2020年9月16日水曜日

アンディ、あるいはかつての友

 

          その日が来た。いや、来ることは分かっていた。

    

          次に彼に会ったらこうしようと決めていた。

          いつもいつでも正解なんてない。それでも、、、



    どっぷり疲れて自宅最寄りの駅に降り立った。いつもの帰り道。


    彼は誰かを探していた。綾ちゃんを探していたわけではない。

    誰でも良かったはずだ。でも彼は綾ちゃんを識っている。綾ちゃんを見つけた。


   アヤコじゃないか、良かった!僕の話を聴いてくれ。あのね、ママが死んだんだ。

    癌だったんだ。


    ーそれはご愁傷様、いつお亡くなりになったの?

    昨日。でも今日知らされたんだ。ミュンヘンの病院で。妹が知らせたんだ。

    66歳で。悲しくて悲しくて。心が苦しくてどうにかなっちゃいそうなんだ。

    今、手持ちがないんだけれどビールを一杯飲めれば少しは眠れると思うんだ。

    お願い!お店が閉まる前に2ユーロ持ってたら分けてくれない?


    ー本当に本当にご愁傷様。今日は奥様はどこ?

    もう、何ヶ月も前に離婚届を押し付けられたよ。

    僕は孤独(ひとり)で震えているんだ。


    ーねえ、今、お仕事はどうなってるの?工場に通ってたでしょう?

    3月にコロナで閉鎖になったよ。今は生活保護をもらってるんだ。

    ーじゃあ、どこに住んでるの?お家賃はどうしてるの?

    以前と同じそこのアパートだよ!家賃は二ヶ月滞納してる。


    そう、コロナ特別対応で家賃滞納を理由に大家は退去を迫れない、そうだった。

    ただし滞納家賃は消えはしない。必ずいつか払わねばならない借金が

    膨らんでいくだけだ。

    

    そして綾ちゃんが前回彼に会ったのも駅のすぐそばで、そう、3月だった。

    あの時も2ユーロを誰かに無心していてソデにされ、綾ちゃんを見つけ

    綾ちゃんに泣きついた。

    綾ちゃんはそれまで(通勤仲間で)仲良く喋っていた彼に無心されたことが

    ショックで財布を忘れたからと嘘をついた。そしたら彼はまた誰か別の人を

    見つけてカネの無心に走っていった。

    

    その日綾ちゃんは人に会う約束があって先を急いでいたのも事実だった。

    が、彼の哀れな豹変がアタマに焼き付いて離れず次に彼に会ったら

    話をしたいと思っていた。


   ーねえ、私があなたにお金をあげるとするでしょう?たった2ユーロでも

    あなたは私にお金を返すことはできないわ。私があなたにお金を恵んだ瞬間

    あなたは乞食になって私は他人になるの、理解る?私はあなたのご近所さんで

    時々あなたと電車で一緒になって互いの近況を語り合うのが楽しかったわ。

    私は、人間としてのプライドを持った人としかお友達になりたくないわ。

    ねえ、たった2ユーロのビール代であなたは乞食になって私と縁を切りたいの?

     

   ーアンディ、お願い、きいて。明日、あなたは労働局へ行くの。必ず職はある。

    あなたはドイツ人で綺麗なドイツ語が喋れるしこれまでよく働いてきた

    キャリアもある。一生懸命働けばあなたを尊敬してあなたを慕ってくれる

    女性も現れる。それまでに滞納家賃をなんとかしなくっちゃ。

    毎日、お母様が死んだといって乞食の真似をする生活とはおさらばする。

    あなたは若い(多分30歳代)。残りの人生をこのままボロクズにしていい

    理由なんてない。


    彼は、ボクはダメなんだ!身体も壊してしまったしもう何もかも無くして

    しまったと繰り返し繰り返し繰り返す。


    ーじゃあ、アンディ、これで私はあなたとは縁を切ることにするわ。次にもしも

    あなたが私に声をかけたら即座に警察に110番通報する。いい?



       そうして綾ちゃんはお財布から50ユーロ紙幣を取り出した。



         アンディは大泣きして道路で綾ちゃんに土下座した。


   ーねえ、50ユーロなんて何にもなりはしない。これじゃ家賃の足しにもならない。

    私はどうしたらあなたが人間としての誇りを取り戻してくれるのかが

    わからない。でも今日は何か温かいものを食べたらいいと思う。

    明日、あなたがどう生きるかはあなたが決めることで誰もあなたを

    助ける事は出来ない。 



    ーじゃあ、あなたとは絶交だからもう二度と声をかけないで。

    私は次には必ず警察を呼ぶからね。約束したわよ。



              綾ちゃんは立ち去った。

    アンディは50ユーロ札を握りしめて道路に突っ伏して大泣きしていた。


    彼は綾ちゃんの住居を知らない。彼に住所を知られてつきまとわれたら

    どうしようと以前はちょっと怖かった。


   今は不思議なほど怖くない。宣言してきた。何かがあれば躊躇せずに110番だ。



    仲良し、というほどの関係でもない。近所の知り合いという程度だ。


          けれど今日、綾ちゃんはひとり友を失った。


      

               夏休みの博多の海。福岡ドーム

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