2012年11月1日木曜日

ペトラさん

   


   ペトラさんはクレオパトラみたいな美人。



きれいなまっすぐの長い黒髪に黒い目。
でも日本的な感じとは違って特別な凛とした緊張感がある。
うちのプラクシスにも 若くて素敵な女性の患者さんは何人か来るけど、
その中でも彼女はちょっと神秘的な 雰囲気の人。

でもきっと心に傷があるんだと思う。



   彼女が初めて電話してきたのは3週間ほど前だった。
『予約を入れたいんですけど。』
『ハイ、お名前は?』
『•••ペトラです。』
 『??はい、ペトラさんですね??』
病院で予約を入れるのにファーストネーム しか言わない人なんて普通いない。
まあいいや。電話番号も聞いたし。 でも翌日、私が予約を入れた次の週にも
同じ名前の人の予約が入っていたことに 気がついた。予約を入れたのは
先生の奥様だ。なんだかおかしいぞ。 そう思っていたらまたしても
彼女から電話が来た。
『あのお、来週予約を入れたものなんですが』
『はい、お名前は?』
 『•••ペトラです。』
 『はい、ペトラさん。先日お電話くださった方ですね。』
『あの、こちらの先生なんですけど、精神面でのケアとか患者さんに
してくださるんでしょうか? わたしの病気は頭痛とか不眠症とか
いろいろなんですけど、でも一番大切なことは 心理的な問題なんです。』
なるほどね。大丈夫、まかせて。
 『問題ないと思います。うちのドクターは心理学と精神医学が得意分野ですから。』
 これは本当。うちの先生は漢方の先生だけど(西洋医学的には内科医)
趣味が心理学と精神分析でしょっちゅう この手の本を読んだり議論してる。
でも、一応、先生の耳にも入れておこう。


    そして(最初の)予約当日、素敵な美人の彼女がやって来た。
ひゃ〜、きれいな人。 受付票にフルネームを記入してもらう。
 そのとき、彼女の心の傷のかけらを発見することになる。
彼女の名字は、それは ひどく耳障りの悪い差別用語だった。
 こういうことって私は日本では見たことがない。でもドイツではときどき
びっくりするような 変な名字の人がいる。『にんにく』さんだとか
『ぶたのしっぽ』さんだとか。
 でも彼女の名前は私がこれまでに聞いたことのある変な名前の中でも
飛び抜けて ひどい、それを耳にしただけで心が痛んでしまうような
種類のものだった。




 他人に聞いたことだが、ユダヤ人が虐げられていた頃、
侮蔑的な名前を強要された人たちがたくさんいるのだとか。
 彼女の黒髪もユダヤにまつわるものなのかしら。



  日本だったら『言霊』といういい方があるけれど、
言葉には魂があって、それを文字や音にして
『形』にしたとたん、その言葉の持つエネルギーも
一緒に放たれてしまう。
こんな酷い言葉を背負わされて生まれて来たら
いくらニュートラルに発音しようと思っても、頭をかすめる
『ああ、かわいそう』という想いはぬぐえない。
ネガティブな事柄を『笑い』に変えてしまうという『手』も
あるが、それこそこれはエネルギーが要る。こんな名前じゃ
 それを言う方も言われる方も辛いよね。




    診察室での問診はずいぶん長く続いた。治療が始まって
私もちょこちょこお手伝い。 もちろん彼女のカルテをわたしも見る。
ふ〜ん。こんなに若いのにたくさん苦労して らっしゃるんだ。
『ペトラさん。』私も先生も彼女のことを下の名前でしか呼ばない。
彼女がそれを望んでいるから。



 きっと治療はこれから長く続くよ。一緒に頑張っていきましょう。

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