出逢いには意味があり別離にも意味がある。
日本でも2012年のフォトンベルトとかアセンションブームの煽りを
受けてスピリチュアルが流行していたから(やはりアメリカ発か?)、
綾ちゃん、出会う人出会う人皆が皆、宇宙人がどうした、過去生が
どうの、第78次元空間はどうなっているとかサイババとか言う人
ばっかりだったとしても不思議はなかったのかもしれない。
日本に帰った彼女もそうだったが、皆、綾ちゃんに一連の、一般に
非科学的と呼ばれる宇宙の真理について綾ちゃんに勉強させるために
やって来てくれたようなものなんだ。綾ちゃんの方から与えられるもの
なんて何もない。だけど皆、とっても軽い調子で、ねえ、この本読んだ
ことある?ねえ、ねえ、こんなことって本当に起こり得ると思う?って
まるで小説やテレビドラマの話題を振るようにどんどん綾ちゃんを未知の
世界に連れて行った。
けれど彼らの持ってくる話題はどれも興味深いものだったけれど
その話題を持ってくる人々自身がカリスマ的であるというわけでは
なかった。綾ちゃんに大きな影響を与えてくれる人には出逢わなかった
という意味だ。まあ、身近にバシャールとか江原さんみたいな人がいたら
大騒ぎになるに決まってるからありえないのはわかるけど。リアルでも
本の中の人でも。
綾ちゃんは栄養分を吸収するようにこれらの知識を身につけては
行ったけれど綾ちゃんという樹の形を左右するほどの思想には出会えなかった。
例えば綾ちゃんがホメオパシーに出会った時には、これだ、これが私の
進む道だ!と落雷にあったかのごとくショックに打ち震えた。
(しかしこれもまた何かの途中だったのかもしれない、と最近では感じる
ようになってしまったが。今は漢方どっぷりだし。)このことに関しては
またいつか書こうと思っているけれど。
相性もあるのかもしれないが、一寸先がまるで見えないように見える
人生にもやはり流れのようなものがあって流れて「行かない方には決して
行かない」ものらしい。
綾ちゃんの人生にとって決定的な意味合いを持つ人(または書籍)と
出逢わなかった、ということに意味があるのだと思う。
これも一時期ブームになりましたね。綾ちゃんは青山さんの
おっしゃりたいことがなんとなくだけど解る気がする。
こういう神秘学系の思想を背景に携えながら学問するのと
しないのとでは引き出される結論にも意味合いの深さが違ってくると思う。
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