2012年12月10日月曜日

プロフェッサー  ⑩





  病気の治癒というのは患者がどれほど「治りたい」という意思を持つかで決まる。





 よくそういわれるけれど、これは単純な真理だ。だから私はここで働いていて
患者さんからパワーをもらうんだ。


 

 うちは高い。よその高級プライベート医院に比べればかなりお安く設定してあるけれど
(プライベート医院のタリフがあって、うちはその中でも一番低い標準料金を採用している。)誰でも気軽に立ち寄れる料金設定ではない。
それでも「治りたい」から皆さんいらっしゃる。真剣勝負の場なのだ。



 そしてプロフェッサーは中でも際立ってご自分の意志を表現なさる。あらゆる形で。
ピアニストだから(だと私は推測するけれど)きっと「表現」することが得意なのだろうと思う。


 私にとって2度目の滞在型通院が終わったあと、彼は毎日のように電話をかけて来た。
きっちり8時に。煎じ薬の効果を事細かに語り投薬の処方箋を3度書き替えさせた。




 それは夏ももう終わりかけたけだるい月曜日の朝。8時ぴったりに病院の電話のベルが鳴った。
私は暗いニュースを持っていた。前日の日曜日、子供のピアノの発表会が開かれた。
その場で聞き知ったのだ。ケンマリング先生がお亡くなりになったことを。できれば
今日はプロフェッサーとは話をしたくなかった。


私      『おはようございます。プロフェッサー。ヨシオカです。』

プロフェッサー『ヨシオカさん。おはようございます。あなたからドクターに取り次いで        欲しいことがあります。』
私      『はい、処方箋の変更の件ですね。』
プロフェッサー『違いますよ。朗報ですよ。聞いてください。私の病気はとうとう
        退散したみたいです。今、私は若い頃と同じようにピアノを弾けるよう        になったんです。ドクターとあなたにまずはお礼を言いたくて。』
私      『えっ?』



 私は絶句してしまった。信じられない。もちろん私は一生懸命やった。ドクターは
語るに及ばず。先生はプロフェッサーの精神分析までやり始めて(子供の頃のトラウマとか探し出そうとするからね)彼から煙たがられたりしていたほどだったのだ。
本当に治ったんだ。やっぱり治るものなんだ。もう、どうしたらいいか
わからないくらい嬉しかった。




 プロフェッサーは我々の共通のピアノの師である(うちの場合は正確には孫弟子だが)
ケンマリング先生のご不幸についてもすでにご存知でいらっしゃった。
『ひとつの時代が過ぎ去りました。あまりにも惜しい人を亡くしました。』
電話口で我々はひとしきり語り合った。




 その日、うちのドクターは大いばりだった。ものすごく珍しい。
とっても謙遜家なんだけどね。いつもの先生は。
あの年齢で、あの病気が本当に治るかどうか、先生もきっと不安で
いらっしゃったんだ。



(続く)





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