2017年5月30日火曜日

ホルンダーシロップのレシピ大公開!



         急な夏日和!日中35度を超える日々です。



                      爽やかな白ですねえ。まだ蕾が多いです。          



      6月も間近。今年もニワトコ(ホルンダー)の白い花が
     開花始めました!もお、あやちゃんは首を長〜くして待っていたのです!




      出来合いのシロップもあるけれど手作りのは本当にお味が格別。

       特別にレシピを公開。

         ホルンダーを軸ごと30本 さっと水で洗い水を切っておく。
         2lの水を火にかけ2kgのRohr-Rohrzucker(半生精?砂糖詳しくは
         こちらをごらんください)を溶かし沸騰させる。
         沸騰後火を止め洗った有機栽培レモン2個を輪切りして鍋に入れ
         レモン酸(Zitronensäure)50gを加える。人肌に冷ます。
         花を漬け込む。4〜5日冷蔵庫で保管。目の細かいザルで濾す。


        以上でーす。


      昨日は生徒さんたちのご家族も一緒にお花摘みとシロップ、
     パンケーキ作りを行いました。ご帰国される生徒さんご一家の
     お別れ会を兼ねて。




上手にできました。あと3〜4日冷蔵庫で保存。濾したら出来上がり。
お水で割るだけでも美味しいし、ワインやゼクトで割ったり
たくさん利用法があります。体にもいいです。



楽しみです。Yさん。お会いできて嬉しかったです。
日本にお帰りになっても頑張ってくださいね。




2017年5月29日月曜日

この幸せを分けてあげたーい!名画鑑賞の思い出




モネやゴッホ






おお、ゴーギャン


 ダヴィンチー!!!









ちなみにこのビールも幸せー!



 ちなみに郷土料理は残念なお味でしたが。






2017年5月25日木曜日

お金を使わない贅沢な観光



長男はさ、ロンドンでミュージカル観に行きたいっていうから
ネットでチケットを買ってあげた。ちょうど「オペラ座の怪人」やってたんだ。
いいなあ。値段的にはドイツと変わらなかったな。
その時間以外は適当にそこらをブラブラするってさ。



テムズ川沿いの遊歩道



二男はね、グリニッジ天文台へ行くって。これもいいなあ。
綾ちゃんも連いて行こうかなあってずいぶん迷った。いやいや、
ママが連いて行っちゃ当人が迷惑だろう。あと科学博物館にも行きたいってさ。



斜めを向いた信号はお茶目で実用的

観光するとなんでもお高いロンドンだけれど
主要な観光地にはもうどれも行ったから今回はゆっくりお散歩。それから
美術館巡り。美術館が入場無料だからだけれど
びっくりするほどお金を使わなかった。けれど贅沢な時間。



ミレニアム橋 渡ってみたけどフツーだった。そりゃそっか。


万が一のことを考えて二人にはそれぞれ50ポンドずつ軍資金を
渡しておいた。太っ腹に(実は大見得切って)何に使ってもいいよって
言って渡したんだ。でもね、夕方食事時に残ったお金を徴収したら二人とも
ほんのちょっとしか使っていなかった。きっと彼らも緊急の事態を想定して
無駄遣いはやめようと判断したんだと思う。えらいえらい。



ところで、ですがロンドンの記事を書いている最中に
マンチェスターのテロの一報を知りました。ロンドンでも
トラック突っ込み事件があったのにね。またこんな悲しい事件が
起こるなんて。お悔やみ申し上げます。






2017年5月24日水曜日

ターナーにぽおっと、ヨーダはSHOW-BY



すっかり大きくなった綾ちゃんの息子たちは普通の観光なんかに興味ない。


だから前もって何をしたいか調べさせて準備させた。
必要な経費は前もって払っておく。公共交通機関の一日券を
買ってあげる。特別にお小遣いも少しあげて別行動。
夜には一緒にご飯を食べに行く。そこでそれぞれの冒険を報告し会う。

ふふん、それで綾ちゃんが一人で行ったのは、美術鑑賞!


このヨーダは綾ちゃんがお金を払うまで絶対顔を見せてくれなかった。
SHOW-BY上手。ナショナルギャラリーの前に陣取っていました。

子供達は美術なんて興味ないからね。
綾ちゃん、じっくりゆっくり行ってみたかったんだ。ナショナルギャラリー。
入場料無料なんて信じられない。名画の宝庫。





ターナー大好き!



ターナーの前でぼーっと立ち尽します。ああ、幸せ。


これはミケランジェロだったかな?


2017年5月22日月曜日

3人で行って3人バラバラのロンドン



しかし綾ちゃん、最近衝動的な旅行の多いこと。

ロンドンへ行くならこれ、easy Jetってイージーなネーミングが怖いぞ。

日本からミュンヘンに帰ってきたその日にいきなりブッキングアンドゴー!J


前回ロンドンに遊びに行った時、後から長男にずいぶん羨ましがられた。
それに綾ちゃん、パリとかローマとかラテン系の国の都会はなんだか怖い。
事前準備無しに行くにはやはりある程度安全なところで
綾ちゃん自身が経験のあるところ、言葉の不自由なところ
(でもドイツ語じゃつまんないんだよね)ということで英国になったわけです。


WAIT というわけでちょっと待ちねえ



でもね、ロンドンの「止まれ」の人はずいぶん尊大な態度だと思いません?


今回綾ちゃんは(すっかり大きくなってしまった)二人の息子に提案したんだ。
3人で行って3人とも別行動はどう?って。



テームズ川をのんびり散歩しているとドラゴンのついたベンチに出くわす。
いいなあ、贅沢な時間。


意外にもドイツではなかなか出くわさないドラゴンモチーフ。
綾ちゃんドラゴン大好き。





2017年5月21日日曜日

「死」は「死」じゃないし「生」も「生」とは言えない





母と一緒に過ごしていろいろ思うところのあった綾ちゃんなんだけれど
その時に何度も頭の中を去来したのは、若い頃読んだ一冊の本のことだった。





1990年代に一世を風靡したライアル ワトソン博士のこの本。
綾ちゃん、ワトソン博士の本はどれも夢中になって読みました。

「人間死ぬとどうなる」なんていう物騒なタイトルだけれど
オカルトとはまるきり関係ない、「死」というものの定義をどこまでも拡大する。
「死」というテーマを通してパラダイムの転換を促す衝撃の一冊と言ってもいい。



ここで取り扱っているのは医学的な死の定義ではなく、そもそも死とは何なのか。
ヒトの身体を構成する細胞の最後の一個の死をもって「完全な死」と仮に
定義するならば人が完全に死ぬのは心臓や脳が機能しなくなってから
はるかに先のことであるし
「生まれる」という出来事でさえ、生まれ落ちた新生児を構成する
細胞はその命の宿ったその瞬間すでに多くの死を迎えている、
つまり「生命」というのは「生」と「死」のせめぎ合いのダイナミズムの
集合体であって、或る日突然死を迎えるのではなく
ある「閾値」を迎えた状態を便宜的に「死」と呼ぶということなのである。




綾ちゃんパパが短歌でいただいた賞の数々です。


アルツハイマー病のような病気は脳機能からじわじわと「死」が
訪れるから周りの人々にとって哀しく辛い。運動機能にもやがて影響は
及ぶからそう遠くない将来、お別れの日が来るのは想像に難くない。



いろいろと尋ねてみて判ったことだけれど、母は20年以上前のことならば
だいたいの記憶はあるようだ。(怪しいこともたくさんあるけれど)


次に会った時に綾ちゃんが自分の娘だと母が判らなかったとして
それはある意味、母娘関係の死と言えるんじゃないだろうか?
いや、今現在だって多くのことが「死」を迎えている。
こういう小さな「死」を臨機応変に対処することを便宜的に「変化」と
呼んでいるのかな?


その意味ではいつも我々は「死」と隣り合わせに暮らしていて
(危険が迫っているという意味ではなく)たまたまこういう形で
「死」、色々な形の「死」というもののことを考えるきっかけを
与えてもらっているのだなあと思うわけだ。



綾ちゃんはなんと幸福なことにこれまでに身内の不幸を経験していない。
でもそろそろそういう時期が現実にやってきた時、もしかしたら
あんまり悲しんだりしないんじゃないだろうかという気がしてきたんだ。


「死」は「死」じゃないし「生」も「生」とは言えない。


その日が来たら、綾ちゃんはその日を綾ちゃんが母に巡り合ってから
愛されてきた長い長い日々を想う記念日として
心の中にしまえるんじゃないかという気がした。





これでもほんの一部です。
自慢ぽいから公開するのはどうかとも思いましたが記念に。


太宰府梅まつり短歌大会で一席を取った時の賞状



2017年5月17日水曜日

愛の気持ちが海馬を超える




記憶が数分しか持たないはずの綾ちゃんママだけれど
必ずしもいつもというわけではない。
一緒に行動していて興味深い発見がいろいろあった。



例えば一緒にバスに乗ったとき。大抵我々は別々に座る。
シルバーシートにまず母を座らせてから綾ちゃんは自分の席を探す。
一般席は足場が高かったりしてお年寄りには居心地が悪いところが多いからだ。



綾ちゃんママは大変植物が好きで車窓からわずかでも何か花を見つけたら
大騒ぎして綾ちゃんに伝えようとする。ほらあっち見て、こっち見て。
その度に綾ちゃんの方を振り返るのだが、そのタイムラグが結構長くても
「綾ちゃんがそこにいる」ことはどうも忘れてはいないようなのである。


綾ちゃんが知人に会いに出かけて1日留守にしているような時には
どうも綾ちゃんの帰省を忘れているらしい。父が綾ちゃんの荷物や着替えを
指差して何十回もその事実を教えているらしいが一応そういうことは
すんなり入ってくるという。



『昨日もこの花咲いとったもんねえ。何回見ても綺麗やねえ。』


と珍しく時間や回数に関する単語が飛び出してくることもある。



好きなもの、愛するもののことは海馬を超えて
記憶のポケットに直接すとんと入ることがあるようだ。




博多の老舗。吉塚うなぎ店のお花



次に会うときはもしかしたらもはや綾ちゃんに会っても
自分の娘だと見分けてはくれなくなっているかもしれない。
そんな日の心の準備もしながらだったけれど、なんとなく
何があっても大丈夫だという確信があった。
幸せな家庭で育つということは大切なことなんだな。
この先何があっても我々の間の愛情が変わることはなく
穏やかに接していけるだろうと素直に思えた。







2017年5月15日月曜日

人生の伴侶の意味




『ねえ、手ば握っちゃろうか?(手を握ってあげましょうか?)』



この一言を聞いた時、我が耳を疑った。
母が父に向かって就寝の際にこの一言を発したのだ。
もちろん聞いていないふりをした。


綾ちゃんママパパは昭和ヒト桁世代で、とにかく身内に愛情表現など
しない。特に母は素直じゃないのが特徴でいちいち本音と反対のことしか
言わないヒトだった。



長崎は坂の町



認知症が始まってから母は誰に対しても敬語を使うようになった。
目の前にいるほとんど全ての人が、実は誰だかわかっていないのだと思う。
目も良く見えていない(白内障の手術の予後は良好ですっかり良く見えるようになった
と言っていたのも束の間だった。)からなおさらだ。
いちいち尋ねるわけにいかないので安全策でとりあえず敬語を使うのだ。

たった一人、何時間離れていてもたとえ良く見えていなくても
父のことだけは判るらしく、安心して気安く呼びかけている。
父が26歳で独立する時に役所から妻帯者でなければ営業許可が出せないと
言われたので慌てて母と結婚する段取りになった。母は思いもかけず
18歳でお嫁に来る。
60年以上連れ添っているわけだ。





父が現状に応えて実にまめまめしく母の世話をする姿が印象的だった。
九州男児で家事などしたことのなかった父。日常の母との会話は全て「おい」で
済ませていて夕食のおかずを大皿から取り分けるのも母まかせ。ここで男が動いては
沽券にかかわるとばかりにふん反り返っていたっけ。







実は大変行き届いた介護施設(実家から徒歩5分。全て綾ちゃん姉が手配済み)への
入所予約が取れているのだが綾ちゃんママは頑として承知しない。
ホームだけではなくデイケアなどの全ての介護を毛嫌いしている。


父が母の担当医から受けた説明によると、いづれ遠くない将来、
選択の余地なくなる時期が来る。それまでは様子を見ましょうということだそうだ。


確かにどれほど高級介護施設だろうと我が家に勝る場所はない。
今を大切にと
一生懸命生きている二人の姿が本当に眩しかった。


今日は母の日。



綾ちゃんも今日は母にピンクのカーネーションを贈りました。


お母さん、ありがとう。



2017年5月14日日曜日

帰るたびに変貌を遂げているニッポン



綾ちゃんは数年に一度しか日本に帰省しないから
(単純に財政的な事情です。ぐっすん。)帰るたびに早回しの画面を
見るような気分に襲われる。毎回、日本は変わっている。


いや、もちろんドイツだってどこの土地だって生命があって
刻々と変貌を遂げるわけなんだけれど、日本は特にスピードが速い。


長崎「フェリー埠頭」の風景


今回特に目に付いたのは二つ。
インフラバランスの奇妙さと高齢化社会対応の町整備の充実度だ。
いや、この二つは表裏一体なのかもしれない。


インフラ全般の社会問題についてはここでは大きすぎるテーマなので
割愛するとして、とにかく町が「お年寄りに優しい」社会に
急ピッチに変化していることについては本当にびっくりした。



例えば信号。

綾ちゃんママなど(足は達者なのだけれど)とにかく歩くのが遅い。
よちよち歩きの幼児と歩いているのと変わらない速度なのだが
母と歩いていて横断歩道の信号が途中で赤に変わるという体験が
一度もなかった。(余談だが翌週ロンドンに行くとロンドンの信号は
東京よりも早く変わる。どう頑張っても青のうちに向こう岸に
たどり着けないという驚愕の忙しなさであった。)


綾ちゃんのミュンヘンの知人で介護関連の仕事で日本から
招聘されている方おられる。その方がおっしゃってらしたっけ。
日本はドイツに比べて高齢者対策が格段に進歩しているって。
いや、本当になるほどそうだった。


バスの停車時間も半端なく長いしシルバーシートもたくさんあって
しかし綾ちゃんの見たところそれでも数的に足りていないようだ。


高齢化社会に対して国と自治体が猛スピードで対応しているのが
印象的だった。



2017年5月12日金曜日

真っ白な霧の中で





綾ちゃんの今回の日本への帰省の一番大切なご用事は
福岡の実家の様子を見ること、綾ちゃんパパと今後の生活について
話をすることだった。


綾ちゃんの両親は二人きりで暮らしている。
88歳と80歳の二人暮らしは何かと難しいことがあるだろう。


実は綾ちゃんママが認知症だというので今現在どのくらい大変なことになって
いるのかをこの目で確かめたかった。
アルツハイマーを始めとする老人性認知症について、綾ちゃんは
医学的な知識はそこそこに持っていたが身内に患者がいたことはない。


そして今回ずいぶん勉強することができた。


何より患者が綾ちゃんの母親という、綾ちゃん自身の分身のような
存在なわけだから、そして誰よりもその人となりを知っているので
どのように性格が変わったのかをはっきりと分析することができた。


綾ちゃんママは現在中程度の進行度であるそうで
生活上の支障は全くなく、ただ記憶だけが長続きしない。同じことを
ひっきりなしに繰り返して言う。どれも他愛のないものだ。
徘徊するわけでもないし奇行もない。
進行度や症状にずいぶん幅があるというのはこういうことなのかと
納得した。他人がぱっと見ても特に普通と変わりないと思う。


病変があるとかないとかではなく、ずいぶん変化したな、と思ったのは
性格だ。ずいぶん「丸く」なった。
綾ちゃんママは本来もっともっと元気で陽気で「えばりんぼう」だった。
勝気でとにかく自分が他人より勝っていると思っていないといけない人だった。


彼女の娘として、あまりにも「柔らかく」なってしまった母親の心の中を
トレースするような瞬間を体験した。母はもはや誰ともケンカしないし
誰の言葉にも異を挟まない。おそらくその気力がないのだ。
というか誰かの意見に反論するという脳の回路はある程度高度な働きで
母なりに(決して言わないが、おそらくはたった一つのプライドで)
気を遣っていて自分の頭の中の記憶の欠損に気がついていて
ボロが出ないように気をつけているように思えた。


記憶が5分と持たない。


記憶を司る海馬が萎縮しているわけだから記憶のストックができない。
言い換えると1日1日と記憶の空白がストックされていくわけで
毎日の生活とアイデンティティーがだんだん靄に包まれていくような
感覚に陥っているのだと思う。


ものすごく戸惑って真っ白な霧の中で怯えてうずくまっているように
見える瞬間が沢山あった。





池になんかいますね。


あれ?カメ?


四天王寺名物カメの甲羅干しでした。


2017年5月10日水曜日

痛恨の「フェリー埠頭」、長崎を訪れて良かった



「わたしフェリーにしたの。」



「飛鳥」の写真をお借りしました。



「だって飛行機も汽車も
なみだ乾かすにはみじかすぎるでしょう。」


もう何十年も前、かつて少女だった綾ちゃんはこの歌詞にシビれた。
恋も愛も憧れと同じ言葉だった頃。




さだまさし最高傑作のアルバム。「私花集」の一曲。フェリー埠頭。
削除される前に一度は聴いてみてください!




「でもさよならはまだ言わずにいいでしょう。
むこうのステイションホテルから電話をするから。」



グラバー邸から見た埠頭

「最後の助手席で海岸通りを走る。」


この歌詞の海岸通りが長崎の大浦海岸通りのことだったなんて
長崎に行ってこの目で見るまで気づきませんでした。なんたること!



「不思議ね。思い出にすれば皆、優しいのに」



綾ちゃんは特に名もない海岸沿いを走る道路のことだとばかり思っていたんです。



「水に揺れるイルミネイション。つづれおりの道を
あなたの横顔がくぐり抜けていく」





綾ちゃん、これまでの全人生における痛恨のポカ(←大げさ)



しかーし、この超重大事を知り得ただけで今回長崎旅行をした
甲斐があったというものだ。(←これは大げさではない)
長崎に来てよかった。


プッチーニ

2017年5月8日月曜日

実は沖縄に一番近い町



知林ヶ島(ちりんがしま)という自然に砂の歩道が潮の満ち引きで
現れる神秘的なパワースポットを対岸の展望から眺めました。
砂洲が三分の一くらいできているのがお分かりになりますか?



実は綾ちゃんはね、家族旅行どこに行きたい?って最初に訊かれた時
「石垣島」って答えたんだ。南国琉球への憧れ。でもそれだけじゃない。
尖閣諸島問題に揺れる宮古、八重山諸島など南方の日本を訪れてみたかった。


ただ綾ちゃんの両親は80歳を超える高齢。飛行機旅行はとても無理。
本当は綾ちゃん一人でも行きたいくらいだったんだけど今回は親孝行だからね。
それ自体は残念だったけれど思いもかけず指宿という素晴らしい土地を
再認識できて本当に満足していたんだ。



でもね、おやおや?

例えば、、、


これは田の神様。
タノカンサーっていうんだって。なんか沖縄方言みたいでしょ。
このざっくりした形もお地蔵様みたいな仏教色がなくって南国ぽい。


ここは豊玉姫(とよたまひめ)神社

神社の天井に描かれている豊玉姫はデメジンサーと呼ばれていた。

色遣いといいタッチといい沖縄を思い起こしませんか?
そういえばさつまいもの伝来も琉球からという話だったし、、。
もしかして指宿って沖縄と密接な関係があったのかしら?



するとこれは綾ちゃんビンゴ。
指宿は江戸時代島津藩公認の琉球との密輸港だったんだって。
琉球の人たちもたくさん住んでいたし薩摩の人たちもたくさん
琉球にわたってそこに居着いた人たちもたくさんいたんだって。


そう。だからここには沖縄を彷彿とさせるものがたくさんあるわけなんだ。
日本の神話と沖縄の文化とがミックスした風土。面白いなあ。
今回は涙を飲んだ沖縄旅行気分が少し味わえて満足でした。

2017年5月7日日曜日

豊かさとはこういうことだと心から納得する場所




おー!開聞岳!薩摩富士ですね。ざ!日〜本!!




特急玉手箱号で記念写真を撮る綾ちゃん親娘。



長崎鼻




もちろん鹿児島といえばさつまいもです。でもね、それだけじゃないの。

ここ指宿はさつまいも上陸の地なんですって。
ガイドのタクシー運転手さんがそうおっしゃった時、綾ちゃんは
教科書知識的に「え?青木昆陽、、、」とか口走っちゃったんだけど
これこそまさしくワナに落ちたって感じで


ちっ、ちっ、ち。お客さん、違うんですよー。





ここ指宿が1705年に船乗り前田利右衛門が琉球より持ち帰り栽培した
ものが一気に近隣諸国に広まったのだそう。この利右衛門さん、ここ指宿では
チョー有名人でしした。



絶滅危惧種だけどね、ウミガメもここに卵を産みに来る。





これはなんだと思いますか?これはね、煙草の葉っぱなんです。
なんと煙草の作付けも1605年ごろ指宿が最初なのだそうです。

この他にもそら豆やオクラをはじめとして様々な農作物、
海産物、お茶、いずれも立派な立派なレベルです。

タクシーの運転手さんたちはその日も流通させられない形の悪い
お野菜をたくさん農家からもらっていました。いいなあ、いい風景。



なんて豊かな国だろう。
豊かさってこういうことなんだなあって感動しました。


ここはどこの庭園かと思いきや、今日のお宿。白水館です。
運転手さん曰く、「あそこは広すぎてお年寄りにはかえって大変だそうですよ」って
どんだけ広いんだ。



うーわー!絶景!なんて贅沢!
お風呂までえんえん歩きます。
夜にはライトアップのお庭

いや、美術館じゃなく旅館だって。

お風呂の後はご飯。お品書き見ただけでびっくり。
いや、食べられないでしょう。


お肉食べられない綾ちゃんのためにちゃんと気遣いしてくださいました。
ひゃー、とにかく頑張って食べました。この中に地元の食べ物がたくさん!


デザートもね。