2013年3月30日土曜日

夫と妻と犬と私  ⑩




    東京にある「ハーネマンアカデミー」の学長永松昌泰先生の講義を
   (テープで)聴いていた時、ある、とても大切な概念に出逢った事がある。




         アンコンディショナル ウォーム (unconditional warm) 



    という言葉だ。永松先生の授業はどの一瞬をとっても含蓄深く心に沁み入る
   名講義なのだがこの言葉は特に忘れがたい。



    つまり、ホメオパスというもの(セラピストというもの)あまねく患者の
   状態や状況に左右されてはいけない。どんな患者が現れてもどんな話を聞いても
   患者の精神状態に移入してしまったり患者を、裁判官が被告にするように
   「裁いて」しまってはいけない、と言う事だ。
   
   永松先生のブログ
   http://www.hahnemann-academy.com/blog/



    このアンコンディショナル ウォームと言う言葉は実はホメオパスだけではなく
   全ての医療従事者、ひいては人生のあらゆる場において真理となる態度なのだと
   いう事を後に知った。人はすぐに他人を裁いてしまうから。言葉や態度に出さなく   ても頭の中ですぐに善悪の判断を下してしまうから。




    特に、誰かが誰かを治したい、癒したいと思う時には患者の「人生」は情報と
   してきわめて重要であるが、それをそれとしてありのままに見ないで、常識や主観   に捕われてしまうと判断を誤る。治療家の患者に対する態度というのはきわめて
   微妙でかつ厳しいものなのだ。




    職場にいるときの私は極力努力している。吉岡綾子という「個」とセラピストと   してのフラウ ヨシオカをいつでも幽体離脱させられるように。




    そして今回、ガルミッシュのおばあちゃんとその元夫の治療にあたっては
   その「技(わざ)」ひとつに全ての勝敗がかかっていたのではないかと
   思えるほどだった。



(つづく)



          

       Tölzer Knabenchor - 中田喜直 - ちいさい秋 みつけた




    

2013年3月29日金曜日

夫と妻と犬と私  ⑨





     精神科医である彼は女性心理に詳しい(?)のか毎日私を喜ばせる
    「しかけ」を用意して来る。見ようによっては、私を口説こうと思っている
     としか思えないはしゃぎぶりだ。




    『吉岡さん、今日の新聞に「古き泉」という詩が載っていたよ。
    誰の作品かわかるかな?一つ朗読してみよう。』
    (女性に詩の朗読をして喜ばせようなんてなんとクラシック!)





     『さて、ここで問題です。世界中のソロコンサートに自分のピアノを
     運び入れていたピアニストの名前を当ててください。』



 どちらも私にとっては易しすぎる問題。ちなみに最初のはカロッサで後のはポリーニ。
私にとって易しすぎる導入に始まってお互いが楽しめるような話題に少しずつ持って行くという心憎い演出。



 私の子供がかつてテルツ少年合唱団に属していたときいて喜ぶのなんのって、何と
彼はテルツ少年合唱団の創設者兼指揮者であるシュミットガーデン教授の音大時代の
ご学友らしい。




 もう、本当に毎日毎日彼との会話が楽しみでしようがない。そしてガルミッシュのおばあちゃんの治療に当たっては彼女の人生に涙するのだ。ああ、なんてひどい夫を持って
かわいそうな目にあったのだろうって。





 私とドクターはただただこの二人の元夫婦に翻弄され続ける一週間を送った。





(つづく)






         テルツ少年合唱団。画面の前列中央に映っているのが
       長男。ただし3年前。

2013年3月28日木曜日

夫と妻と犬と私  ⑧




   『でも私が離婚を決意したのは彼が子供を愛さなかったせい。』



『あなたもご覧になってお分かりの通り、彼はありとあらゆる才能に恵まれて人を惹き付けずにはいられないわ。しかもほとんど何も努力らしい努力をしていないの。
ああいうただの天才には色々と理解できない事がたくさんあるのよ。
例えば彼は子供を特に望まなかった。彼は「愛」という言葉がわかっていないのよ。』





 「愛」というのは動詞であって名詞ではない、といいますよね。そこにあるものではなく行為によって実感するものなのだと。



 『そう、そうなの。まさにそれだわ。パーシーは彼のように優秀な秀才ではなかったわ。でも十分普通によい子だったし何の問題も無かった。けれどあの人はどこまでも
子供に無関心だったしパーシーが赤ちゃんの時からただの一度も抱きしめたりかわいがったことすらないのよ。』



 ええ〜!!なんてかわいそうなパーシー!そうだったのか、おまえさん、苦労してたんだあ。だってパーシー、この数週間毎日5時起きでご老人たちの運転手やってるじゃ
ない。




 『次に妊娠したとき中絶を強要されるのが怖くて5ヶ月になるまで夫にはだまっていたの。彼は医者だから堕胎させてくれる医者仲間なんていくらでも知り合いがいるもの。
娘の事もやっぱりかわいがりはしなかったわ。でもいいの。私はその頃もう、離婚に
ついて考え始めていたから、そして夫を大切に思う気持ちがもはや尽きてしまっていた
から愛情を注げる他の対象が欲しかったの。』



 ううん、そこらへんは感性がいまいちわかったようなわからんような気もするが
とにかくそういうことなんだ。



 『パーシーが10歳になった時、進学を控えてこういったの。
 ママ、ママがパパと離婚しないなら僕は寄宿舎のある学校へ行くよって。
その一言で踏み切ったの。彼の方は離婚したくなかったんだけれど私の方で
押し切ったわ。彼の4人の妻のうち子供を持ったのは私だけなんだけど子供を持った  事もあのとき離婚した事も全部正しい選択だと思っているわ。こうして時々彼に会う  と今は古い友人のような気持ちで会えるけれど「妻目線」で彼を見るとその度に
ああ、あのとき離婚して本当に良かったって心から思うわ。』



 ドイツの小学校は4年生まででこちらの子供は10歳で重大な進学の選択を迫られる。
そんないたいけな頃に大変な危機を経験した訳だ、パーシー、おまえさんは。ううん、
すっごい同情しちゃったよ。それでも大人になった今、きちんと父親に接しているし。
運転手なんかしちゃって十分役に立つ息子じゃないの。




(つづく)






           フィテウマ へミスファエカムという難しい名前の花
           ガルミッシュに咲いている。




2013年3月27日水曜日

夫と妻と犬と私  ⑦




              彼は彼で大変感動していた。




 とても病院とはいえないうちの病院の全てに大感激していた。これは「ふり」では
無かったと思う。ドクターとお茶を飲みながら歓談したりごはんを食べたり、
私もたくさんお話をした。彼は病院にやって来てまさか文学修士号を持ったアシスタントがいるとは思っていなかった(そりゃあそうだ)ので大いに驚いてくれて
文学の話、音楽の話、医学の話、もうお互いに話題は尽きない。


 ああ、彼ってなんて素敵なのおってとろんとしながら施術を終える。(彼はくるぶしの
複雑骨折の後遺症に苦しんでいらした。)そしてその足で今度はおばあちゃんの
治療室へ向かう。



 一旦ドアを閉めるとそこにはおばあちゃんと私だけが培って来た二人だけの「空気」
がよみがえる。



 これがプロってことなのか私ってただただ節操というものが無いだけなのか
すううっと彼女の「反 • 元夫、嫌 • 元夫」の空気に包まれる。そうだった、
彼女の病気の原因はあの元夫だったんだ。彼女はかなり神経がまいっているらしく
あるいは彼のペースに流されないようにと私への警告なのか、彼のエゴイスティックな
過去を暴く。なぜ彼と別れなければならなかったのかを次々と説明する。


   『彼と結婚した直後にね、私、彼から誰とも交際しちゃいけないって
   言われたのよ。なぜって彼は北ドイツの出身でしょう?私のバイエルン方言が
   恥ずかしくってしょうがないって言うのよ。パーティも一切だめ。公の場には
   出るなって本当に禁止されちゃったの。』



 あの、おばあちゃんのドイツ語ってかなり標準語に近いと思いますけど(パーシーは
すごいガルミッシュ訛りだけどね)、おばあちゃんの言葉のどの辺りがだめだって
ご主人はおっしゃったんですか?


   『例えばイッヒ ハーベ( Ich habe =私は〜) って言わなきゃいけないって
   イッヒ ハプ(Ich hab')なんていうとダメなんですって。』



 嘘!私なんてしょっちゅう使ってる!こういういい方って学校で習うものじゃあ
なくって周りの人がみんな使っているから教科書的な用法より親しみがあるものかと
思っていたけれど。スラングというほどでもないしいいかと軽く考えていたけれど気を
つけなくっちゃ。私、ついさっきまで彼女の元夫との会話を頭の中で復習してみる。
ああ、いっぱい使っちゃったよ、イッヒ ハプ、イッヒ ハプって。ああ、恥ずかしい!



(つづく)





       今日はマイ記念日。私が病院で勤めだしてから1年が経ったのです。
      大輪の薔薇を一輪買って来て受付に飾りました。
      (写真は別の方のブログから拝借したものです。スミマセン。) 





2013年3月25日月曜日

夫と妻と犬と私  ⑥




               ぽわわ〜ん。




      とろけるような感触。もう、一目惚れ。なんて素敵なお方。



 彼の事をどう表現したらいいのだろう。顔立ちはアルプスの少女ハイジに登場する
アルムのおじいさんをもう少し細くしてインテリジェントにした感じ。端正な顔立ちが
知性の光を受けてオーラを放っている。



 賭けてもいい。彼はこれまで84年間(!)の人生で出逢った女性という女性の
ほとんどを魅了して来たはずだしきっとその数数百人は下らないはずだ。
そして彼は自分の魅力を意識している。穏やかに微笑むそのまなざしはしかし
奢りなき謙虚さに満ちている。




 信じられない。あれだけ事前にガルミッシュのおばあちゃんから彼の悪口を
聞かされていたのに、今はそれらの何一つとして思い出せない。あと16年、
彼に遭うのが早かったなら、そして彼にプロポーズなんてされちゃったらお受けしちゃうかもしれない。どうしよう。(どーしようって何も心配する必要ないんだけどね。)
でも、彼のまなざしと彼の微笑は私を魅惑しようとしているように、そして
個人的な意図があるかのように映ってしまうのだ。




 こんなに素敵な方だったんだ。おまけに肩書きは元医学部の大学教授兼音楽家
(オルガニスト)。医学部と音大と両方出ている。



 ガルミッシュのおばあちゃんの持っている高貴で華やかな雰囲気が彼のオーラと
マッチしてもはやベルばらの世界(?古過ぎ?)。これが元夫婦だなんて
エキセントリックとはこのこと。彼の4人の妻のうちの2番目の女性を伴って
いけしゃあしゃあと「私の妻」と呼ぶ。




 彼が魅了するのは女性だけではない。うちのドクターも、あの、独特のオーラの
持ち主さえ彼に圧倒されているのが(私には手に取るように)わかった。



 もちろん私は普通に接したつもりだし先生もそうだったけどね。



(つづく)






        やっぱり今日はベルばら。この漫画の大部分のエピソードが
       ウイーンを代表する作家シュテファン•ツヴァイクの
       「マリー アントワネット」に由来しています。名作を下敷きにした
       厚みのある華やかな作品でしたね。








2013年3月24日日曜日

夫と妻と犬と私  ⑤



   
        2週間の間にミュンヒェンでは3回雪が降った。




 ミュンヒェンでの普通の「雪」はガルミッシュでは「大雪」を意味する。
車が出せないほどの。だからおばあちゃんは来れない。



 私が心配するまでもなくおばあちゃんの方から電話がかかって来る。
日本人の私にはドイツ人のおばあちゃんと中国人のドクターの会話は
ただの喧嘩にしか聞こえない。食事をどうとるべきか、西洋医の処方する
強い薬を飲むべきか否か、様々なテーマで大議論だ。



 おばあちゃんの容態は一進一退を繰り返しながらも少しずつ快方に向かっていった。
結果、おばあちゃんは5キロ痩せた。本当は喜ぶべきではないのだが当人は「身体が軽くなった」と大喜びしている。お通じもあり、(レントゲンを避けたため腸の閉塞部が
どうなったかはわからなかったが)とりあえず大丈夫そうだ。
本当に良かったね、おばあちゃん。


 予後のため、来週も通って来るという。3週間目に入って月曜日、 トップバッターの
患者さんの欄にはHr.&Fr. (英語でいうMr.&Mrs.にあたる)で彼女の名前が載っている。
うん、おばあちゃんとパーシーだよね、オッケー!と思って用意していたら • • • 。
でた!3週目になって現れたミスターとは新患さんだった。




            嘘でしょ!!




        おばあちゃんに伴われてやってきたのは噂の、元夫!!


(つづく)




      
      1936年ガルミッシュオリンピック冬季大会のスケートリンク。



2013年3月22日金曜日

夫と妻と犬と私  ④






      ガルミッシュのおばあちゃんはキビシイ。


    とにかく今度という今度は潔癖性をどこまでも貫いている。



 まず、朝7時過ぎにに病院にやって来る。私は6時15分には病院を開けて
一日の準備を整え最後に患者さん用のお茶(ジャスミンティーに中国ハーブを混ぜたうちのオリジナル)をポットに3杯分沸かす。私はそれとは別におばあちゃん用にお白湯を
用意して一人用の陶器ポットに入れておく。彼らは皆、猫舌族だから室温に冷めていなくてはならない。


 そのころおばあちゃんはやって来るが(5分ほど遅れて車を駐車場に入れた息子もやって来る)なぜか手にはキッチンペーパーを持っている。
ドアの取っ手やエレベーターのボタンを押す時に感染を防ぐためだ。


     『吉岡さん、おはようございます。』そして握手は行わない。徹底している。



     『吉岡さん、トイレの消毒薬が切れかけているわ。薬用ソープも。』



 ひゃああ、キビシイ!前後してドクターもやって来る。普段ならまずはお茶を飲みながら四方山話とともに体調の話に持って行き。さりげなく問診をするところだ。
が、今回はおばあちゃんの具合が悪いのでおばあちゃんは治療室へ直行。
お白湯を持って。
パーシーはゆっくりとお茶を(冷ました後)3杯くらい飲み待合室に置いてあるスナック類を一通り賞味する。そののち、やはり(別の)治療室に入る。彼は喘息持ちなのだ。




 おばあちゃんは暖房の効いた部屋でゆっくりと服を脱ぎパンツ一枚になって
診察台に横たわる。お気に入りの毛布とともに。ふとみるとベットの脇にまたもや
キッチンペーパーが敷かれている。床を裸足で踏んでばい菌をつけないようにだ。


  『今週いっぱいに便通が無ければ強制入院なの。レントゲンを見たでしょう?
  S字結腸が明らかに細くなっていて、ああ、入院したら絶対手術だわ。
  そして人工肛門処置をされてしまうのよ。』



 ううん、本当にそうかなあ。実は私、一昨年盲腸で入院したんだけど同室にやっぱり
腸閉塞で搬送されて来た女の人がいたんだ。最後の最後まで手術しなくていいように手を尽くしていたよ。手術も人工肛門は最後の手段だから他にも色々やり方があるみたいに
聞いてるけどなあ。でも、不安なのはわかります。おばあちゃんは80歳近い。



(つづく) 



ドイツ最高峰ツークシュピッツエ(2962mだったかな?)ガルミッシュにあります。
展望台の風景。実はケーブルカーが動いていて誰でも簡単に行けます。登山だと丸二日はかけないといけないらしい。