2016年4月7日木曜日

相手との距離を「契約」する国民性(綾ちゃんドイツ語講座)



     敬称ズイーで呼び合っていた人たちが、ある時点で「そろそろ親称ドウーに
    しないかい?」と提案する。この動議を発令する権利を持つのは通常目上の
    人間で互いの人間関係が「熟し」たことを見越しての発言だから却下される
    ことは普通ありえない。綾ちゃんは未だ「いやー、やっぱりズイーのままで
    いましょう」なんて相手が言う場面には出くわしたことがない。この提案が
    承認されると(それまでどれほど永く付き合って互いのことを識っていても)
    もう一度ファーストネームで自己紹介をして握手を互いにかわす。僕は
    トーマス、私はアンナ、よろしくねって。




     綾ちゃん自身もなんども体験してきた場面だ。人間関係の「仕切り直し」の
    小さな儀式。



     綾ちゃんは(くどい!)英語圏の文化には詳しくないが、少なくとも
    英国文学を読む限りでは現代でもこの状況は全く変わっていないように思う。
    二人称表記がYOUオンリーなので気をつけて読まなければならないが
    人間関係を苗字で呼びあう関係かファーストネームで呼ぶかは当人同士の
    契約でドイツ語やフランス語のようにはっきりと表記の区別がない分、
    気をつけて読まないと人間関係の緊張感を感じ取れない場合が多い。



     これってザ・ヨーロッパだなあって思う。だってはっきり
    「契約」するんだもん。口頭とはいえ。



     綾ちゃんのことを現在アヤコと呼ぶ人間は二種類しかいない。
    ドイツ人か綾ちゃん夫か、である。



     日本で綾ちゃんのことをアヤコと呼ぶ人間は綾ちゃんパパが
    他人に向かって綾ちゃんのことを話す時だけだ。うちのアヤコが、って。



     もう一度初心に戻って(?)考えて(感じて?)みると、やっぱり我々
    日本人にとってファーストネーム呼び捨ての距離感ってこちらのドウー
    のそれとは随分違うよなあって思う。もし綾ちゃんの男友達の誰かが
    いきなり、今日からアヤコって呼ぶよ、なあんて言い出したら綾ちゃんなら
    そいつを背負い投げすると思うなあ。ふざけんなあって。(いや、ちなみに
    綾ちゃんは柔術できません。背負い投げはアタマの中でだけです。)




     色々考えることの多い敬称親称問題なんだけれど、実はですね、本題は
    これからで(えええー??もうどんだけ引っ張ってると思ってんのー?)
    ここまでお話しした内容は純然たるドイツ人たちの社会のルールの
    基本形でありまして、現実にはもう少し複雑だと思われるんですな。


     この問題をどこで区別するかというと、あくまで全部綾ちゃんの私見
    なんですけど、人間関係がズイーから始まる場合と最初からドウーで
    始まるケースでは問題の性質がやや違うみたいだということが
    これまでのドイツ生活で感じられてきたことなんです。





今日の夕焼けは桜色でハッとした。





     
      

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