2016年5月3日火曜日
「愛」は議論に値しない
性交渉に「愛」が必要かどうかという問題はここではとうの昔に却下されて
いるように見える。「愛」が何なのか、という問題が大きすぎるからだ。
大人にとってさえ「愛」の定義は個人的な議論の範囲にとどまってしまう。
未成年者のカップルが「付き合う」時、それが「真剣」かどうかとか(だいたい
真剣ってなんだ?)誰に判定できるものでもなく「結婚」の概念すら
もはやよく分からない今日、精神論から性教育を論じるのは全くもって
何の解決も導かないと判じているように見える。だからそれが若い二人の
好奇心であろうが間違いであろうがいっそ純粋な恋心であろうが当人の
「気持ち」を測ったり判定したりすることが出来ない以上、このテーマで議論
することに意味がない、、、そういう割り切り方がいやー、こっちっぽいなあと
思ったりする。
避妊法がほぼ確立された今、性と結婚は結びつかない。女性を誤って
妊娠させる危険がないのなら「関係を持ったから相手に対して社会的に
責任を持つ」必要がないのだ。
そしてエイズという病気が避妊の主役を女性から男性側に変えた。
今や性教育はイコールエイズ予防教育なのだと言い切ってしまって
間違いないと思う。
妊娠とエイズ、この二大難関を克服してしまうことさえできれば
それ以外に未成年(ドイツでは18歳未満)のカップルを阻む理由は
無いのだ。ただし、あくまで未成年なので万一の時のため(?「万一」を
阻止できる?または後で責任を取る??ようわからん。)いっその事
きちんと家庭内で認可してあげた方がコソコソ家の外で外泊されるより
ずっと良い。
綾ちゃんはこの理屈を論破することができない。
確かに当人たちにとってもその方がいいかもしれない。
どない?
近所の植え込みのチューリップ
この色合いが素敵だな
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