2012年11月25日日曜日

砂漠の彼方に光る井戸  ⑤




      あれは6月のある日曜日のこと。




 その週はあまりにも患者さんの予約が多くて溢れ出てしまい
日曜日に午前中だけプラクシスを開けることになった。本来午前の勤務の
私と午後担当のヒュウちゃん(仮名)でダブルスタンバイ。午前中だけの
仕事だったがてんてこまいの忙しさだった。でもやっとでおしまい。
時計を見るとそろそろ13時。



 さあ、やっとで家に帰れると思った時にまたしてもシュピッツさんが
「飛び込んで」来た。




     『助けて!ものすごく気持ちが悪いの!』



 いや、よく大胆に飛び込んでくるもんだなあ、とまず私は感心した。
電話の一本くらいかければいいのに。普段はうち、お休みだよ。
初診の際のタイミングの良さといい、もしや、この人、超能力者?




 ヒュウちゃんの顔がこわばる。私に向かってこっそりべ〜の顔。ヒュウちゃん、
アンタもいい歳でしょう。知ってんだからね。あなたの年齢!




 先生はおっしゃった。
       『よし、ちょうどきりもいいところだ。みんなで
           力を合わせて治療しよう!二人ともおいで。』




 ヒュウちゃんヒェエ〜!の顔。私は例によって「私はプロだ。プロだ。プロなんだ!」
と念仏を唱えながら作り笑顔。3人がかりで彼女の治療を始めた。






 どれほど私たちの力が先生に及ばなくてもアシスタントがいるといないとでは
もちろん大違いだ。身体の色んなところが痛かったり気持ち悪かったりするんだから
さすってあげたりお灸でツボを暖めてあげたり色々できる。ここまで至れり尽くせりの
病院を私は個人的に知らない。設備が豪華だったり応対が丁寧なだけのところはたくさん
あるけどね。




 彼女は悪口雑言の限りを尽くした。治療は2時間に及んだからその間ずっと
私たちは彼女の罵詈雑言を浴びせられていたことになる。ヒュウちゃんは
たまらず日本語で私にだけ向かって


   『アノオバサンキライ』

   『モウイヤ、カエリタイ!バカ!』

と小声で愚痴を漏らしていた。先生だって意味はわからずとも彼女が何を
言っているかは容易に推測できたはずだ。




 けれど先生はものすごかった。得意技の「親切攻撃」でシュピッツさんが
わがままを言えば言うほど丁寧にさすってあげ話しかけてあげた。一瞬も
手を止めなかった。 



 私はただただ尊敬の念に打たれていた。




 治療の後、彼女の「発作」は収まった。
シュピッツさんはさすがに今日ばかりは私たちに向かってお礼を言って
握手して帰って行った。
全体としては発作の頻度も減って回復に向かいつつあるのだ。




 ヒュウちゃんは速攻着替えて立ち去ろうとしていた。私は今日の感動を
先生に伝えたくてぐずぐずしていた。
その私たちに向かって先生はおっしゃった。


   『シュピッツさんはね大変真面目で優秀なお医者さんでいらっしゃるんだよ。
   とっても繊細で敏感な方なんだ。身体が不調な時の苦しみは他人には
   わからないものだから彼女のおっしゃることを健康な人のそれと
   取り違えてはいけないよ。』




 その瞬間、私の頭の中には暗い夜空にはるか見渡す限りの砂漠の光景が
浮かび上がった。サン•テグジュペリ「星の王子様」の情景だ。






(続く)









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