2016年5月10日火曜日

集団の中に芽生える「甘え」の発想

           


      非行少年とか不登校の子はドイツにだっている。うちの子供も小学校の時
    いじめられて学校に行けなくなった。でも基本的に学校も先生も何もしない。
    親が騒げば対応してくれるという程度で先生の就業時間内に話し合いの時間を
    持ってくれるのが精いっぱい。家庭訪問なんて言葉を聞いたら彼らはひっくり
    返るだろうなあ。(ということで親は学校で子供に異変が起きたら徹底的に
    原因追及して徹底的に戦う。相手の子供を転校させるか先生を転任させるまで
    頑張る。駄目なら我が子を転校させる。でもこれはここでの話題じゃないから
    またいつか。)万引きとかカツアゲみたいな準犯罪はもう警察沙汰で(もしくは
    親同士の示談)警察が介入したら学校の評判が落ちるとか校長の評価が下がる
    とかいうことはない。むしろ迅速な対応をして問題の所在を他所に丸投げに
    出来たほうが有能だし簡単。「専門家」という言葉はこういう時のために
    あるのだと言わんばかりだ。



     日本の「不良」とこっちの「ならず者」の違いはやはり集団の中に芽生える
    甘えの発想にあると思うなあ。
              日本の不良たちが制服を「着てる」のに「着崩す」とか学校に「来てる」のに
    サボるという感性が違うんだと思う。こっちの人たちの脳はやっぱ合理的と
    いうか実際的というか「甘え」の余地を許さない。だからオマエはどっち
    なんだ?学校を見限るのかどうなのか、犯罪に手を染めるのかどうなのか、
    シロクロつけろ!と言ってる感じがする。


     どっちが良いとか悪いとかいうんじゃなくて、日本の社会っていうのは
    甘いといえば甘いけれど優しいんだなあ。そう思う。




お向かいの家の子。
出て行っちゃったお父さんは今もやっぱりいません。
あ、他人のうちのことは言えないか。


              

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