2013年8月31日土曜日

綾ちゃんの夏休み〜FFBの修道院〜





   このクライミング島があるのはミュンヒェン郊外フュルステン フェルト
  ブルック(略してFFB)という歴史のある町です。すぐそばに大きな修道院が
  あって立派なコンサートホールやビアガーデン付きのレストランもある。
  ので、一汗(って私の場合冷や汗だったが)かいたあとはここでごはん。

 





ううん、上手くカメラに収まらない!
そそり立つ感じわかってもらえる?修道院教会正面
わっ!中は豪華絢爛
正面のイエス様
コンサートホールも入っている裏手
うちの子も子供のコンサートで何度かここで弾いたことがあります。



内部全体像





そしてごはんに突入です。もうお昼の時間はとっくに過ぎて
15時を回っていました。
腹ぺこで死んじゃう〜!





                                                                                                                             Photo by Ayako Y.



2013年8月30日金曜日

綾ちゃんの夏休み〜お猿になれなかった〜




     お次にやって来たのはクレッターインゼル(=クライミング島)。






 クライミングぅ〜?そんなの運動音痴の綾ちゃんには無理に決まってるう!!
でも子供にせがまれてやってきてしまった。夫は仕事で当てにならないしで
せめてもう一人誰かいないのか。子供のお友達は大型ヴァケーションで皆出払っている。
ということで急遽、綾ちゃんのお友達、あすかさんに声をかけてみた。



 そしたらあすかさん、おっとりしてるのにひょいひょい高いところでも全然平気。
                   なぜ?




全員重装備



おお〜!これは上級者用で10m位の高さです。


             ほえ〜!



        あすかさん、子供の頃木登りいっぱいしてたんだって。
        うちの子を指導しながら一緒に上級者コースまで
        行ってくれました。今日から我々の「師匠」に昇格!







綾ちゃんは初心者コース止まり。お猿の境地になれなかった。




















  

2013年8月29日木曜日

綾ちゃんの夏休み〜オリンピアおかわり〜





            観覧車から見た風景   


今度は下から






これが観覧車




公園湖の鴨さん


まだまだ写真ありますけどゆっくりアップしますね。










2013年8月28日水曜日

綾ちゃんの夏休み〜序〜





          
           夏休みっていうとこの歌しか出てこない。


             中島みゆき  「あたいの夏休み」 


 さて先週一週間は待ちに待った夏休みでした。ドイツの病院としては短めなんです
けどね。本当はドクターのお父様が中国からいらっしゃるはずだったので2週間の
予定だったんだけどヴィザが拒否されてしまったので大幅に予定を変更して
近場のボーデン湖へ行ってしまわれました。近場と言ってもそりゃあボーデン湖は
素敵でしょう。うっとり。



 じゃ、綾ちゃん一家の夏休みと言えば、なのですが、残念ながら遠出はしません。
綾ちゃんとダンナ様の夏休みが一致しないためです。毎年我が家の大問題で
父と母と子供の夏休みがバラバラ事件なのです。しかもちょこまか色々と用事も
入っている。
子供の歯科検診とかお買い物とかお稽古ごととかね。


 んで、今年はミュンヒェンに残って小間切れの時間をあまさず思う存分 遊ぶぞ〜!




 ということでまずはオリンピア公園。先日のブログにもちらっと載せましたが
夏祭りをやっていました。本当は夏祭りのことは何も知らなくて、ミニゴルフをやって
ボートに乗りにきたのでした。



オリンピア競技場の屋根は
アルプスの山々を模して建築されたのです。
観覧車から見えた陸上競技場。コンサート会場にも使われます。
祭りの屋台も小さく見えます



お祭りではしゃいで遊んでしまったのでボートに乗る
時間はありませんでした。

お天気ピカピカオリンピアタワー
おお!真下から見た観覧車!


                                            All Photos by Jiro Y.





  

        

2013年8月25日日曜日

ベルヒ先生〜メニューインの言葉〜




     ベルヒ先生は奥様と出会ったことや合唱団をお辞めになったことを
    後悔してらっしゃるのかな?




 少なくともいくつかのドイツのシステムやドイツ人とドイツの社会に対する不満を
お持ちなのは間違いないようだった。けれど彼の言葉遣いの一つ一つに奥様に対する
深い愛情と尊敬のお気持ちを汲み取ることは出来た。
そしてご自分が音楽家(教育家)として生きていくことに対する誇りのようなものも。




 彼は私の指圧を大変お喜びになって、結局その後、ほとんど毎回私の施術を
お受けになった。彼くらいお若い方なら治療の成果も早く来るはずなのだがと
我々スタッフのはやる気持ちを見透かすかのように病状は一進一退を繰り返す。




       そしてやって来た時間切れのゴング。




 彼はボンへの引っ越しの準備に取りかかる。我々は夏期休業に入る。




 ベルヒ先生の最後の治療の日、病院は忙しくあっぷあっぷの状態で私は指圧を
施すことも出来ず、別の患者さんたちの治療室を右往左往していた。でも、
ベルヒ先生にお別れの言葉は言わなくっちゃと思ってタイミングを逃さないよう
気を配っていた。すると最期の治療を終えた先生が受付でドクターの奥様と
しゃべっている声が聞こえてきた。



    『有名なヴァイオリニストでね、ユーディ メニューインという人が
    いるんです。その人の言葉でね。


                 "音楽はどんなにたいへんな時代でも、なんとか私たちを
力づけようと、り返し繰り返し励ましの言葉をかけてくれる。
        深い根底から発した音楽であればなおさらである"


           というのがあるんです。私もまさしくそう思います。その音楽を
    職業として生きていけるのですから私も頑張っていきますよ。』




 私は先生の前に進み出て握手をしながらお別れの言葉を述べた。
患者さんとお別れする時はいつも一緒だけれど、もうあとは祈ることしか出来ない。
所詮無力な自分を噛み締めながら。どうかお元気で。



 あなたと私の間に働いた不思議なご縁を想いながら。ありがとうとさようなら。
先生のご活躍を心から祈念しております。





        

            正直言って私はメニューインのヴァイオリンは
            良くわからないんですけど彼の奏でる音色に
            心酔するファンは本当にたくさんいますよね。
            人を癒し力を与える演奏家なのですね。





2013年8月24日土曜日

ベルヒ先生〜闇の中の出発〜






      結婚して子供が出来るのは幸せなことじゃないのかな?





 例えば私たち夫婦は幸せに結婚して幸せに子供が出来た。誰からも祝福されて
順風満帆だったといえる。それほど豊かだった訳ではないが食べていくのに
困ったようなことはない。




 現在、ドイツ政府は以前のように外国人に対して簡単に滞在ヴィザを出さない。
共産圏の国の人に対してはよりキビシイ。中国の人なんか観光ヴィザでさえ
一回一回申請に行かなければならない。(ちなみにこの夏、ドクターは80歳になる
お父様をドイツに呼ぼうとなさって観光ヴィザをお役所から拒否された。お若い頃
ドイツに留学歴を持つお父様はドイツ語ぺらぺら、これまで数十回にわたりドイツに
遊びにきてらっしゃるのに。拒否された理由は「高齢だから」というものだった。)



 ベルヒ先生の奥様はロシア人だ。しかもドイツ語が出来ない。言葉が出来るというのは
現在滞在ヴィザを取得するための大きな条件となっている。しかも受け入れ先である
夫のベルヒ先生は無職。これはイタい。




 新しい家族が出来る。身重の、ドイツ語の出来ない奥様を守るためより良い
条件の職場を探すのは大変だったのだろう 。




 ドクターの奥様がしみじみとおっしゃった。彼女も結婚後三ヶ月で
ご主人と離ればなれになり再会したのは5年後、ドイツ語も全く出来ない状態で
すぐに妊娠。お金も職もなくドクターのアルバイトだけで食いつなぐ毎日。愚痴る相手も
いない孤独な日々。生活も習慣も何もかも違う。昔は海外通話もべらぼうに高くて
電話だって出来ない。ひきこもりの状態になったって。だから気持ちがすごく
わかるわって。



 そう、結婚や出産、そういった人生の転機というのは多くの場合
暗闇からの出発だったりするのだ。






        夏休み本番!Kletterinsel(クレッターインゼル)という
        アスレチック場にやってきました。二男と私のお友達
        A.I.さんと三人でした。

2013年8月23日金曜日

ベルヒ先生〜背景〜




 

           新患のご老人がいらっしゃった。         



 松葉杖をついて奥様に支えられながらゆっくりとよろよろ歩きだ。またしても
重症患者さんみたい。奥様が付き添って何やら外国語でしゃべっている。
この言葉は知っている。かつてうちの子供たちがこの言葉のアクセントを話す女性に
ピアノを教わったことがある。ロシア人だ、絶対。



 新患の場合はいくつかの書類に記入していただかなければならない。そんなケアは
全て私の仕事だ、が、何とこの方ドイツ語全然だめだった。英語もダメみたい。
奥様がドイツ語をお出来になるけれどあまり上手ではない上にものすごいロシア訛り。
いやはや困った。



 すると後から現れたベルヒ先生が彼らに話しかけた。ええ?ベルヒ先生ロシア語
お出来になるの?ラッキー!彼に助けてもらって書類も全部訳してもらった。
先生、ロシアに関係おありなんですか?




ベルヒ先生『うちの妻がロシア人でね。それでロシア語がしゃべれるんです。』




えっ!?あれ!?ベルヒ先生独身じゃなかったの?いつの間にご結婚なさったんだ。






ベルヒ先生『実は妻が身重で、今、5ヶ月なんです。』





おお、コングラッチュレイション!!でも何でそんなに暗い顔してんの?先生??




 ドクターが出てきて言葉を助けてくれたお礼をおっしゃった。私はすかさず、



私    『ベルヒ先生、もうすぐパパにおなりになるんですよ。』



と教えてあげた。ドクターもぱっと顔がほころぶ。けれどベルヒ先生は私たちの
先を制すようにコメントした。



ベルヒ先生『それで私の耳が壊れたんです。』






            ミュンヒェンオリンピア公園は今、夏祭りの真っ最中。
            観覧車のてっぺんから見たオリンピアの塔。
                    Foto by Jiro Y.






2013年8月22日木曜日

ベルヒ先生〜治療〜




        さてと、お次は治療。



ドクター 『治療室へどうぞ。まずは指圧から。』



 するとベルヒ先生


     『今回の治療は鍼と漢方薬だけでお願いいたします。今日は
     いずれにしてもこのあと耳鼻科の予約が入っていて十分時間がないんです。』



そして私に向かってウインクしながら小声でこっそりと
(ドクターに聞こえないように)、


     『ここに出来るだけ何度も数多く来たいからね、節約しなくっちゃ。』


とおっしゃった。




 こういうとき、うちのドクターは実に勘と手回しが良く、その次の回に
ベルヒ先生がいらした時すかさずこうおっしゃった。



     『今日は十分お時間おありですか?そう、それは良かった。
     マッサージはあなたの病気の助けに絶対なります。フラウ ヨシオカはね
     指圧がものすごく上手なんですよ。いいですか、あなたはこの
     素晴らしいアシスタント(きゃああ)を私に導いてくださった
     恩人だ。もちろんお代は取りません。ただし、うちの手があいてるとき
     だけですけどね。』  




 またしてもタダ働き、でも相手がベルヒ先生ならそりゃあね。本当は私が
申し出てあげたかったくらいだったんだ。よかった。よかった。




     さて、頑張るぞ!





             オリンピア公園にいた怪獣    



           

2013年8月20日火曜日

ベルヒ先生~病状~

      




                 『あれからどうなさってらしたのですか?合唱団はお辞めになられた
                 ようだったしこちらにもいらっしゃらないからどこか別の土地へ
                 行ってしまわれたのかと思っておりました。』
     




                  『ええ。あのあといろいろと職場を転々としていたんです。
                  辛いことがたくさんあってすっかり病気になってしまいました。
                  ここへ来るお金もなかったんです。でもようやく定職に就くことが
                 出来ました。9月からボンへ行きます。次の職場では上手くやって
                 いきたいのでとにかく身体を治しにやってきました。』
    





      そのお言葉通り酷い憔悴ぶりだ。ベルヒ先生、まずは一緒にごはん食べましょ。
  




   中国人はごはんをもてなすのが大好き。ここが病院だなんてすぐに忘れちゃう。
幸いベルヒ先生は食欲はおありで我々と一緒に手作りの点心を美味しい美味しいと
おっしゃって食べて下さった。
特に焼き餃子がお気に入りでたくさん召し上がってくださった。





    彼の病気とは、音楽家にありがちな、そして音楽家としては致命的な耳の障害だった。









本邦初公開!(いいのか!?)
うちの病院の薬品庫

Foto by A.Y.

2013年8月19日月曜日

ベルヒ先生〜再会〜




          彼はもうミュンヒェンにはいないのだと思っていた。






 合唱団のHPを見てもトレーナーの紹介ページに彼の名前は見当たらなかった。
書類整理をしていた時に彼のカルテを見る機会があり、やはり職場の問題で
ストレスを感じていたという記載を目にした。きっとあれから程なく辞表を
出して合唱団をお辞めになったんだ。今どこで何をしているのだろう、
彼がここで働いている私を見たらきっと驚くだろうに。





 私がここで勤め出してから1年と半年近く、ベルヒ先生がうちのドクターを
心から信頼していることは良く知っていたから(あれだけ病欠をとっていた)
彼が全然ここに来ないのはおかしい。






 そんな折、ひょっこりと現れた彼は私のよく識る彼ではなく、やつれ
疲れ果てた風貌の男性だった。ずいぶん年老いて見える。私を見ても気づかない。





   『ベルヒ先生、私です。私。吉岡です。あなたの生徒の母だった。
   私、先生にこちらを紹介していただいたご縁で去年からここで
   カリンさんの後任としてお勤めさせていただいているんです。』





 もう、喜んでくださったのなんのって、本当に心から驚きの声を上げてくださった。』








         ジャクリーヌ デュプレ (チェロ)
         M ブルッフ作 「コル ニドライ」
         今日、心から感動した一曲です。





       

2013年8月18日日曜日

ベルヒ先生~そして~

             




                                                       そして今の私がいる。
    





    人と人とのご縁というのは全くもって不思議なものでベルヒ先生にお会い
しなければ私がここで働くことにはならなかったわけだ。しかも彼は本来二男の
担当のヴォイストレーナーではなかった。最初の先生に我々親が不満で
シュミット=ガーデン教授(少年合唱団創設者兼音楽監督)にお願いして変えてもらった
新しい先生だったのだ。




 正直言うとベルヒ先生は音楽の先生としては少々不満だった。前の先生よりはマシと
いったところが当時の正直な感想だ。(人気のある先生に後から就くのは難しかった。)




   ベルヒ先生に我々が当時不満だったのはドイツ人然として休暇(有給30日よ!)を
ばりばり取る割に病欠も多くて(しかもこちらも病弱な身)レッスンにならない
ということが大きな理由としてあげられた。





   うちの合唱団はもともと手弁当で始めたところだからついつい今でも関係者全員に
無理を要求するところがある。
ドイツのサラリーマン根性でやっていける場所ではないのだ。なんとなくベルヒ先生の
口振りからも組織に不満があるかのような響きを聞き取ることがあった。




                                    


テルツ少年合唱団創始者
ゲルハルト シュミット=ガーデン教授




2013年8月17日土曜日

ベルヒ先生〜強い夢は叶う〜




     

                強い夢は叶う。




    そう、私にはその「力」がある。私だけじゃない。誰でも持っている力。
   喜びの最絶頂で悲しみの種は蒔かれ哀しみのどん底で喜びの種は芽吹く。
   そしてただひたすらに「想う」こと。それだけが道を拓く。思い起こせば
   私はただそのようにして生きてきた。




 それを人は「奇跡」と呼ぶ。私のそれはそんな大げさなものではないけれど
小さな偶然が重なって人生を織り重ねていく。




 ドクターが子供の状態を確認するために治療室にやって来た。バイタルを
とっている。





 後ろ姿の彼に呼びかける。



私    『あのっ、カリンさんお辞めになるって今、ご本人から』


ドクター 『そう、彼女は医学部で医学の勉強をするんだよう。』


私    『あの、私、ここで働けないですか?』


ドクター 『えっ???』




 戸惑いながらもドクターは私の 訴えを丁寧に聴いてくださった。





          YouTubeでたまたま夏川るみと南こうせつコラボの
         「涙そうそう」を見つけました。夏らしい一曲だなと
         思ってアップしました。

         ♪一番星に祈る それが私のくせになり
          夕暮れに見上げる空 心いっぱいあなた探す♪

2013年8月15日木曜日

ベルヒ先生〜転機〜






    息子の喀血事件から遡って10日ほど前のこと、突然子供が具合を
   悪くしドクターに治療をお願いしたことがあった。



    

    近所の小児科に電話をかけると(引っ越したばかりだったので初めての
   ところだった)午後遅い時間になら予約時間が空くと言う。迷いながら
   ドクターのところに電話するとカリンさんがでて、今すぐ来てもOKとの
   お返事。少し遠いけどもちろん早く診察してくれる方に、そしてずっと
   信頼している方の病院を選ぶ。迷わずに。




    その日ずいぶん子供の状態は悪かったけれど不思議なほどカリンさんの
   指圧で状態は落ち着き、鍼を打ってもらってお薬を飲ませてもらった。
   もうちょっと近ければ毎日でも来れるのになあ、と残念に思いながら
   次の学校の長期休暇は春休みかあ、その頃また集中治療に来ますと言うと
   カリンさんが



     『とにかくお大事に。一刻も病気が良くなることを祈っています。
     実は私はこの3月一杯でここを退職するんです。後任を探し始めた
     ばかりなのでどんなアシスタントの方が来るかわからないんですけど
     おそらく次の時には私はもういないはずですから。』




   とおっしゃった。




        えええ〜?



        これって「キター!!」の状態??


 私、今しかない!今しかない!勇気を出せ!!と心の中で念じながら


     『カリンさん!私じゃダメでしょうか?私じゃあなたの後任には
     なれないでしょうか?』




と訊いてみた。それまでここでは私の経歴を全然しゃべっていなかったので
医学の基礎知識があることを伝えるのを忘れずに。するとカリンさんびっくりしながらも
にこやかに微笑んで、



     『それはブラボーだわ。先生、後任をどうしようって途方に
     くれてらっしゃったから吉岡さんならお喜びになるんじゃないかしら。  
     でも、とにかくお決めになるのはドクターだから直接彼に話して
     みてくださいね。』




          よっしゃー!勇気を出して一歩を踏み出したぞ。




          次の勝負の相手(!?)はドクターだ!!



      


             湧泉(ゆうせん)という有名な
             足つぼがあります。文字通り
             生命のエネルギーがこんこんと湧く
             場所です。あの時はこのツボに
             助けられました。
        



 

ベルヒ先生〜悩む〜




   

だけど私にはとてもじゃないけどそんな勇気出なかった。




 私の専門はそもそも漢方ではないし漢方のことは何一つ知らない。大体、
漢方と中医学の違いさえわかっていない。



 あと、現代中国と中国人に対する偏見。そもそも純粋なドイツ人社会の中にさえ
入ったことのない私(夫も日本人だし勤めていた企業も日本の会社だった)が
「異文化の中の異文化」でやっていけるのか?まあ、ドクターいい人、カリンさん
いい人って思い込んですっかり幻滅してしまう羽目に陥ってしまうんじゃないのか、



 などなどまずはネガティブ思考から入ってしまう。



 でもそれと同時に、いいなあ、あそこの病院いいなあ、あんなところで働きたいなあ
という想いも募っていく。




 そしてその日はやって来た。



      


            患者さんにはいつもジャスミンティーをお出し
            しています。
 

2013年8月14日水曜日

ベルヒ先生~夢~

    




        『私も学校も勉強も嫌いだったわ。
       でもみんなそれぞれのペースがあるの。
       いいのよ、ゆっくりで。』
  



 そんな風に笑って優しく子どもに話しかけるカリンさんはとっても素敵な人で
長い黒髪と大きな青い澄んだ目がひときわ印象的だった。




   すごいなあ。たとえドクターがどれほど「いい人」であったとしてもこれだけ中国中国してる人と始終上手くやっていくのは絶対大変なはず。ドイツ人の彼女には理解出来ない
ことだらけなんじゃないんだろうか。
   



  それから、やっぱりすごいのはドクター。中医学の「腕」がどれだけすごいかは
あの時点ではわからなかったけど、プライベート医院として、かつて私自身が
夢見ていたこと、もし自分が自然療法家として独立したらこんな風にしよう、
あんなこともしよう、と考えていたことを目の前で全部やってみせている。
しかもすごく自然に。



  医者として、治療家として必要な資質を全て取り揃えているように見える。
なんて言うか、相手を和ませてすぐに信用させてしまうような、誰でも友達に
してしまえるような雰囲気の持ち主だ。
私自身はあまりドクターとは直接話をしなかったけれどこっそりしっかり
観察していた。ここがいかに素晴らしい病院かを。





  カリンさんとドクター、とてもいいコンビネーションで和気あいあいと
働いているように見える。実際にその場に立てば色々難しいこともあるに違いない。
だけど明らかにここにはギスギスした雰囲気が感じられない。



  いいなあ。いいなあ。例えば、こんな職場でお勤め出来たらいいだろうなあ。
週1〜2回のバイトでもいいから使ってくれませんかって頼んでみようかなあ。



  なんとなく、私は心の中でドクターとカリンさん、その中に私がいる風景を
頭の中でこっそり思い描くようになってきていた。








本文とは関係ないんですけど
日曜日にお役所主催(これはドイツとしては異例。休日にお役所の人が
働くなんて。)の放棄自転車オークションに行ってきました。
ものすごいボロから立派なものまで50〜200ユーロ位で「競り」落とされて
いきました。結構面白かったです。                  Photo by Jiro Y.



2013年8月13日火曜日

ベルヒ先生〜カリンさん〜




    アシスタントのカリンさん(仮名)がこれまた信じられないくらい
   いい人だった。




 子供は彼女とすぐに仲良しになって、まるで素敵なお姉さんが出来たかのように
はしゃいで甘えていた。彼女は当時まだ20代だったはずだ。早くに父親を失い
薬剤師であった母親に女手一つで育てられたと言う。女四人姉妹の末っ子で、
上の三人のお姉さんは全て優秀、全員医学部に入ったんだって。でもカリンさんは
お勉強が大嫌いで成績も全然良くなかった。好き放題して学校も大学進学コースである
ギムナジウムには行けなかった。ようやく学校が終わる頃、自分の「やりたいこと」が
おぼろげながら見えてきた。やっぱり医学をやりたいって。




 遅いかもしれないけどそれでも出来る限りのことをやろうと思って大学入学資格
(アビトゥア)を取得、けれどこの成績では本当に入学出来るのはいつのことやら。
そこでまずは自然療法家になろうと専門学校に通い資格を取った。国家試験だし
試験問題は100%西洋医学だから将来役に立つ。そしてここに就職した。
ドクターのもとで漢方やら医学やらたくさんのことを教われて本当に幸せだわ、と
語る表情は明るく、とても綺麗で穏やかなオーラの持ち主だった。



 うちの息子は、当時日本で流行っていたTBS日曜ドラマ「仁」にハマっていて
毎回ドラマを見る度にカリンさんに(もちろんドイツ語で)あらすじを紹介したり
していた。



 病院内でドクターのお人柄にもう一つ、華を添えているのがカリンさんの
存在で、彼女は患者さんみんなに好かれて慕われていた。







         私は原作よりドラマが好き。日曜劇場「仁」。
    いわれてみれば医療ものだし西洋医療と漢方が仲良く統合する話だし
    実は的を得た内容だったりする。





2013年8月12日月曜日

ベルヒ先生~想い~

  



  時間が少し前後するが、私とドクター、そして私が後に勤めることになる病院に
ついての印象を語っておこう。初めて私達親子がうちの病院を訪れてから、
日に日に私はここの雰囲気に惹かれていった。
   



 全部屋の壁に直接書かれた毛筆の漢詩。これは全てドクターがご自分でお書きに
なられたものだ。大変な達筆でいらっしゃる。そして、彼の荒々しい風貌に似合わず
毛筆の線の一本一本が柔らかく繊細だった。
      



       『あの、壁のお習字、先生がお書きになられたんですか?』


         『そうですよ。』


         『素晴らしいですね。私自身はお習字は下手なんですけど、
       主人と姑が好きで、特に姑は週に二回写経をするほどなんです。
       でもこれほどには上手ではないと思います。』
      

       『何を写経なさってるんですか?』
            


       『般若心経です。』
       

       『ああ、色即是空、空即是色。禅の究極の真理だね。』
    


 

 私はとつとつとしか喋れなかったが、筆談を交えながら先生と般若心経について
いくつか識っていることを話しあった。現代中国人は簡易中国語に慣れてしまっていて
なかなか日本人との筆談が容易ではないが彼は古典に通暁していたため我々の使っている漢字のほとんどを理解した。彼が般若心経を大変深く理解してらしたことが私にはとても印象深かった。




          


高神覚昇「般若心経講義」
名著です。実は私の般若心経に関する知識は全てこの本からの受け売り。



   

2013年8月11日日曜日

ベルヒ先生~病院~

 
       


     

 ところでここの病院、うちのドクターもお勤めしてらしたことがおありだ。
まだ20代の頃ドイツに来てすぐ勤め始めたのがここだ。中国では医者でもここでは
何者でもない、言葉も出来ないただのガイジンだった頃だ。何と彼は病院の
食事配膳係からドイツでのキャリアをスタートさせる。



     語学学校に通いながら食いぶちを稼ぐ毎日。既に既婚者だったが奥様のヴィザは
出ない。新婚ほやほや3ヶ月で離ればなれ。結局奥様のヴィザが出るのは5年後となる。(奥様は北京大学大学院生の超エリートだったので目をつけられて中々出国出来なかったということだ。)
大学入学許可をもらってからは晴れて 昇格。同じ病院のラボで助手として働き始めた。
      


 ゼロからの出発でも、食事の配膳係でも、医者になるんだ、だから職場は医療関係の
場なんだ、って意気込みが感じられるなって思った。


     
これぞ中国人パワー。帰るところを持たない捨て身の根性だ。



   


ミュンヒェン空港の正式名称はフランツ・ヨーゼフ・シュトラウス空港
この金色の人です。 

2013年8月10日土曜日

ベルヒ先生~入院~

  



            十二指腸潰瘍って大人の病気でしょ。




 私は病名が意外にもメジャーなものだったことに驚き、同時に子供の病気としては
まるきりちぐはぐな感じがして呆気にとられていた。だいたい何で今まで
わからなかったんだ。



   或いは潰瘍が潰瘍として「形」をとったのはごく最近のことなのかもしれない。
まあ、11歳の子供としては忙しい毎日だったもんね。私も胃腸は丈夫な方ではない。
子供心にいろいろストレスがあったんだろうな。しかしこれほど悪化するとは
ずいぶん苦しかったにちがいない。悪いことをしてしまったなあ。



   結局息子の病気は漢方で治した訳ではなく入院治療で大部分を行ったことになる。



   ちなみにこの病院はミュンヘンで最も評判の良いところで、本当にラッキーでした。
その前の年、やはり二男が盲腸炎で運ばれた時もここで(ああ、子供を産んでから
一体何度救急車に乗ったことか!)一週間過ごしたことがあったので勝手知ったる場所。
病院食も豪華、移動図書館と称してワゴンの貸し出し本サービスもある。



  西洋医療のお蔭で(そう!否定ばかりしていてはいけない!)息子の病状は
はっきりと快方へと向かい始めた。











エアブロイの入り口とマイバウム



2013年8月9日金曜日

ベルヒ先生~診断~


 

                 子供が血を吐くなんてただごとじゃない。




  応急措置が効を奏して(毛布と湯たんぽで温めたので)バイタルはいくぶん持ち直し
救急車が到着した頃にはとりあえず生命の危険はなさそうだった。



           でもそもそも一体何の病気?



 ここまできて、神経だの、原因不明だのはないでしょう。
  


 子供は緊急内視鏡検査のため手術室に入った。状態次第で引き続き手術になるかも
しれない、との説明。
 3時間待って麻酔でぐっすり眠っている息子が運ばれてきた。医者の説明を待たなければ
ならないのでまだ何もわからない。こういう病院ではとにかく何事にも時間がかかる。
それはわかっているのでゆっくり待った。それからさらに2時間後ようやく担当医が
やって来た。
    


            そして初めて診断名をきいた。
               


              十二指腸潰瘍、と。








綾ちゃんはイカリングに生ビール。
カメラを構えているのは夫。
ビジネスクラスのごはんが待ってるから名物のヴァイスビールだけ。
飛行機いいなあって子供がうらやましがってた。

2013年8月8日木曜日

ベルヒ先生~喀血~

              



              大事件だった。



 朝一番。朝食とお弁当の準備に追われる慌ただしい時間。主人を送り出し次は子供、とばたばた駆け回る。まず長男、それから二男。長男が朝の支度をする間、台所であれこれ
用意していた。メゾネット吹き抜けのお家なので階下から大声で互いに会話出来る。
二男も起きている。二階のお風呂場で顔を洗っているのか?上から何か私を呼ぶ声が
した。が、何と言っているのか聞こえない。「ええ〜?なんて言ったの〜?」と
タオルで手をふきふき、二階へ行こうとした、その刹那、



           突然ものすごい音がした。



 私は多分、何か家具が倒れたんだと思った。何が倒れたんだろう?子供は無事
だろうか?慌てて二階へ駆け上がると • • •



     二男が自室で寝ていた。床のカーペットの上で。



 え?さっき起きてきて朝の準備してたじゃない。何で寝てるの?何かおかしい。




 子供を揺り動かして起こした。青い顔の子供はぼんやりして、



     『あれ〜?どうしたの?あれれ〜?』



 記憶を短い間無くしているらしく、少し考えたあと、事態がわかったらしく説明した。



     『お風呂場で血を吐いたの。』



 即座に風呂場を見ると血の海。殺人事件並みの量だ。もちろんすぐに救急車を呼んだ。
子供の意識はハッキリしているので事態を説明するため血の海はそのままにして
(もちろん救急隊員はすぐさま事態を理解した。この日夜中に夫と二人で掃除したが
ものすごく時間がかかりました。)出来る限りの救急措置を施した。バイタル(血圧、脈、呼吸、体温)はかなり低い。緊急事態は間違いない。





      そして我々は救急車で運ばれた。(長男は学校に行かせた。)  



   


エアブロイで二男が食べたシュペーツレ(ドイツ風ニョッキチーズオーブン焼き)
あれから1年半。ごはんを何も食べれなかった頃が嘘のよう。
完食でした。

2013年8月7日水曜日

ベルヒ先生~再訪~

    



                           やはり完全には治っていなかった。



 一年を待たずにじわじわと再発し始めた。なんとかこのまま完治してくれないかと
それなりの努力を惜しまなかったつもりだが後の祭り。じゃあ、今度は悔いなく
治療したいからと補助保険に加入したはいいが待機期間が半年。欲を出してその半年間
待ったのがいけなかった。



 その間、郊外に引っ越しした。合唱団も辞めたのでベルヒ先生にお会いすることは
なくなってしまったが彼も息子の体調を大変気にやんでくださっていた。
念のため、引っ越し先の近くに漢方の医者または治療家がいないかと探してみたが
やはりミュンヒェンの、それも「あの」先生のところが地の利も良く信用出来るという
結論に達した。


 だが今回は以前のように学校帰りにちょっとという訳にはいかない。冬休みを
利用しようとしたら、閉まっていた。そんなこんなで翌年2月まで再訪をずるずる
遅らせてしまった。ドイツは2月にファッシング(断食際)のお休みがある。
学校はお休みだが大人は働いている期間だ。息子を一週間病院に通わせることにした。
病院に電話をかけるとまたしてもドクター本人が電話に出て、私が一週間分の予約を
取りたいと言うとしきりと


       『ありがとう。ありがとう。』

を繰り返していた。どう考えても言葉の使い方や態度が間違っていると思う。まあ、自分を選んでくれてありがとうって意味なんだろうけど、商売人じゃないんだから
あんまり「毎度ありい〜。」みたいなカンジだとやばい医者じゃないかと思っちゃう。    



 まっ、そこのところはいまだになんにも変わっちゃいないんだけどね。





   



空港内なのに緑が多い。ここはターミナル1と2の間にあるスペース。
エアブロイの入り口。テラスで飲む生ビール最高!

2013年8月6日火曜日

ベルヒ先生~経過~

      


                  息子の病状は明らかに好転していった。



 鍼を刺されるのが嫌な息子本人さえ治療の効果を否めないほどだった。
ただし、治療は打ち切らざるを得なくなった。予算が底をついたからだ。
いくら何でもこれ以上は払えない。その日がきた。私は正直に言った。
予算の関係で一旦打ちきります、と。 




 それから一年ほど息子の状態はおちついていた。漢方、万歳!だ。
だが、それは完治とは言えなかった。じわじわと再発の魔の手が忍び寄っていたからだ。
 






夫が日本出張です。空港までお見送りにいってきました。
そしてミュンヒェン空港内にある醸造所エアーブロイのビール。
美味かった。


2013年8月5日月曜日

ベルヒ先生〜ドクターの治療〜




     治療も結局のところ素人にはさっぱりわからない。



 指圧はアシスタントのカリンさん(仮名)がやってくださった。子供はリラックスして
気持ち良さそうにしている。鍼もハタで見ている限りでは腕が良いやら悪いやら区別が
つかない。漢方薬をもらったがこれは失敗だった。すごい匂いと味で飲ませるのに
ひと苦労。残念ながら漢方は子供にはあまり向かない。鍼は怖いし薬は苦い。



     最初の治療のあと、いわゆる初期反応が出た。     



 ある程度予測していたことなので割合落ち着いて対処した。子供は可哀想
だったけれど、でも反応があるということは脈ありのしるしだから。



     そして少しずつ子供の状態は良くなっていった。



        


典型的な中国の薬品棚
うちの病院にもこれと似たような棚があります。



2013年8月4日日曜日

ベルヒ先生~ドクターの診察~




 漢方、または中医学の知識は持ち合わせていなかった。私の知っていることといえば
舌診、脈診を行うことくらい。でも診察はとても丁寧に行われた、それはよくわかった。
ドクターは上半身裸のうちの子を一目見て、




                 『これはイカン。いくら何でも痩せすぎだ。』



と何度もおっしゃった。



  そう、これまでどの医者も言わなかった一言。それまでの医者は、摂食障害と言うと
すぐに体重計を持ち出してきて、体重を測り、



                    『かなり痩せ気味ではあるけれどまだ大丈夫。』





などと言ったものだ。


数字じゃない、マニュアルじゃない、どうしてわからないんだろう。どこがどう、
まだ大丈夫なんだろう。(点滴治療には及ばない、という程度の意味なんだな。)



  これまでにかかった医者よりはずいぶんマシなようだ。心の中でドクターの株は
上がってきた。
さて、お手並み拝見。治療の腕前はいかがなものか。


  生意気ではあるけれどこちらだって真剣なんだ。悩み疲れ果てた挙げ句だし
料金だってべらぼうじゃないか。名医だろうがなんだろうが、治してもらわなきゃ困る。



            

患者さんにいただきました。
ドクターと奥様、それから私の三人を表す花なんだって。

2013年8月3日土曜日

ベルヒ先生~邂逅~



       この人に任せてはいけないんじゃないかしら?




 これが第一印象。いくら何もかも普通の病院と違うって言ったってデブの医者ってのは
無しでしょう。近年、メタボなお医者さんにはとんとお目にかからない。そりゃそうだ、
自分の体重管理もようできん人が他人の健康につべこべ言う資格があるわけない。



 しかもこの病院ヒマそうだ。私の知っている、いわゆる「病院」は待合室にぞろっと
患者さんが並んでて事前予約を取っていたってなんのその、1時間くらいは平気で
待たされたりするものだ。(日本だってそうだよね。)
私と二男がやってくるとドクターとアシスタントの人が両手を広げんばかりにして
歓迎してくれてまあまあなんていいながらお茶を勧められる。
他の患者さんの影も形も見えない。(わかると思うけど病院に来てドクターに歓迎される
というのはなんだかおかしいし第一、アヤシい。)



 私はなんとなく「ドカベン」(ああ、歳がわかるうっ!!)を思い浮かべながら
(注 :  ドカベンは野球選手なのにデブだ。あまりにも打撃も守備も上手すぎるので
デブでも鈍足でも最高のプレーヤーという設定。)そんなこともあるのかなっと
とりあえずこの問題は深く考えないことにした。



 そして問診が始まった。


         

             AMAZONの山田太郎ZIPPO(?)
           改めて見るともしやドクターのそっくりさん?





2013年8月2日金曜日

ベルヒ先生〜成り行き〜




 合唱団もかなり休みがちになっていた。が、二男は「絶対やめない。」と言って
頑張っていた。



 ある日のこと、二男が個人レッスン中に腹痛の発作が起き嘔吐した。自宅は
近くだったので休憩後一人で帰宅したが私がベルヒ先生にお詫びの電話をすると
やはりご心配のご様子で子供の様子を訊かれた。だいたいの事情を説明すると



    『いいTCM(Traditional Chinese Medicin =伝統中医学)の先生を知ってるよ。
    場所も都心の真ん中だし行きやすい場所だよ。中国人でとにかく腕がいいから
    一度試してみたらどうでしょう。』


とおっしゃった。そうだ、漢方。それは何度も考えた。どんな療法でもとにかく
治療家の腕が良くなくては話にならない。これも何かの縁だ。試してみよう。



 そして電話してみた。初めて電話したときの話は以前書いたことがあるが
常識はずれにもいきなり電話にドクター本人がでた。ほとんど何を言ってるか
わからない中国語なまりのドイツ語を話す医者が受付をやっている。これは
絶対普通の病院であるはずがないと確信して予約を取った。



     そして期待に満ちて病院のドアを開けたのだった。



                          突然ですが街中で見かけたロールスロイス
                    Photo by Jiro Y.



      






          









 

2013年8月1日木曜日

ベルヒ先生〜すべての始まり〜



     ベルヒ先生(仮名)がいらっしゃた。しかもゲリラ的に。



 ベルヒ先生というのは二男の歌の先生だ。そして今となっては私の恩人となって
しまった。なぜって彼こそが私にうちのドクターを紹介してくださった人物だからだ。
もう、あれから何年経つのだろう。4年か、それ以上かしら?





         私たちは途方に暮れていた。




 二男が原因不明の腹痛を訴え始めてからというものありとあらゆる手段を試しては
落胆の日々を過ごしていたからだ。
小児科のお医者さんでは全く異常なし、子供に良くある神経性のものと言われ
学校も転校させたし食べ物や環境にも気を使った。私自身がホメオパシーを専門として
いるのでこれもあれこれ試してみた。自然療法で思いつく限りのことは行った。
漢方も頭の隅にあったがミュンヒェン一の名医と呼ばれる人に(ドイツ一ともいわれる
誉れ高いプロフェッサー)失望させられていた矢先だったので(この話はまたいつか
書きます。)全く気が進まなかった。あんなんで名医中の名医なら漢方医はドイツでは
全員失格だ、とはっきり感じていたからだ。そう、私は医者選びには大変厳しい。



 そうこうする間にも子供は毎日七転八倒の苦痛を訴え、毎回嘔吐し続けた。医学的に
何の病変も無くただ精神的な問題であるのなら、最大の原因は母親である自分のせいなのかと苦しみもしたし迷いの連続の日々を送った。3ヶ月ほどほとんど学校に行けない
状態が続きもはや勉強どころではなくなった。学年は一年遅らせることにした。こちらではさして珍しいことではない。勉強は身体が治ってからゆっくり取り戻せばいい。
当時9歳の彼は身長142㎝、体重は28㎏にまで落ちていた。もともと小さい子だったが、これは明らかに異常だった。




 テルツ少年合唱団の団員だった息子は当時週に3回、歌のレッスンに通っていた。
週に2回の個人レッスンと週に一度の全体練習。そして彼の個人レッスンのトレーナーが
冒頭で紹介したベルヒ先生だったのだ。




             




 
                             


                                      懐かしい映像
       2010年11月05日 ベルヒ先生(仮名だけど本人)指揮
           うちの二男は最前列左から3晩目の日本人