抜きにいくお時間。うふふ。この素晴らしいびっくり
ニュースをどんな風に教えてあげようかしらん。


(つづく)




               
                                      スカルボって夜道で人を惑わす妖精(妖怪?)です
                                       


 

プロフェッサーの友情  ③



    『私はもうこの歳ですし、これまでの人生を思い返して、出来る事なら、
    やり直す事が出来るならばやり直してみたいと思っている事がいくつか
    あるんです。』




 プロフェッサーの口から突然、重い言葉が放たれた。


     『そのKと言う名の日本人は私よりいくつか年上の留学生でした。
     大変優秀な学生でした。不思議な事に普段誰と一緒にいても打ち解けた話を
     しない私が妙に心許せて彼とはしんみりした話が出来たものなのです。彼は
     数年で日本に帰っていきました。あれほどの腕です。きっと日本に帰国後は
     立派なピアニストとして活躍していると思うのです。
     帰国後彼から何通かの手紙をもらいました。しかし何と言う事でしょう。
     私はその彼の手紙に一度として返事を出さなかったのです。彼からの手紙には
     彼の個人的な事柄などが細かく記されていました。私はこんなに親密に
     話しかけてくれる彼をありがたく思いつつ、日々の練習や迫り来る
     コンサートの準備に毎日明け暮れついつい目の前にいない彼をないがしろに
     してしまったのです。彼だって私と同じかおそらくはもっと忙しい日々を
     送っていたに違いないのに。ふと思い出し彼にやっとの事で短い返信を
     出したのはそれから数年後の事でした、が、宛先不明で手紙は戻って来て
     しまいました。』 


   (つづく)


                                     
                                  プロフェッサーはギーゼキング演奏の「夜のガスパール」
        (ラヴェル)がお気に入り。でもアナログレコード派で
         YouTubeから取ったなんて聞いたら怒るだろうな。
       

2013年6月18日火曜日

プロフェッサーの友情  ②




 今回は全て治療が上手くいった。ホテルに滞在してキッチンを使えないプロフェッサーのために病院の台所で彼の薬湯を煮出して飲ませる。残りは瓶に詰めてお持ち帰り。
一週間この繰り返しのつもりでいたが水曜日にはすっかり具合が良くなったので木曜日に
予定を一日早めてお帰りになる事になった。この日、ドクターはたまたま慌ただしい
一日でプロフェッサーに鍼を打ったらその足で在宅患者さんのところへすぐに向かわな
ければならなかった。ドクターは二週間に一度ほど訪問治療を行う。そんな時私は
電話番をしながら日々の雑務をこなしお留守番をするのだ。その日がプロフェッサーの
治療最終日になると思っていなかった先生はゆっくりとお別れが出来ない無礼を丁重に
詫びたあと慌ただしく出て行った。



 私はその日のラストの患者さんであるプロフェッサーのお灸をしながらいつものように
楽しい音楽の話を続けるつもりでいた。すると私が彼の治療室に入るや否や、彼はずっと以前からこの話題を出そうと決めていたかのようによどみない口調でこうたずねたのだ。



プロフェッサー『吉岡さん。あなたは音楽に興味がおありの方だ。もしかして日本で活躍       するピアニストで K • • • という人を知りませんか?』



 残念ながら私は全然音楽に詳しくない。「いくぶん好き」というくらいのレベル(?)だからそのKなるピアニストの名前も全然知らなかった。


(つづく)


                   


           今日は真夏日。洪水から二週間でイザール川の
          ほとりは海水浴場と化しました。
         (もちろん水害に遭った地域の方々は今も大変なんですよ。)

2013年6月16日日曜日

プロフェッサーの友情  ①



            プロフェッサーにまた会える。




 ご病気だと言うのはもちろんお気の毒なんだけどやっぱり嬉しい。私がこの病院で
最初に仲良くなった患者さんの一人だしね。私の彼に対する思い入れは大きい。
あまり深刻なご病気でなければいいのだけれど。



 彼は相変わらず大きな方だ。いつも変わらず耳当てをなさってゆっくりゆっくり
歩いてらっしゃる。再会出来てとっても嬉しいのだけれどまずはとりあえずドクターの
お部屋へ。割とお元気そうに見えたけど、大丈夫かな。



 今回の彼の主訴は肋間神経痛。ほっとするのは変だけれどおそらくは大丈夫。
何度か治療すれば多分良くなる。



 人間のカラダというのは不思議なもので症状がどこに現れようが結局その根本原因は
同じところから来ているようで結局我々が治療するのは前回と同じ経絡だったりする。
ここらへんが西洋医療と大きく異なる点だ。先生の見立てでは今回も重点的に扱うのは
腎経。痛みの部分にももちろん鍼は打つけれど、同時進行で体質治療を行っていく。
私の担当は足の 少陰腎経の指圧。よし、がんばろうっと。



(つづく)



        

                  足の腎経

ぎゃーてい、ぎゃーてい、赤子の叫びと般若心経の極意



   十牛図で盛り上がっている最中、主人が突然素晴らしい本を見つけてきました。



       
般若心経絵本


実は私は禅宗には関心が無くって(うちは浄土真宗西本願寺派なんでね)
般若心経には一通りの興味しか抱いていなかったんですけどこの本には心から
感動いたしました。
即ち色即是空の教えを広大な海に浮かぶ波の多様な形に例えた比喩。






それから特に羯諦羯諦、波羅羯諦(ぎゃーてい、ぎゃーてい、はーらーぎゃーてい)の
マントラのくだりを赤子が母親を求める無心な叫びに見立てた説明には心の底から感動して
しまいました。                                  


偶然と言うのはそれを求める心が見せる現象なのだと改めて感じました。


そしてあるいはそれを人は時に奇跡と呼んだりもするのです。


こういった「教え」が必要な時期に来ているってことなのかな?



とにかくオススメです。この本。







2013年6月15日土曜日

お灸はやっぱり効くね






         最近手が痛い。どうも職業病だ。




 私は指圧を毎日患者さんに施しているがうちは一回の施術30分。延長無し。
一日平均5人くらいかなあ。私が担当するのは。最近家庭の事情で勤務時間を
減らしてもらったから以前みたいに一日十人以上が当たり前なんて事にはならない。
これでなんで手が痛くなるのかなあ。やっぱり歳?
マッサージ屋さんなんかで一日中施術してる人は私の比ではないくらい手や腕を
酷使してると思うんだけど、わたしのやり方が悪いのかなあ?力の配分とか力の
抜き加減とかが上手じゃないんだろうなあ。経験浅いし。



 最近患者さんにお灸を据える時、こっそり自分の手の患部を患者さんの患部に
近づけて自分も一緒に治療してます。棒灸だしね。


          

こんなの。自分の手も一緒に暖められる。


すると効果てきめん。おお、癒されてる〜って思います。




お灸、えらい!!

2013年6月14日金曜日

牛を尋ねて〜尋牛〜




             人生七転八起     


            

 もちょっと素敵なんですけどだいたいこんな感じの湯呑みをプレゼントしました。
今日になって先生がやっとで包装紙を解いてくださったのです。んで、達磨大師の話題で
盛り上がっていたとこ飛び込みで日本人の患者さんがいらっしゃいました。



 このブログでは日本人の患者さんのお話は原則書かないつもりなのですがちょっと
さわりだけね。その方は禅宗に大変興味がおありになっていらっしゃる度に禅の話題を
携えて先生にお会いするのを楽しみになさっていらっしゃいます。


 今回、この方は京都相国寺所有の「十牛図」ポストカードをお持ちになられたので
その方の治療の間、(本当は先生のために持ってきた)そのカードを眺めていたら
突然、感動の波がどど〜んと押し寄せてきました。私はやっぱり文学畑出身なので
絵に添えられた漢詩にじんと来るものがあって、もう、心が久々に浮遊する感覚を
味あわせてもらいました。


      

              これは廓庵の十牛図




従来失せず、何ぞ追尋を用いん。
背覚に由って、以って疎と成り、向塵に在って遂に失す。
家山漸く遠く岐路俄かに差う。
得失熾然として是非鋒の如くに起こる。



:
初めから見失っていないのにどうして追い求める必要があろうか?覚めている目をそこからそむけるから、隔たってしまうのだ。外に求めるから、真の自己を見失ってしまうのだ。 真の自己からどんどん遠ざかり、別れ道があると行き違ってしまう。得るとか失うとかの分別意識が火のように燃え上がり、是非の思いがむらがる鋒(刀のほさき)のように湧き起こる。



茫茫(ぼうぼう)として草を撥(はら)って去って追尋す。
水濶(ひろ)く山遥かにして路更に深し。
力尽き神(しん)疲れて覓(もと)むるに処なし。
但だ聞く楓樹(ふうじゅ)に晩蝉(ばんせん)の吟ずるを。



草を撥って、:無明の荒草をひらき、煩悩の葛藤をはらって、
追尋す。:多くの善知識について、真理を追究し、心牛(真の自己)を探究する。
水濶く山遥かにして路更に深し。:どこまで行っても、川の水は広く、山並みは遥かに続くように、煩悩と妄想はいよいよ盛んに湧き起こり、路は果てしなく遠い。
晩蝉の吟ずる:晩蝉はひぐらしのこと。雑念妄想がひぐらしが鳴くように湧き起こるのを喩えている。




 これは禅の悟りを得るまでのプロセスを逃げた牛に例えているものだそうなのですが
始めからそばにあるものをそれと気づかず追い求める様が格調高く唄われる起き上がりの
一句からもう、ぼうっとしてしまうほど感動してしまいました。


 今日は朝の湯呑みに始まって心が高揚する一日でした。











2013年6月13日木曜日

浸水の翌日 ビデオと写真



集中豪雨(私に言わせると夕立が長引いたと言う程度の雨に思えたんですけど)の日の
翌朝の道路の様子を二男がビデオに収めていました。我が家のすぐ側の幹線です。









  写真で見ると結構迫力ありますね。これ、川じゃなくて道路ですもんね。







パッサウ地方などは床上浸水ですから大変な被害です。


ちなみに我が家の地下室の浸水はいまだ進行中です。大分収まっては来ましたが
私が仕事から帰って来ると毎日バケツ3杯分ほどの水が滲み出てきています。 





2013年6月12日水曜日

ドクターのお誕生会




            先生のお誕生日でした。



 うきゃあ、今年はどうしよう、プレゼントどうしよう、っと悩んでいたら
数日前いきなり先生のお気に入りのお湯呑みが壊れてしまいラッキー!、これっきゃ
ない!(おっと、罰当たりな発言)と的を絞る事が出来ました。念のため申し上げますが私は無実です!別に誰かが壊したとかいう訳ではありません。触ってもいないしね。
いつの間にかひび割れていたらしくじわっとお茶が漏れてきました。アンティーク蚤の市で(好きだねえ)求めたもので船の帆船の彫りの入ったとても立派な湯呑みだったから
残念だったんですけどね。でもラッキー!と思った事は事実で即座に私は『先生、私が
お誕生日プレゼントに新しいお湯呑み買ったげます。』って言って、先生が新しいのを
自分で買わないように釘を刺そうとしたんだ。そしたら先生は一瞬考えて『それは
嬉しいね。じゃあ、せっかくだからその日は一緒にごはんでも食べに行こうか。』って
誘ってくださった。


 この会話だけだと私と先生が二人で密会でもするようだが、もちろんそれぞれ家庭持ちの身の上。二家族合流の大パーティと相成りました。最近知り合いの人に教えてもらったって言う安くて美味しいビュッフェバイキングの中華レストランへみんなで行きました。
中華火鍋もあって各自のテーブルで一人鍋を楽しめるようになってました。このお店、
びっくりするほど美味〜し〜かったです。お寿司のコーナーもあってこれがまた
美味かった。






豚の耳を生まれて初めて食べました。
甘辛く煮付けてあって歯触りよかった。
Foto by Jiro Y.



病院は結局19時半まで患者さんがいてそれからみんなで出かけたのですが、更に
遅れてうちの主人が合流したのが20時半頃。ずいぶん遅い夕食会でしたが盛り上がりました。主人が「大学」「中庸」の文庫本を携えてきて、四書五経などの中国古典哲学
の話題に始まって昨今の日中情勢までもう、話題は尽きず。(いや、本当に日中問題ってのはいくらでも話題が出て来るものだ。改めて我ながら感心しちゃいました。)子供たちはマジックで盛り上がってました。先生が酔っぱらって出来上がったらしく
私と女子トイレで遭遇するなどの事故もありましたがとにかく時の経つのも忘れ気がつけばもう真夜中!慌てて家路につきました。



 ちなみに私の買ったお湯呑みはお店の人がとても綺麗に包装してくださいました。
そしたら先生はなんだか開けるのがもったいないと思ったのか、未だ開封せず
ご自分の机に飾ってらっしゃいます。もう、早く開けてくださらないと使えないし
どんなの買ったか人に説明も出来ないでしょう!ということでどんなプレゼントだったのかはまた日を改めて書きにきますね。



2013年6月10日月曜日

反面教師  ③





                 だけどそれは間違いだった。ああん、キビシイもんだ、「仕事」ってやつは。




 彼女みたいな「ベテランさん」だと「指導」もしにくい。やっぱり若い頃にきちんと
修行しとかないと難しいなあ。今更誰も「ちょっと、アンタ、下手くそだね。」なんて
言えなくなっちゃうもんなあ。



 あの頃、午前と午後でアシスタントの質が違うって問題提起したのはリードさん
(仮名)だったけど私はあんまり真に受けてなかったし(というか自分の事で精一杯
だったし)ね。




 私は彼女の施術に文句を付けなかった。にこやかに笑ってお礼を言って規定通りの
料金を支払って家路についた。ヒュウちゃん、正直言ってものすご〜く勉強になったよ。
そう、私だけではないはずだ。「ありがとう。」ってにっこり笑って心の中で「いや、
こりゃあ、二度と来れないなあ。」って思うお客さん、たくさんいるはずだ。


 うちのドクターが彼女の履歴だけ聞いてほいほい雇ったようにこちらの主も彼女の
「実力」を知らないで雇っているに違いない。いっぱいお客さんを失っているはずだ。




 なんだかヒュウちゃんの悪口をずいぶん書いてしまう結果になったけれど
これが「お仕事」というものの正体だと思う。どんなに「いい人」でもだめなんだ。
働くからには仕事が「出来」なくっちゃ。



      そう、私が仕事が出来なくっちゃだめなんだ。うん。





                 背中のツボ
          私はドイツ人の男性の背中の指圧が苦手。
          大男が多くって力が要るからね。

2013年6月9日日曜日

反面教師  ②






 もう、コメントも出来ないひどさだったんだけど必死で頭を回転させながら一体、彼女の施術のどこがどういけないのか分析しながら痛みと不快さに耐えていた。とにかく
ツボどころか基本的な解剖学の知識が頭の中に入っていない、または目の前の施術と
結びついていない。おそらく一つ一つの動作を(どこで誰に教わったのか知らないが)
自分自身で試した事が無いに違いない。例え「センス」がなくとも努力で補えるポイントを全てすっ飛ばしている。想像力とか相手への気遣いとかそういう言葉が頭の中を飛び交っている。



 人間の身体は一人一人体質や感受性が違う訳だからいわゆる「相性」だってある。私自身にしても患者さんから「ダメだし」を食らう事はしょっちゅうだ。うちのドクターでさえ
指圧施術のあと「ドクター御自らの指圧だったんだけど、私は吉岡さんの方が上手だと
思うわあ。」なんて言っちゃってくださる患者さんも(まれに)ある。ただ、今、ここで言う「下手さ加減」はこれとは別次元の問題だ。



 ヒュウちゃんの履歴は確か先生から聞いた限りでは、中国にいた頃看護師さんをしていてその頃研修の一環で指圧の講習を受けた事があるらしい。ドイツに来てからはずっと
指圧のマッサージ屋さんで働いていた。彼女はもう40歳をずいぶん超えているから
今の仕事に就いてキャリアも長い。医学の基礎知識もあって指圧もベテラン、ということで一も二もなくうちの病院で雇われた訳なんだけど、ドクターは彼女の事をあまり気に
入ってらっしゃらないようだった。彼女が辞めたあと聞いたんだけど「ひとつひとつの
仕事に心がこもっていないし、患者さんはすぐそんなの見抜いちゃうんだよ。」と
おっしゃってたっけ。ヒュウちゃんはヒュウちゃんで労働条件に不満があった。
マッサージ屋さんにいた頃の方が稼ぎがよかったなって。私は職業に貴賤があるとか
いう理由じゃないんだけど、どんなにお給料よくてもマッサージ屋さんで働く気には
なれない。健康な人には興味湧かない(!)人なんだ、私ってさ。


 私たちは皆彼女はベテランさんだから仕事を基本から教えてあげる必要なんて無いと
思っていて特に研修のような事をしなかった。仕事の手順を教えただけだ。素人は私の
方だったから皆、当時、私の「教育」に関心が向かっていたのだ。


(つづく)




              手のひらのツボ(左手)







2013年6月7日金曜日

反面教師  ①



       ヒュウちゃん(仮名)にばったり遭った。





 ミュンヒェンは意外にのんびりした小都会なので色んなところでばったり思いがけない
人に出会う。去年の今頃うちの病院で働いていた私の元同僚だ。3ヶ月の使用期間中に
辞めたからほぼ一年ぶりの再会だ。彼女は今、うちの病院のすぐ近くにある指圧マッサージサロンでマッサージ師として働いているんだって。病院から歩いて10分とかからない。そこのマッサージサロンなら知っている。オーナーの中国人の男の人がすごく
マッサージが上手で私も施術を受けた事がある。今日は本当は歯医者の予約があったんだけど急に歯医者さん側の都合で取りやめになった。時間が妙に空いたので行ってみようか、そこのマッサージ屋さん。


 ここのところ疲れ気味で身体が悲鳴を上げている。家でごろんと寝るのもいいけど
贅沢に身体をほぐしてもらうのもいいよね、何かのご縁だし勉強にもなるに違いない。
今、ヒュウちゃんのとこのオーナーさんは中国に帰省中でヒュウちゃんが一人でお留守番してるんだって。では、よろしくお願いします、ヒュウちゃん。




               そして • • • 。



 驚くべき事実が判明した。ヒュウちゃん、信じられない下手さだ。私もこれまで勉強を兼ねて色んな人からマッサージを受けてきたけど正直最悪だった。一体、何がどうなってんの?


(つづく)






                  足の反射区




 ところで我が家の浸水はまだ引いていません。今日一日ポンプで排水してましたけど。
とほほ。まだ時間がかかるようです。


            

        





        

2013年6月6日木曜日

我が家の浸水  ビデオ映像








 二男が我が家の地下室の浸水状況をビデオに収めました。早回しでどうぞ。




 今日は仕事が忙しかったのだけれど明日は割と暇なので休暇を取りました。
なんとか復旧すれば良いのですが、何と水は床から滲み出してきているらしく
水をかき出しても一向減ら無いどころかじわっと増えてきてる!
昨日はお隣の大家さんも一緒になってみんなでそれぞれちりとりを片手に(!)水を
かきだしていました。四人がかりで4時間近くバケツに水を溜める作業をしで
腰が痛くなりました。いよいよ今日は埒が明かないので排水ポンプを借りてきてずっと
作動させていますが(出力が弱いのか)大きな助けにはなっていません。



 ちなみに主人は消防署まで自転車で出向いて行って助けを乞えないかどうか尋ねてみた
のだけど「浸水が20センチ以上でなきゃだめ」と断られてしまったようです。






2013年6月5日水曜日

他人事じゃあ無かった!!




      我が家も浸水していた!!地下倉庫は水浸し!





 全然気がつかずに丸一日放置してしまっていた!隣に住む大家さんに言われて
チェックしてみてガクゼン!
二男が写真を撮ってくれたので後日アップいたしますね。
荷物を上に運んで水をすくって四人がかりでなんとちりとりで雨水をすくってバケツに
ためるという原始的な方法でした。もうくったくた。明日も仕事なのに〜。




 とにかくそういうことで。また明日。







2013年6月4日火曜日

一夜明ければ



             水浸し。





 あ〜あ。町中水浸しになった日でした。ここ数日雨が降り続いていたと思っていましたが、昨日の日曜日は日本で言う梅雨のような感じでした。で、今朝はミュンヒェン、というかドイツ各地で洪水騒ぎです。



           のどかな風景  池になったドイツ人のお庭
                   (ドイツ放送局の写真より)




 台風とかがしょっちゅうやって来て梅雨は毎年雨轟々の国からやって来た私としては
何でこのくらいで洪水になったり川が溢れ帰ったりするの?って不思議に思えちゃったりするんだけどね。ミュンヒェンを流れるイザール側も水流が危険水域に達して迫力ある
風景でした。




 これはミュンヒェン中心部のドイツ博物館裏手を流れるイザール川の風景ですね。
                       (アーベントツアイトゥンクより)
ちなみにうちの長男の通ってる学校はこのすぐ側です。今日この橋を私もバスで通りました。作業の人たちが一生懸命下水の排水作業に没頭してらっしゃいました。ご苦労様でございます。

           

2013年6月3日月曜日

営業 〜其の四〜





           月曜日の事だ。




 私の出勤時間は「最初の患者さんの予約の30分前」、予約が入っていない場合でも
8時には電話受付をするので遅くともそれまでには仕事を開始する。
でも月曜日はいつも用心してかなり早めにやってくる。経験上、土曜、日曜に「何が」
起こっているかわからないからだ。ミステリアスな病院だ。ドクターは大抵、土日も
病院に一人こもってお勉強してらっしゃるので電話をとったり急患の時には診察したり
している。私が月曜の朝出勤すると、先週の金曜日に私が事前に準備していたもろもろが
何もかも水泡に帰してしまっている事が山ほどあるのだ。
週末の間に工事が入っていて廊下がぐしゃぐしゃだった事も何度もあったし週末の土曜日にドクターが思い付きで色々な買い出しをしてらしてそれらが散乱している事とか
お客様が来たのか派手な飲食の形跡が残っているとか数え上げれば枚挙に暇が無い。




 その日も少し早めにやって来た。ある程度散らかってはいるものの真っ青になる程ではない。ほっと胸を撫で下ろしながら今日の予約一覧表に目をやる。週末の間に突然月曜の予約がいっぱいになっている事もある。白衣に着替える間もなく患者がわんさかやって来る事があるのでとにかく気が抜けないのだ。うん、今日は大丈夫。あれ、これ、何だろう。お昼の12時にHot Wokって記入がある。ホット ヴォックっていうのはドイツの
中華料理デリバリーチェーン店だ。(バイエルン州のみだと思う。)結構味が良くって
うちの病院も週末なんかに仕事のときはいつもここのお店から店屋物を注文する。
あれ?今日はお昼ごはん店屋物なのかな?
奥様病気とかかしら?急なご用事で今日は病院にいらっしゃらないってことかな?
だったら私は一人でごはん済ませるからいいのに。


 そう思いつつもそのあと結構忙しくなってホットヴォックの件は忘れていた。12時になってから、あらら、先生、フリーダイヤルに電話するおつもりかなっと思って「私の分は要りませんよ。」って言おうとしたその刹那、ドアが開いて新患さんが入ってきた。
おっと、注文どころじゃないよ。でも誰?この人?アポ無しの急患?



    『ワタシノナマエハ ○○デス。キノウ、ドクターニイワレテ
       ヤッテキーマーシーター。』



 のけぞる私(心の中でね)。でたよ。こいつがミスター ホットヴォックか。
なんて事は無い、昨日先生は客人を交えて店屋物を取った。そして配達に来た彼と言葉を交わすうち仲良くなって、健康相談から診察の予約へと発展したのだった。
ところがベトナム人の彼の名前は知らないので予約欄に店の名前を書いたと言う訳だった。先生の奥様はいつもどおり13時にお弁当を持っていらっしゃった。
ホットヴォック氏の話題を出すとにこにこ笑いながら『そうそう、昨日、あの配達のお兄ちゃんと仲良くなってねえ。』と事の顛末を語ってくださった。



 そういえばこの間からドクターご一家のご贔屓にしている中華料理屋さんのご主人(兼
シェフ)もやって来てる。もちろん中国人。私はこの店にはまだ行った事無いんだけど
(家から遠い)彼らの話によると、この店には「裏メニュー」なるものが存在していて
前もってリクエストを伝えておくとオリジナル中国の料理を用意してくれるのだそうだ。
つまり、表向きメニューに書いてあるのは全部ドイツ人用のごはんで味付けも
ガイジン向きにアレンジしてあるんだって。そうそう、ドイツの中華料理屋さんのごはんと日本の中華料理、ずいぶん違うもの。私が病院で食べる中国人が中国人のために作ったごはんがきっと「正解」なのだろうがこれはどっちとも違うなあ。




 食文化交流会。うんうん。っていうかお互い営業し合ってるなあ。





        

          Hot Wok  お寿司もやってます。
           


2013年6月2日日曜日

パンツは語る  ⑥



          建設業。キャリア。40歳ちょっと前。



 彼女は残念なほど(オイオイ)典型的なドイツ人女性の顔立ちだ。ずんぐりむっくりで
団子っ鼻。性格はややおとなし目。戦前のドイツの農家で良く見かけたであろう気だての良い女性だ。会社ごとプライベート保険に加入しているので週に一度は通って来る。
すでに2年近く通ってらっしゃるのでうちの病院にとっては大お得意さんだ。
仕事はハードらしいが週一の病院通いがまかり通る職場なのだから日本人の私からすると(おそらく中国人の目から見ても)同情には値しない。だって有給30日病欠は別計算だからね。



 ファッションもどんくさい。これは職業的必然と言うやつだ。スカートはありえないし
日々建設現場をチェックして回っているのでジーンズにジャケット、長靴などが
必須アイテムだ。休日だと少しおしゃれになる。でももともと地味めの人なのだろう。
グレーとか渋いグリーンとかが多い。ドイツはお天気悪い日が多いし寒い国だから
仕方ないんだけどね。かくいう私も、昔日本にいた頃はズボンと言うものをほとんど
はかない人だった。なんだか好きじゃなくってジーンズと言えば山歩き用に1〜2着
持っている程度だった。おしゃれ着のスラックスなどは持ってなかったのに、ドイツに来てからハタと気がつくとパンツルックばかりになってる自分に気がつき驚いたものだ。
とにかく寒いから腰回りを保温出来る格好に自然となっちゃうんだよね。(最近は心して
スカートはくように心がけてます。頑張れ!ワタシ!ってさ、ホント、どうでもいいな。この話題。)



 彼女の下着にはいつも度肝を抜かされてしまう。まっ、一言でいうとSMだな。
こんなにいっぱいどこで買ってきたんだっていうほど毎回趣向を凝らした生地や
デザイン。誰に見せるつもりなんだ。ってドクターしかいないでしょ。
黒とかとか金糸とかが色としては多くて皮とかビニールとかを用いながらアミアミ
だったりひもでギリギリまで巻き込んでいたりケバい色のおリボンがお尻についたり
とかね。




 こ、こ、こ、心の欲望??よ、欲求不満?いつもこれらのコレクションを見るたび
わたしは不安になってしまう。もしかして彼女って実は心の病気を治療してもらいたい
のかなって。ううん、よくわからん。見せびらかすのが嬉しいだけかもしれないもんね。





           シューマン「詩人の恋」より「美しき五月」
           歌 フリッツ•ヴンダーリヒ

           今年の五月はとてつもなく寒いまま終わってしまいました。
           ドイツの春への憧憬をこめて






2013年6月1日土曜日

パンツは語る  ⑤



        本題に入ろう。




 問題はオバさんだ。30代から50歳過ぎくらいまでの。ここらへんの人たちが最も
見た目と内実の(つまりパンツの柄の)ギャップが激しい。私自身もこの年代に属する訳だが、先に告白してしまおう、わたしゃあ、実にシンプルなもんだぞ。何より、万一、
透けてしまった時の事態を念頭においているから外側の洋服とマッチした色の下着以外
着けない。職場ではチャイナ白衣(白衣に中国の刺繍がほどこしてある。先生方が中国で求めてらしたもの)だから白、ベージュでデザインもごくごくシンプル。




 医療関係の人ならわかってもらえると思うけど、私たちって、専門学校時代から
些細なきっかけでいつ「ハイ、服脱いで〜!」の状況になるかわからない。互いのお尻に
注射をし合ったり診察ごっこの世界だ。今現在も、似たような状況にある。私とドクターも「ここの位置があーたらこーたらだから」と互いの身体に触れたりするけれど
そんなのやらしい目で見てるような余裕は本当に無い。ただ、下着まで脱ぐ事は無いから
その分、下着は清潔でいやらしくないシンプルなものをと気を使っている。自然療法を
志すまではこんなこと考えもしなかったけどね。



 自然療法家養成学校にいた頃、感染症の集中講義中に突然、30代の女性が質問をして「先生、私のケースはその病気にあたるのでしょうか」と言ってやおらズボンをおろしてお尻に出来たという斑点を教室の生徒全員にさらしたことがあった。ボレリオーゼ
(ダニ脳炎)がテーマだったのだが、彼女が突如として教室の演壇に躍り出てズボンと
Tシャツを脱いでパンツとブラジャー姿になり(シンプルな黒でした)そのあとずっと
教室でその姿のまま議論を戦わせていた様子は今もアタマに焼き付いています。


 話が逸れすぎて結局本題に遠くなってしまったが私が語ろうとしているうちの患者さん
はこの領域ではない。我々のごとく職業意識に捕われる事無く日々世間に見せている
自分と自分のためだけの(もしくは自分の大切な誰かのためだけの)二重ファッション
構造を自らに課しているのだ。楽しんだり、心のよりどころにしているのだろう。


(つづく)


                     
        
 
                       Story Motion             by Jiro Y.              少し進化しました。


  ブログは全然「漢方」っぽくないですね。少しずつ専門的な話題も出しますね。