2014年3月12日水曜日

3月11日、今日という日をどのように明日に生かすか








           日本人は知るべきだ。





  昨日、今日と綾ちゃんがどれだけたくさんのドイツ人から3•11の追悼を
 述べられ、そして日本の原子力問題について話し合おうとしていたかを。
 彼らは皆、ごく普通のドイツ人だ。高校の先生、大学生、年金生活者、
 サラリーマン、主婦、、、。



  誰もが汚染水問題や原発再開問題についてそんじょそこらの日本人よりも
 はるかに大きな関心と知識を持ち心配をしている。
 「他人事ではない」地球規模の大問題と認識し、一体ニッポンはどうなって
 しまっているのかを知りたがっている。


      
  本当はそんなのこっちが知りたいくらいだ、けれど、あれから3年が過ぎて
 諦めの様な気持ちとともにひとつだけ芽生えて来た想いがある。



  日本の表面を覆いつくしているメデイア、3大新聞をはじめとしてテレビも
 何もかも御用報道に成り下がった現状は主に原発問題が克明に浮き彫りに
 したものだ。
 しかし、ここまで骨抜きになってしまったニッポンは私たちの生きて来た道程の
 鏡としてそこにあるものだ。悔しいけれどやっぱり私と私たちの責任だ。
 


  これから3•11の日が巡り来る度にそのことを胸に刻まなければならない。




  誰が何と言おうと原子力には反対だ。武器を持つことも誰かを傷つけることも。
  
  



いのちをこころを奪い去っていく
力もいい訳も全て許せない

わたしは祈る以外に知恵も力も持たないけれど
短い花の生命を
ささやかなこの愛で染めたい


さだまさし「祈り」より




    )

     後藤先生が2013年の原発問題の総まとめをしてくださっています。
    「東京電力に原発再開させるのは交通事故を起こしたドライバーに
    運転を容認させる様なもので彼らにその資格はない。」




さだまさし「祈り」










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