2020年7月24日金曜日

綾ちゃん、夏休み突入、、、か?

夏〜!!なかなか暑さの続かないドイツの夏です!でも夏は夏!
おうちのクランベリーがたわわになって野生の鹿ちゃんがお庭に侵入してきます。
そして綾ちゃんも夏休み、突入・・・か?
もしかしたらブログも一ヶ月ほどお休みする、、かもです。

いやいやいや、、。
あと1、2回は更新するかも?


出たとこ勝負ですが今年はどんな夏になるでしょう?


皆様、良い夏をお過ごしください。

お元気で、お元気で、お元気で。




ん?バスに乗ったらなんだか?

そうだ!お客様が「前から」乗車してるじゃない!
バス的には「普通」の日常に戻ったんだ。

みんな、少しずつ元気になろう!



2020年7月21日火曜日

だから、死なないで


            これが引き寄せなわけはない。


           30歳のイケメン俳優が自殺した。
             彼と同じ死に方を選んだ。


      綾ちゃんの心が彼の死に際して喪に服している真っ最中だ。
      ただの偶然なのは理解っていてもやはり心かき乱される。

      ちょっと前にやはりお若い女性の有名人が自ら命を絶って話題になった。


      皆違う。理由も事情もそれぞれで結局一人一人の心の闇は
      周囲の誰にも伺い知れない。


              何故と訊いても詮無いことだ。


      人生をそれなりに泳ぎ抜けつつある周囲のオトナから見ると
      つい言いたくなる。
          もっと長い目で人生を見てごらん。
          少し休んでみたっていいんだよ。
          どこかに必ず回答はあるから。
                ・・・
      オトナのお説教なんてそんなにとんちんかんに響くものなのかな?
                   
      
      今、まだ生きていてそして目の前が真っ暗に思えている人に
      せめて届けることはできないのかな。


      上手く言えないからダメなのかな?
             
             だから、死なないでって。


            〜自分自身に勝利を告げるための歌〜

      生命の叫びに溢れる歌は今日も世界に1つ生まれそして誰かは癒される。

2020年7月14日火曜日

鳥の自由か放逐か〜フォーゲルフライハイト






        墓参りの帰り道、たくさんの立派な墓石を通り抜けながら
               口の重い長男が語り出した。


    「あれはね、多くのドイツ人が意味を間違えて
    "鳥の様に自由に(frei wie ein Vogel)"みたいに使っているんだけれど
    元々の意味は違っているんだ。」


           へ?そうなの?いろんなこと識ってるんだね。
     



     「鳥葬ってあるでしょう。死体を鳥の群れに自由についばませる。
     そんな風に誰かを残酷に放り投げるって意味なんだ。」



「罪を犯した罪人が法律の保護下から放逐されることを
鳥の自由にさせる、という言い回しで使うんだ。
これはとても酷い言葉なんだけれど僕はどうかなって思う。」


「僕は自分が死んでしまって肉体だけになってしまったら
どんな葬られ方したって別に構わないって思うけどなあ。」





「キミがそう思うのはクリスチャンじゃないからでもあるよね。
肉の復活を信じないから。自分の存在や魂をカラダと切り離して
考えることができるってことなんだよね。」


綾ちゃんは息子がやはり今、「死」に向き合っているんだなあって
こういうテーマに感じやすくなってるんだなあと気がついてちょっとハラハラした。









「そうだね。でも、つまり僕はさあ、僕も死んでしまったらいっちゃんみたいに
あんな風に土に還る様にしてもらうのがいいなあ。
そう思ったっていうことなんだ。」

そうだね、わかるよ。


土と同化して木を育むからあの木にはいっちゃんがそのまま宿る。
立派なお墓を建ててもおそらく自分を覚えているのはせいぜい次の世代
くらいまで。それよりもっと大きな自然と一体となる実感が欲しい。

日本の神道だとご先祖様と一体化して神様になっていくから
それも神々しい輝きがあるけれど
ここ西洋のどっしりとした趣とはなんだかそぐわない。



いっちゃんママが埋葬場所の目印だと写真を送ってくれた金色の石は無かった。
我々親は、それでも何かの印を刻みたくなってしまう。
何かしらあがいてしまう。

  

2020年7月12日日曜日

サムサノナツハオロオロアルキ



冷夏だ。


去年の今頃の時期の暑さを覚えているが今年は随分様子が違う。
暑い日が来ても長く続かない。
寝苦しくて困るという夜がない。
今日もせっかくの週末なのに夜半から冷たい土砂降り。
それでも晴れ女の綾ちゃんがお出かけする頃には雨が上がった。


やってきたのは森の墓地=Waldfriedhof。広大な敷地だ。
ドイツにお住いの方もドイツの墓地を訪れた経験は少ないかもしれない。
誰でも入れます。


正門からの通り。広々としたまさに森そのもの。


立派な庭園を見るような感激がある。


1つ1つの墓石が立派で森の美術館に来たような気持ちに。

ところが目的の場所に到達してショックを受けた。
ここは、いわば無縁仏にも似た閑散たる区域で
墓標もなければ何も無い。
それを「木葬(Baumbestattung)」というのだと初めて知った。

木の幹1mほどの高さのところに6つの小さな名札が識別できるだろうか?
この木の根元に6人の遺体が埋葬されている。
土によって腐蝕する素材でできた棺に入って。
死後、土と一体になり木の栄養になり自然と同化する。

その埋葬法の思想に感銘を受ける。
ここまでに見てきた立派なお墓がむしろ空虚に思えてしまうほどだ。

見逃してしまいそうな小さな名札。下から2番目にいっちゃんの名が。
いっちゃんママからのメールによれば
ここには花などを置く以外の全てを禁止されていて
(おそらくローソクもダメ)それでも「その」場所を見失わないように
ママはしょっちゅう金色の石を置きにきているのだとか。
管理人さんに取り除かれても
なんどもなんども。

我々が到着した時にはやはり目印の石は取り払われていた。




長男と二人でお花を飾ってみた。
数日しか持たないだろうけれど。

いっちゃん、遅くなってごめんね。
ゆっくり眠ってください。
これからも私たちをしっかり見ていてね。


2020年7月4日土曜日

救う、そしてそういう風にできている



                どうも調子が出ない。

         まあ、当たり前か。あんなことがあったんだもんね。
         あのあといっちゃんママにお悔やみメールを打ったが
         スルーされて今に至る。今頃どうしているんだろう。
         綾ちゃんが彼女の立場なら今、何考えてるだろう。
       できれば会いにいきたいお参りしたいけどきっと迷惑だよね。


       「オトナ」女性の綾ちゃんは(えっ)フツーに仕事するし
       週末はお客様だったし念願のプールにも行った。よって元気。
    
  だがふとした瞬間、顔を下に向けると突然涙がどぼぼと溢れて自分でびっくりする。
             そんな一週間を過ごしていた。



ようやくプール解禁です。West Badは外のみ。


       そうして寒い羊の日々をくぐり抜け妙に蒸し暑い夏が来た。


ベランダからの眺め。心が暗いと妙に風景も暗い。



     寒い日に辛いことがあると心も身体も冷えてわかりやすいけど
     暑い日に落ち込むのって脳みそがぐちゃって煮えてるのに後ろの方だけ
     妙にゆるくどろっと冷たい。気味の悪い感じがする。


    綾ちゃんの心はどうしても暗い方へ流れて行って、ぼんやりしていると
    つい、「意味のない」死に方を数え上げてみたりする。事故死?
    巻き添え?戦争?いや、やっぱり違うな。人は誰もがいつか死ぬ。
    でもどうしても「彼」より冷酷な「救われない」ストーリーを見つけたい。
    でなきゃ、やってらんないよ。


   気温32度のうだる暑さに一人真っ暗なオーラを放ちながら歩いていた綾ちゃん。


        すると後ろからちゃりんちゃりーん!とベルが鳴って


       「すみませーん!気をつけてくださーい!」と女性の声。

    何かな?と振り向くと5歳くらいの女の子が慣れない自転車でよろよろと
    歩道を走ってくる。ママが周囲の歩行者に注意を呼びかけていた。


   綾ちゃんはにっこり彼女にアイコンタクトを送ると再び暗い思索に襲われた。
   同時に前を向いた綾ちゃんの目にやたらとはっきりとなぜかスローモーションで
   前を行く中年女性の倒れゆく様が写り込んできた。


                ドラマみたい。


       さっきの自転車の女の子に驚いて恰幅の良いその中年女性は
      バランスを失って車道に転がった。そこにバスが、、、。


      綾ちゃんは何も考えずに悠然と車道に飛び出し転んだ女性の前に
      立ちはだかり両手を挙げた。バス、停まれ!



                 不思議な体験だ。


       バスが停まるのはわかりきっていた。もちろんそもそも大した
      スピードを出していた訳ではないが。
      だがその瞬間の綾ちゃんにはものすごい動体視力がついていて
      何も恐れず全てのタイミングがわかっていた。


      しっかりバス及び全ての交通が一時停止したのを確認してから
      綾ちゃんはその車道の真ん中に転がった女性(ショック状態)を
      抱え上げ歩道まで抱えてあげた。きっと綾ちゃんより10kg以上
      重そうな方だったがちっとも重さを感じなかった。


      女性の外傷が無いこと、意識も正常なことを確認して(救急車不要)
      綾ちゃんは立ち去った。自転車ママが平謝りしている。


      今、綾ちゃんて誰かの生命を救った?少なくとも誰かを助けた?


            アタマはいまだに麻痺している。


      アリンコのように小さな生命を生きている我々に「救われる」生命と
      「救うことのできない」生命があって瞬間瞬間を大いなる意志によって
      采配されている?


                どうなんだろう?


お庭のクランベリー。完熟でびっちりなります。とっても綺麗。