オバさんは松潤が好きだ。
彷彿とさせる髪型だったのは偶然ではないはずだ。以前、同じく松潤の
「花男」がヒットしたのも当然で、オンナの子は白馬の王子様が
何の取り柄も無い普通の女の子を好きになる「あり得ないラヴストーリー」が
大好きなのだ。一度でいいからあんなお金持ちのいいオトコに好きだ、
好きだあ、大好きだあっと連呼されてみたいという
(日常に疲れた)オバさんの隠された乙女心をくすぐるから。
ということで仕事に家庭にあたふたの日常を送る綾ちゃんは疲れた心を
癒してもらうかっとこのドラマを見始めた訳だ。
おお、ウワサに違わず中々の名作ではないか。視聴率はイマイチだった
らしいけれど。テーマはごくごくありふれた古典的なものだが、
ここには真実が語られている。(ドラマ評論家!?)
即ち、「恋する想い」、切ない気持ちなんていうのは綺麗ごとではなくって
どろどろとして歪んでいたりエロっちい妄想のカタマリだ、というあたり。
だけどこの混沌こそが人間にとっては飛躍のエッセンスであって、これにセンスや
己の才能に正しい努力(これはマスト)が加わればものすごい高みに行くことが
出来る。若者はそうとは知らずに意識せずに「片思い」の混乱と絶望の中から
一つ一つキラキラした作品を作り上げていく。
漱石だってゲーテだって文豪と呼ばれる人たちの若い頃の恋愛小説は
皆そのように出来ている。
ゆきずりの女の子と一夜を過ごした後、その娘のネイルに触発されて
新作のチョコを完成させる。そのチョコをショーケースに並べつつ想い届かぬ
愛する彼女がこれを口にする瞬間を想い描いて淫らな幻想にふける、とか。
人妻である彼女と祝えるはずもない誕生日を妄想の世界では彼女を
自分だけが知っている夜明けの隠れ名所に連れて行く。自分の
頭の中だけで得られた感動のシーンを現実の世界でそっと美しいチョコレートに
託す、とかね。
こういう哀しくって切ない恋の昇華が突然「想い」が叶ったとたんに
終わりを告げる。インスピレーションが湧かないのだ。
原作を読んでないからこのようなありふれた展開が10話にまとめるための
手段かはわからないがとにかく筋がこうなのでこれがドラマのテーマなのだと
わかる。
祭日の多かったイースター休暇に楽しんで見たドラマだったが
実はこれには単なるテレビ鑑賞にとどまらぬ、思わぬ「落とし穴」が
ついてきたのだ。
(つづく)
いや、おばさんってばかですね。
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