2013年11月5日火曜日

日本人だとごめんなさい??!?






       ドクターのお嬢さんは小学生の頃、他人に対して





              『私、日本人の子なのよ。』
           


と吹聴して回っていたそうだ。これって由々しき事だと私は思うけど。
子供ながらに自己のルーツを否定してるってことだもんね。
自分のお家が貧しいのを隠してお金持ちの子のふりして見栄を張るような
もんなのかな?そのバックには国力、文化、政治、経済、etc、様々な
条件が相対的に「人種」の偏見を養っていくという空気が見え隠れする。




 そうやって人々の心の中に人種や国に対する想いが育まれていくんだろう。






 病院を訪れるドイツの人たち(主に患者さんだけど)を見ていて共通しているのは
中国四千年の歴史、つまり過去の偉大なる中国文明に文句なしの敬意を払いながらも
現代中国を野蛮人の国と見なしその政治に批判的でいると言う事だ。(みんな、
ドクターに直接言わないで私に言うんだよね、これが。)





 あれれ?でも、この姿勢って一般的な日本人のそれと大差ないよね。




 日本から中国の文化を引いちゃったらぺしゃんこになっちゃうくらい
日本文化の多くの部分は中国に由来している。そんなこと誰でも知っている。
漢方もそうだけれど、中国由来の文化が土台になって日本人は日本の風土、
気候に合わせて独自の文化を花開かせていく。




 戦争があったり国境の問題があったりしてそれぞれに現実問題として
苦々しい思いをしている人もたくさんいると思うけれど
中国の文化を否定したり蔑んだりする人はいないんじゃないかな?





 私もドイツに住んで20年。出来るだけまっさらな目でものを見ようと
努力してきたつもりなんだけれど人種やお国柄のキャラクターというのは
もちろん存在する。世の中は偏見だらけだし、私もきっと色んな偏見の色に
染まってしまったと思う。そして、日本はヨーロッパ内では微妙な位置にあって
それなりの地位を築きつつ同時に蔑まれもしている。そして人々の心の中で
日本が中国と比して相対的に「格上」にランクされている事は紛れもない事実のようだ。







           まあ、私は




    今日も明るく楽しくそんなの全部棚上げにして働いている。



 人と人との一つ一つのつながりはどこまでも個人的なものだもんね。
私は少なくてもここに自分の居場所があってとっても居心地よくって
皆と仲良くやっている。そんな風なつき合い方が人々の偏見に対する
大切な対処の仕方だと思っています。





          
梯剛之とランランがドイツのピアノコンクールでクロスオーバー、
互いへの尊敬と友情を育んだエピソードを知っていますか?






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